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<近畿自然歩道・日本海沿岸ルート>

 前 編 ・・・鳥取・鳥取駅から福井・高浜駅
期 間:平成16年3月9日から3月22日

 ・・・・・・続 き・・・・・・ 
 第7日目 3月16日(天気晴):上山寺から延利集落
                     (距離28Km)行動7時間40分。
 トレイルは、丹後縦断林道を南下してスイス村で林道と別れ沢沿いの山道になるが残雪でトレイルは埋まっているようだ。手前の公道57号経由で南下しよう。
 谷間の集落は耕地スペースも制限されていて「何で暮らしているのだろう?」と疑問が湧いてくる。それらの傾斜した狭い畑は、獣避ける網や低い板塀で囲んであり僻地の厳しさを感じられた。
 府道57号から53号線に出て延利(のぶとし)集落でトレイルに戻る。この集落も古い歴史を持ち、弥生時代前期の遺跡や交通の要所として栄えたとのこと。ここから3km南下すると天橋立で有名な宮津湾に出る。トレイルは途中から大内峠まで迂回するので途中の農道脇にテントを設営。


 第8日目 3月17日(天気晴):延利から宮津町
                     (距離21Km)行動7時間40分。
 尾根筋を進むうちに朝陽に照らされた天橋立を一望する。太陽が由良半島の山影から昇ると天橋立を挟んで阿蘇湾と宮津湾が赤く染まる。時代を越えて変わらない風景に歩くのも忘れてしまう。
尾根を下って岩滝の町に着くと入浴施設「クワハウス岩滝」があるが、時間が早く開店前で諦めて先へ進む。
 天橋立は幅10mほどの散策路で観光スポットになっていて、松風を聞きながら1時間ほどで渡り両湾をつなぐ大橋に着く。海水が潮の加減で宮津湾から渦をなして阿蘇湾に流れ込んでいた。
 宮津町外れの滝上公園にテントを設置後、3km先の地蔵峠まで空身で往復して明日の行動を楽にする。


 第9日目 3月18日(天気雨):滝上公園から由良温泉
                     (距離17Km)行動4時間10分。 
 久し振りの雨天に雨具を装着して出発。昨日地蔵峠までトレースしたので今日の行動は助かる。歩き始めて2時間は宮津湾沿いのトレイルで、海からの横殴りの風雨に煽られ苦労するが、獅子集落から栗田半島内へ入りホッとする。
 半島の栗田湾に出て浜沿いに進むと北近畿タンゴ鉄道と並行する178号線を歩く。奈具海岸は国道に歩道がなく、本降りの中を疾風する車に気を使う。
 ようやく由良温泉に到着して、テント地を捜すが冷雨と風で公園の屋根下も濡れていて張る気になれない。由良駅の待合室で小雨になるのを待って設営地を捜しに出る。ついでに入浴出来る施設を探すが、2ケ所ともシーズンオフで断られた。結局駅の駐輪場にスーパーで貰ってきたダンボールを敷いてテントを張った。
 雨の日はテントサイトに苦労するが、疲れを翌日に残さないためにも最善を尽くして設営したい。


 第10日目 3月19日(天気快晴):丹後由良駅から五老岳
                        (距離24Km)行動6時間30分。 
 冷えた身体には温泉が何よりだが、昨日温泉に入れなかったのは残念だった。幸い今日から好天気が続くようだから一安心だ。
 今日は、山椒太夫の伝説・安寿と厨子王ゆかりの地を通る。歩きだして1時間・由良川に「山椒太夫の屋敷跡」の案内板がある。対岸の小高い山には、周囲で働く奴婢達を監視する見張り場があったそうだ。由良川を渡った下東集落には、安寿姫が逃れて息絶え、土地の人が哀れんで塚を立てた「安寿塚」が山裾に祀られている。伝説とは云え昔からの人々の暮らしを偲ばせる風景だ。
 やがて舞鶴市にはいり大君港に出る。ガイドブックでは船便で西舞鶴港へ行くようになっているが、地元の人に聞いても廃止されたか、利用度が低いせいかラチが飽かない。しかたなく湾沿いを1時間歩いて西舞鶴市街地に着く。
 町中にテント地は期待出来ないので先へ進む。町を一望する五老岳に公園があるので行ってみると「かんぽ保養所」があり「入浴歓迎」とある。昼前で空いておりノンビリと湯船に浸かる。テント場も近くにあるようだし「云うことなし!」。
 公園内は芝生を植え替え工事中で慌しいようだが「邪魔になりませんか?」と確認してテントを張った。周囲の落ち葉を集めて下敷きにすると快適なテントサイトが出来た。


 第11日目 3月20日(天気晴):五老岳から青葉山
                      (距離24Km)行動6時間50分。 
 五老岳ハイキングコースを進み中舞鶴に出る。この町には、海上自衛隊の諸施設があり湾内には巡視艦等、数船が停泊している。異国情緒豊かな赤レンガ博物館、倉庫群を通り日本板硝子の大工場脇を過ぎて青葉山を目指す。この山が京都と福井の県境で若狭富士と呼ばれて昔から親しまれて来た山である。
 標高は700m弱だが海岸から直接せり上っているので、山頂まで一汗かかなければならない。京都側の登り口は、松井寺の裏手からで、丁度お彼岸で縁日が立ち境内は賑わっていてザック姿は違和感があった。慶長年間に建造された本堂には国宝・普賢延命像や重要文化財の孔雀王像が所蔵されているそうだ。
 青葉山・山頂には岩上が展望台になっていて眼下の内浦湾が一望出来る。山頂直下に屋根と板壁だけの修験所跡がありテントを張る。日曜日のせいか、数人の登山者が訪れた。


 第12日目 3月21日(天気晴):青葉山からJR若狭高浜駅・西舞鶴駅
                      (距離15Km)行動3時間10分。
 修験場として昔は女人禁止の山であったそうで、山頂部は露出した岩場の難所になっている。海岸から直接700m近く突き出た山容は「若狭富士」と呼ばれているのも頷ける。遠方からもスマートな山も歩くと急激な登降になる。
 天気も良いし時間にも余裕があるので予定より2駅先の高浜駅まで進む。次回がその分楽になるだろう。今夜の夜行高速バスで帰京するだけだから余裕だ。西舞鶴駅の案内所の紹介で2km離れた「スーパー銭湯・光の湯」行く。

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3 あとがき(教訓と所感)
 1)今年は雪の多い年らしく、山間部は海岸寄りでも残雪が残っていた。やはりこのコースは4月にならなければ完全トレースはムリのようだ。

 2)モデルコース以外は「舗装道歩き」になるのはこれまでと変わりないが、幹線国道・178号以外は交通量も少なく静かな山旅が出来た。

 3)山陰地方も過疎地は多いが、小さな漁港でも廃家で離村した風景は少なかった。地形上戦後の人口増が出来なかったのか、農村に比べて漁村の方が少ないように思えた。

 しかし、道路が良くなって若者は町へ出て「村には年寄りばかり」の高齢社会は同じようで、狭い屋敷畑で草取りをしている老婆を多く見かけた。声をかけると都会では見られない笑顔が返ってくるので、挨拶をするのが楽しみでもある。

 4)JR山陰線は単線で普通電車は1・2両編成のワンマン車だ。本数も日に十数便で主に通学利用のようだ。その分道路が立派になり、バイパス道路が整備されている。車会社の収益が一段と向上する由縁か?整備後の管理・維持を思うと疑問に感じる区間が多い。
 運転者の無表情な眼差しを思うと「車社会的発想を修正して徒歩社会への回帰はムリか」と歩きながら考えた。せめて道路脇に未舗装の歩道スペースが欲しいものだ。


 1)行動について
 1−1)今回は標高差の少ないトレイルだったので、距離の割には余裕のある行動が出来た。

 1−2)荷物の軽量化促進(17kg程度)で肩や腰の負担が少なかった。しかし、雪道のラッセル(深さ20cm程度)を3時間歩いただけで左足首に違和感を生じた。普段は使わない筋力や筋が疲労したのだろう。疲労は回復出来る弾性範囲内の負荷に留めたいので、雪上歩行時は速度を遅くして負担を軽減したい。

 1−3)出発は、夜明け前5時15分前後が無灯行動の限界。7時間の行動しても昼には目的地に着ける。平地なら時速3〜4kmだから1日25km程度進める。

 1−4)温泉に5回入れた。「より高く」から「より遠く」、そして今後は「より深く」としての温泉入浴は良い方向だ。しかし、スポーツ・ウオークとしてのバックパックから逸脱しない範囲にしたい。

 1−5)期間中の行動量に比べて取得カロリーは明らかに不足している。後半にはその影響だろう思考力が低下してくる。多分エネルギーが筋肉の運動と体温保持を優先して脳への供給量が制限されるからだろう。これはストレスからの開放で心の癒しに効果があるのかも知れない。


 2)食料・装備について
 2−1)行動食に「節分の豆」を加えた。食べ易く蛋白源として効果あり。

 2−2)「切干ダイコン」を前日水に浸し翌日、生で食べ野菜不足を補った。

 2−3)2日毎にスーパーのある町を通り、食品を購入出来たので少ないストックで行動出来た。

 2−4)コンロは屋外使用でテント内ではタンクが過熱気味になる。1時間燃焼して安全弁作動。焔の調整と容器の大きさを再検討したい。

 2−5)米は1,5kg持参。1食分150gで過不足なし。次回は、不足気味に持参してウドンを現地購入して軽量化しよう。
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