第1章 約束が積もった高原へ



今年も、東京はホワイト・クリスマスにならなかった。恋人たちには残念なものだろうが、ケーキ
ショップ前の特設売り場で鈴を振り、忙しく働く鷹条にとってはありがたい話だ。
 路上を吹き抜ける風は、黄昏から薄暮へと時が進むうちに足元を鎖のように打ちつける。
 サンタの扮装も、見た目ほどには暖かいものではない。というより、大量生産の安物であり、
防寒の機能など最初からないのだ。20本の指先はどこも感覚が薄れている。一つだけ電熱の
ヒーターがあるのだが、それがレジを打つ同僚の女の子の足元に置かれるのはやむをえない。
「いらっしゃいませ〜」
「ご家族に当店のクリスマスケーキをどうぞ〜」
「ありがとうございました〜」
 声を出すことで、いくらかでも体が強ばるのを押し止める儚い努力を続ける。
鈴を持つ左手、左腕には痛みがあるが、これはもうどうしようもない。右手のプラカードと時々持ち
替えることで誤魔化すのが最善の方法と諦めていた。

「鷹条君、これ終わったらみんなで遊びに行くって話になってるけど、どう? 暇?」
 お客が捌けたあと、同じアルバイトの女の子に誘われた。すでにバイト仲間とは仲良くなっている。
何度か遊びにも行った。
 でも、今夜はすぐに帰りたい理由がある。
「ごめん。今日は急ぐんだ」
「そうなんだ。あ、もしかして彼女?」
 どうにも答えようがない。
「当たりでしょ。それならしょうがないよね。みんなには用事があるって言っておくね」
 苦笑いを浮かべて頷く鷹条。
 彼女か。
 誰が待っているわけでもないが、電話がかかってくるかもしれない。
 クリスマスカードを初めて出してみた。今ごろはもう届いているはずだ。
 彼女は出すようなタイプじゃなさそうだけど、電話で感想を話してくるかなと思う。
 やっぱり帰っていよう。

 このバイトも明日で終わる。
 あとは銀色の翼で飛び立つだけだ。


 札幌には粉雪が舞っていた。
 北海軒は少しだけ暇な日。いくら名所と言ってもクリスマスにラーメンを食べる客は少ない。すす
きのに集まるお父さんたちも、この日ばかりはまっすぐ帰宅するようだ。
 この日の朝から、葉野香は自分の部屋で編み物の仕上げをしていた。昼過ぎには完成。
 「できた」と、比べてみて一人納得する。これで彼を迎えに行くだけでいい。
 それからは、長い忘我の時間に身を任せた。横になり、ピロークッションに頭を預けて天井の電灯
を焦点をぼかした視線で眺める。

 クリスマスなんて冬休みのなかの1日に過ぎない。
 キリストの誕生日なんて、いつだったかわかりはしないし、特に祝おうとも思わない。
 どの雑誌にも「恋人たちの日」として特集が組まれ、人々の消費意欲を煽っている。
 うんざり。

 そう理屈を並べても、彼がいないのが寂しかった。
 別にクリスマスだからじゃないことも、もうわかっている。

 原付バイクの音が聞こえた。続いて階段を登る清美さんの足音。ドアがノックされた。
「葉野香ちゃん。カードが来たわよ」
 飛び起きる。
 まさか、切手を張り忘れて戻ってきたのか?
 料金が足りなかったとか?

 手渡されたのは、東京の香りのするカードだった。
 彼の文字は、もう一目でわかる。
 初めて書いてもらった名前の紙。
 ロッカーのキーと一緒に届いたメモ。
 どっちも、日記に挟んであるから。

 すぐに義姉は下へ戻っていった。意味深な笑いを浮かべないようにしながら。
 部屋の真ん中に立ったまま、葉野香はカードを開いた。
 白地に、やはり白い針葉樹の森が浮き彫りにされている。
 そして細いペンで記されたメッセージ。


  Dear Hayaka.

   北からの風に吹かれると、君の声を思い出す
   そうすると冷たく感じないから不思議だ
   雪が降れば、きっと君の姿を鮮やかに思い出すだろう
   これが届くのはChristmas Eve.
   街にはサンタとバラが溢れているよね
   そんな美しい日には、何かを祈るのもいい
   また逢える日までもう少し
   せめて今夜は、君の枕元に素敵な夢が舞い降りてきますように
   Tonight's gonna be alright...

                 from Yugo.T


 自分に宛てられた散文。
 使っている言葉の一つ一つに、想いが宿っているのだろうか。
 きっと、そうだ。
 そうでなくちゃ、こんなに胸が熱くなったりしない。

 クリスマスも悪くないな。
 そう思った。

 また読み返す。
『何かを祈るのもいい』
 そうだ。彼が、無事に札幌に来ることを祈ろう。
 これだけは神様に叶えてほしい。


 雄吾は帰宅するとすぐに、母親に尋ねた。
「俺に電話なかった?」
 いつだって電話があればすぐに教えてくれるのに、わざわざ聞いてしまう。
 これまで、彼女からの電話は全て自分で取っている。
 夏休みのことを口にしても、彼女のことには触れないでいた。
 だから家族は誰も彼女の存在を知らないのだ。
「電話はなかったけど、何か手紙がきてたわよ。机の上に置いておいたからね。そろそろお父さん
帰っ・・・・・」
 母の返事の途中から、雄吾は階段を駆け上がっていた。響く足音に天井を見上げ、苦笑する
母親。
「おやおや、手紙は逃げやしないのに」
 そう呟いて、夕食の支度を続けた。

 サンタクロースの横顔をイメージしたイラスト。
 それが彼女からのクリスマスカードだった。
 振り落とした鞄と上着をそのままに、雄吾は彼女が記した言葉に見入った。

「うちは代々仏教なのでクリスマスは祝いませんが」
 口元が緩む。らしい言い方だな。
「デザインが気に入ったのでカードを出してみました」
 確かに、クールな雰囲気がいい。
「年越しは、北海軒のラーメンで」
 そうしたいな。
 自然と、目線は一つの言葉に戻ってゆく。
「私も待ってます」

 どれだけ繰り返して読んだだろう。
 封筒の宛名から消印までしみじみと眺めてしまう。
 そのうち、下から声がかかった。
「ご飯よ。降りてきなさい」

 もう父親も帰ってきていた。いつもなら車の音や玄関での会話でわかるのだが。
 食事が終わったあと、父が「旅行の支度はできてるのか」と言ってきた。
「大体はね。もうすぐだから」
「この時期の向こうは冷え込むからな、風邪引かんように準備しろよ」
 父は、母が北海道出身だったことで何度も向こうに行った経験がある。心配するのも道理だ。
「そうだね。雪も積もってるだろうし」
「スキーをやるわけでもないのに、なんでまた北海道なんだ。自分で行くんだからいいが、そんなに
気に入ったのか」
 きっと両親は、彼の快活さを旅による気分転換の効果だと思っているだろう。
「もう受験も近いんだ。最後だと思って楽しんでこい。な」
 父は雄吾がアルバイトをすることも、冬休みに旅行することも認めてくれた。しかし勉強をしっかり
するという条件だけはしっかりつけた。
 幸い、結果は出せた。
 ところが、その結果がさらに期待をさせることになった。
 入学当時より遥かに良くなった成績を見て、いい大学へ進めそうになったのが嬉しかったの
だろう。

 だから、これまで黙っていた。
 でも札幌に発つ前にきちんとしておくべきことがある。

「来年も、札幌に行くよ」

 テレビのリモコンに手を伸ばしていた父が、怪訝な表情を浮かべて息子を振り向いた。
「来年もってお前、それどころじゃないだろう、来年は。だいたいそんなに札幌観光ばかりしてどう
するんだ」
 もっともな疑問。理由を、どうしてもわかってもらう必要がある。
「観光じゃないよ。今度もそう。観光でいくんじゃないよ」
 きっぱりと言う。
 父はますます不可解だと言わんばかりに眉をひそめた。
「何だ、なんか用事でもあるのか?」

 雄吾は膝の間で握っていた手に力をこめる。
「俺を待ってくれてる人がいるんだ。約束したんだ。また会いに行くって」

「春野さんのとこの子か?」
 父の反応の意外さに拍子抜けしそうになる雄吾。慌てて否定する。
「違う違う、琴梨ちゃんは関係ないんだ。そうじゃなくて、向こうで知り合った人がいてさ」
「友達に会うぐらいなら電話でもいいだろう。そんなに大事な友達なのか? その人は」
「誰よりも大事だよ」
 身を乗り出し、詰め寄るかのように語調を強めた。

 驚いたのか、まじまじと父は息子を見ている。
「だからこれからも札幌に行くし、バイトもしなくちゃならないと思う」
 その時、洗い物をしながら話を聞いていた母が割って入った。
「そのお友達って、あの手紙の人なの、雄吾」
「手紙の人ってなんだ」
 間髪を入れず父が問う。
「今日、クリスマスカードが雄吾宛に届いたのよ」
「なんだ、クリスマスカードってことは女の子か。彼女なのか?ひょっとして」
 雄吾としては正直に話したいところだが、二人の関係を第三者にわかるように説明することが
とても難しい。
「か・・・・・のじょ・・・・・じゃない。そうじゃないけど、大事なんだよ。会うことがさ」
 苦しい返事になった。
 それでも、続く1時間の説得で、父はやはり学業成績を条件に雄吾のやりたいことを認めて
くれた。
母がカードの差出人をどう判断したのか、熱心に後押ししてくれたのが効果的だったようだ。

 もうイヴの日付は変わった深夜。
 ベッドの上でカードを手にしながら雄吾は思う。
 彼女か。
 俺と彼女って、なんなんだろう。
 一緒にいたのはたった4日。時間でいったら24時間にも満たない。この間数えたから確かだ。
 電話の回数だって、多くない。長電話だってしたことがない。
 手紙もお互いこのクリスマスカードが初めてだ。
 それなのに、自分のしているどんな些細なことでも、彼女のためにしているような気がする。
 バイトをしたのは、会いに行くため。
 勉強するのは、旅行を両親に認めてもらうため。
 雑誌を読むのは、話題を豊富にしておくため。
 散髪に行くのも、二人でいる時に少しでも彼女にふさわしい男に見られるため。
 靴を磨くのも、服を買うのもそう。
 彼女がいることで、雄吾は満たされてゆく。

 そして彼女がいることで、恐れている。
 鷹条雄吾に、彼女はなにを望むのだろうかと。
 俺は応えることができるのだろうかと。





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