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<中国自然歩道・西から東へ >

 前 編 ・・・山口・下関から島根・浜田

期 間:平成15年6月30日から7月13日


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・・・・・ 梅 雨 の 秋  吉  台 ・・・・

 
 
1 はじめに
 山旅から逃げるように帰宅してから1週間ほどは「山靴を見るのもシンドイ」くらい心身ともに疲れていたのに2週間もたつと疲れが消えて、3週間が過ぎると無性に山歩きが恋しくなってくる。
 それは「このままでは山カンが消えて行く・・・」と云った危機感にも似て「山旅の日々が遠のく」ことへの恐れでもある。
 で「次は何処へ行こうか」と自問して、資料を集め関連部を調べるうちに「山へ行くゾ!」と云う思いで気持ちが安定して1日が楽しくなってくる。

 海外のトレイルは、未舗装路で本来のバックパックが出来るがサーズの流行で今は行きにくいのでやはり国内にしよう。対象は環境省の「長距離自然歩道」中国、近畿、北陸そして東北地区があるが、順番とすればやはり中国自然歩道になるだろう
 東海、九州のコースはゴール地点が決まっていたので、コースの設定は容易だったが、中国自然歩道は周遊トレイルで一周するのであれば問題ないのだが・・・何となく中途半端だ。 これまで通り「縦断」に拘って西から東へ約1000km・山陰経由の片道トレースとする。
 3ステージに分けて、今回は梅雨で時期は良くないが空梅雨を期待して、2週間・300km程度のトレースを設定。
 
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


  2 行動の記録   概略総距離323Km ― 総行動91時間10分(実績値)
 東京から本州の最南端・下関まで約10時間の夜行バスは乗りごたえがある。隣の空席を使って「くの字」に寝るが座席間の空間が安眠を妨げる。
 それでも「これから当分テント泊になるのだから不自由も友達に・・・」と自分に言い聞かせてバスの揺れに身をまかす。


 第1日目 7月1日(天気 雨)
:JR下関駅から下関北運動公園
                     (距離18Km)行動4時間40分。
 今日は終日雨の予報だ。トレイル起点の国道9号は、車が歩道まで水飛沫をあげて疾走する。海から横殴りの雨だけでも十分なのに車の水飛沫まで被って初日からウンザリだ。
 トレイルは1時間ほどで国道から離れて長府城下町に入る。毛利藩5万石の町並みは今もその面影を残しており、土壁や屋敷の屋根は雨で視界が狭いせいもあり歳月の重みを感じながら歩く。
 毛利氏の菩提寺・功山寺付近で道に迷い土産店のオバサンに道を教えてもらう。この付近は路地が多く一度聞いただけでは覚えきれないのでメモするが、観光客も多く案内板も完備しているようで好天であれば問題はないようだ。

 住吉神社を経てJR新下関駅から田園風景になり、綾羅本郷遺跡で「テント設営しよう」と行ってみたが屋根下がない。今日はこの辺でテント地を決めたいので適地を探しながら歩くと、トレイルから少し離れたところに森が見える。行ってみると運動公園で休憩所の屋根下が利用出来るので初日のテン地にする。


 第2日目 7月2日(天気 晴):北運動公園から川棚・クスの森
                      (距離26Km)行動8時間40分。
 夜半までの雨はすっかり上がり星空の下でテント撤収。昨日あまり歩けなかったので今日は天気も良いし頑張ろう。トレイル最初の登山は標高差500mの竜王山だが、手前のピークを2つ越えその間の下りを入れると2時間強の登りになった。
 山頂からの展望をひとしきり楽しみ今日のトレイルを眼で追って北へ向かう。
               
 今日はこの登山道を下れば舗装道だけでトレイルに不明な所がないので、安心して歩を進める。石畑峠を越えると川棚温泉に着く。この温泉は、古くから関門・北九州の奥座敷として旅情豊かな温泉郷として栄えているとか、梅雨シーズンにもかかわらず湯治客の姿があった。
 宿の玄関先に「ご自由にお飲み下さい」と温泉を流していたので、試飲してみると温泉特有の味がした。無色透明のラジウム泉で幅広い薬効があるそうだ。
 県道262号線を2時間ほど北上して日本三大樹のひとつ「クスの森」に着き休憩所にテントを張る。夕方から降雨の予報なので良いテント地が確保出来てホッとする。
 この森は1本のクスの木だけだが、遠くから見ると森に見えることからこの名がついたそうだ。解説板によると樹幹周囲11m、高さ21m、枝の最長27mで樹齢およそ千年余の巨木で、その下で一晩お世話になるのも良い体験だと思えた。
 ところが、濡物を洗濯している最中にウロウロしていた犬に昼食の入ったナイロン袋を持ち去られた。 中身よりも重宝にしていた袋が惜しかったのと、地図等の貴重品を入れてなかったので助かった。


 第3日目 7月3日(天気 雨):クスの森から楢原集落
                     (距離20Km)行動7時間30分。
 激しい雨が出発の意欲を萎えさせる。30分程待って小降りになったので休憩所を後にするが、直ぐに靴がグチヨグチョになり「1日中こんな調子か」と覚悟する。視界は悪いがトレイルは県道沿いに進むので道を探すこともないので助かる。
 崋山まで400m程の登りも舗装道を辿り、峠からは麓の「西の高野山」とも云われる神上寺まで水が流れる山路を一気に下る。カミナリも鳴り激しい雨に「今夜も屋根の下にテントを張りたい」とそれらしき場所を探しながら進む。
 候補は公園等の施設だが地図上からも民家が少ないのでムリかもしれない。次案としては、無人の民家か作業所だか、これもあまり期待出来そうにない。
 丁度、車庫に車入れしたオバサンが居たので「この付近にテントを張れる小屋はありませんか?」と尋ねると「小屋?テント?・・ないね・・」とつれない返事。
 自然歩道を歩いていることや一晩だけ泊まりたいことを説明していると「ここで良ければドーゾ」と車庫の空きスペースを指して云ってくれた。願ってもないことで、何度もお礼をいって張らしてもらう。おまけに「他に何かいる?」と聞いてくれたので「お水を下さい」と親切に便乗してお願いした。

 
 第4日目 7月4日(天気 雨後曇):楢原集落から秋芳運動公園
                         (距離23Km)行動6時間50分。 
 昨夜の親切に元気が湧いて気持ち良く出発。ほどなく予報通り雨が降り出し雨具を用意する。今日も終日舗装道歩きになるがその分登りがないので助かる。
 県道と云っても地元の人が利用するだけで、朝の通勤時が過ぎれば車もほとんど通らず静かなトレイルである。
 全長2kmの石柱渓は国の天然記念物らしいが雨ではゆっくり鑑賞する気にもならず前へ進む。東進して於福(おふく)町で久し振りに線路・美弥線を越しコンビニで食料品を購入する。
 さらに1時間程東へ進むと弁天の湧泉に着く。この湧泉はカルスト地域の特殊現象としていたる所から湧いているそうで、実に旨い水で<新鮮な水を求める旅>としては何杯も頂いた。毎年9月には湧き水に感謝して念仏踊りな奉納されるそうだ。
 まだ午前中だか、嘉万市手前の秋芳運動公園内に適当なテントサイトがあったので今日はこれまでとして洗濯タイムにする。


 第5日目 7月5日(天気 雨後曇):秋芳運動公園から木間
                        (距離25Km)行動7時間10分。 
 今日は、日本最大のカルスト台地・秋吉台を通る。前回九州自然歩道で同類の平尾台を通ったが生憎の雨で何も見えなかったので今回は期待していたのに又雨天で残念だ。
 青景八幡神社から秋吉台地への登りが始まる。200mほど標高を上げると3kmほど草原状の丘陵が続き、所々にドリーネと呼ばれる凹地が散在して特殊な地形の中を進む。
 カッコウが鳴く静かな草路を辿り長者の森に着く。ここは観光バス用の広い駐車場があるのでシーズン中は大勢の見物客がくるようだが今は誰もいない。
 駐車場から大正洞への下降は散策路を<羊の群れ>と呼ばれる石灰岩が露出している中を進む。案内板によると1億年前のサンゴ礁の化石とか。丘陵が海底であったとは想像出来ないが自然は不思議だ。秋吉台の余韻を味わいながら北東へトレイルを進み「今夜も雨だから屋根下を探そう」と地図を片手に進む。
 トレイルは山間部を通って萩市へ向かうので、殿河内集落でトレイルから1km外れた小学校へ行ってみる。以前は学校も開放されていたが児童殺傷事件以降管理が煩くなって「部外者立入禁止」が多くなってしまった。しかし、今日は休校日だから利用出来る可能性が高いので、行ってみるとクラブ活動中の先生がいたので主旨を話して了解を得た。
 夕方テントの様子を見に来てくれて「私も山登りが好きでマレーシアの日本人学校に赴任していた時キナバル山へ登ってきた」との事。生徒数は小学生5名、中学生6名で過疎化の現状を話してくれた。


 第6日目 7月6日(天気 雨):木間から萩市・萩YH
                      (距離19Km)行動5時間20分。 
 今日も本降り。梅雨時期に入山した事を少々反省するが、今夜はデポ地のユースホステル泊だから元気を出して行こう。トレイルに戻る沢沿いの道にホタルが数匹飛びかい「梅雨時に来て良かった」と数年振りのホタルを鑑賞。
 惣田川沿いを下って行くと女屋敷集落に着く。案内板では「壇の浦合戦で敗れ北へ逃れた平家の姫や奥方達の集落」で女長者跡があるそうだ。しかし、今は過疎化で集落の数軒が廃家となっていた。この集落に限らず平家ゆかりの集落が多く点在しているそうだ。
 萩市内の手前の萩往還道を通ると明治維新に影響を与えた吉田松陰はじめ多くの志士達の記念碑があり当時の活躍をうかがわせている。萩市内も観光の促進に力を入れており城下町を前面に出して観光客の勧誘に努めているようだ。
 早く着き過ぎたので時間があまり、ユースホステルに荷物を預けて近くの温泉で疲れを取る。市内見物も雨で観る気にならず図書館へ行って自然歩道の資料を調べる。
   
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