テント担いで四国遍路(高知・愛媛編)

期 間:平成13年5月1日から5月29日 


  はじめに
 前回・徳島県内の23寺を巡拝した結果「テント泊まりでも実行可能・・」と見通しがついた。荷物が重いので苦労も多いが<それはベスト・ワンからオンリー・ワンへの試み!>と気持ちを切り替えて、今回も出来るだけ「テント泊・自炊」にしたい。
 遍路には車利用が普通のようだが<徒歩か車利用かは、個人の勝手>で優劣をつけても始まらない。他者に迷惑を掛けず自分に合った方法で巡拝すれば良いと思い、今回も<迷惑をかけないよう>心がけたい。
2記念寺前
 今回も私用で一時帰宅するので、途中までの区切り打ちになる。出来れば残りは1回で結願したい。そのために今回は気合を入れて歩き、距離を伸ばしたい。
 「―したい。―したい」の望みがはたして現実のものになるのか。期待を胸に品川発・徳島行の夜行高速バスに乗った。

 記録は前回通り、コースの状況よりもテント地及び徒歩生活について記した。尚、行動時間に各寺での参拝時間を含む。
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  §1 行動の記録    (今回の実徒歩距離=527km)
 第1日目 5月11日(天気晴):JR徳島駅(06:50-9:49)-JR甲浦駅(11:34-11:40)−入木設営。(距離16km)行動4時間20分。
 前回引き返した高知県の最初の町・甲浦駅に着く。いよいよ20日間の<修業の道場>の始まりと身が締まる。
 駅から国道55号に出て入木部落まで歩く。部落に行く村道を100m程行き、小川の土手とビワ畑の間の平地に設営。国道からの車音も低い。すぐ横を流れる小川で今日の汗を流しサッパリする。
 初日は電車の都合で昼からの行動になり一番暑い時間帯に歩いたので疲れた一日になった。

 第2日目 5月12日(天気晴):出発(5:10)―34番寺(11:10-11:30)先3Km室戸岬小学校脇設営。(距離24Km)行動7時間。
 単調な海岸線がやっと終わり34番寺で室戸岬を越える。今日は土曜日、学校はガランとしている。校舎の隅の水道を借りて洗濯と身体を拭く。
 初夏を思わせる天気にセミの声が疲れを癒してくれる。室戸岬を越えた記念にビールで乾杯。草地のためか蚊が多い。
夕方涼しくなってテントの外側に数匹の小ナメクジが這っており「場所が悪かったか」と反省した。
 今回初めて夕方4時の天気図を取ると、台風1号が発生している。今後の動向に注意したい。

 第3日目 5月13日(天気晴):出発(5:00)―25番(津照寺)から26番(金剛頂寺)先20Km設営。(距離29Km)行動8時間。 
 相変わらずの好天気だ。台風のためか太平洋は白波が高い。海岸線に沿った国道55号と並行した旧道を歩く。
 一部車道から分れた<遍路道>は、苔生した手積みの石垣や石畳で1000年の重みを偲ばせ(これは確かに日本の文化だ・・)と納得する。
 今夜のテント地は奈半利町を予定していたが、近くの六本松で<公民館・児童広場>が道脇にあり水道も使える。少しでも車音を遮るバス待合所の裏手にテント設営。
 ここにも芝生に昨日と同じ形のナメクジが生息しており(今の時期はしかたがない)と諦め、せいぜいテント内に進入しないよう注意する。

 第4日目 5月14日(天気晴):出発(5:10)―27番(神峰寺)先16Km(距離31Km)行動7時間。 昨夜は、遅くまで車音で寝付かれなかった。
 明日からは車道から離れたテント地にしたい。27番寺手前4kmから往復路になるので荷物を残し、空身の8kmはルンルン気分で歩けた。今夜は安芸市泊になる。
 市内にテント地が見つかるか不安だ。大きな町の学校は管理上<立入禁止>の表示があり設営の期待が出来ない。(公園にしよう)と候補を地図で探すが国土地理院の5万分1や2,5万分1の地図には公園記号がない(公園表示の必要性がないのか?)。市内の観光案内板によると町外れに比較的大きい公園がある。

 <町おこし整備事業>で出来た公園で新しく洗面所には広い庇があり(雨の時は此処に逃げ込める)と広場の隅にテラス状の場所見つけテント設営。
 午後4時頃。近くに高校があるのか下校生が数人たむろし、飲料水を買い込みタバコなど廻し吸いが始まる。あまり良い雰囲気ではない。公園は彼達にとって<憩いの場所>のようだ。
 テントを奇襲されてはと案じたが、1時間ほどして、隣接のバスターミナルからバスで帰宅していった。

 第5日目 5月15日(天気晴):出発(4:50)―28番(大日寺)―29番(国分寺)先2Km 豊岡(距離33Km)行動7時間。 
 梅雨前の時期を狙って来たが、毎日好天気で日陰が恋しくなる。台風の影響も今日はないようだ。お接待の時貰った袋に<遍路は道中にあり、無理せずがんばろう!>と励ましの文があったがその通りだ。焦らずマイ・ペースを守り進もう。
 明日は高知市内に入るので、ヨレヨレで歩きたくない。今日は少し疲れも出てきたので早めに設営地を探す。
 給水が容易な学校近くで、周囲を一回りして小さな林の中に祠を見つける。その前がテント一張り出来るスペースを確保。
 クラブ活動で生徒は残っていたが職員室の先生に「お水を下さい!」と声をかける「アー、どうぞ、どうぞ」と心良く返事を返してくれた。一晩分の水2Lとついでに身体を拭きサッパリする。

 第6日目 5月16日(天気晴):出発(5:15)―30番寺(善楽寺)―31番(竹林寺)―32番(禅師寺)―33番(雪蹊寺)先1Km長浜(距離28Km)行動9時間。 
 瀬戸大橋を避けて、種崎―長浜間の渡船に乗る。疲れのせいか道を間違えたり、左膝に違和感を感じる。集中力も落ちたようだ。50坪程の八幡宮にテント設営。
 県道に隣接しているので、車音が気になるが別の場所を探す元気も沸いてこない。
隣家の人に「お水を下さい。―隣地にテントを一晩張らして下さい」とお願いして了解を得た。
 連日行動して疲れも限界のようだ。明日で 1週間過ぎる、出来れば2日泊まれるテントサイトを見つけたい。
 明日の終わりの36番寺は3kmの往復路になる。この空身の地点(宇佐町)でテント地を探したい。
 気が付くとテント設営後、近くの小川で洗濯をした時石鹸を置き忘たようだ。これも疲れのせいか。

 第7日目 5月17日(天気 晴):出発(4:50)―34番(種間寺)―35番(清滝寺)先9Km 宇佐公園(距離28Km)行動8時間10分。 
 左膝の調子をみながら歩幅をゆっくり歩く。そのうち右膝も付き合いで痛みが出てきた(困ったゾ、まだ行程の半分も来ていないのに・・)と不安が横切る。

 宇佐の町に相撲場と天満宮を合わせた200坪ほどの広場を見つけ(ここが良いナ)と、付近の交番に行き「この町に銭湯か温泉はありませんか?」と尋ねる「この町にはないネ」「隣まちの**まで行かないと・・」とおまわりの返事。「そこの相撲広場にテントを張らしてもらいます」とついでに申し出ると「ア・ソウ」だけ、これで了解を得たようなものだ。
 しかし、4時過ぎに、相撲部の高校生が数人集まり先生の指導で練習が始まった。(これはイカン!テントを張るムードではない)とこの場から退散。
 テントを張らずホッとした反面、「さて、何処に行こうか」と疲れた頭で知恵を絞る。(近くに学校がある筈だ)と通りの通学マークを探して、10分程歩き学校を見つける。学校の裏側の広々とした1000坪程の比較的大きい公園を見つけ(ここだ!)と迷わずテント設営。1公園テント地
 <私は怪しい者ではありません!>の自己表現に笠と杖をテントに立てか
けて買い物に行く。予定通りここで2泊して疲れをとるつもりだ。
 良い泊まる場所が決まると元気が出た。大きいスーパストアに行きビール、
ツマミ、果物等の食料を買い込む。明日は空身の行動で6km歩くだけ、完全
休養になる。

 第8日目 5月18日(天気 晴):出発(6:00)―36番(青龍寺)(距離6Km)行動3時間。 
 朝食後、杖と笠、納帳だけ持って宇佐大橋を渡り36番寺へ。帰りに道中で始めてニ人の歩き遍路と行き交う。二人とも民宿泊のようでザックが小さい。
 海辺をトンビがピューヒョロローと飛び実にのどかな良い一日だ。
 予想していたよりも気温が高い。荷物を少しでも軽くすることが膝にも良いので衣類等不要品・約1,5kgを宅急で家へ送り返す。荷物がだいぶ軽くなった。

 第9日目 5月19日(天気 晴):出発(4:10)―36番先26Km須崎市・道の駅側 (距離26Km)行動7時間30分。 
 道の駅・かわうその里は最近出来たようだ。新鮮な<かつおのタタキ>がいかにも美味そう「ここで食べます」と一皿買う。ニンニク醤油で実にうまい。
 トイレも広くきれいで水場としては5ツ星クラスだ。テントは50m離れた高速道の架橋下に砂利スペースがあり<車を駐車しないで下さい>と張り紙がある区内に設営。
 道の駅でマウンテン・バイク・巡礼の中年者に会う。私が「テント泊しています」と云と彼曰く「テントを張るとパトカーが来るので、屋根のある所で野宿デスヨ」との事。今まで前回を含め20日ほどテントを張って一度も文句を言われたことがない。もしかして<歩き遍路>だからかも知れない。
 
 第10日目 5月20日(天気 晴):出発(4:30)―37寺(岩本寺)先2km窪川ライオンズ児童公園 (距離31Km)行動8時間30分。 
 37寺の門前は弘法市が催され子供達で賑わっている。世話人に「この付近に公園はありますか?・・テントを一晩張りたいのですが」と聴くと「その先に、ライオンズ・クラブが造った児童公園がありますヨ」「水道も出ますし・・」と紹介してくれた。
 保育園に隣接した100坪ほどのこじんまりした公園で、周囲の環境も良く(今夜はゆっくり寝れる)と安堵する。
 昨日のバイクの遍路者ではないが、パトカーが来ては困る。しっかりと見える所に笠と杖を立てかける。
ここに限らす公園、学校等公共施設は夜間ライトが灯り、おかげで早朝も電池なして撤収が出来る。
 夜明けは4時半で、3時頃いつも起床しているので、山中泊ではライトの減りが早いが今回は殆ど使用していない。

 第11日目 5月21日(天気曇後雨):出発(4:30)―37番(岩本寺)先28Km 井ノ岬温泉(距離28Km)行動7時間。 
 いよいよ台風の影響下になるようだ。2週間も雨無しでは晴れ過ぎだ。
国道56号沿いに<井ノ岬温泉・ここから100m・10時までは温泉付き食事600円>の看板を見る。時間も丁度良い頃で(今夜は温泉!)ここにテント設営したい。
 番頭さんに温泉だけ入りたいこと、駐車場の隅にテントを張らして欲しいと依頼し了解を得た。
 石鹸は紛失して使えないが、ゆっくりと温泉につかる。時間が早いので、他に入浴者はいない。靴下だけサッと洗い、ビールを買ってテントに戻る。
 ここまでは上出来だったが、午後からは雨になり夜になって大雨。明日の行動が気になる。

 第12日目 5月22日(天気曇):出発(5:20)―37番(寺)先50Km 八束・金毘羅宮(距離32Km)行動7時間20分。
 ガソリンが不足気味のため、途中(古津分岐)に荷物を置き、中村市内へガソリンを買いに行く。
4軒のスタンドに行くが「ありません」のつれない返事にガックリして戻る2時間のロスだ。そのせいか、本道に戻っても2km道を間違え疲れが倍加した。
 今夜も雨の可能性があるので、屋根のある退避所を探す。
 金毘羅宮の庭に昨夜の雨で濡れたテントを張る。無人のお宮だが、庭先の水道が使えるのは助かる。
 天気図を取ると明日は雨区域に入る。雨具をつけて歩行となるだろう。 

 1人物第13日目 5月23日(天気 雨):出発(4:50)―37番(岩本寺)先74Km 以布利・幡陽小前バス待合所(距離24Km)行動5時間。 
 本降りの雨だが気温が高く濡れても寒さを感じない。次の38寺詣で後また元の道を戻る(打ち戻りコース)になるので、ここから明日は空身で片道14kmを往復する。
 比較的広いバス待合所内にテントを張っても空きスペースが充分ある。
 この際車音はしかたがないと諦める。
 午後から晴れてきたので、濡れた衣類を干すが効果はない。学校へ行き水をもらい、手足を拭くとテントへもぐりこみ疲れを癒す。
 思いがけず夕食のお接待(後述)を近所のオバサンから受けて、エネルギーを充分補給出来た。
 
 第14日目 5月24日(天気 晴):出発(4:00)―38番(金剛寺)往復、下ノ江から先8km (距離47Km)行動10時間10分。
 空身で28km、更にテント場に戻りザックを担ぎ20km近く行動した。
念願の足摺岬に到達して、帰路のコースになった事が歩を進める。<帰路>と云う事が大きな力の源となっている。
 山道を峠に向けて進むほど適当なテント地がない。やっと道路の曲がり部にスペースを見つけて設営。シュラフを干していたら急に雷雲が出て夕立になった。
 峠への車は殆ど通らず静かな夜を迎えた。室戸岬と足摺岬の2つを踏破し、各テントサイトを順番に思い出している内に眠ってしまった。

 第15日目 5月25日(天気 晴):出発(4:40)―39番(延光寺)宿毛 天満宮(距離30Km)行動10時間。 
 今日の県道歩きは車が少ない。車音に荒らされず青葉若葉に囲まれ歩く。<新鮮な空気とうまい沢水>に恵まれ気分は上々。
 畑の隅に西洋グミがタワワに赤く熟れている。故郷の家の裏にあったグミを思い出し、思わず10ケ程摘む。
甘いすっぱい味は昔と同じだ。50数年振りに味わうグミに時の流れを感じた。
 宿毛市の入口で天満宮の森を見つける。側に新築ビルの<市立・文教センター>で飲料水をもらい、ついでに体の汗も拭く。
森の下の保育園から幼児達の歌声が聞こえてくる。テント地としては5ツ星の場所だ。

 第16日目 5月26日(天気 晴):出発(4:50)―40番(観自在寺)御荘町先6Km 菊川小脇(距離29Km)行動9時間分。 
 愛媛県に入って眺める海は、穏やかで高知の荒波とだいぶ違う。霞のかかった島影や、養殖の海に人の温もりを感じる。
 今日は学校が休みだから、その近くに張りたい。途中のスーパーで旅行用の携帯洗剤を買ったので洗濯予定。菊川小学校の側を流れる小川の土手にテント設営。

 第17日目 5月27日(天気 晴):出発(4:50)―宇和島・幡城小付近の造成地(距離27Km)行動9時間20分。
日曜日だから(今日も学校近くにテントを張ろう)と思って2ケ所に行ってみるが、父兄のスポーツ大会(ビーチボール?)でお祭り騒ぎだ。
 しかたかく、水だけもらい近くの宅地造成中(ほぼ完成)の空き地に変更する。
町の中で空き地がないのか、夕方には犬の散歩や親子ずれの散歩者が通り、テントを見て「ア、お遍路さんダ!」と立ち止まるのには閉口した。
 
 第18日目 5月28日(天気 晴):出発(4:15)―41番(龍光寺)―42番(仏木寺)―43番(明石寺)先5Km 溜池の土手下(距離30Km)行動9時間。 
 今夜は最後のテント泊になるので(最後は最高のテントサイトにしよう)と欲を出してしまいなかなか場所が決まらない。(さっきの所にしておけば良かった)と悔やむが戻る気にはなれず、先へ先へと進むが良い場所に来ない。
 町外れの大きな溜池の土手にヤブの平地が見つかる。道路を挟んで<コンクリート組合技術センター>と看板に書かれた建物がある。作業していた係員に「水を下さい」と断って水道を使わせてもらう。土手の周囲はヘビが出そうな草ヤブであまり良い気持ちではない。
 ともあれ、無事最終のテント設営は出来ビールで乾杯をする。 

 第19日目 5月29日(天気 晴):出発(4:15)―大洲―内子駅(距離29Km)行動7時間。 
松山(19:00)−ハイウエイ夜行バスー東京(07:10)。
 ラジオの予報では、明日から天気は下り坂とか。予定では、今回は大洲市まで行き電車に乗るつもりだったが、12km先の内子町で行くと次回が楽になることが解った。最後の12km(3時間)は厳しいが、次回を少しでも楽にする為に行くことにした。
 連日の行動で予定より1日早く帰ることになり、バスの切符を大洲駅で今夜発に変更してもらう。
 内子駅から松山市へ。夜行バスの時間まで、しばらく間があるので、道後温泉に行き入浴代¥300−でたっぷりとつかる。また、次回のコースに関した5万分の1の地図を買う(八重洲のブックセンターには地方の地図が完備していないため)。
 
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   §2 接待を受ける

 1人物向前回と同様に今回も「お接待させてもらます」と幾度も呼び止められた。そうした心ずかい以外にも「ご苦労様」「暑いのに大変ですネ」と声をかけてくれた地元の人々の暖かさに、いつも安堵と元気ずけられた。こうした「気持ちの接待」は日頃忘れていた人の暖かさを感じ「ありがとうございます」と素直にお礼の返事が出る。

 行動パターンは、登山と同じく日差しが強くなる前に距離を稼ぐため朝5時前には歩き始める。早起きの人(田の見回り、新聞配達、散歩者等)と「おはようございます」と声をかけ合う。都会では味わえない雰囲気は、一日の始めにふさわしい。

 「お接待です」と受けた回数は10回で状況は以下の通り。
 1) 歩き初めて4日目に、夫婦の歩き遍路者から「ビワを沢山お接待でもらったので・・・おすそ分けです」と大粒のビワを1ケ貰った。暑さで喉も渇いていたので美味さもひとしを。

 2)上記日、国道脇に自宅で取れた野菜の露天販売所を見つけ<トマト5ケで¥100−>の値段につられ買ったら、店番のバーチャンが「ビワ食べなさいヨ」と1ケ渡してくれた。
 貰って歩き出そうしたら「此処で食べて、手がベトつくから・・そこの水道で手を洗ったら」と細かい気ずかいをしてくれた。

 3)5日目、歩行者専用のヒンヤリしたトンネル内を歩いていると、対向から自転車に乗った50代のオバサンが急に自転車を止めて「お接待させて貰います、一寸待って・・」と云って財布をゴソゴソやって千円札1枚を渡そうとするので、驚いて「イヤー、多過ぎます・・・」と辞退した。
 「**さんも千円しているケン私もしているのヨ」との事。勘違いではないようなので「沢山ありがとうございます。ありがとうございます」と何度も頭を下げお礼を云う。
 <世の中広いものだ>と思いがけない接待に気持ちは動転。白米に換算すれば、1Kgで、5日分の食料の値打ちを貰ったことになる。

 4)8日目、空身で36番を往復の帰り宇佐大橋の途中、朝の買い物帰りのオバサンが180CCの牛乳パックを出して「おはよう・・、お接待させて貰います。頑張ってネ」と笑顔でくれた。
 その眼差しの暖かさにジンと来た。

 5)10日目、国道は多くの車がスピードを出して追い越して行く。 昼過ぎ三重ナンバーで屋根にカヤックを積んだワゴン車が止まり「暑いね・・これ食べて頑張って」と助手席のオジサンが小夏みかんを1ケ窓越しに渡してくれた。
 いつも朝早い出発で、昼頃には1日の行動の終わり近い、後ろから見て<疲れた遍路がいるナ>と同情をかったのかも知れない。

 6)12日目、早朝歩き始めて直ぐ、車はライトを灯して走る頃、早出の地元のオジサンが車の速度を落とし「早くから大変ダネ」と声をかけてくれた「おはようございます」と挨拶してお礼を云う。
 その後このオジサンの車が又来て窓らか「熱いのが無いけど・・」と冷えた缶コーヒを渡して走り去った。欲を云えないが(コーヒでなく熱いお茶がイイナ)と思ったが、気持ちを有り難く受けた。

 7)13日目、前日からの降雨の中、濡れて国道を歩いている時。軽のバンが止まりオジサンが降りてきた「雨の日は大変ですネ、頑張って下さい」と飴の入った小さなビニール袋を渡してくれた。
 オジサンの顔を見て(アレ!前回接待してくれた同じ人ダ・・)と思い(オレは接待を受け易いのか?)と少し気になる。

 8)13日目、バス待合所で屋根付のテント泊は快適。でも燃料のガソリンが不足になり最小限の使用として、量も少ない夕食を済ませて一休みしていたら「お遍路さん、これどうぞ」「この待合所で泊まるお遍路さんにはいつも食事をお接待しているのですヨ」と手作りのおにぎりとお新香をパックした夕食を渡してくれた。「これは、これはご丁寧に、ありがとうございます・・・」これで腹の虫が満足した。

 9)14日目、12,3ケ付いたビワの一房を「暑いのにご苦労さま」と60代のオバサンが手押し車の中から出してくれた。
 自分の畑からの帰り道のようで、作業慣れした働き者の手が印象に残った。

 10)16日目、日程も後半に入り主食の米の補給をしたいが、最小単位は2kg・パック詰めで多すぎる。これまでスーパーや米店で「1kg欲しいのですが・・・」と云っても「パック詰めしか置いてません」とつれない返事で(米が切れたらウドン食だけにするか・・)と諦めていた。
 
 念のためと御荘町の米店で「米のはかり売りは出来ませんか、1kg欲しいのですが・・」と尋ねると、店番をしていた若奥さんが「良いですヨ、1kgですネ」と精米済の大箱から計量してビニール詰めしてくれた。「いくらですか?」と代金を払おうとしたら「いいですヨ、お持ちください」との事。
 「お払いします」と云っても受け取ってくれない。売ってくれるだけでも有り難いのに、お接待を受けては申し訳ないと一寸困ったが、(好意をありがたく受けて)「すみません、本当にありがとうごだいました」とお礼を言って店を出た。
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   §3 装備について

 帰宅時ザックを計測したら、総重量 =12,5Kg。装備品=11、5kg。食料残=1kg
 前回の反省点を加味して、軽量化のためにテントの一人用を購入した。
 その他効果があった事項、検討事項は下記の通り。
1道1
 1) テントのフライ:防水は勿論保温効果もあり、シュラフは半身用でも良い。
 2) 圧力鍋:2食用の大きい鍋、一度に2食炊き時間と燃料の節約が出来た。
 3) マッチ&メタ:フイルム入れを流用(防水性が良い)
 4) ガソリン:白ガスは現地手配困難。(アウトドア店では買えるが1L缶で多すぎる)。
  1日1度(20分位)主食用でコンロを使い、お茶を沸かさないと500CC+コンロ満タンで15日は持つ。(ノズルを全開しない)。
 5) パンダナ:身体を洗うのに便利。普段は帽子にして笠のクッション。(タオルは乾きが悪い)。
 6) コッフェル:大1ケとワン1ケ(蓋付き)。
 7) 粉石鹸:20gパック携帯用使用。
 8) 地図:紛失防止用に不要なものは書類入れに保管。
    (数枚ポケットに入れていてい1枚紛失した)。
 9) 予備の下着と服:入山日のもので代行(行動用はひとつ予備不要)洗濯をこまめにする。
10) 雨具:数日の雨に耐えられるか疑問(防水スパッツ要)。
11) 靴下:5本指+中手の靴下(いずれも薄くなり大穴があき廃却)中敷も新替要。
12) 水筒:市販の500CCボトルを使うが、空の時かさばる(ビニール製を探す)。
13) 安全ピン:濡れた衣類をザック被せて行動中に乾かす時の止め具。
14) 古い靴下の利用:底を切り腕カバーにしてTシャツと組合着(長袖同等になる上、乾きが早い)。
15) 天気図:気圧配置や九州・四国の天気・気圧の変化が解り、天気の概要が把握出来た。
16) 菅笠:日焼け防止効果バツグン、頭との間に空間はあるので蒸れない。雨の時は専用のビニールカバーを付け効果有り。(ヤブや強風には弱い)。
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   §4 食料について
 1) 主食(朝・夕食)は、白米+削り節+醤油のおかか飯。 おじや入りラーメン。 ウドン。
 2) 昼食はパン類や弁当。
   現地購入品:うどん、ラーメン、チーズ、ヨーカン、豆腐、サシミ、パン、ツマミ、弁当、
            果物、ビール、酒、焼酎、牛乳、アイスクリーム。
 3)どんな田舎にもあった<自動販売機の飲涼水>は飲まなかった。(沢の湧き水が一番)。
 4)これまで必ず飲んでいた<お茶>も最初の1日飲んだだけで後は水だけ。
   寒くないせいか?燃料の節約になった。
 5)2日毎には大型スーパーを通るので、補給食料は2日分持って行動。
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  §5 行動について

 1) 歩きのクセ:右足は靴下が前面に減るが、左足は親指付け根部が極端に強く当たり減る(腰、膝、足首にかける重心の位置検討要)。
 2) 連続して歩く速さ:平坦地でザッ重量が15kg〜18kgの場合は、
    歩数=110前後/分・・・4km/hr
    歩き始めは、歩数=100前後/分・・・3.5km/hr
    空身の場合は、 歩数=120前後/分・・・5km/hr
    (2時間歩いて10分休み(給食と給水)8時間行動の場合)
         ちなみに、ジョギング(LSD)では、歩数=180前後/分・・・10km/hr
 3) 装備・食料の管理:食料品目数約20点と装備品目数40点を関連部毎に束ねてザックに入れて置くが、必要な時に直ぐ取り出せないことがあった。
 記憶違いと何処においたか思い出せない(ボケの始まり!)。
 パッキングの都合上仕舞う場所を変えた時の注意力不足が原因。途中から各品の格納位置が決まると問題は解決した(出来るだけ早く格納位置を固定するパッキングにすること)。

 4)現地購入が多いので、出来るだけレシート(場所、時間入り)を貰うと後日整理の資料になる。しかし、小さい店では無理。

 5)国道歩き:両側に歩道がある場合は、車と同じ左側が疲れない。(車音と風圧が低く感じる)特にトンネルでは明らかに違う。

 6)旅(他火):旅の持つ魅力は尽きない。しかし、今回の旅は正確にはいわゆる<旅>ではない様に思えた。「テント泊・自炊だから自火?」そんな言葉にはやはり無理がある。
 当初からこの条件をもって巡拝しようとしたことが<旅>から外れていたようだ。
では何か?
 行動のベースは、登山や自然との触れ合い<新鮮な空気と湧き水を求めて>がある。その手段として1200年の歴史を持つ四国遍路を選んだと思う。勿論お寺を詣り、供養や安全を祈ることも要素の一つだが、唯一の目的ではない。
2記念寺前
 結論として、これはスポーツに属する見方が一番適している。スポーツ登山を継続してその延長上にスポーツ巡礼がある。(登山が垂直・高度に対するものとすれば、バックパックや今回の巡拝は水平・距離がターゲットになる)。
 スポーツ(ゲーム)であるからルールがある。テント生活は、荷物が重いだけでなく、炊事、洗濯、後かたずけ等それなりのスキル(技術、要領)が日常生活と同じだけ、しかも移動の条件を加算して要求される。
 そうして、無事予定のコースを踏破した時。この計画は成功(勝利)したことになるのでは。
自然環境の影響は<登山>ほどではないにしても、山には無い人的な難しさ(舗装歩きや車音)もありそれなりに未知数がある。
 従って、今後の登山やバックパック活動にスポーツ巡拝から多くの教訓を期待したい。
 ちなみに、識者によれば<生活>とは、「人間が、知恵と技術をもって生命を表現する営み」とか。
 今流行の<・・・暮らし>と違う積極的な<生活>の持つ重さを含めて<テント生活>に取り組みたい。
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  §6 会 計

1) 交通費: 東京〜徳島、松山〜東京ハイウエイバス代 \22,000-
          岩槻〜東京、徳島〜甲浦、内子〜松山、\6,030-
 2) 食料費: 事前購入分 \3,500-、現地購入分 \14,266- (内酒代\2,520-)
 3) 装備費: 電池   \455-
         地図 (今回分)\2,040-
         地図 (次回分)\1,450-
 4) 巡拝費: 納経    \3,000-
 5) その他: 風呂代(2度) \1,200-
         写真代 \1,843-
          合計金額:\55,784−

          別途購入品:一人用テント(フライ付き)\30,000ー
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   あとがき

  今回、無事に室戸岬と足摺岬を廻り予定より早くしかも長い距離をトレース出来た。
 足摺岬へは、文字通り足を引きずりながら到達した。この力の源は暖かく迎えてくれた四国の人々のお陰だ。
 まだ残りが愛媛県260km、香川県180km(約2週間)あるが早く行きたい気持ちになるのも、四国の人々との交流が楽しみだからと云える。

  梅雨に入る前の期間を設定して成功した。
 台風1号で3日間連続して雨天日の行動になったが、大降りは1日だけ済んで助かった。
 テント自体は防水性が高いが、濡れた衣類の処置が長雨だと難しい。
  
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