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テント担いで四国遍路・2巡目 (徳島・高知編)

期 間:平成19年2月27日から3月14日 


焼山寺山麓の梅林


 
 §1 行動の記録 ー前頁から続くー

 第11日目 3月9日(天気 快晴):室戸市から二十三士温泉
                  (距離23Km)行動6時間10分。 
 寒波が居座って今朝も冷え込みが強い。最初の寺まで1時間で着くので、6時頃出発すれば良いのだが、習慣で早起きになり苦笑する。
 26番寺(→)で開所まで1時間待ち納経を済ませて再び海岸沿いの国道に出る。寺宿に泊まった定年夫婦が足早に追い越して行った。
 夫婦連の場合、奥さんが先頭でダンナが後は万国共通のようで微笑ましい。奈半利町にも二十三士温泉があるので入浴が愉しみだ。道を挟んで二十三士公園があり休憩舎の軒下にテントを張る(→)。温泉のカタログによると「二十三士とは、土佐勤皇攘夷の23名が謀反を企てた者として奈半川のほとりで全員斬首。墓も近くにある」とのこと。


 第12日目 3月10日(天気 晴後曇り):二十三士温泉から赤野駅
                   (距離31Km)行動8時間10分。 
 奈半利町は土佐電鉄・阿佐線の終点で今日からは線路沿いに高知市内へ進む「鉄道がある」と思うと心強くなる。振り返るといつの間にか室戸岬が霞の彼方に遠ざかり確実に進んでいる実感が湧く。
 27番寺へは、3km手前の線路下にデポして空身で往復する。犬を散歩中のオバサンが「荷物はそこのビニールシートの中が良いヨ」と親切に面倒を見てくれた。
 午後から降雨の心配もあるので野営地は屋根下にしたい。前回の泊地・安芸市内の公園も良いが早いので「もう少し先へ・・」と堤防脇の自転車専用路を進む。赤野集落で「お接待します」の看板につられて私設休憩所に立ち寄る。ご主人の栗山さんによれば、3年前に開いて交流を楽しんでいるとか、熱いミルクテイーを2杯いただき壁に掛けられた遍路者からのメッセージや手作品を眺め休憩。
 近くの赤野駅(無人)の高架下はテント可とのことで、今夜の野営地(→)に決めた。予報通り夕方から降雨になるが朝方には止んだ。



 第13日目 3月11日(天気 快晴):赤野駅から蒲浦休憩所、30番寺往復
                  (距離32Km)行動9時間。 
 国道55号線に並行した自転車専用道路を今日も進む。車の騒音に悩まされることもなく快適なコースだ。出発して2ピッチで<道の駅やす>に着き、朝食に混ぜご飯を注文。4日前から持参の食料は、米だけになり途中行動食を補給しながら進む。その分荷物か軽くなり助かる。
 しかし、今日は特に強風が吹き荒れ28番寺(←)を過ぎて物部川付近の吹きさらしは厳しく、顔が痛くなりパンダナで覆面をして進んだ。巡礼笠に覆面の忍者姿は見れたものではないが田園地帯をなんとか通過。
 高知市内に野営地を見つけるのは難しいので30番寺の2km手前の蒲浦休憩所(→)にテントを張り30番寺を往復した。
この休憩所の軒下は珍しく広いく国道からも離れているので快適な泊地。 



 第14日目 3月12日(天気 快晴):蒲浦休憩所から33番寺先1km
                  (距離25Km)行動6時間50分。 
 今日から高知市内の巡拝になるので、今回の旅もゴールが見えた感じがする。いつもの通り未明に出発したが市内は交差点が多く31番寺への南下に迷う。
 いつの間にか半月になった残月だけで人影もなく道を聞くことも出来ず「先ずはJR線を越えよう」と適当に進む。
JR土佐一句駅付近で遍路道を見つけて以降は迷わず歩けた。幸い初回の記憶ルートが蘇り懐かしさを感じつつ31番寺32番寺を通過。
 種埼の渡船場(→)から1時間毎に通船があり、10時10分発に間にあうよう急いだので、朝のスケジュールより1便早く乗れた。
 時間が早いが33番寺先の新川川に掛かる高速道高架下にテントを張る(→)。初回の記憶では、近くの神社脇に疲労困憊で設営したので、今回はユトリを感じる。
  夕食の用意をしていたら散歩のオバサンが通り「こんな所で・・寒いでしょう」と案じてくれた。言葉の端に遍路者への労わりが伝わり遍路の歴史を感じた。と云うのも、環境省が策定した全国ネットの自然歩道を歩いてもこのような雰囲気は味わえない。



 第15日目 3月13日(天気 快晴):33番寺先1kmから宇佐大橋公園
                   (距離32Km)行動8時間50分。 
 今夜で寒いテント泊も終りかと思うと元気が出て来る。地図を眺めていると、トレイルの状況を思い出して距離が短く感じられる。県道39号線を一路宇佐町へ向かう。
 初回通り宇佐町にデポして空身で36番寺を往復する。途中3日前にあった同年輩の通し遍路者と再会「結願までの全民宿を予約済」とのこと。八十八寺を世界遺産に申請中とか、色々な人がいて旅の文化を提供してくれる。
 予定していた宇佐公園は<くろしおセンター>の施設に変身して利用出来ないので、「空海が渡った」と云う宇佐大橋脇の渡場跡のモニュメントがある小公園にテント設営(→)




 第16日目 3月14日(天気 晴):宇佐大橋公園から安和駅・・高知駅経由帰京
                  (距離25Km)行動7時間20分。 
 深い入り江の浦ノ内湾沿いに県道23号線を進む。5時間ほどでやっと湾から離れ峠を越えると須崎港の海が見え「いよいよゴール!」と連日行動に感謝の気持ちが湧く。登山と同じで<歩けるのではなく歩かせてもらった>気がした。
 次回を考慮して、須崎駅に荷物を置き1ピッチ先の安和駅(→)まで空身で進む。昼間は電車の本数が少なく9時37分の次は13時33分安和発で「さすがは田舎!」と納得する。電車で須崎駅へ戻り同じ電車で高知駅へ出た。

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  §2 あとがきと(教訓と所感) 
◇ 定年の年に巡拝をして6年が過ぎた。いわえる「定年1年生」が6年生になり来年は中学生になる訳だが、実際の小学生6年間では心身共に著しい成長差があるが還暦まで来ると劣化こそあれ、成長はおぼつかない。しかも、今後の6年は予想以上の劣化が待っているかも知れないが、それを変化と捉えて、時間を加えた4次元の世界をつつがなく渡りたい。そんな気持ちで巡拝した。

◇ 初回の経験が2巡目にユトリを与え、初回では味わえない巡拝が出来た。今後も巡拝に限らず体験を次に生かす旅にしたい。それが加齢の良さでメリットになると思う。

◇ 昨年の山岳トレイル(南・北アルプス)縦走とは違った長距離トレイルのトレーニングの一環として、今回14泊の徒歩行を持ったが、荷物が12kg程度であれば問題ないことが判った。

◇ 荷物の軽量化は大きなテーマで、初回の出発時18kgが今回は13kgで改善された。今後は食料の現地調達で更に軽くしたい(調達出来ないトレイルは対象外になるだろう)。

◇ 遍路は「同行二人」と云うが、「同行」はお大師さんとではなく「自分の心と身体ではないか」と歩きながら考えた。心身は表裏一体で互いの労わりが肝心だが、ともすると、気持ちが優先して身体を苦しめ、その反対も起こる。ならば、片方が朽ちるまで仲良く共生したいものだ。

◇ 行動時間を7時間前後・距離約25kmで計画(早朝5時出発で昼には目的地に到着)した。民宿泊まりでは早くても7時発だから一般より早い行動で空いているのと、途中休む時間も短く、昼食の大休憩もないので結果的には距離が進む。且つ、テント地で翌日に残さない疲労を取る時間が増える利点がある。従ってテント泊は、単に泊まるだけの「野宿」とは捉えず、範囲を広げ生活の空間とし「野営地」と言葉にも拘りたい。

◇ 評判通り遍路人気は高まる一方のようで、歩き遍路が増える以上にマイカーやバス団体で訪れるので寺付近はお祭りのようだった。来月からはシーズンになるのでお大師さんも願いを聞くのに大変だろう。でも、<千の風に乗って>の歌の文句ではないが「私はお寺にはおりません・・私は風になって遍路道を歩いています」そんな気がして、道中に観音経を呟いて歩いた。

◇ 食料について
・夕食は、無洗米(150g)水(300cc)柔目に炊きチタン製コッフェルの焦防止効果有
・オガズは、現地調達(ナット、お多福マメ等)
・朝食は、食パンまたはクッキー類とお湯
・行動食は、現地調達(パック米飯、パン類等)
・昼食は毎回取らず(α米+半ラーメン)

◇ 装備について
・防寒シート(4層コーテイング)は5度C以下で効果有(通常温では汗でムレ濡れる)
・帰宅時の装備重量=9、5kg(目標は8kg程度)
・ガス使用量
 中古(ガス量80g)4日間使用後
 新品(ガス量230-60=170g)11日間使用

・雨天時に巡礼笠を被って雨傘を使用したがどちらかにしたい
・ 初めてデジカメを使用し便利さが判った
・4日間使用時計の電池が切れ途中で入れ替た

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  §3資 料 編 ・・次頁へ・・
    1 ポイントとタイム
    2 費 用
    3 資料・地図類

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