テント担いで四国遍路(徳島編)
期 間:平成13年3月21日から3月29日 

 
 
はじめに
 四国八十八札所を結ぶ遍路道は、日本人なら誰もが知っている「日本の心」1テント道脇ともいえる古い歴史のコースだ。時間があれば一度は行ってみたいと思っていた。
 母方の墓が香川県・三豊郡(金比羅宮近く)にあり今年の彼岸に初めて墓参する。これを機会にこの歴史ある道を歩き<空海の史跡を尋ねる>ことにした。
 基本コースで距離・1,148Kmの体験は、長期間のテント生活とこれまで山で習得した<登山技術のまとめ>でもあり、体力気力の低下を少しでも補いたいとの思いで計画した。

 今回は「発心の道場」と云われる徳島県内の23寺・距離160Kmを歩き、その要領を把握したい。記録は、コースの状況よりもテント地及び徒歩生活について記し以降の参考にしたい。
 尚、行動時間に各寺での参拝時間を含む。
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§1 行動の記録    (今回の実徒歩距離=197km)
 第1日目 3月20日(天気 晴れ):JR高松駅(17:11 )-JR引田駅(18:22)設営。
 引田駅構内に隣接された駐輪場の奥にテントを設営。国道11号の側で夜中も大型車が通りうるさく、また久し振りのシュラーフで寝不足。

 第2日目 3月21日(天気 晴れ):JR引田駅(7:04)―JR板東駅(7:37 )―1番寺(霊山寺)から7番寺(十楽寺)先4Km設営。 (距離 18Km)行動5時間30分。
 宮川内谷川に架かる橋を渡って河原の土手に設営。道を挟んで御所小学校のグランドがあり、そこの水道口から水をもらう。
 散歩途中のオジサンの話では「100m程先の道路沿いに小さな公園があり、夏場はテントを張っている」とのこと。(翌日通ったが道路に隣接して車がうるさいようだ)。3セルフ顔
  学校近くの雑貨店で、生ウドンと豆腐を買う。 

 第3日目 3月22日(天気 晴れ):8番寺(熊谷寺)から11番寺(藤井寺)先
1Km設営。(距離18Km)行動7時間。 
 明日は、3大難所のひとつ12番(焼山寺)への登りがあるので、今日はその
取り付き点で設営する。
 今日も国道の舗装道歩く。歩きに無理があったのか両足薬指にマメが出来た。明日は靴下を交換して、ジョギング用の5本指ソックスに履き替えてみたい。
 11番寺からは、徒歩専用の道(本来の遍路道)で、高度差500m、距離12kmだが足へのクッションは舗装道と比べると楽になるだろう。
 水(3L程)を11番寺で貰い、テント地まで1km弱担ぎあげた。

 第4日目 3月23日(天気 晴れ):12番寺(十楽寺)―鍋岩(距離16Km)行動8時間
  夜明け前にライトを灯して2組の遍路者が登って行った。遍路道のすぐ横にテントを張っていたので、遍路者が驚いた様だ(まさかこんな山中に野宿して居るとは思わなかったようだ)。こちらも朝4時頃に入山者が来るとは思わず一度に目が覚めた。
 薄明るくなるのは5時半で、それからテントを撤収出発するので出発は6時頃になる。従って、朝食は4時頃に起床して作り、食べる間もロウソクを灯す。
 昨年USAで買ったアウトドア用のロウソクは長持して国産品より性能が良い。機会があれば同一品を仕入れたい。

 第5日目 3月24日(天気 晴れ夕方から雨):13番寺(大日寺)―16番(観音寺)横1Km (距離21Km)行動8時間。 
 徳島市内に入ったせか、町並みが切れない<困ったナ、テント地が見つからない・・>と思案しつつ予定の13番寺に着く。やもなくザックを下ろし、5万分の1の地図を頼りに近くの小学校に偵察に行く。幸い幼稚園と併設した小さな学校を見つける。
 覗くと土曜日のせいか管理者はいない。近くに居た地元の人に「学校の管理人さんは?」と聞くと「誰もいませんヨ」との返事。独り言のよに「今夜テントを隅に張りたいのですが・・」と云うと「いいんでナイノ」と云って去って行った。

 校門には<山田尼寺小学校分校>とある。水道も使えて大通りからも離れていてテントサイトとしては上等である。
 水道で、今回初めての衣服の洗濯と体を洗いサッパリする。今日までの無事を祝して、近くの大型スーパ店で酒と刺身のつまみを買う。
 夕方から降雨があり夜半になって本降りになった。酒の酔いでウトウトして寝ていたら、テントの回りは水溜まりになって気が付いたらシュラーフまですっかり濡れていた。
 慌ててテントを撤収して、校舎の庇に移動したが、後の祭りで装備は雨の洗礼を受け「もっと早く移動しとくのダッタ!」と後悔した。翌日も予報では「雨は午前中まで」とあったが終日降雨で泣かされた。
 反省として、天気図用紙を持って来ないこと。
 ラジオの予報は当日しか知らせないので、2,3日後の様子が解らない。次回からは、テント設営や行動の参考として4時の天気図をつけたい。

 第6日目 3月25日(天気 雨):17番寺(井戸寺)―18番(恩山寺)先1Km (距離22Km)行動8時間30分。 
 終日雨の中を国道と県道を歩く。ザックはシートで被ったが、ザック自体も防水性がなく皆濡れた。昨日の学校で味をしめて今日も設営予定付近の学校を捜す。
 地図によるとコースの途中に学校がある。「ここだナ」と校門から入ると丁度先生らしきオバサンが居たので、設営のお願いをしたら「今日は日曜日で校長もいないし・・・でもいいんじゃないの」と許可らしき返事にホッとする。(山行の途中であれば、許可なんて発想はなく黙って張らしてもらうのでが、今は大師さんと二人連れで<他人の物を盗まず>の約束もあり、無断使用は出来れば避けたい心境である)。
 夜明けまでシトシトと雨は止まず。渡り廊下の屋根下に設営出来て大助かりだった。しかし、濡れたシュラーフや衣類を乾かすのに思わぬ燃料を使った為、途中でガソリンの補給が必要だ。

 第7日目 3月26日(天気 晴れ):19番寺(立江寺)―21番(太龍寺)先4。5Km (距離28Km)行動9時間30分。 
 19番寺は、JR立江駅に近いので、一度徳島市へ戻ってガソリンを仕入れて続行しようと思い19番寺で「ガソリンが不足気味で市内へ買に行こうと思っています」と云ったら若い坊さんが「電車の便も少ないし、店が開くのも遅いし時間がもったいない」「23番寺までは2日行程だから・・」とのこと。
 予定では3日行程としていたので<後1日分のガソリンなら何とかなる>と補給せずに進むことにした。
 テント地は民宿<坂口屋>の先の造成・土木現場(工事機械が錆ているので中止中か?)の隅にする。水は民宿から貰う。                                     1工事テント場
 
 第8日目 3月27日(天気 晴れ):22番寺(平等寺)―23番(薬王寺)先0.2Km (距離29Km)行動7時間。 
 3日分を2日で歩くので苦しい1日だった。23番寺のある日和佐町はこの辺では大きな町だ。昨日から沿道沿いにあるガソリンスタンドに「白ガスはありますか?」と2、3軒聞いたが「この辺の店では置いてナイネ」。日和佐について念のためとスタンドに聞いたら「ありますヨ・入れ物ありますか?」との返事で、聞いてみるもだと何度もお礼を云って500CC ¥150−也を払う。

 途中停滞をしなかったので3日早いが<燃料切れを理由に予定通り今回は此処迄で打ち切るか>と思っていたが、燃料が満タンになると<此処で食料を補給して出来るだけ先まで稼いだほうが、次が楽になるナ>と欲がでた。
 テント地を捜すうち古いバスを改造した<善人宿>を紹介してもう。今夜は畳の上に寝る(詳細は後述)。

 第9日目 3月28日(天気 晴れ):23番(薬王寺)先24Km (距離24Km)行動7時間。 
 今日からは<余分なコース>と思うと楽になる。さらに燃料がタプッリあるので、リッチな気分で歩く。
 テント地は大砂海水浴場の管理棟(無人)の屋根下にする。洗面所の水道が出るので、此処で洗濯も出来た。
 明日は、ザックを途中の駅にデポして電車の終点まで歩き電車で戻ってくる。アタック方式で距離を稼ぎたい。
 第10日目 3月29日(天気 晴れ):番外寺(鯖太師)―JR海部駅 距離10Km(ザックをデポ)―甲浦駅(距離9Km)―電車で海部駅へ戻る 行動4時間30分。 
 ザックを回収してJR徳山駅―大阪駅―東京駅(翌朝着)。
 電車の終点・甲浦(かんのうら)駅からは高知県である。此処から24番寺(最御崎寺)までは30Km程・1日半の行程で、次回はだいぶ助かる。
 徳島駅で東京行のハイウエイバスを手配したが、「満員」でダメ。(先日から予約の電話をしたが、話中で予約出来なかったのは失敗だった)。しかたがないので、大阪まで高速バスで出て大阪からのハイウエイバスで戻った。(今回初めて夜行バスに乗ったが
ゆったりしたスペースで快適であった)。
 東北や中国地方までは、電車や飛行機より利用勝手が良いと思えた。
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   §2 接待を受ける
 今回9日間に4度の接待を受けた。なれないことで多少ぎこちなかったが、感謝の気持ちを相手に伝える事だけを考えてありがたく受けた。1番寺で杖や笠を準備した時、「徒歩巡拝なら・・」とへんろみち保存会編の<四国遍路ひとり歩き同行二人・¥3,500−>のガイドブックを薦められ購入した。
 同書によると<接待を受けたときは、「納め札」(巡拝者の名刺に相当)を返すのが慣わしになっている>とのこと。
1道標
 最初:23寺へ国道を20km延々と歩いている途中、軽ワゴン車が止まり60代のオヤジさんが「お遍路ご苦労さま!」と小さなビニール袋をくれた。お礼の言葉と「納め札」を渡すのだなと思ってザックを下ろしたら、オヤジさんは手を振って「そのまま担いでどうぞ」と云って車に戻った。ビニール袋には、5ケの飴と150円(ジュース代?)。
 メモに「ムリせず がんばろう」と書いてあり横に名前と<巡拝3回 お接待巡拝18回>と書いてあった。オヤジさんはお遍路の先輩であった。

 2回目:23寺先でテント地を捜していて、工場の拡張整地があったので、場内で作業をしていた担当者に「整地の隅にテントを張らして下さい」と頼んだら「そこでも良いけど、道路の反対側に屋根もある所があるヨ」と教えてくれた。
 行ってみると、古い路線バスを改造して畳を敷き毛布等泊まれるようになっている。(テントを張りたいのだけど・・)と思って敷地内の食堂(此処で管理しているようなので)に行き「今夜泊まりたいのですが・・」と云ったら心良く「どうぞ、どうぞ」「夕食は、ご接待させてもらいます」とのこと。
 後から1名30代の男の巡拝者が来て2名で泊まった。 夕食は精進料理で旨かったが、冷えていたのが難点だった。いつもは、アツアツの飯やミソ汁を食べているので、冷飯や冷えたオカズは違和感があった。
 しかし、空腹でも食物がない頃を想えは、ありがたい話である。(こんな風に考えるのも歩き遍路の効果か?)。

 3回目:最終日に「打ち上げ」として2食分夕食を食べたせいか朝は食欲がない。朝抜きで出発して2時間ほど歩くと腹が減ってきたので、<ほっかほか弁当>店で鮭弁当とお茶を買う。店員さんが「お茶はお接待させてもらいます」「何処からこられたン」と笑顔に元気ずけられた。

 4回目:巡拝を終えて、電車の終点から徳島に戻る車中で記録帳のメモしていたら50代のオバサンが「ご苦労さま、このミカンは旨いヨお接待させてもらいます」と大きな八朔と100円硬貨1枚をくれた。
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   §3 装備について
 帰宅後にザックを計量した結果予想以上に重かった(約15kg)。
 この重量は、ほとんど食料は無い(0,3kg程度)ので装備重量になる。計画では、8kg程度(重くても10kg未満)と想定していたので驚いた。
 担いだ感覚では10kg未満だと思って帰ってきたので「その差5kgは何?」と疑問を解決するために、主要品を計測してみた。(表1参照)。
 

<表1> 帰宅時のザックの重量内訳

 総重量:14,5Kg 実測重量(kg)
 1 テント・フライ・ポール(2用) 
 2 シュラーフ           
 3 ホエーブル(マッチ・メタ)  
 4 コッヘル(中・大)各1   
 5 圧力釜             
 6 ペンライト・ナイフ     
 7 ロウソク           
 8 その他 1式       
 9 ガソリン残り200cc       
10 下着(各1)服装類       
11 タオル           
12 軍 手           
15 クリーム          
16 歯ブラシ・石鹸        
17 目薬・薬 箱/ひげ剃り  





2,20
1,40
0.95
0.35
0.35
その他
その他
0,75
0,30
2.00
その他
その他
その他
その他
0,40

 18 サンダル       
 19 地 図 資料    
 20 財 布・カード   
 21 雨  具         
 22 カメラ付き
フイルム(2本)
 23 箸・スプーン      
 24 背負子ザック     
 25 キルテング     
 26 細 ひも       
 28 茶 こし        
 29 ポリ水入れ     
 30 シート         
 31 シート クッション  
 32 遍路品         
 33食料 残り     
0,15
0,60
その他
0,55
その他
その他
1,20
0,75
その他
その他
0,12
0,20
0,30
1,53
0,30

*******************
  今回の反省として、                                  
 上記装備品の内<取り消し線>の装備に付いて再検討が必要と思えた。

 1)テント:2人用は快適過ぎるので1人用を購入したい(ゴア製・3シーズン用)。見込み -0,7k減
 2)シュラーフ:一番暖かい品を持参。このシーズンではもっと薄く軽い物で良い
  (ビバーク用の簡易シュラーフ)見込み 0,65k減
 3)持参した方がよいが必需品でない物(長袖シャツ等)見込み 0,4k減
 4)資料:5万1地図と遍路道で良い。参考書等は不要。記録ノートは薄手にする。見込み 0,4k減
 5)雨具:ズボンのみとして上服はザック共に被うポンチョにする(シート不要)。
   見込み 0,3k減
 6)キルテング:不要。 見込み-0,75k減
 7)ポリ水入れ:重量でなくかさばるので、2L程度の小型を使用。(折り畳み可能型)
 8)遍路品:バック、案内本類は不要。
   見込み 1,1k減
 上記による重量軽減を約4,3kg見込むと計画装備重量となる。

 重量軽減とは逆になるが、電気カミソリは毎日使用するため重宝した。
 山の中ばかりでなく町内も歩くので、出来るだけサッパリしていたい。
 行程の80%は民家のある舗装道を歩くので、登山とは違った配慮が必要。

 靴は3シーズン用(重量1,2Kg)の新中古品(桶川のセカンドハンド店で入手)を使用。水も浸みて来ず快適であった。
 靴下は当初「山用・厚手」を履いたが、2日目に両足の薬指にマメが出来た。
 そこで、ジョギング用の5本指靴下と同じくジョギング・長距離用厚手の靴下のダブルに履き替えて以降はトラブルはなかった。
 各1足しか持参していないので、2日に1度は洗濯をした。

 杖の効用
 遍路歩きの必需品の「同行二人・杖」を初めて使用した。これまで杖は<バランスの補助と下坂時に足の負担を軽くする為>と思っていたが、ガイドブックによると、「杖は上記の他に、前へ進む推進力の補助になり足指及びアキレスケンの疲れを少なくする。 
1桜 コツは、手首の返しでタイミング良く杖で体を前へ押す力を地面に伝える(4歩に1回杖)」との事。登山と違い舗装道の多い今回の様なコースでは、それなりに歩き方があるものだと勉強になった。最初は要領が掴めずチグハグ気味であったが、2日目になるとその効果が上がってきた。
 ザックが軽ければ更に効果的だか、なにせ重さ18kg程度のザックでは、足が持っても肩と腰が悲鳴をあげるので、身体全体と相談しながら歩いた。
いずれにしても、今回「杖の効用」を学んだ事は大きな収穫だった。

ザックの腰バンドの効果
 「ザックは腰に乗せて担ぐもの」と肩にかかるザックの重量をいかにスムースに腰に移すかを体で覚えて来たが、カニ族のキスリングの時代から比べると今のザックは進化しており、今回前記の「杖の効用」に加えてザックの進化を学んだ。
 要はザックの重さを肩を経由せずに直接腰で受けるため腰バンドで固定する。
 これまで、腰バンドはサックの横揺れ防止用と思っていたが、もっと積極的に上下方向の重さも支持して、肩から背骨までの負荷を軽減。

 ザックを担ぐ技術もたいして必要とせずに楽に担げることになる。
 これまでバンドが付いていながら勉強不足のためになんと多くの苦労をしてきたことか!「知らないことは恐ろしいことだ」と深く反省した。
 と云うのも、昨年のヨセミテ・トレイルで足のトラブルにより変則歩行で途中下山した。
 その時、肩に過負荷をかけたのが原因で、右肩の助骨が変形し重いにを背負うと骨が痛むようになって「困ったものだ・・」と思っていたが、今回の腰バンド使用により肩への負担が従来の70%程度に低下したようで、大助かりであった。(帰宅後10kg位かと思えたザックが実測約15Kgであったのもそのせか?)。
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  §4 食料について

 1) 毎日人家を通りその中には<食料雑貨店>もありラーメン、ウドン、果物、酒、を調達した。
  従って常時2日分持っておれば良い。米や野菜、醤油、味噌類は販売単位 が大きいので買いにくい。
 2) 電子レンジ用の五目飯や山菜飯のパック品は大型スーパ店でもなかった。
 3) 豆腐、刺身、テンプラ等山行では食べられない食材もテント地によっては購入出来る。
   巡拝の楽しみのひとつ。
 4) ソーメンは茹でる時間が短くて燃料の節約が出来且つ疲れていても食べ易い。
 5) 主食は、炊きたての飯に削り節を混ぜて醤油を少々かけた<オカカ飯>と味噌汁。
   昼は乾燥野菜入りのラーメンやウドンの麺類。
 6) 行動食は、チーズ、ヨウカン、飴、等歩きながら食べられるもの。
 7) 果物類(みかん、リンゴ)は移動荷物にはしないで、テント設営後に隔日程度に食べた。
   従ってテント場を決める頃は、水の補給、店の有無、雨時の避難を考えながら歩いた。
 8) 使用しなかった物:砂糖、塩、
    食料表(5日分)約4Kg

  1 洗  米      5カップ
  2 ラーメン        3ヶ
  3 乾燥野菜       1袋
  4 たまごパン      1袋
  5 五目飯パック     3袋
  6 チーズ        1袋
  7 黒 大 豆      1袋
  8 だしの素       2袋
  9 飴           1袋
 10 削り節        1袋
 11 ヨーカン       4ヶ
 12 味 噌        5回分
  13 醤 油     100cc
  14 酢        適量
  15 塩        適量
  16 砂 糖      適量
  17 お茶        5回

  現地購入品  ウドン、ラーメン、果 物、 豆腐、 酒、つまみ、ウドンの素、 刺身、昼食弁当。
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   §5 会 計
 1) 交通費
   東京〜高松、徳島〜東京ハイウエイバス代 \22,750-          1初日テント地
   岩槻〜東京、高松〜1番寺(板東)、甲浦〜徳島、 \3,980-
 2) 食料費 事前購入分 \2,670-
         現地購入分 \6,100-
 3) 装備費 ガソリン \500-
         地図 \2,150-
 4) 巡拝費 服装類 \15,400-  納経  \7,200-
 5) その他 風呂代 \500-   フイルム  \2,200-    写真代 \940-

          合計金額:¥64,390−
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  あとがき
 遍路道は車社会にあって、その80%は舗装道になっている。昔ながらの自然道はわずかになったが、千数百年の歴史を刻む趣のある道だった。

 ウンザリする車道歩き。特にトンネル内は狭い路肩で、大型車が来ると風圧にあおられ恐怖である。
 ガイドブックによると、<旅>は一説では<タビ・他火>から来ているそうだ。即ち、他者が作った料理を食べる。又は炊事の火を他者から貰うとの事。
 では、テント泊自炊の行動は<ジビ・自火>!?。<旅ではなくジビとは何か?>そんな事を考えて歩いていた。この答えは、次回・高知県内の巡拝に持ち越しとなった。



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