クロスワード・サークル <6>



「もしもし。黒と紫。位置につきました」

「えーと、緑は準備OK。あ・・・じゃなくて白もここにいるよ」

「赤。予定位置に到着。異状なし」

「こちら紺。問題ないわ」

 朱=陽子がそれぞれの携帯に告げる。
「これから青が虹を呼び出すわ。気を引き締めてね」

「了解!」

 作戦開始だ。

 ターニャは、みんなでお金を出して買ったばかりのプリペイド式携帯のボタンをプッシュした。自分
だけが安全な場所にいて、大事な人たちを楯にしているという自覚が、弱気やためらいをそぎ落と
していた。
「セリザワさんですね」
「そうだよ。僕はどこに行けばいいんだい?」
 電話のスピーカー機能を使っているので、陽子も同時に話を聞くことができる。
「今、どちらにいらっしゃいますか?」
「ここ? 札幌駅の喫茶店だよ。カトレアって店だ」

 第一のポイントに近すぎる。そう判断した陽子が素早くノートにペンを走らせる。

『一度別の場所に移動させる。市民会館に向かわせて』
 まずこう書いてから、読めない漢字があるかとふりがなを付けようとした陽子だったが、その前に
ターニャは読み上げていた。

「では、市民会館に来てください」
 『向かってください』と言えば、ターニャがそこにいないことがわかってしまう。言い回しひとつで
崩れるほど、この作戦は難しい。
「どこにあるんだい? それ」
 陽子のペンが動く。
「東1丁目です。急いでください」
「ああ。わかったよ」

 通話を切ると、すぐに陽子が次々とメンバーに状況を連絡してゆく。これは必ず陽子の仕事。
もしターニャの声で連絡があった場合、何が話されようとそれは作戦の失敗と全員の総引き上げを
意味するのだ。
 今は事実上ターニャの護衛がない状態にある。
 万一捕らえられ、強制的に連絡を取らされた場合の符丁なのだ。

 そして陽子が地図を見ながら、市民会館までの距離関係から到着時間を推定する。駅ビルの
喫茶店にいたのならタクシーか地下鉄になるだろう。

 道に迷わなければもう着いたであろう時間に、再びターニャが電話をかける。
「リピンスキーです」
「着いたよ。市民会館ってここだろ? 君はどこ?」
 きっと正門前あたりで右に左に携帯電話を使っている彼女の姿を探しているのだろう。

 到着していたら、第一のポイントへ移動させることに決めてあった。
「では、大通り公園の資料館の所へ来てください」
「シリョウカンって?」
「大通り公園の西の端です」
「その公園って、ちょっと待って。札幌駅からの方が近かったんじゃないか?」
「サブウェイの東西線の大通ステーションから、一駅です。急いでください」
 数秒、空白があった。
「君、僕をからかってるのか?最初からそこを指定してくれればいいだろう。なんでここまで
僕を・・・・・」
 不満が伝わってくる。
「すいません。理由があるんです。だから急いでください」
「・・・・・わかったよ」

「白。いよいよよ。よく見ていてね」
「はい」

「緑、虹がかかるわ。でも目標だけに気を取られちゃだめよ。用心してね」
「はい」

 この時、白=鮎と緑=琴梨はテレビ塔の展望台にいた。ここには眺望を楽しむための有料双眼
鏡が設置されている。視力の良い琴梨がひとつの双眼鏡に取り付き、指定位置とその周辺を見
張るのだ。これなら現場から離れていられるし、そう怪しまれることもない。
 これから現れる人物で、指定位置が見える場所から動かずにいて、さらに移動させられるセリ
ザワを追うように移動する者がいれば、それがセリザワの仲間だろう。

 鮎は、琴梨と少し離れて彼女の周囲を見張る。自分たちと同じように、敵も監視にここの双眼鏡を
利用しようとするもしれない。家族連れで賑わうこの場所で、そうでない人が双眼鏡を使って特定の
地面を見始めればハムスターの群れの中のドブネズミのように目立つ。
 さらに、双眼鏡を中断しながらでも覗き続けなければならない琴梨はどうしても自分の周囲には
気を配れない。彼女が集中して監視ができるには、親友に背中を守ってもらえるという信頼感が
不可欠だった。この場合も、二人は絶妙なコンビだ。

<来た>
 心の中で琴梨は呟いた。
 濃い色、多分黒ののブリーフケースを持った明るい茶系のスーツ姿の男性が、指定位置で立ち
止まった。腕を少しだけ上げた。腕時計を見たのか。そして周囲をきょろきょろと見ている。

 彼の周囲へと視界を動かしながら、琴梨は一度ポケットに左手を入れて、3まで数えて握ったまま
出した。
 それを確認して、鮎が陽子に繋げたままの携帯に話す。
「虹がかかったよ」
 とりとめのない会話にこの言葉を紛れさせ、また何もなかったようなふりをして喋り続ける。立ち
聞きしている人はいないようだが、それでも緊張が走った。

 再びターニャが電話。
「セリザワさん?」
「そうだよ。まだ会えないのかい?」
「これから向かいます。そこで待っていてください」

 これも罠だった。ターニャが来るとなれば、敵方なら当然動いてくるはずだ。さらに増援を呼ぶ
かもしれず、慌ただしい対処をして目立つかもしれない。

 予定では、20分は待たせることになっている。
 偶然そこで待ち合わせている人と区別するにはそれぐらいは必要だろう。長すぎて相手に考え
させてもいけないという微妙な設定ラインだ。

 そして長い長い20分が過ぎた。
 その間、琴梨の左手は再びポケットに入ることはなかった。
 一度入るたびに不審人物が一人いるという合図なのだが、通り過ぎてゆく人ばかりで立ち止まる
人もセリザワらしき人物と接触する人もいない。
 鮎も、怪しいと思える人物を展望台で見つけることはできなかった。

 この状況説明を聞いて、陽子はターニャに次の段階への移行を促した。

「セリザワさん。これからすぐにタクシーに乗ってください」
「はぁ? 今度はタクシー? おいおい、いい加減にしてくれないか? もうかなり待ってるんだぞ」
 彼の苛立ちは明らかだった。
「北海大学病院の正門と言えばわかります」
「病院? なんでそんなところに・・・・・」
「お願いします」
「悪ふざけでやってるんじゃないだろうな?」
「そうではありません」
「あとでじっくり説明してもらおう」
「すいません・・・・・」

「私、ひどいことしてますよね」
 通話を切った携帯をじっと見つめるターニャ。
 できるだけセリザワとの会話では感情を出さないようにしなくてはならない。事務的に、機械的に
意志を伝えることで、こちらの次の手を読まれないようにという考えからだ。
 その細い肩に、陽子の手が置かれる。
「この人が悪い人の仲間じゃなかったら、ちゃんとわかってくれるよ。もう少し、頑張ろうね」
 その温もりは、過去の泉に沈んでいる母の記憶を呼び覚ました。
「はい」

 琴梨が左手で耳たぶを摘んだ。男が足早に立ち去ろうとしている。
「虹が消えます」と鮎。
「後はプラン通りに動いて」
「はい」
 陽子の指示を受けて、鮎は琴梨の元へと歩いていった。

 あと15分ほど、セリザワを追うような人物がいないかを調べたところで緑と白の任務は終わる。
次は黒と紫の領域だ。
 




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