第7章 美醜なき逃亡の果てに



 俺は、野球が好きだったんだ。
 小学校の時に友達とリトルリーグに入ってさ。
 知ってる? 軟式じゃなく、硬球を使うんだ。
 なんとなく始めたんだけど、すぐに夢中になった。
 ピッチャーになりたくてさ。花形だからね。
 でも、高学年になってもあまり体が大きくならなかった。
 だから監督とかに無理だって言われてた。

 それで、変化球を覚えたんだ。そうすれば、速い球が投げられなくてもいいからね。
 利き腕も、右から左に変えた。その方が有利なんだ。
 投げ方も普通に上から投げるのをやめてサイドスローにして。

 練習するうちにコントロールもついて、だんだん試合に使ってもらえるようになったよ。
 相手からすれば、珍しい投げ方ってだけで打ちにくいんだ。
 中学に入る頃には、もう専門の投手だった。

 それでも体はそんなに伸びなかった。だから変化球を投げ続けた。
 上級生や成長の早い同級生を抑えるには他に方法もなかったし、その頃は練習するたびに
ボールがどんどん曲がるから、やってて楽しかったしね。
 種類も増やした。テレビでプロが投げるのを真似して。

 3年の時にはエースになれた。
 普通の公立中学で強いチームだったわけじゃない。都の大会でもベスト32ぐらいが最高でさ。
 もちろん選抜なんかされなかった。だから高校でも、手近な学校で続けようとしか考えてなかった。

 でも、一人だけスカウトが来た。
 最近できた高校の監督で、俺を誘ってくれたんだ。
 都内でもセンスのあるやつは名門校がどんどん引っ張っていくから、俺なんかにも声をかけたん
だと思う。
 でもその人は、いいチームを作りたくて一生懸命な監督でさ、俺は喜んで推薦で入学したよ。
 俺の成績じゃ、まぁ無理な学校だったから、親も歓迎したし。

 入学して少し経ってから、練習試合があった。
 雨でグラウンド状態が悪かったよ。
 俺は途中から登板した。
 そうしたら、だんだん腕に力が入らなくなってくるんだ。
 肘の辺りがずきずき痛むし、足場がぬかるむから余計に腕を振らなくちゃならない。

 滅多打ちにされて降番さ。
 でも痛みはいつまでも引かないし、物を持つだけで激痛が走るようになった。
 しょうがなくて病院に行ったよ。

 左腕の肘の靭帯、側副靭帯その複数が損傷。
 それが診断だった。
 成長期にシュート・シンカーといった負担のかかる変化球を投げ続けたことによる酷使が原因
だと。

 野球は、せめて20歳を過ぎるまでは厳禁だと言われた。
 もちろん野手としても。
 手術はするべきではない。
 リハビリを続けることで日常生活に支障のないようにはなる。
 若いため、回復も早いと。
 それでも野球は諦めることになった。

「辛かった・・・・・だろう」
「でも、自分でもわかってたんだ。無理してるのは。だから自業自得だと思って、納得はしたよ」

 これからは外部で野球を楽しもう。そう割り切った。
 もともと甲子園は遠い世界だったし、仮に大学に進んでも続けるつもりはなかった。
 プロなんてはなから無理だ。

 2ヶ月ほどで腕の痛みはほぼ消えた。
 それでも「もう一度野球を」とは夢見なかった。周囲にもそう言っていた。
 でも、野球部から籍を抜かなかったのは未練があったからかもしれない。
 そして事件は起きた。

 夏休みが近づいたある夜。
 鷹条は友人宅で遅くまで過ごし、自宅へと自転車を飛ばした。
 ショートカットに使う公園で、何かが聞こえた。
 争う声と女の子の悲鳴。

 好奇心だったのか。
 正義感だったのか。
 今となってはわからない。
 鷹条は自転車を停めて暗がりへ走った。

 そこには一組の男女と、男の二人組がいた。
 すぐに状況はわかった。カップルが恐喝されているのだ。
 どちらも高校生、年も自分と同じぐらいだった。

 引き返すこともできた。
 でも、彼は止めに入った。
 カップルの男と二人なら時間を稼げるし、その隙に女の子が警察なり大人なりを連れてくることが
できるという計算もあった。

 ところが、そうはならなかった。
 カップルは彼の乱入でできた隙を突いて逃げ去ってしまった。
 残された鷹条は、激昂する二人を相手に自分を守るため、必死で闘わなくてはならなかった。

 相手は一人として見れば鷹条より弱かった。
 彼も伊達に鍛えていたわけではない。
 敢えて彼はより強そうな相手を狙った。
 そうすればもう一人の戦意は衰えるという判断から。

 それでも、2対1というのは不利だ。
 一方的に殴られ、蹴られるようになる。
 闇雲に雄吾は全力で相手の顎を殴った。
 左手で。

 陶器の割れるような音がした。
 男の顎は砕け、あとから手術を受けなくてはならなかった。
 同時に、雄吾の拳は6ヶ所で骨折し、折れた骨が皮膚を突き破って鮮血にまみれた。

 次の瞬間、もう一人の男が左の肘に鉄パイプを降り下ろした。

 雄吾が千切れるような音と耐え難い痛みに崩れ落ち、丸めた背中を蹴られること数回。そうして
数人の警官が現れた。
 
 警官を呼んだのはジョギング中の老人。様子がおかしいので通報したという。

 3人のうち、2人は即座に入院。ともに話ができる状況ではなく、残った一人が事情聴取を受けた。

 彼は(雄吾が狙わなかった男)、鷹条が因縁をつけてきたと主張した。公園で話していた自分たち
に喧嘩を売ってきたと。争うつもりはなく、現に自分は彼を殴らずに止めようとしていただけだと。
自分に怪我がない理由をそう説明した。

 警察としては、それを鵜呑みにはしない。何分怪我の状態がひどいので回復を待って、双方の
言い分を聞くことにした。

 しかし、ことはそれで済まない。
 鷹条の高校は、数日後に夏の選手権の予選が控えていた。

 出場辞退。
 それが職員会議の結論だった。
 たとえ休部状態だったとはいえ、現役野球部員が喧嘩で相手に怪我をさせている。過去の先例
からいっても、他に選択はなかった。

 対戦相手は、甲子園常連校。到底勝ち目はなかった。
 実際に決勝まで勝ち抜いている。
 それでも部員たちは悔しさに泣いたと、後から雄吾は聞かされた。

 鷹条の怪我は左手の粉砕骨折と左肘靭帯の断裂。
 手の方は医師が「銃弾で撃たれたようだ」というほど。全治3ヶ月。
 靭帯も接合する手術がなされ、こちらは機能回復まで6ヶ月の診断。
 顎を割られた男は全治2ヶ月。

 警察官から話を聞かされて、雄吾は愕然とした。自分は人を助けようとしただけだとありのままを
何度も説明した。一方、相手方も自分たちは被害者だとの主張を繰り返した。

「でも、雄吾が助けた二人はどうしたの。その人たちが証言すればはっきりするじゃないの」
 雄吾は寂しく口元だけで笑って答えた。
「見つからなかったんだ」

 面倒事に巻き込まれるのを嫌ったのか、問題のカップルは警察の捜査でも特定できなかった。
通報した老人は、具体的な状況はわからなかったらしい。

 双方の言い分は水掛け論にしかならなかった。
 向こうは顎を割られたせいで一人が事情聴取に応じない口実があり、その間に口裏を合わせる
ことができた。彼らは補導歴などはなく、彼らの学校も「模範的な生徒」だと擁護した。
 鷹条だって問題を起こしたことなどこれまでになかったが、決め手にはなりようもない。
 結局、それぞれがなにも請求しないということで示談にならざるを得なかった。

 そして退院の日。夏休み最後の日だった。
 母親が手続きを済ませるのをロビーで待つ雄吾は、置かれていた新聞を手にした。
 スポーツ面の下にある小さな記事に、自分の高校の名前があった。

 [日本高野連の処分]
 半年間の対外試合禁止。

 [理由]
 部員の暴行事件

 震える手で東京面を開く。

 詳報がわずかに載っている。
 処分を厳粛に受け止め、再発防止に努力する。
 そして責任をとって監督が辞任すると。

 ふらふらと立ち上がった彼だったが、強烈な心理的圧迫のせいだろう、トイレの洗面台に吐いた。
冷たい汗が顔中を濡らし、胃液とともに滴った。
 顔を上げた時、鏡に写ったのは鷹条雄吾ではなかった。


 彼には始業式から一週間の停学処分が下っていた。
 自宅で療養せざるを得ない彼にとって、予想外の軽い処分だった。最悪の場合退学も覚悟して
いたのだ。
 あとから洩れ出た話では、職員会議では退学を主張する声が大半を占めたという。野球部の
ために入学しておきながら、その野球部を出場停止に追い込むとは何事かと。
 彼を庇い、自ら責を負ったのが監督だった。

 最後に見舞いに来た時も彼の言葉を信じてくれた監督は、定年を前にして故郷へと帰ったという。
リハビリ中の鷹条には何もできなかった。
 一度だけ、手紙を書いた。
 「申し訳ありません」とだけ。
 返事は、「気にするな、お前のせいじゃない。正しいことをする勇気を失うな」
 そういう趣旨のものだった。

 正しいこと。
 それがわからなくなった。

 停学が明け、雄吾は左腕を吊りながら登校した。
 だれ一人彼を責めるものはいなかった。
 怪我を心配し、励ましてくれた。
 だが、暗闇の中に何者かがいた。

 ある朝、上履きがなくなり、机の中身は廊下にぶちまけられていた。
 同種のことは続き、自宅には無言電話が不気味にかかる。
 特定はできないが、野球部員かその周辺の人が関わっているのだろう。
 あえて追求しようとも思わなかった。
 誰に相談しようとも思わなかった。
 犯した罪が未だ裁かれていないのだから。

 家を出て、授業を受け、リハビリのために水泳をして帰る。
 それだけの毎日が続いた。
 どこかで彼を恨む者が見ている。
 その意識が彼を友人から遠ざけた。
 飛び火でもしたら謝罪をする術がない。
 笑ったりすることで刺激することを恐れ、無表情になった。
 遅刻や忘れ物といった逸脱ですら、反省の心が緩んだ象徴と取られかねないと慎重になった。

 自主退学や転校という手段もあった。
 だがそれでは監督の願いが無になってしまう。
 できること。それは勉強しかなかった。
 スポーツ推薦で入った彼だったが、もう、学校にいる資格がない。
 せめてよい成績を取らなければならなかった。
 腕の回復に比例するように点数だけは上がった。

 時が流れ、高野連の処分が解けた。
 するとぴたりと嫌がらせは止んだ。
 春の大会を目指し練習する声がグラウンドに戻った。

 鷹条には、なにも戻ることはなかった。





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