テント担いで四国遍路(愛媛・香川編)

期 間:平成13年9月30日から10月15日 


   はじめに
3矢内s会
 9月USAの山旅は、入下山のアプローチ・トラブルで精神的にかなり疲れた。その疲労が回復したか判らないので、今回の四国遍路は心身ともに癒される旅にしたい。3度目の今回で結願(完歩)して区切りをつけたいがポイントは2つある。一つはテントの設営場所。今回は街中のコースが多いのでテント設営条件としては不利。又最近の学校関連の事件でこれまで利用出来た小学校は無理のようだ。
 次は天気。初回時のように台風でも来たら難儀するだろうから、予備日を増やすため出発日を早くして、好天候を願い東京駅から夜行バスで高松へ向かった。                 
 
 記録は前回通り、コースの状況よりもテント地及び徒歩生活について記し、次回の資料にしたい。尚、行動時間に各寺での参拝時間を含む。
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  §1 行動の記録    (今回の実徒歩距離=419km)

第1日目 9月30日(天気雨):JR松山駅(07:10-7:40)-JR内子駅(9:55-10:20)−落合設営。(距離23km)行動5時間20分。
 松山駅は雨。昨夜家を出る時も雨でポンチョを被り駅まで行ったので、今回は雨日からのスタートとなった。前回引き返したJR内子駅に着いても雨は止みそうにもなくポンチョを被り完全装備で出発。
 30分も歩くとムレて「早くこの不愉快さから開放されたい」「肩の荷も重い」といつもの事だがウンザリしながら歩く。
 3度休憩して雨が止む頃、設営予定地に着く。天気予報では「今夜は大雨・強風注意報」が出ている。
 初日から「ビショ濡れ」は厳しい。テント地は大雨時に逃げ込める屋根のある近くを探す。幸い幼稚園の駐車場があり、イザと云う時は幼稚園に逃げ込めそうだ。
 予報通り20時ごろから本降りになり、闇の中でテント移動した。
 

 第2日目 10月1日(天気雨):出発(5:10)―44番(大宝寺)から45番(岩屋寺)往復後久万町立・児童公園設営。(距離33Km)行動10時間30分。
 大雨と強風は明け方まで続く。夜明け前にテント撤収して44番寺へ向かう。ザックはポンチョの下にビニール袋で二重に覆う。お陰でシュラーフ類も濡れず助かるが、2日続きの雨天で雨ズボン(ビニール製)の下に「どうせ濡れるから」とランニング・パンツだけで歩いていたら、午後過ぎ股ずれが出来てしまいガニ股で何とかテント地に着く。
 明日の晴れを期待して16時の天気図を取ると、前線が大阪付近を通過しているので明日からは好天気になるようでホッとする。
 夕方、明日宿泊予定の山の畏友・矢内さんへ現状を連絡して明日の宿をお願いした。
この公園には水道がないため、近所の民家から水を貰う。44番寺に荷を置き空身で45番寺まで行く。往路は遍路道(山道)を通ったが帰路は車道が近いのでこちらにした。一般的には遍路道が近いがここは特例のようだ。


 第3日目 10月2日(天気晴):出発(5:10)―46番(浄瑠璃寺)から50番(繁多寺)―矢内氏宅。(距離32Km)行動8時間。 
 <早く出発しよう>とテントを撤収していると暗闇の中から「イイホシさんでしょ!」と声をかけられた。
 驚いて振り向くと、今日会う予定の矢内さんだ。「あれー良く解ったネ」と驚く。聞けば彼は子供の頃近くで育ったそうで、この辺りは詳しいとのこと。ともあれ数十年振りの再会を祝う。
おまけに「今日は家に泊まるのだから、ザックは車で運ぶヨ」とのありがたい言葉。
 本来の主旨からはずれるが、昨日までの疲れと股ずれを思い言葉に甘えることにした。
 
 2人物後向今日は<空身で歩く>快適さを満喫。天候も回復しルンルンで歩が進む。三坂峠から長い下りが続くが気にならない。おまけに47番寺では、納経時にお坊さんから「ハイ、ご苦労様、草鞋代です」と¥200円接待を受け(坊さんの上前を頂いて良いもんもか)と苦笑した。空身のため、約束の時間より早く着き一つ先の50番(繁多寺)まで行く。
 矢内さん宅で歓待を受け、オマケに近くの町営・温泉に浸かりすっかり疲れが取れた。

 第4日目 10月3日(天気晴):出発(6:20)―51番(石手寺)から53番(円明寺)先8,6Km・北条市・西ノ下児童公園(距離24Km)行動7時間。 
 気温がグングン上昇して暑くなる。昨日楽をしたせいかザックが重い。
53番寺から54番寺までは35Kmあり1日ではとどかない。3時間程歩いて<この辺で腹ごしらえ・・>と思っていたら、先方で矢内さんの出迎えを受けて驚く。
 差し入れの大きなボタモチは空きっ腹に何よりだ。昨日も朝食と云って沢山オニギリを貰い。<持つべきものは、良き友>と感謝でいっぱい。
暑さに負けて今日は早めにテント地を探す。国道から50m引っ込んだケートボール場兼児童公園を見つけた。
 設営場所を選定していたらゲートボールのおじいさんが来たので「今夜一晩テントを張らして下さい」とお願いしたら「あー良いですよ」と笑顔で返事。テントを張っていたら又来て「私の弟も埼玉に居りますヨ」と云いながら「これ少ないけど・・」と接待してくれた。
 喉が無償に渇くので、10分程国道を戻り酒蔵で「小売できますか?」と聞き300CC1本買う。本当はビールを飲みたいがあいにく近所に店がなく残念だ。


 第5日目 10月4日(天気晴):出発(5:00)―54番(延命寺)から56番(泰山寺)先2Km 馬越遊園地公園(距離33Km)行動8時間30分。 
 初日の雨天がウソの様な秋晴れの好天が続く。<これぞ遍路日和>と納得して歩く。身体もだいぶ慣れて来た。今日も4時間程歩き59番(国分寺)で再び矢内さんの出迎えを受ける。
 国道と遍路道を交合に歩くので、途中で会う事は予め打ち合わせをしていないと難しい事だが、昨日と同様連絡なしで会えるのに驚く。<オデンとみかん>の差し入れをありがたく頂く。

 第6日目 10月5日(天気晴):出発(5:30)―57番(栄福寺)―59番(国分寺)先10Km東予市・神明川土手(距離23Km)行動7時間。 
 予定では臼井の水(湧き水場)で設営するつもりだったが、国道の脇で車音がうるさいのと人家の傍で<テント地>としては不適。テント地を探して1Km進むと比較的大きな橋を渡る。橋上から<テント地はないか>と河原を物色して、一部整地した土手を見つけた。
 川床は伏流で水はないので、飲料水と身体を拭くため、近くにカメラ店へ「お水を下さい」ともらってきた。
 昨日から左足親指と右足薬指にマメが出来た。テープで養生したせいか悪化してはいないのでホッとする。まだ先が長いので、ダメージは最小限で抑えたい。<明日もよろしく>と足を水道水で丁寧に洗う。
 カメラの自動巻上げが出来ず壊れたので、同カメラ店で水のお礼も兼ねてカメラ付きフイルムを買う。


 第7日目 10月6日(天気 晴):出発(5:30)―60番(寺)から63番(吉祥寺)芝之井公園(距離27Km)行動8時間30分。 
 石槌山へ続く山寺60番寺まで高度差700mの登りで一汗かく。樹林帯の山道は国道歩きに比べると生き返るようだ。昼過ぎテント地を探して進むと、芝之井御加水の脇の児童公園が見つかる。加水からコンコンと湧き出る軟水のまろやかさは実に美味い。
 昔は野菜や衣類を洗ったエリアもあり、3日振りに衣類を洗う。


 第8日目 10月7日(天気 晴):出発(5:50)―64番(前神寺)先26k やませ風公園(距離30Km)行動8時間10分。 
 終日国道11号と旧道の舗装道を歩く。伊予土居の町中に入る前にテント地を確保したい。庭先にいたおやじさんに「この付近に公園ありませんか?」と聞くと「この先の信号を右に入った所に、大きな総合公園があるナ」と教えてくれた。
 国道から500m入った山裾に町おこしの整備事業で造られた<やませ風・総合スポーツ公園>があった。今日は日曜日とあってだいぶ賑わっていた。
 テントを張るには規模が大きいので、ダメと云われるかもしれないが、管理のおじさんに「水を使わせて下さい。隅で結構ですから一晩テントを張らして下さい」とお願いしたら「歩いてお参りですか、大変ですネ」と云ってOKしてくれた。
 快適なテント地は昼過ぎから翌朝まで疲れを癒す大事な時を過ごす空間で、私にとっては大きな接待を受けた気持ちだ。


 第9日目 10月8日(天気 晴):出発(5:10)―65番(三角寺)先7,5k県コミニケーション施設・三名集会場(距離27Km)行動8時間
 国道11号沿いの遍路道を地図頼りに進む。遍路地図に表示された店や食堂は時間が早いせいかほとんど閉まっている。
 食材をスーパで買うつもりが、テント地付近まで見つからないと焦る。今夜のテント地も国道192号沿いで、店、水、静かな場所と三拍子揃った所は期待出来ない。
 水のある所を第一条件に設営予定の常福寺(別院14番)近くでザックを置いてさがす。山あいの狭い地形で公園らしきものはない。小学校があるが門は閉められ「ダメ」と云っているようだ。
 少し引き込んだ狭い土地に祠があり、隣が集会所になっている。幸い水道が使えるのでここに決める。管理人はいないが祠に「一晩御願いします」と手を合わせておいた。
3三坂田
 第10日目 10月9日(天気晴):出発(51:30)―66番(雲辺寺)から67番(大興寺)先2k(距離25Km)行動8時間50分。 
 雲辺寺は標高930mの山頂近くにあるためロープウエーが設置されている。遍路道はその反対側から登るので1日仕事になる。
 登山口から3時間で寺に着き2時間下り次の67番寺(大興寺)に着く。やっと香川県に入った。残りは170Km、少し先が見えてきた感じがする。
 予報では<今夜は雨>とのこと。しばらく降っていないのでボツボツ雨もしかたがないが、雨対策として屋根のあるテント地が欲しい。
 「この付近に公園はありますか?」と聞いてみても良い返事はない。コース上68番69番の前に70番寺に行くつもりで、地図を眺めても田ばかりでテント地の可能性が少ない。
 数軒家がある近くに祠と集会場が合ったので、ここにしょうと荷を下ろし買出しに行く。帰ってきたら管理人らしい人がいたので、申し込むと「今夜ここで寄り合いがあるんでネ。すまないネ」と断れた。
 
 知らずにテントを張り気まずい思いをしなくて良かったと気を取り直し別の場所を探す。
50m程先に又祠があり、傍に畑でワラを燃やしていた親父さんに「テントを張りたいんですが・・管理人さんはどちらですか?」と聞いたら「サー今年は誰かなー」と思案顔。「一晩でいいんですが・・」と云うと畑を指差し「ここでよければ良いヨ」とのこと。「ありがとうございます」。これで後は水の確保だけだ。 先ほどの集会場へ行き水をもらう。
 予報通り夕方から雨になり、ここは休耕畑ではなく休耕田のようで水はけが悪い。 

 第11日目 10月10日(天気雨後曇):出発(6:30)―70番(本山寺)―68・69寺――70番(本山寺)先8Km たかせ天然温泉(距離23Km)行動7時間。 
 昨夜は雨が止まず、いつテント内に水が浸入してくるか心配だったが、場所が少し高かったので無事だった。
 右足アキレス腱が昨日から痛みだし、今日は1時間も歩かずに調子が悪い。70番寺にザックを置いて空身で68・69寺を往復したが痛みは消えない。原因は靴底が剥離気味なので、気にして歩いたせいかも知れない。
 今日は早めにテント地を決めて足の疲れを取りたい。
 
 JR高瀬駅近くのコンビニで弁当を食べていると、近所のオバサンが来たので「この付近に温泉はありませんか?」と聞くと「町営のたかせ温泉がこの先にあるヨ」と教えてくれた。「何処から来たの?」「ズーッと歩いているの?大変ネ」と世間話をしていたら「家に温泉の優待券があったから、今持ってくるんで一寸待ってネ」と取り帰ってくれた。
 「ハイこれ券ネ、それからこれはシップ」と私に足の痛みを見通した「接待」に頭がさがった。
温泉は国道から1Km右手に入った所にあり、道を隔て総合スポーツ公園がある。ここにテント設営する。これも<町おこし>の整備事業だがほとんど使用されていない雰囲気だ。
 ともあれ、ゆっくり温泉に入り全身を伸ばし足の養生をする。弱アリカリ性で35度の温泉は心身共にリラックスさせてくれた。


 第12日目 10月11日(天気晴):出発(5:00)―71番(弥谷寺)―76番(金倉寺)先1Km 善根宿・まんだら(距離20Km)行動7時間。
 アキレス腱を気にしながら歩く。無理して悪化さしては、次の予定(11月下旬からニュージランドの山旅)にも影響するので、訓練の範囲でゆっくり進み、昼頃早めにテント地を決める。
場所は多度津町の善根宿とする。宿にいた娘さんに「この付近でテントを張れる所ありませんか?」尋ねてみたが知らないとの事。「宿の方に泊まったら」と云われたが、「テント泊していますので・・」と辞退した。
 歩き遍路者でテント泊はあまりないようで、<野宿>は屋根のあるバス停や神社・寺の軒先で泊まるのが一般のようだ。
 善根宿のおかみさんが出て来て「そこの屋根の下を使ったら」と敷地の一部を許可してくれた。
 善根宿には4・5名の若い先客がいる。水道は勿論シャワーも洗濯機もあり好意に甘えて使わせてもらう。


 第13日目 10月12日(天気 晴):出発(6:20)―77番(道隆寺)から80番(国分寺)先2.5Km へんろころがし道脇(距離23Km)行動6時間40分。 
 炊事は宿の内でやる様に指定されたので、早朝は作れず1時間遅れで出発する。
丸亀市、坂出市と街中を通り4寺を廻って81寺への山道の途中にテント設営。
 水は途中のトイレの水道を使用。人里から離れ本来の遍路道で昔を偲ばせる。近くに座禅した祠がいくつもあり地蔵仏も多く歴史を感じさせる。
 道の曲がり角の平坦地に設営したが<この道で息絶えた遍路者もいただろう>と思うとあまり良い気分にはなれない。
 

 第14日目 10月13日(天気 晴):出発(5:30)―81番(白峰寺)から83(一宮寺)先4km(距離27Km)行動8時間10分。
 81番寺への途中古田にザックをおいて81番往復後、反対側の82番寺へ向かう。
 もう高松市へ入ったので、今回の旅も終わりに近い。 心配していた通り市内に入ってからテント予定地の公園等はコース上にはない。<市内に入る前に>決めようと思いながら何時の間にかビル街に来てしまう。
 遍路道から外れて左手の山の方へ行き、山へ向かう細路を50mほど入ると、テント1張りの平坦地を見つけ<今夜はここで我慢しよう>とザックを下ろす。
 水は町中に戻り店先に水道口のある所へ行き「スミマセン、お水下さい」と入手。今夜は炊事用の水しかない。


 第15日目 10月14日(天気 晴):出発(4:50)―84番(屋島寺)から87番(長尾寺)先5K 前山ダム・町立キャンプ場(距離31Km)行動10時間。 
388寺前<明日は最終寺だ>と思うと元気が湧いてくる。しばらく養生して歩いたので、アキレス腱も痛みが消えた。久しぶりに30Km・10時間歩き充実した1日だ。
 テント地はフイナレーに相応しく<キャンプ場での設営>だ。正式なキャンプ場に泊まるのは今回初めての体験だ。
 シーズンオフでガランとした中に2張りバイクを横に置いた先客がいて、テントを張っていたら「お茶かコーヒー飲みませんか」と接待したくれた。
 明日は空身で88番(大窪寺)を往復しよう。11時頃のバスに乗れるよう早めに出発したい。 3回に別けてトライした<テントでヘンロ>もいよいよ明日で完成かと思うと、満足感よりもテント泊から開放されホッとした気持ちが強い。


 第16日目 10月15日(天気 晴):出発(4:50)―88番(大窪寺)往復(距離18Km)行動5時間分。 キャンプ場(10:55)―バス・長尾町―バス・高松市(12:00)
JR高松駅前(20:30)―新宿駅(17日06:110)
 東コースの遍路道を登る。このコースは標高763mの女体山を越えて88番寺へ下る。7時40分に大窪寺着く。寺は朝の掃除中で誰もお参りの人影はない。
 結願を感謝して納経を済ませる。「陣笠と杖を納めたいのですが・・」と申し出て所定の場所に返す。

 帰路は手ぶらで衣も脱ぎ<普通のハイカー>に戻ってテント地に引き返した。
登り3時間、帰路は車道下り1時間40分であった。
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  §2 接待を受ける

 今回もお接待を受けた。受ける私も力になるが接待する人も、<施したと云うある種の満足>があるようだ。品物、お金、言葉に限らずその人の笑顔を見るとそう思える。
 朝夕の挨拶も同種で、お互いの良いコミケーションが豊かな心持ちを育むようだ。従って遍路に限らず日常生活でも<必要な生活の知恵>と思えた。

 「お接待です」と受けた回数は回で状況は以下の通り。

 1)畏友・矢内さん夫妻の4日間に渡る
 暖かい世話を受けたこと。歩遍路は<歩く・喰う・寝る>の単純な生活の繰り返しで、鋭敏になり人の気持ちが強く身にしみる。持つべき物は友達と満ち足りた気持ちになった。

 2)47番寺の70歳代のお坊さんから、「草鞋代」をいただき、何かと評判が悪い寺の印象を改めた。気のせいか枯れて達観した人の様に思えた。

 3)2日目:公園は水道がない。公園近くで通りかかりの60代オジイサンに「この辺に水場がありますか?」と聞くと「ウーンないナー」「うちのを使いなさい」と10m先の自宅の水道を教えてくれた。

 4)4日目:テント設営地でゲートボール場管理人のオジイサンから「持ち合わせがないので・・」と¥150円接待を受けた。

 5)5日目:3時間程歩いて遍照院の入り口で休んでいたら、店のオバサンがオロナインドリンクを持ってきて「お疲れさま・これ飲んで元気を出して・・・」と声をかけてくれた。

 6)6日目:スーパで買い物をしようと、ザックを置く場所を探していたら前の店からオバサンが「家の置床使いなさいヨ」声をかけてくれた。「ドーモ」とそこにザックを置いてスーパで買い物をして出てくると、例のオバサンが「何処から来たの?」「何日歩いているの?」「幾つ?」と暇にまかせて質問攻め。荷を担いで出ようとすると「これ重いけど・・暖かいから」と商品の椅子用・座布団をくれた。「ありがとうございます」と頂いたがカサばるのが難点。

 7)6日目:59番寺で矢内さんと再会して話していたら門前店(五九楽館)から「ご苦労さま、接待させてください」と手ぬぐいとアイスクリームを頂いた。「E-メールを開いてください」と名刺をもらう。

 8)6日目:63番寺で納経時に「これどうぞ」と飴類数個入った袋を受けた。歩遍路に渡しているようだ。

 9)11日目:高瀬町のコンビニに買い物に来たオバサンから、たかせ天然温泉の優待券と消炎シップ(5枚入り)をもらった。
 10)12日目:善根宿<まんだら>でテント地はじめ、シャワー、洗濯機を使わせてくれ大助かりだった。 本業の工場に一部を開放して接待している奇特なご夫婦(経営者)だ。

 11)13日目:宇多津町から坂出市に入った所で新しい道路が出来て旧街道を見失う。家前にいたオバアサンに「79番寺さんへはこの道で良いのですか?」と聞くと「アーそうです」と教えてくれ「私は84歳だけど、右膝が悪いので拝んで来て」と財布をゴソゴソして、¥50円接待してくれた。

 12)13日目:上記オバアサンのあと100m程歩いていると、オジイサンがニコニコ笑顔で近ずいて来て「これ、ご接待します」との小さな貝に美しい布を被せて紐をつけた飾り物(手作り)を2ケ差し出した。お守りにしたいような飾り物で「ありがとうございます」と接待の気持ちを丸ごと受け取る。

 13)13日目:接待にも波があるのか、上記後しばらく歩いていると、後ろから自転車に乗った50歳代のオバサンが急ブレーキで止まり千円札を1枚差出し「お接待します」と声をかける。「イヤー多すぎます!」と返事したが「いいのヨ、取っておいて」と渡してそそくさと走り去って行った。 前回もあったが<オバサンは太っ腹ダ>とわが身の小心サを反省した。

 この他に水をくれたり、テント地を提供してくれた人、公園で設営しても警察に通報しなかった理解ある人々と気が付かない多くの善意で、苦労もしたが豊かなテント生活が出来たと思う。テント地提供の感謝もあって全てのテント地の写真を撮り、その場所を思い出して感謝して歩いた。これは次のテント地が約束されるような気がしたからである。
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   §3 装備について

帰宅時ザックを計測したら
総重量 =装備=12Kg
前回までの反省から主要な問題点は無かった。今後更に軽量化を計りテントを担いで出来るだけ行動したい。

1)ガソリンを1,7L持参したが1,2L/14日で良かった。
2)パンダナを忘れた(持参したつもりが準備の途中で入れ入れ忘れ)。
3)雨具ズボンは濡れても良いのでトレーナをはく。(軽くて蒸れない雨具を探す)。
4)圧力釜用の布ケース要。
5)電池スペア使用せず(街灯、月夜で使用頻度が少なかったため)。
6)シュラーフは薄手で良かった。
7)クリームは多目に持参する(足や手顔に日焼け代わりに使った)。
8)長袖スペアは1枚で良い。 
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   §4 食料について

 1)米1.6Kg過不足なし(100g・1食)。
 2)昼の外食は2日だけ、他はウドン等を自炊した。(昼過ぎにテント設営のため時間が取れた)。
 3)10時頃の間食は、カリントウ、チーズ、ようかん、りんご、スルメ、塩飴、コーンフレーク、等適当。
 4)調味料:醤油、味噌、ウドンの素、味の素、コショウ、七味、梅酢、油要。
 5)酒のツマミ:スルメ、マメ類、
 6)副食:削り節、梅味フリカケ、乾燥野菜、
 7)非常間食:ラーメン、五目パック 
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§5 行動について

 1)前回と9月のUSA山旅で歩数・速度と呼吸等の関連について考え、今回もその数値を基準に歩いてみた。
 脈泊は意識していなくても比較的客観的に体調の状態を表す指標になる。加齢と共に無理が効かなくなるので、自分の適正値を把握して行動するし<伊達に年を取らず>で歩きのスキルを磨きたい。

 2)自然体の生活を保つには、正しく立つ、座る、歩く、そして基本には正しい呼吸が大事。これはラジオで聞いた話。

 呼吸法は<3秒鼻から吸い2秒息を止め、15秒で吐く>とか。歩行中はリズムカルに<2秒吸い5秒吐く>程度か。

 3)登山と同じで<早出・早着>はアウトドア活動では基本だと実感した。4時起床5時出発、行動8時間±1時間。今回も完全休みはせずに(停滞すると歩くリズムが狂いそうで毎日歩いた)体調に合わせて行動時間の短縮で体調を整えた。
 
 特に長期間の活動はでは、休まなくてはならない程疲れは、行動の失敗で疲れもほどほどで抑るコントロール・スキルを身に付けることが重要。(これも加齢と共に変わるので、物差しとなる指標に前記の脈拍数等が役立つような気がする)。

 4)遍路地図と現地の遍路マークで道に迷うことはまれ
テント泊では、野宿用のバス停等は使わないので他に5万分の1地図が欲しい。97年度版の遍路地図に表示された案内で、目印に表示された<ガソリンスタンド>の多くが廃業や名前が変わっていた。食堂や店も同様。変化の激しい現在、本誌の編集も大変だろうと同情する。
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  §6 会 計

1) 交通費
        東京〜松山、高知〜東京ハイウエイバス代   \22,500-
        岩槻〜東京、松山〜内子、有山ダム〜松山、   \3,040-

 2) 食料費 事前購入分 \3,700-
         現地購入分 \10,930- (内酒代\2,610-)
 3) 装備費  ローソク・メタ  \630-
         ガス・電池   \1、280-       
 4) 巡拝費  納経    \13,000-
 5) その他  風呂代(3度) \1,000-  
          写真代・フイルム \2,400-

          合計金額:\58,480−



  あとがき

◇ 3度訪れてようやく結願出来た。毎回夜行バスを利用したので総日数は50日間だが、歩いた有効総日数は44日間になる。
 総距離は1,143Kmで1日平均26Km平坦道が多いのが距離が伸びた理由だろう。舗装しない自然道でこれ位のコースが日本はないものか。
 ちなみに北米には自然道で1,000Kmから3,000Kmのトレイルが数本あり羨ましいかぎりだ。

◇ 今回のテント生活で、今まで最長2週間の体験を20日間の生活に延長出来た。期間が長いと時間の流れと云うか行動パターンが違ってくるようだ。更に1ケ月となると新たな要素が加わる事だろう。
 それぞれに長短があるように思えるので、いずれのケースでも対応出来る技術を習得したい。
 
◇ 場末・映画館の<3本立映画>ではないが、今秋から私案<山旅3本立>として9月USAヨセミテ・ジョンミューアトレール、10月四国八十八寺巡拝、12月ニュージランド ミルフォードトラックをトライしている。 無事成功したい。
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