第8章 最後の雨とともに



 葉野香にとっての秋は、短かったのだろうか。
 北の街は、白く姿を変えはじめた。
 断続的に降雪日がやってきて、次第にその間隔が短くなってゆく。
 札幌の秋という季節は、あまりにも駆け足で去ってしまう。
 10月には初雪も降り、市民は凍てつく日々のためにそそくさと準備を始める。
 それでも彼女は、一人の季節を長いと感じていた。

 洞爺湖から帰って以来、葉野香は雄吾に電話をしていない。
 自然に話ができる自信がないのだ。
 「好き」という気持ちはいともたやすく彼女を混乱させ、言葉になろうとしてもがく。
 手紙も書こうとした。
 下書きをしたら、レポート用紙が1冊なくなった。
 誰かに見られないように、屑篭に入れる前に書いた文字を消すのが一苦労だった。
 とても恥ずかしくて出せるものではない。

 どこかで冷静になり、自分の想いを分析しようとした。
 彼のことが好きなのか。
 恋に恋しているだけなのか。
 でも、できなかった。

 会いたい。それだけが形となって胸を熱くする。


 12月はもうすぐ。


 雄吾は航空券の予約を済ませた。
 時期的に、早めに確保しなければならない。
 というのは2番目の理由。
 何より、少しでも早くチケットを買うことで、それだけ札幌に、彼女に近付けるような感覚が得られる
から。
 貯めたお金は大半がなくなった。
 あとは滞在時の費用を稼がなくてはならない。
 出発直前までバイトは続くだろう。
 きつい仕事でもあるが辛いなんて思わない。
 もっと働いて資金があれば、もっと長く札幌にいられるのだ。
 彼女に逢って、話したいことがたくさんある。
 そして、どうしても確認しておきたいことも。
 自分のことはわかってる。
 たからこそ、ちゃんと聞かないといけないはずだ。
 彼女の気持ちを。


 12月はもうすぐ。


 すっかり雪によって硝子細工のように飾られた札幌。
 補習を受けて家路を辿る葉野香は、買い物のために繁華街へ寄った。
 クリスマスソングのメロディーが刺々しくなる夜の冷気を少しだけ和ませてくれる。
 点滅する電球と星型の飾り。
 赤い扮装のサンタクロース。

 先日、彼から電話があった。
 札幌に来れるのは28日になると。
 もし叶うことなら、やっぱりクリスマスは一緒にいたかった。
 でも、素直にそう言えなかった。
 「ああ」とか「うん」とか返事をするのがやっと。
 熱に浮かされたように、彼の言葉の端端を記憶するだけで終わってしまった。
 素直になろう。そう決めたのに、ちっとも変わっていないみたいな自分。
 彼には、わかっただろうか。
 素直になれない理由が、夏の頃とは違うことが。

 周囲への反発なんかじゃなく、好きだから、素直になれないってことが。

 足元の雪を踏み締めるように歩く葉野香。
 その視界に、どこかで見た女の子の顔が飛びこんだ。
 ブティックのショーウィンドーを眺めている二人。

 もう忘れるはずがない。
 雄吾と一緒にいて、喧嘩をしてしまった二人だ。
 まだどちらも葉野香には気がついていない。
 楽しそうに微笑んでいる。

 引き返すなり顔を背けるなりすれば、そのまま通り過ぎることができるだろう。

 葉野香は二人の後ろから声をかけた。
「あのさ、ちょっといい」
 琴梨と鮎が振り向く。
 琴梨は、すぐには誰だかわからなかった。
 しかし鮎はすぐに反応した。眼帯がなくても忘れもしない。
「なによ、またなんか文句つけようっての」
 腰に手を当て、最初から一歩も引かないという構えだ。
 それで琴梨も思い出した。
「あの・・・・・夏休みに会ったひとですよ・・・・・ね」
 どうしても声が小さくなってしまう。

 葉野香は彼女たちの態度を見て、以前の自分がどれだけ嫌な奴だったかよくわかった。
「前に、あんなこと言って、悪かったと思ってる。その・・・・・反省もしてる。せっかく楽しく遊んでたの
に、いやな気分にさせちまったよな。ごめん」
 ぺこりと頭を下げる。
 二人の返事はない。
「それだけだから。それじゃ」

 呆然として、琴梨と鮎は彼女の歩き去る姿を見送った。
「謝られた・・・・・の? かな?」
「そう、だよね」
 二人は顔を見合わせ、また彼女の制服を探した。
 もう人並に覆われ、見つけることはできなかった。


 そして、季節は過ぎ去る。
 もう誰も取り残されてはいない。





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