第5章 遠くからの払暁


 歌手としての第一歩を踏み出した鮎だったが、現実には甘さなどかけらもない。まず生活して
いかなくてはならないのだが、会社からの給料では家賃を払っていけるぐらい。当初、両親はそれを
心配し、軌道に乗るまで仕送りをすると言ってくれた。しかし独立した社会人になったのに、そんな
ことをしてもらうわけにはいかないと断った。
「それじゃ、この口座に入れておくから、何かあった時は遠慮せずに使いなさいよ」
 そう母は言ってくれた。
 本当に何かあった時に役立てる為にも、普段はちゃんと生活費を確保しておかなくてはならなかっ
た。

 まずはアルバイト先を見つけること。
 時間がある程度自由になる仕事じゃないといざレコーティングの時とかに困りそうだ。重労働で、
練習に支障が出るようでもまずい。女の一人暮らしなのだから、夜遅い仕事は避けたい。そういう
条件は浮かぶのだが、情報紙を見ても一長一短がある仕事ばかりでなかなか決められない。
 結局相談するのは、彼のところ。
 冴木は去年まで家庭教師とレストランのウェイターを掛け持ちでやっていた。
 家庭教師の方は、この春に生徒が志望校に合格したのを期に終了している。それで時間ができた
ので、旅行に行ったのだ。レストランで一緒に働くということももちろん最初に検討したのだが、恋人
同士という関係上周囲に気を使うことが多くなりそうで二の足を踏んだ。
「会社が紹介してくれたりしないのか?まだ売れてないミュージシャンとかって、よくライブハウスとか
スタジオでバイトしてるんだろ」
「うん。聞いてみた。札幌でもそうだったけと、ああいうのってコネがないと使ってもらえないから」
「それで?」
「この近くだと、空きがないって。八王子にあるらしいんだけど」
「そっか」
 結局、候補になったのはカラオケボックス、レンタルショップ、そしてCD販売の店だった。昼間の
バイト・しかも軽作業ということで時給は低めだが、まだ音楽の技術を上げなくてはならない鮎には、
練習の負担にならないことが第一ということになった。

 数日後の面接の結果、どこからも採用の連絡があった。
 最も音楽に関われそうなCDショップを選んだ。


 5月の連休にも札幌に帰らずに、アルバイトと音楽活動に精力を注ぐ毎日。
 休み明けにマネージャーの水上から電話があった。
 プロデューサーが決まったから、会いにきなさいと。

 これまで、事務所には週に2回程度の頻度で顔を出している。水上は鮎以外にも何人かのミュー
ジシャンのマネージャーを兼任しているため、毎日行っても邪魔になるだけだ。

 初めの頃は、先輩のミュージシャンや職員との挨拶ばかり。幸いポカもしでかさず、悪い印象を
持たれた様子はなかった。

 唯一仕事らしいことをしたのは、写真撮影。
 会社の広報資料やホームページに、顔写真と簡単なプロフィールが載るというのだ。予め、よく
睡眠を取ってくるようにとの水上さんの指示はきっちり守り、意気込んで撮影に臨んだのだが、それ
だけできれいな写真になるわけではない。まず化粧が重要なのだが、高校時代から化粧っ気に
乏しく、ステージに上がる時も申し訳程度にしかしていなかった鮎には荷が勝ちすぎていた。
もちろん専門のスタイリストやらメイクアップアーティストなんかつけてもらえない。
 結局水上さんが髪型から顎の先まで整えてくれた。
 いざ撮影が始まると、矢継ぎ早に出される表情や姿勢の指示にてんてこまいで、使い捨てカメラ
とは比べものにならない衝撃的なフラッシュに圧迫され、疲れた顔が撮られていないか、後から
不安になったほどだった。

 強烈な照明が日常から彼女を切り離して、川原鮎が川原鮎だけの存在ではなくなった。
 彼女は歌手であり、プロであり、商品であり、彼女だった。


 それからボイストレーニングも受けた。
 メッセ・ホールでコンテストに出た頃のような素人っぽさは、もう彼女の声には残っていない。カラ
オケで唄うだけだった頃は、CDを聴いて歌手の歌唱法を真似ようとばかりしていた。そっくりに唄え
ると上手に唄えたように満足できた。でも自作の曲を書くようになると、誰の真似をしているわけにも
いかなくなった。それに、いくら好きな歌手のように唄っても、どこか満たされぬ部分を感じずには
いられなかった。

 もっと川原鮎らしく。
 もっと上手に喉を使いたい。
 もっと歌詞に込めた気持ちを表現したい。
 もっとオーディエンスの鼓動と共鳴したい。

 繰り返した試行錯誤。
 およそ唱法と名のつくものは一通りやってみた。音域の限界に挑み喉を詰まらせそうになり、
シャウトの練習をしすぎて声を枯らし、40年も昔のロックンローラーがやっていたシャックリ唱法
なるものがあることを邦彦から聞くと、好奇心も手伝って早速やってみたりもした。
「そりゃただの酔っ払いだよ」と、その場にいた彼は大笑いしていたが。

 やがて、メッセ・ホールでの音楽仲間に「最近、歌うまくなったじゃん」と言われることが増えた。
どの練習の成果かは不明だが、素質が向上心によって伸ばされたのは確かなところだ。邦彦も、
会うたびに上達する彼女の歌唱力に賞賛の言葉を惜しまなかった。だからこそ、スカウトの目にも
止まったのだろう。

 しかし、プロの世界となれば素人の延長とは縣隔がある。鮎は音大での指導経験もある先生に、
一から音程のズレをチェックされ、修正された。やはり専門家の目は確かである。カットされただけの
宝石が、研磨器を潜った後のようにがらりと変わった。言葉を発するための声から、声そのものが
「音楽的な声」へと転換したとでも言えばいいだろうか。オペラ歌手のようにはとてもいかないが、
自分のものとは思い難い伸びやかな声に鮎自身が驚いた。


 この日の案件である、プロデューサーの選任。このための意見交換は難航したと言っていい。
鮎の希望としては、自分で「いいな」と感じたアルバムを手がけた人にこそ、音楽を委ねたかった。
そこで何人かの名前を挙げたが、条件面での折り合いがつきそうもないという水上の回答だった。
 無理もない話だとわかっていた。
 日本の音楽シーンは飽和状態で、デビューする新人は毎年百人単位でいる。特別な背景も経歴も
ない彼女は森に植えられたひ弱な苗木の一本にすぎない。
 会社から提示されたリストに並んでいたのは、知らない名前ばかり。自分では選びようがなく、
会社に一任するしかない。
 「ロック系の人を」という要望をしておいたが、会社自体がポップス志向の会社なのであまり期待は
できなかった。


 受付の女性に挨拶をし、水上のデスクへ鮎は向かった。
 顔が会うなり、彼女から尋ねられた。
「沢井悟(さわい・さとる)って名前、聞いたことは?」
 用意してあった椅子に座りながら、記憶の棚を探してファイルを検索する鮎。該当なし。
「知らないです」
「じゃあ○○○○○ってバンドは?」
 これはわかった。
「名前だけは聞いたことがあります。もう活動はしてないバンドですよね」
 2〜3年前までは、CMやドラマに曲が使われていたので曖昧ではあっても憶えがあった。しかし、
メンバーとなるとわからない。当時、関心があったわけでもなかったのだ。
「そう。そこでギターをやってたのが、あなたのプロデューサーに内定した沢井悟さんよ。
彼らのバンドはうちからデビューして、成功したの。解散後、彼は会社に残ってプロデュースや
アレンジの仕事をしてるわ。うちの専属としては、今最も成績を上げている人よ」
「そうなんですか」
 水上はM&C所属のトップグループの名前を列挙し、ヒット曲の多くを彼が手がけたと話した。
そしてそういう人物を選んだのは、会社として川原鮎の将来に期待をしているからだと付け加えた。

 水上と近況を話ながら待つこと30分ほど。目立つ人が事務所に入ってくるのに鮎は気づいた。
 長身とラフに崩した髪が特徴的な20代後半の男性。
 濃い色のサングラス。
 痩せ気味の体にジャケットを羽織っている。
 すかさず水上は「あなたは待ってて」と鮎に言い置いて、出迎えに走った。
 どうやらあの人らしい。

 どんな人なんだろうという不安。

 でも、どんな人だったらいいのかすら、鮎にはわからない。

 丁重に挨拶をしているマネージャーの姿に相手の持つ権威が伺えて、鮎も全身を強ばらせながら
立ち、やがて訪れる対面の時を待った。

 やがて水上さんが彼を案内して戻ってきた。
 鮎と男性の間に立ち、すっと片手を伸ばし「彼女が、川原です」と紹介した。

 きちんと挨拶しなきゃ。
「あの、初めまして、川原鮎です」
 そしてとにかく深く頭を下げる。
 すると、
「まず、顔を見せて」
 と、上の方から男性の声。
 慌てて姿勢を戻す。
 かなりこの男性が長身なので、自然と見上げるようになる。
 サングラスに隠された視線は、10秒ほども鮎の強ばった表情を渉猟したろうか。
 ついと水上へと顔を向け、「じゃ、話は奥で」と彼女を促す。

 契約をしたのと同じ会議室。
 テーブルにはいくつかの書類が既に載っていた。
 鮎の履歴書や契約書などのようだ。
 彼すなわち沢井悟が目を通す間、2人の女性は運ばれてきたコーヒーにも手をつけず待った。

 やがて彼はぱさりと書類を脇に押しやり、
「北海道札幌出身。実家が寿司屋か。演歌歌手になるならいい背景だな」
 そう話しかけてきた。サングラスはまだかけたままだ。
「あ、はい」と、反射的に応じる鮎。
「川原君は、どうして歌手になったんだ?」
「歌が、歌うのが好きなんです」
「嫌いで歌手になる人はいないよ。他には?」
 鋭く切り返され、戸惑いが声に出る。
「えぇっと、それは、あたしが歌って、それをいろんな人に聞いてもらって、喜んでもらえたらいいなっ
て・・・」
 しかし、そんな返事で沢井は追求の手を緩めようとしなかった。
「みんな似たようなこと言うんだ。オーディションの時なんかにな。でも、それが本音なのか? 
違うだろう。有名になりたいとか、ちやほやされたいとか、テレビに出たいとか、そんな気持ちが
あるだろう」
「ないことはないですけど、それを意識して歌ったりはしてません。歌うのが・・・」
 手を一振りして、鮎の言葉を沢井が遮る。
「何もないはずはない。歌いたい理由の他に、歌わなければならない理由があるはずだ。もし
本当にないというのなら、音楽は趣味だけにしておくんだ。どうだ?」
 自分の過去を見透かされたような断言。

 この人の言う通りなのがわかる。
 いじめられていたことへの反発、抵抗が、そもそもの原点になっている。
 でも、こんなことは邦彦にしか話したことがない。
 プロになると両親を説得した時にも、口にしなかった。
 初めて会ったこの人に、言わなくてはいけないの?
 答を求めて、彼女は水上を見た。

 しかし、鮎はマネージャーの表情から何かを汲み取ることはできなかった。水上は無表情でも無視
していたわけでもない。
 鮎をじっと見つめていた。
 瞳に、一つだけでない何かがあった。
 この時の鮎には、わからない何かが。

 意を決し、少女期のことを彼女は話した。
 発端から、店でお客さんのために歌ったことや、邦彦に出会ってからのことを。
 沢井と水上は、他言しないことを約束してくれた。

 さらに1時間ほど話をして、この日の対面は終わった。
 鮎の異存がなかったということで、正式に沢井悟は鮎のプロデューサーということになる。

 その権限は、絶大なものである。どこまでそれを振るうかはプロデューサーの意志と能力次第
だが、歌手の音楽性すべてを左右し得るものであり、曲の制作から録音、宣伝、CDのジャケット
デザインに至るまで決定権を持つ。プロデューサーの成功なくして歌手の成功は、まずありえないと
言えるだろう。
 鮎にとって、業界内での実績のある人物を上に戴いたということは、不利には働かないように
思えた。


 5月の下旬には、『川原鮎、デビュー準備中』という肩書きの付いた写真がHPの末席に掲載
された。
 いろいろ考えた末、芸名は使わず本名でデビューすることを選んだのだ。
 いじめられっ子だった川原鮎も、これから歌手としてやっていく川原鮎も同じなんだと、胸を張って
言えるように。
「おまえなんかなれっこない」と嘲笑したいじめっ子にも、あたしだってわかるように。
 そして、札幌で「川原鮎」を応援してくれたみんなのために。
 誰よりも、彼のために。







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