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< 中国自然歩道・西から東へ  >

 後 編 ・・・鳥取・米子から鳥取・若杉峠
期 間:平成15年11月9日から11月23日
         
 ・・・・・・続 き・・・・・・ 

 第8日目 11月17日(天気 晴):鳥取砂丘から摩尼山
                       (距離26Km)行動7時間40分。
 砂丘は東西16km、風と波により砂丘列や風紋、砂簾等自然の技が見られるらしいが、早朝で海鳴りと白波の中を岩戸海岸まで進む。砂丘の東にある駟馳山・山腹の荒れたシングルトレイルを通って大谷集落に到着。
 駟馳山から日本海沿いに近畿自然歩道・日本海ルートが始まるが中国自然歩道は南下して扇ノ山経由で岡山県境まで続く。
 平野集落からのシングルトレイルも荒れていて道がなく9号線を岩常集落まで迂回。南北朝時代に因幡の守護山名時氏の居城だったニ上山城跡へのトレイルも悪い。消えかけた踏み跡を失わないように苦戦してヤット舗装路に出た。

 この先数ケ所のシングルトレイルも要注意だが、今夜は晴れだから途中の野外に設営出来るので不安はない。摩尼山・山頂の崖下は修験場だったのか数体の石仏が奉られている。その下に平地があり見晴らしも良いのでテント地に決める。
         

 第9日目 11月18日(天気 快晴):摩尼山から新井
                        (距離25Km)行動8時間20分。
 放射冷却で今年一番の冷込らしくストックを持つ手が悴む。秀吉が鳥取城を攻めた時の本陣跡・太閤ケ平で早朝散歩に寒そうに登ってくる数組と挨拶を交わす。大きな荷物で下山しているので「何処から来たの?」と云う顔をして皆怪訝そう。
 今日も市内の温泉郷を通過するので共同温泉に立ち寄る。数軒の温泉湯で朝湯があるのは駅近くの日之出温泉だけのようだ。315円と中途半端な料金だか湯は正真正銘の温泉で冷えた身体がチリチリと痛い。
 ポカポカと暖まり荷物を担いでトレイルに戻る。次の目標は扇ノ山の登頂だがその前に大小さまざまな古墳がある稲葉山への迂回路を進む。
 今夜も雨の心配はなく屋外の広場を探して進むと、新井集落に<ふれあい広場>があったので隣の農家に「一晩テントを張らして下さい」とお願いする。明日は標高差1000mの登りになるので早目に出発しよう。
 

 第10日目 11月19日(天気 曇り後雨):新井から扇ノ山・山頂
                            (距離22Km)行動7時間。
 2時間ほど歩き栃本集落で夜が空ける。扇ノ山は山麓部が急登で途中は日本百選の滝・雨滝、布引滝等代表される断崖帯になっている。
 滝から丸太の階段を2時間強、大汗をかいて登る。上部は河合谷高原で県営の牧場になっており登山口まで長い林道歩きになる。
 予報通り登山口に着くとミゾレ気味の雨が降り出した。登山口で炊事用の湧き水を汲んで標高差200mの平坦な山道を1時間ほど進んで山頂に到着、直ぐ先の避難小屋泊まりとする。小屋は2階建て清潔だがトイレと水場のないのが欠点。宿泊用ではなく小休憩用だから支障はないようだ。
 明日、天気が良ければトレイルを外れて稜線通しに氷ノ山まで行こうと思ったが明日も雨のようだから中止にする。
 

 第11日目 11月20日(天気 曇り後雨):扇ノ山・山頂から若桜町先5km
                (距離24Km)行動6時間30分。
 下山路は自然歩道コースと登山コースを選べるが、歩かれている登山コースを選んで若桜町へ下山開始。急な山道を30分下ると林道に出た。
 舗装路を4時間ウンザリするほど歩き若桜町に到着。食料品を調達後、次の峠・遠見峠へ向かう途中で雨になり、屋根付小屋を探して進むが沢沿いの林道には期待出来ない。やっと床もボロボロの廃小屋がありムリして内にテントを張った。
 

 第12日目 11月21日(天気 曇後小雨):若桜町先5kmから-若杉峠先2km
                             (距離28Km)行動7時間40分。
 懸念していた通り遠見峠手前1kmで林道は終わり峠へのシングルトレイルは何処を探しても見つからない。この調子ではこの先2ケ所あるシングルトレイルも通れるか心配だ。
 雨降りに「ヤブコギをしてまでトレイルを探す」気はないので、思い切り大回りして最終地の若杉峠へ進む。
 若桜町に引き返し若桜街道「姫路まで65km」の標示がある29号線から吉川集落へ行く。集落の農協が開いていたので「若杉峠へ行きたいのですが・・・」と道順を聞くが要領を得ない。しかたなく地図とコンパスを頼りに、林道を1時間尾根沿いに歩き、沢を通る毎に「此処かな?」と期待を繰り返し、やっと峠への登り口の標示板に出会う。
 沢沿いの樹林帯をつめて待望の県境・若杉峠に到着。岡山県の南面側は登って来た鳥取県側と大違いで立派な石畳の古道だ。30分下って新築の休憩舎に着きテント設営。この峠は古くから鳥取(若桜)から岡山(美作)に通じる峠道として賑わったそうだ。
 

 第13日目 11月22日(天気 曇り後雨):若杉峠先2kmから粟倉温泉駅 翌朝帰京
                            (距離11Km)行動2時間10分。
本格的な西高東低の冬型の気圧配置でジベリヤの寒冷団が張り出して来たとの予報。朝方の冷え込みは一段と強く寒さで眼を覚ます。
 屋根下に設営してもこの寒さだから雪に変わるかも知れない。「早々に下山して温泉に入ろう」とテントを撤収して下山開始。9kmの林道を下り途中数軒の離散した集落跡を通りすぎて下山駅・粟倉温泉駅に着く。
 テントを駅近くの天岡公園の休憩所に張る。1km先の<道の駅>へ行き食料を調達しようと思ったが野菜や果物類しかない。食料を諦めて逆方向の塩谷川沿いの温泉・湯〜とぴあ・黄金泉に行き「温泉の〆」をして疲れを癒す。

 明日のバス乗車予定だったが、ドンヨリとした初冬模様の天気で食料もないのでテント泊もつまらない。念のためにバスの予約センターに変更を問い合わせたらOKだったので、今夜に変更する。
 一両編成の電車で智頭町へ出て、3時間バス待ちをして冷雨から開放され夜行バスで帰京した。

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3 あとがき(教訓と所感)
 1)時期が遅いので雪の心配をしたが例年より初雪が遅く助かった。しかし、下山日は初冬の気象になり無雪期の山歩きは11月中旬までが限界と思えた。
 2)ポピュラーな登山路は整備されていたが、集落間の峠道や尾根道のシングルトレイルは廃道となり多くはトレースの対象外であった。朽ちた道標板を見る度に「トレイルの存続はムリか」と寂しかった。
 3)各地の史跡から人々の長い歴史を伺うことが出来た。特に信仰や商い上で往来した古道は貴重な文化財で将来への財産と云える。忘れ去られ崩壊するこれらのトレイルを維持したいものだ。
 

 1)行動について
 1−1)行動途中で温泉に入るのは初めてだったが、予想以上に効果があった。身体的に疲労回復したことは勿論、気分上もリラック出来て「先へ先へと時間に追わるパターン」から開放され、トレイル歩きの本来の主旨に近ずいたようだ。山旅の幅を広げるためにも途中下車のゆとりを大切にしたい。

 1−2)雨天時のテント設営地として、トレイルに設けられた休憩所は便利。ガイド資料に設置場所が標示されているので、テント泊のトレッカーにとっては恵の場所となる。但し、宿泊は考慮していないので、炊事等の水は補給出来ないから予め用意する。
 バス停留所も雨はしのげるが幹線道沿いが多いので車音で煩いのが難点。雨天でも屋根なしで連日テント設営法の習得を今後の課題にしたい。

 1−3)この時期は日が短いので行動時間が制約される。朝ライトなしで行動出来るのは山道では6時頃、舗装道は5時頃だが文字を読むにはライトが必要。又テント設営後の洗濯も日暮れが早いので乾き難い。夕食は5時迄に終わらないとライトが必要になる。

 1−4)累計標高差は約7000mで登降の大きいトレイルだった。主にシングルトレイルで足元が不安定なため疲れたが、2日に1度の温泉入浴がそれを補った。


 2)食料・装備について
 2−1)大豆を持参して朝出発時に水に浸して夕食用の具にした。短時間で煮えるので重宝した。
 行動食にブドウ糖とレーズンを新しく持参して効果あり。行動食はレーションとして多品少量をパックし歩きながらでも食べられる様にした。
 2−2)ローソクは朝の撤収準備に30分間使用するだけで消費時間が短いので余り気味だった。
 2−3)シュラーフは防寒性が低下して来たので、この季節用に軽量で暖かい新品が欲しい。
 2−4)ガソリンは1Lで充分だが、メタは1日2度点火することもあり多めに持ちたい。

 2−5)ニッカズボンを着用したので、トレイル歩きが珍しい地区でも「不審者ではないナ」と認知された。道を尋ねても挨拶を交わしても笑顔で「何処から?・・大変ネ」と好意で迎えてくれた。
 2−6)雨対策として靴の保革油を持参し乾燥した日に手入れをして効果あり。

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