お勤めを終えてさざなみ寮に帰ってきた愛は真一郎たちの話を聞いていた。
「へー、そんなことがあったんですかー」
「あったんですよ」
真一郎は相槌を打つ。「……俺はこいつに『カラドボルグ』を渡していいのか迷ってますよ……」
「大丈夫ですよ。唯子ちゃんならちゃんと使いこなせるはずですから」
「はぁ」
真一郎は力無く相づちを打つ。
「それにもう準備は整っちゃってますし、もう引き返せませんよ」
「……引き返せませんか……」
「はいー。だから信じて前に進みましょうね」
「そうですね」
「ねー、ねー、真一郎。ご飯まだかなぁ?」
「……お前ってやつは……。それしかないのか、それしか!」
真一郎はいつものように素早くつっこむ。
「やっぱり仲がいいですねー」
愛はにこにことそんな二人を見ていた。
丁度そんなときに、耕介は食堂からリビングに入ってくると、
「愛さん、真一郎君。ご飯の準備できたけど、おなか空いてる?」
と、声をかけた。
「う~、槙原さん、唯子の分はー?」
「もちろんあるよ。小鳥ちゃんといづみちゃんもいるよね?」
「ありがとうございます」
「あ、はい」
「だったら食堂に来てね。用意はできてるから」
耕介はそれだけ言うと厨房に戻る。
「ご飯、ご飯♪」
「唯子、待て。また私のお稲荷さんを強奪する気だなっ!!」
唯子といづみは先を争って食堂に入っていく。
「二人ともはしたないよ」
「まあまあ、小鳥ちゃん。元気が良くていいじゃないですか」
「あいつらの場合は何か違うと思いますけど……」
真一郎は食堂に入り二人を指さす。「ほらね」
彼の指の延長線上には朝よりも激しい箸を用いた鬩ぎ合いが展開されていた。
「あら、相川君」
食堂の前を通りかかった瞳が真一郎に声をかける。
風呂上がりらしく既に寝間着姿であった。
「あ、千堂さん。こんばんは」
「こんばんは。この頃見なかったけどどうしてたの?」
「ちょっと『試練場』まで稼ぎに行ってました」
「そう。それは大変だったわね。……それで二人とも物凄い形相で食べてるのね」
瞳は唯子といづみに目を移す。
「……面目ないです」
「まあ、前衛はこれっくらい元気じゃないと駄目よ。私のパーティーの神咲さんと岡本さんはもっと凄かったわよ。……旅先で」
最後の言葉はかなり小さな声だったが、耳のいい真一郎にはハッキリと聞こえた。だが、彼はあえて流すことにした。つっこんだところで何も利がないのが分かっていたから。
「ところで千堂さんはどこまで行ってらしたんです?」
「私? 山一つ向こうの町までちょっと湯治に行ってきたのよ。……ついでに邪龍退治もしたけど」
「……はぁ」
真一郎は力のない相づちを打つ。
普通邪龍退治がメインで湯治がついでのはずなのだが、彼女たちのパーティーにはいわゆる常識が通じないのを真一郎はまざまざと見せつけられた気がした。
「相川君の食事を邪魔してるみたいだし、私は部屋に帰りますね。何か用事があったら呼んで下さい」
「はい。それでは千堂さんおやすみなさい」
「おやすみなさい、相川君」
瞳は真一郎に対し至福の笑みを浮かべ、階段を上っていった。
そのころ箸での攻防を繰り広げていたいづみと唯子の注意は真一郎と瞳の方に向いていた。
「……いづみちゃん、やっぱり瞳さん……」
真一郎に聞こえないように唯子は小声でいづみに声をかける。
「……ああ、間違えなく相川に気があるな……」
いづみは油断無くお稲荷さんを確保しながらそれに応える。
「……え? 槙原さんの方じゃなかったの……」
小鳥は驚きの声を上げながらも箸を休めなかった。
「……私ですかー?……」
何故か愛もつられて小声で話す。
「……いえ、愛さんじゃなくてですね、耕介さんの方ですよ……」
「……へー、瞳ちゃんって耕介さんのこと……」
「……昔、耕介さんの恋人だったって聞いたよー……」
「……今もそれを引きずってるって聞いてたけど、あの調子だと違うな……」
「……初耳ですー。今度耕介さんに聞いてみますねー……」
「……いや、それはまずいと思いますが……」
「なぁ~に、俺に隠れてこそこそと話してるんだよ」
「「「うわぁーっ!」」」
いきなり後ろから真一郎に声をかけられ、愛を抜いた三人は椅子から跳び上がった。
「はいー。えっとですねぇ……」
愛が正直に話し出そうとしたところ、
「あ、愛さん。これ美味しいですよ」
「槙原さん、明日は何時集合でしたっけ?」
「これ美味しーよ。真一郎もどう?」
と、三人は話題を強引に転換しようとした。
あからさまな話題転換に、
「……まあ、いいけどな」
と、溜息まじりで真一郎は呟いた。
真一郎が食事に箸をつけ始めた頃にはテーブル上の料理は大抵のものが姿を消していた。
「おい」
「ひゃに~? ひんひひほー」
「たかだか三分かそこらで何で食事の大半が消えてるんだ?」
「はっへへー、ひふひひゃん」
「そうだぞ、相川。お前が遅いからだ」
脇のどんぶりから数えるに多分四杯目のきつねうどんを食べながらいづみは答える。
「……そのうち太るぞ、おまえら……」
「問題ない。その分修行している」
「そーそー、こんなに食べるのは『試練場』帰りの日だけだよねー、小鳥」
「え? え?」
いきなり振られた小鳥は手にしたほうれん草のお浸しの小皿を取り落としそうになる。
「ほ~ら、小鳥もそう言ってるよ」
「……どこが……」
そこに追加の料理をもってきた耕介が、
「ところで愛さん。今年の72耐はどうでした?」
と、唐突に尋ねてきた。
「はいー、今年は私の年や小鳥ちゃんの年みたいなハプニングもなくつつがなく終わりましたよー。例年通り三割程度の行方不明者ですんでますし」
「それは良かったですね」
にこやかに相づちを打つ耕介を見て真一郎は何だか間違ったものを見ている気がした。
「はいー。良かったですー」
「……えっと、三割の方は後で見つかるんですか?」
この間からなんとなく気になっていたことをサンマの押し寿司を食べながら真一郎は恐る恐る愛に聞いてみる。
「はいー、見つけに行くんですよ。あれ、相川君はこの時期寺院から依頼受けたことないんですか?」
「え? 何の……」
「ああ、ないんですね。えっとですね、行方不明者を見つけるために寺院で腕のいい冒険者の方を雇って山狩りしてもらうんですよ」
「や、山狩りですか……」
「はい。それっくらい大規模にやらないと見つからないんですよねー。一応私たちが探して見つからない人たちの救助ですし」
「は、はぁ……」
「俺も何回かその依頼を受けた縁で前に72耐の指導員のバイトをやったことがあるんだよ。真一郎君もやってみたらどうだい? ものは経験って言うし」
「か、考えておきます」
真一郎はその時、何が何でも一生72耐には関わるまいと決心した。
食後もしばらく歓談が続いた。
「あ、もうこんな時間ですか」
柔らかい笑顔を浮かべて愛は、「申し訳ないですけど、今日は疲れてますので失礼しますね」
「はい。おやすみなさい、槙原さん」
「はい、真一郎君も早く寝なくちゃ駄目ですよー」
「あ、愛さんおやすみなさーい」
「はい、唯子ちゃん。おやすみなさい」
そこで愛はふと立ち止まり、「ああ、唯子ちゃん。明日は正装して寺院に来て下さいね。小鳥ちゃんも儀式用の法衣をもってきて下さいねー」
「「はーい」」
二人は元気良く答える。
そのまま愛は一階の自分の部屋へと戻っていった。
「とりあえず今日はどうするんだ?」
「う~んと、唯子はいづみちゃん家にお泊まりって事になってるよー」
「私は神殿に寝ずの番ってお父さんに言っておいたよ」
「……まあ、嘘じゃないけど……本当の話でもないよなぁ、それ……」
「相川はどうするんだ?」
「とりあえず大輔との約束あるしなー。『FOLX』行ってから自宅に帰るよ。まあ、明日は直接寺院の方に行くよ」
真一郎は立ち上がり、「ちゃんと寝ておけよ」と言い残して、さざなみ寮を出ていった。
「あにゃぁ~。なーんだ、今日は真一郎は帰っちゃうのかぁ……」
「夜道の一人歩き大丈夫かな、真くん」
「あれでも一応体術は得意な方だから問題ないだろ、相川は」
「密かにひどい言われようだねぇ、真一郎君は」
お茶の片づけのためにリビングに来た耕介は苦笑する。「明日は真一郎君の朝食はなし、と」
「その分唯子に欲しいな~」
「ちゃんと備品代を払ってくれたらね」
「あうー。……努力します……」
「冗談だよ、冗談」
耕介は笑いながら、「君たちが踏み倒す分けないって分かってるから気長に払ってくれればいいよ」と、言って厨房へと戻っていく。
「……ここの人たちはいい人揃いだな」
「そうだね」
小鳥は相づちを打つ。「なんとなく居心地いいからね」
「ご飯もおいしーし♪」
「同感だ。それに色々な手数料も良心的だ」
「だから早く備品代を返さないとね」
「そのためにも明日の儀式は重要だな。……ところで、本当にいいのか、唯子」
「……正直言うとまだ分からない。でも、これ以上足手まといになりたくないし、もし本当に唯子にしか『資格』がないんなら……後悔はしないと思う」
「そうか。ならいいんだ」
いづみはソファーから立ち上がり、部屋から立ち去る。
「……唯子」
「大丈夫だよ、小鳥。確かに今までみたいに自由な立場じゃなくなるかも知れないけど、間違えなく自分で選んだ道だから……」
翌日、耕介に頼んで依頼の10品を馬車に乗せ、唯子たちは車上の人となった。
「うう~、緊張するなー」
「大丈夫だよ、唯子なら」
小鳥は唯子を励ます。二人とも正装は荷物にして寺院で着替える予定である。
「愛さん、私と相川も儀式を見ていいんですか?」
「多分無理だと思います。ごめんなさいね」
「いえ、最初からなんとなくそうじゃないかな、と思ってましたから」
「今回の儀式は全寺院総出のものとなりますから、関係者以外は立入禁止になるはずです」 すまなさそうに愛はいづみに言う。「『天地十柱』の『御神託』がおりちゃいましたから……」
『天地十柱』、この世界の主神格の神々を指す言葉で、『天空の父神(てんくうのちちがみ)』を中心とする『天神五柱』に、『大地の母神(だいちのははがみ)』を中心とする『地祇五柱』の総称である。
「じゃあ、愛さんにも!?」
「はい。『日輪の女帝(にちりんのじょてい)』様からの御神託がおりました。……多分、小鳥ちゃんも『大地の母神』様からの御神託がおりているはずです」
「……だとしたら今回の『神事』はやっぱり伝説の……」
「……はい。伝説に伝わるとおりだと思います」
「そうですか……」
いづみは一つ大きな息をついた。「……唯子は『神剣』に認められますでしょうか?」
「私の知っている唯子ちゃんなら、……多分残念ながら選ばれると思いますよ」
「……唯子も重いものを背負うことになるんですね」
「大丈夫。唯子ちゃんなら負けませんよ。だってこんなに仲間思いのパーティーにいるんですから」
愛はにっこりと笑う。「あ、噂をしたら。ほら、あの人影相川君じゃないですか?」
愛が指さした先には小柄な人影が馬車に向かって軽く手を挙げていた。耕介もそれに気づき、人影の前で馬車を一度止める。
「やあ、真一郎君。おはよう」
御者台の隣に座り、
「おはようございます、耕介さん」
と、真一郎は挨拶を返した。
「で、無事用事は終わったのかい?」
再び馬車を走らせながら耕介は真一郎に尋ねる。
「……ええ、まあ」
曖昧な笑みを浮かべ真一郎は口を濁した。
「……なんかあったのかい?」
「……別口でちょっと……」
「まあ、何事も程々にね。痛い目あってからじゃ遅いからねぇ」
真一郎は少し驚いた顔で耕介を見たが、耕介はなに喰わぬ顔で馬の様子を見ていた。
「しんいちろー、おはよー」
「真くん、おはよう」
「おーっす。娘たち、緊張してないかね」
「しまくってるよー」
「少しね」
「相川、愛さんによれば私たちは儀式に立ち入れないそうだ」
「まあ、そんなとこだろうとは思っていたからいいけどさ……。唯子、粗相するなよ」
「うー、やっぱりしんいちろー、唯子のこと信じてないね」
「当然。事この様な儀式で何かしでかしてくれそうだからなぁ、唯子は」
「そんなことないですよ。唯子ちゃんなら大丈夫ですって」
「槙原さん、そうやってこいつを甘やかさないで下さい。唯子は少しきつめの対応で十分ですよ」
「はいはい、みんな。寺院に着いたよ。真一郎君といづみちゃんは俺と一緒に荷物運び。他の3人は寺院の中に入っていてね」
「「「「「は~い」」」」」
唯子は寺院に着くなり、他の二人とは別の部屋に案内された。
「鷹城様。ここで身の穢れを清めて下さい」
「あにゃ~。広い部屋だねー」
唯子は部屋の広さに感心する。「ところでどうやって身を清めるんですか?」
「奥にあります泉で身を清め、正装なさってから、あそこの祭壇で時間になるまでお祈り下さい」
「ありがとうございます」
「あなたに神のご加護がありますように」
案内をしてくれた女神官はそう言うと部屋から立ち去る。
「言われたとおりにしないとねー」
唯子はそう言う遠くの部屋に向かった。
「それじゃ次は小鳥ちゃんのところにこの『緑竜の鱗』を届けるよ」
「なるほど。何に使うかと思えば『天地十柱』の力を導く媒体にするのか……」
いづみはしきりに感心しながら神殿の廊下を歩く。「相川は知っていたのか?」
「……まあ、なんとなくね」
「真一郎君はまだ心配なのかい?」
「まあ、ちょっと。……正直言って唯子に重い『宿命』を負わせて良いものかどうかまだ悩んでいます」
「自分はもってるのに?」
「……ご存知でしたか」
「まあね。俺も長いことこの世界にいるから他の奴らよりは少しは見る目があるつもりさ。……まあ、それが何かまでは真雪さんほど知識がないから分からないけどね」
耕介は苦笑する。「その真雪さんも知らないみたいだけどさ」
「こういう事は人に知られてない方がやり易いものですし。……それに知らない方が幸せって事もありますよ」
「なるほど。それは言えてるねぇ」
耕介は豪快に笑いながらいづみの方を向く。「いづみちゃんは知ってるわけ?」
「まあ一応。……最初に知り合ったときに運良くというか悪くと言うか」
「悪くだろ、多分」
「ま、一人より二人、二人より四人で背負っていった方が楽だと思うよ、俺は。……まあ、真一郎君に考えがあるのなら仕方ないけどね。……ここが『大地の間』か」
真一郎は扉をノックする。
「はい」
「あ、小鳥。俺だけど、『緑竜の鱗』届けに来たんだけど、入っていいかな?」
「え、えっと、ちょっと待ってね」
三人が外で待っていると中から少しばたついた音が漏れてきた。
「……やっぱり小鳥はとろいな……」
「ふぅ、この調子だと愛さんも待たされるだろうねぇ」
男二人が好き勝手言ってると、
「……デリカシーがないな……」
と、いづみはボソッと呟く。
「入っていいよ」
「じゃ失礼するな」
真一郎が扉を開けると、儀礼用の煌びやかな法衣に身を包んだ小鳥がそこにいた。「……」
「えっと、真くん。そんなに似合ってないかな……」
「……その逆だ。何つうか、滅茶苦茶似合ってるよ」
「うん、野々村。似合ってるぞ」
「愛さんのは見たことあったけど、小鳥ちゃんのは初めてだね。小鳥ちゃんに似合っていて可愛いと思うよ、俺は」
三人の感想を聞いた小鳥は顔を真っ赤に染め、手をパタパタと振り全身で恥ずかしさと嬉しさが入り交じった感情を表現していた。
「……これで今日の儀式大丈夫なのか?」
「さあ。どうだろうな」
「まあ、儀式が始まるまで間があるし多分平静を取り戻すんじゃないのかな?」
三人はその恐ろしいまで可愛らしい反応を示す物体に好き勝手なことを言うとこれ以上悪化させないため、一言断ってから部屋を出た。その声が彼女に届いていたかは不明だが。
「……鷹城様。禊ぎは終わられたでしょうか?」
「うん。終わったよー」
「それではお召し物を」
女神官たちはそう言うと唯子の着替えを手伝う。
「はやー。何だかお姫様になった気分だね」
「どちらかと言えば『騎士』だと思いますわ」
「う~ん……。確かにお姫様は剣の鞘を帯びたりしないもんねー」
唯子はそう言いながら左腰の脇に見事な装飾の鞘を帯びる。「……ところで、これが対になる鞘?」
「はい。神代の頃から神殿に伝わっていたものです」
「気を取り直してつぎ行こうか」
「次は愛さんのところですね」
「この『紅蓮の紅玉』を届けるんだな」
『大地の間』の後、『月光の間』、『星辰の間』、『嵐の間』、『五金(いつがね)の間』とまわり、彼らは最後の『日輪の間』に辿り着いていた。
「何で儀式の順とは違うんでしょうね。『触媒』届ける順番って」
「多分『代行者』たちの『法力』の強い順で届けているんじゃないかな。『法力』が弱ければ『触媒』に『神の力』を宿すのに時間がかかるからね」
「なるほど。それで槙原さんが最後というわけですか」
「まあ、俺の推測だからどこまで本当かは知らないけどね」
耕介は扉をノックする。「愛さん、俺だけど今大丈夫?」
「はいー。どうぞ、開いてますよー」
中からすぐに返事が返ってくる。
一応いづみを先頭に立て、反応がないのを確認してから真一郎と耕介は部屋に入る。
「やっぱり愛さんは着慣れているねぇ」
耕介の感想通り、小鳥にあった初々しさからくる可愛らしさはなかったが、全身から発せられる神々しいまでの高貴なオーラはそれを上回る感銘を与えていた。
「あはは、照れちゃいますね」
「……ところで槙原さん。今日集まっている方々は『天地十柱』の意志をこの世界に伝える『代行者』級の方々なんですよね?」
「はいー。そうですよ」
「何であんなに……そのー、少し一般の方々とは違った感性の持ち主の方が多いのでしょうか?」
真一郎は今まで回った部屋で会ってきた高司祭たちが皆なんだかいちゃってるさんだったのが気になっていた。「『代行者』にもなるとあんな高みに誰しもが登っていっちゃうものなんでしょうか?」
「そんなことありませんってばー。現に小鳥ちゃんや私なんかは問題ないじゃないですか。人それぞれって事ですよ」
「はぁ」
愛の言葉に少々引っ掛かることもあったがあえて反論しなかった。「……では、あの方がたが特殊だと?」
「そうじゃないでしょうか。私も初めて合う方のほうが多いのでよく分かりませんけど……」
「初めて?」
「はいー。前にこういう集まりがあったときの『代行者』の人たちはみんな引退してしまったみたいですね。先代の方々は立派な方が多かったんですけど、どうしちゃったんでしょうね」
愛は不思議そうに首を傾げる。
「……愛さん、その時はこういう儀式の時だった?」
「いえ、ただの集まりです」
「なるほどね。……長居するのもあれだから、俺たちはとりあえず待合室ででも待ってるよ」
「そうですか。寂しいですね」
「ははは、儀式に立ち会えないんだから仕方ないよ。……それじゃ、真一郎君にいづみちゃん。行こうか」
二人は耕介に言われるままに部屋を出た。
「……何か分かったんですか?」
「いづみちゃんは勘が良いね。……真一郎君、君の疑問のことだけどあれは『素』じゃないからだね」
「と、いいますと?」
「何らかの方法で一時的に『トリップ』しているんじゃないかな。多分『法力』を上げるためにね」
「はぁ。あまり知り合いになりたくありませんねぇ」
「じゃあ、何で野々村と愛さんはいつも通りだったんだろう?」
「あの二人は元から『法力』が高いから『増幅』する必要がないんだろ、多分。後ろに行けば行くほどいっちゃってたのはそう言う理由か……」
「どう言うことだ、相川? 『法力』の少ない人間ほど『増幅』が必要なのではないのか?」
「だからさ。『法力』が今回の『儀式』に充分に足りている『代行者』は何も使っていない。逆に少し足りてない人間が何らかの方法で『法力』を『増幅』している。要するに『増幅』分『法力』が逆転しているのさ。……それにしてもよく分かりましたね、耕介さん」
「あの症状は見たことあったからねぇ。すぐにピンときたよ」
「……はぁ」
真一郎はなんとなく何で見たことあるんですか、と言う質問をする気には流石になれなかった。なんとなく藪蛇な気がしたから。
槙原耕介、21歳。少し怪しげな過去をもつ元冒険者。彼のことを良く理解している人間は非常に少ない。
唯子は祭壇に置かれた剣の前で跪くとそのまま頭を垂れ目を閉じ静かに瞑想する。
暫くしてから、彼女の後ろの扉がゆっくりと音をたてて開く気配がした。衣擦れの音とともに一人ずつしずしずと部屋に入ってきた。
大きな円を描くように唯子を中心として十人の『代行者』が囲む。
「汝、鷹城唯子よ」
『天空の父神』の紋が描かれた法衣を纏った初老の人物が口を開いた。「『神剣』に選ばれた証を我らに見せよ」
唯子は一つ大きく頷くと静かに立ち上がり、祭壇の『神剣』を腰の鞘に収める。
「いざ」
『嵐の皇(あらしのすめら)』の『代行者』が手にした宝剣を達人級の斬撃をもって唯子に斬りかかる。
唯子は神速の抜刀で『神剣』を鞘より引き抜くと返す刃で斬撃を防ぐ。
次に間髪入れずに『紫電の覇将(しでんのはしょう)』の『代行者』が巨大な戦斧で全てを打ち砕く一撃を振り下ろしてきた。
唯子は慌てることなく『神剣』でその重い一撃を受け流す。
それを見取った『炎の大王(ほむらのおおきみ)』の『代行者』は炎を象った穂先の槍で鋭い突きを放つ。
唯子は穂先の軌道を読むとあわせるように『神剣』を振るい、そのまま槍を叩き落とす。
「汝、見事に我らにその証を見せたり」
『日輪の女帝』の法衣を纏った愛が仰々しく宣言する。
「我、汝の行動に気高さを見たり」
『月光の貴顕(げっこうのきけん)』の『代行者』が褒め称える。
「我、汝の行動に冷静なる判断力を認める」
『綿津見の帝王(わたつみのていおう)』の『代行者』が承認する。
「我、汝に五金でなきものより型作られた剣に相応しきものと認める」
『五金の富翁(いつがねのふおう)』の『代行者』が声高に承認する。
「我、汝に神々の英知を持って生み出された剣に相応しきものと認める」
『星辰の聖賢(せいしんのせいけん)』の『代行者』がそれに続く。
「我、汝をこの世に生けとし生けるものの想いをもって鍛え上げられた剣の所持者として認める」
『大地の母神』の『神器』をかざして小鳥が宣言した。「汝を我ら『天地十柱』全ての『代理人』たる『代理騎士(クルセイダー)』に相応しきものと認める」
その祝詞とともに『天地十柱』の『代行者』たちが『神器』を天にかざす。
そして、それに応じるかのように唯子も『神剣』を天に掲げる。
次の瞬間、目映い光が『触媒』から発せられ、辺りの空間全てを震わせる凄まじい『力』が『代行者』が持つ全ての『神器』に宿る。
「「「「「「「「「「『悪しき意思』よ、『想いの結晶』たる『神剣』より下がれ!!」」」」」」」」」」
十人の『代行者』が叫ぶやいなや『神器』に宿った『力』が『神剣』に迸る。
『神剣』を高く掲げていた唯子にも『力』が僅かながら流れ込んでくる。唯子は流れ込んでくる『力』に何らかの『意思』を感じた。それも一つ二つなどではなく数多の『意思』がそこには介在していた。
その『意思』から直接伝わってくる数多の『想い』の奔流になす術もなく唯子の意識は翻弄された。『哀しみ』、『怒り』、『慟哭』、『不安』、『同情』、『願い』。様々な『想い』が唯子の中を走り去り、次々に新たな『想い』が駆け込んでくる。
初めのうちはその奇妙な感覚に嫌悪感を感じ心を遠ざけていた。しかし、とある『想い』が唯子をよぎったとき、彼女は微かに驚いた。
(驚くことはない)
(!?)
唐突に何者かが唯子の心に直接語りかけてきた。
(ここには全ての『想い』が集い、かなえられるその時を待つ場所。たとえかなってしまった『想い』であろうとかなわなかった『想い』であろうと、等価な価値を持つ場所。それがいついかなる時の『想い』であろうとな……)
(それじゃあ、今のは……)
(汝の想像通りのものだ。ここはあらゆる『想い』が集う場所。……たとえ本人が忘れてしまおうがな……)
(忘れてない、忘れてないよ! あの『想い』は唯子の……)
(存じておる。我は『想い』であり、『想い』は我であるゆえ)
(……どう言うこと?)
(今は分からずとも良い。……それよりも汝に頼みたき事がある)
その『意識』は唯子に一つのヴィジョンを見せた。
(な、なにこれ?)
唯子は一瞬何を見ているのか分からなかった。白い紙に墨をたらしたかの様にそれは常に浸食していた。そしてそれが浸食するたびになんとなくだが真一郎が呼び出す『虚無』がこの世のものを食らいつくすのと同じように今いる世界が無に帰すような感じがした。
(あれが『呪い』だ)
(『呪い』?)
(そうだ。我は『想い』の強さによってその有り様が変わっていく存在。いかなる『想い』であれ我が力となる。されど、『想い』がなければ我はその存在を否定されることとなる。あのものはそれに目をつけ我に『呪い』をかけたのよ。ある条件を満たしたものの『想い』を喰らい尽くすという『呪い』をな……)
(ある……条件?)
(我が所有者たるべき者の『想い』を喰らうことで所有者としての『資格』をなくすというものよ)
その『意思』は唯子の心の中で具現化する。(我は『カラドボルグ』。『天地十柱』の『想い』より生まれ、生けとし生ける者の『想い』より鍛えられし存在。汝、鷹城唯子よ。我は汝を我が所有者として認めよう)
そのころ真一郎といづみは待合室で気を紛らわすために他愛もない雑談していた。
耕介はといえば一人離れたところで腕を組み居眠りしているように見えた。しかし、その実彼は決して居眠りしてなどいなかった。むしろ瞑想していると言った方が良い。精神を研ぎ澄まし、彼が持つもう一つの視界で世界を見つめていた。
(……『神界』側の『渦旋の門(メイルシュトローム)』が開いたのか。……ついに始まったな……)
(ふぅん、そうなの?)
耕介の心にとある『意思』が割り込んできた。(やっと『神剣の騎士』が復活するワケね)
(それはどうだろう? その前にあの『呪い』に『想い』を食われる可能性もまた高い。今はまだ『神剣』に認められたにすぎないよ)
耕介は言葉を選びながら慎重に返事を返す。
(あら? それだけでも凄いと思うけど? ここ数百年ぐらい『資格者』すら出てなかったはずだし)
(俺たちと違って『神剣』の『資格者』は条件厳しいからなぁ)
(……私たちだって条件厳しいと思うけど?)
その『意思』は少し憮然とした『感情』を耕介に直接ぶつける。
(それでもここ数百年で何人も輩出しているからねぇ。そう考えるとあれほど厳しくないって事じゃないかな?)
(……その上『呪い』に打ち勝つだけの強さが必要……、か。確かに厳しいかもね)
(神々の後ろ盾があるとは言え、あの『呪い』を消す方法はただ一つ。あれ以上の強さを持つ『想い』と対消滅させるのみ。……『資格者』が出たからって浮かれている場合じゃないよ。失敗する可能性の方が高いんだからね)
(……まあ、確かにね。あの『呪い』だって元を正せば魔王の強い『想い』なのよね。それも死を間際にした断末魔だからたちが悪いわ。精神の器の差が『想い』の強さを左右するとすれば、人間の器じゃ魔王の器に到底かなうわけ無いものね)
(更に『神剣』自体を受け入れるだけの器がいる。……それじゃそうそう『資格者』が出ないよねぇ)
(逆に『呪い』のために『神剣』は人の『想い』を砕く『邪剣』となった……)
(そして分をわきまえない人間がそれを使おうとし、……『魔』に堕ちた。それが彼らが倒した『魔将(アーク・デーモン)』の正体……。……いずれは彼らにそれを話さなくてはいけないね……)
(……唯子ちゃんが『魔』に堕ちることは……)
(決してあり得ない。『資格者』は決して『魔』に堕ちることはない。ただその『想い』を砕かれ、廃人になるだけだ)
(……どちらにしろ楽しい話じゃないわね……。ちゃんと帰ってくると良いね)
(そうだな。……さて、と。少し手助けしてあげるとしますか)
(そうね)
二人はこの世界に流れ込んでくる神々の『意思』の流れる方へと進んでいった。
『カラドボルグ』に認められた次の瞬間、唯子は周りの雰囲気が変わったことに気がついた。それまでは唯子に無関心だった空間が、急に敵意や殺意といった意識であふれかえったのだ。
(え!?)
(……やはり監視されていたか……)
(どう言うこと?)
(詳しいことを説明している時間はない。生き延びたければ我を受け入れよ)
『カラドボルグ』は剣の形に具現化し直す。(我をとれ)
唯子は言われるままに『カラドボルグ』を握る。
(ここは唯子の心の中じゃなかったの?)
(そうでもあり、そうでもないと言える。即ち我は汝の『想い』でもあり、『想い』が即ち我でもあるがゆえにこの場所を定義することは非常に難しい。ただ言えることは、『呪い』を打ち破らぬ限り汝が元の世界に『意識』を戻すことはないということのみ)
(はやや。何だか大事だねー)
唯子はようやくいつものペースを取り戻しつつあった。(とにかく『これ』で襲いかかってくるモノを斬っちゃえば良いんだねー)
(……その通りだ)
少しばかり不本意そうな波動を『カラドボルグ』は発する。
(あれ? 唯子何か変なこと言ったかな~)
(少しな。……それよりも来るぞ。気をぬくな)
(ぶ~。唯子は気をぬいたりしてないよ~)
ふくれっ面のまま襲いかかる『悪意』を『カラドボルグ』で一刀両断する。(……何これ!?)
(かつて『呪い』に喰らわれた『想い』の残骸よ……。空になった『想い』を取り戻そうと強い『想い』に吸い寄せられるように襲いかかっては『呪い』と同じように『想い』を喰らいつくす。……平たく言えば『魔』に堕ちた『想い』だな)
(堕ちる? どう言うこと?)
(この世界には対立しあう『属性』が存在する。『神』と『魔』、『光』と『闇』だな。中でも『神』と『魔』は元々はこの世界のものではない。他の世界からこの世界に干渉してくるモノの総称だ)
(あ~、何か前にそんなことを真一郎が言ってた気がするね~)
(まあ、人間から見て有り難い干渉をするモノを『神』、嫌がらせをするモノを『魔』と言っているんだが……。当の輩たちにはお互い対立しあうモノを邪魔するために行っている節があるからこの世界のことを考えているのかと言えばやや疑問が残るな)
(あれ? 確か『カラドボルグ』って『神』様が作ったものじゃなかったっけ?)
(その通りだ。要するに私が『神』側が作った『魔』に対する最大の嫌がらせというわけだ。……まあ、『天地十柱』はこの世界の『守護神』でもあるから、どちらかと言えばこの世界のためにやったことなんだがな)
(何だか難しいねぇ)
(私がひねくれているだけかもしれぬがな。本題に戻ると、堕ちるとは即ち対立する『属性』を持たぬ者や逆の『属性』を持つ者が相対する『属性』に傾くことを言う。まあ、普通は『神』や『光』に傾く者はいないからもっぱら『魔』や『闇』に傾く者のことを指す言葉よの。……まあ、その様なことを知ったところで現状がどうにかなるわけではないがな。さしあたっての問題はこやつらをどうするかだな……)
(どうかするって……。斬る以外に方法があるの?)
(さて、どうだろうな。少なくとも斬れば『神』と『魔』の『反属性』のぶつかり合いにより力強き方が残るだろうよ。問題は私の力は『所有者』の『想い』に比例することなのだが……)
(う~ん。難しいことは後で考えるとして、今はとりあえずみんなまとめてドカーンとやっちゃおう)
(大雑把な意見だが……まぁ、それしかあるまいな。では、望まずして『魔』に堕ちた『想い』を解放するとしようか)
(ふーん、頑張ってるじゃない。唯子ちゃん)
(今のところは問題ないでだろうね。『想い』自体の強さは唯子ちゃんの方が強いし、『天地十柱』の後押しもある。……問題はこの後。『呪い』とどう対峙するかだね)
(もともと神とか魔王って高次元精神生命体みたいなものって知ってるのかしら?)
(ま、多分知らないでしょう、きっと。……さて、相手のホームグラウンドでどう戦うかな、唯子ちゃんは)
(これで最後!)
唯子はそう言うと『カラドボルグ』を一気に振り下ろす。
(お見事。残るは魔王の『想い』のみ)
(どこにいるの?)
(先程も言ったがここで場所の定義をするのは愚かしいこと。即ち『想い』が支配する世界なのだから自ずと強い『想い』がその場所を決める)
(なんとなく分かってきたよー。要するに唯子の『想い』が強ければ有利な場所で戦えるって事だね♪)
(その通りだ)
(じゃあ、それは『ここ』にいる。そういうことでしょ?)
唯子は『カラドボルグ』を両手で青眼に構える。
(さすがは『資格者』。飲み込みが早いな)
『カラドボルグ』が称賛すると同時に、辺りに『負』の『想い』が充満する。(来るぞ!)
(行くよー)
気合一閃、相手が現れると同時に唯子は『カラドボルグ』を唐竹に叩き付ける。(あにゃ~、あまり効いてないみたいだねぇ。手応えが全然ないよー)
(あの程度の『想い』では傷一つつけられまい。もっと思いの丈をぶつけるのだ)
(う~、普段と勝手が違うと辛いねー)
唯子はぼやきつつも相手の攻撃をかわしながら、『カラドボルグ』に『想い』をのせて斬りつけ続ける。さしもの猛攻に『呪い』は防戦一方となる。
(相手が動けないうちにありったけの『想い』をたたき込め。とにかく一撃でも多く相手の『想い』を削り取るのだ!)
(分かってるって。やっと使い方が分かってきたんだから)
唯子の言うとおり、徐々にだが一撃一撃の力が増してきていた。(唯子が真一郎を小鳥をいづみちゃんをみんなを守るんだ!!)
唯子の気迫が『カラドボルグ』に乗り移ったかのように技の威力が更に鋭さを増していった。
(これで、最後だー)
大上段に振りかぶりあらん限りの『想い』を込めて『カラドボルグ』を振り下ろす。
苦悶の波動を撒き散らしながら『呪い』はその力を徐々に弱めていく。
唯子はなおも『想い』を強め『呪い』にこれでもかとばかりに『カラドボルグ』を叩き付ける。
(自分の世界に帰れぇ~っ!)
(……私たちの手助けいらないみたいだけど?)
少女は耕介に向かって肩を竦めてみせる。
(はたしてそれはどうかな、とだけ言っておきましょう)
(……何よ、その持って回った言い回し。凄いイヤな感じねぇー)
(これから起こることに比べれば全然大したことないと思うけどね。……さて、底力の見せ所だよ、唯子ちゃん)
(!?)
唯子が気付いたときには既に遅かった。(うそ! 『カラドボルグ』が動かない?)
(しまった! やつめ、この機会を狙っておったのか! 主よ、ありったけの『想い』を私にのせるのだ! ここで我らが喰われれば、全てが水泡に帰す!!)
唯子も『カラドボルグ』に言われる前から『呪い』に掴まれた刀身の自由を得るために『想い』による零距離攻撃を図っていた。しかし、その全てを『呪い』に吸い取られている感じがした。
(放してってばー!)
唯子は今までの中でも一番強い『想い』を『カラドボルグ』にのせ『呪い』に叩き付ける。その『想い』は『カラドボルグ』により増加され『呪い』全てを打ち砕くかのように感じられた。(うそ……。……全然……効いてない……?)
しかし、それはいとも容易に破られたばかりでなく、『カラドボルグ』に絡んでいる『呪い』すら振りほどくには至らなかった。
(……唯子、勝てないのかな……)
(騙されるな、主よ! それは擬態、実際はかなり効いておる!!)
『カラドボルグ』の必死の説得を嘲笑うがごとく、
(無駄ダ。人ゴトキガ余ヲ滅ボスナド不可能……)
と、唯子に直に語りかけてくるモノがいた。
(……無駄……)
(ソウダ。無知無能ニシテ貧弱ナル人間ガ余ニ逆ラウコト自体ガ無駄ナノダ)
(……無知無能……)
(耳を貸すな、主! それこそヤツの思う壺ぞ!!)
(諦メヨ。人ガ我ラニカナウハズガナイノダ。サア、滅ビノ道ニ進ムガヨイ、人間)
(……滅びの道……)
(いかん! 絶望に耳を貸すな!それは主の存在を消すに足ることなのだぞ!!)
『カラドボルグ』の叫びも虚しく、唯子は徐々に『虚無』に堕ちつつあった。
(……最初から分かっていたわけ? あいつに奥の手があるのを……)
(当然。奴らはそう言う存在だからね。ああやって、人の『想い』を喰らわなければ生きては行けない『寄生虫』さ。何せそういう風に創られたんだからねぇ)
(で、どうするわけ?)
(ここで君の出番というわけだ。彼女に関わりあるものにだね……)
耕介は少女に自分の考えている策を語った。
(……よくもまあ、そんなこと思いつくわよね~)
(別に大したことじゃないよ。前に使ったことある手だし)
(……何に使ったのよ、一体?)
(それは秘密というわけで……。さて、俺も俺にしかできないことで手助けするんで後は宜しく。本当は俺は手助けしちゃ行けない立場なんだが……。まあ、『勝負あり』になった時点ならば問題ないでしょう)
耕介は少女に聞こえる程度の声でそう呟くとその場から姿を消した。
(……。人にだけ厄介ごとを押しつけたわね……。まあ、いいわ。私も真一郎が悲しい顔をするのは見たくないしね)
「!?」
真一郎は突然跳び上がるように立ち上がった。
「どうかいたしましたか、真い……相川?」
すぐ側に寝ているとはいえ、耕介がいるのに気付きいづみは慌てて呼び換える。
「……今、唯子がこの世からいなくなりそうな……そんな気がした」
「まさか。あいつはあれで強いからそんなこと……」
「それはどうだろう? もし、俺の知ってることに間違えがないとすれば、今あいつがいそうな場所はそんな常識が通じるところじゃないはずだ。……何が起こってもおかしくはない……」
「……そんな……。では、私たちはどうすれば」
「……ただ祈るだけさ。無事に帰ってくるようにってな」
真一郎はいつにも増して真剣な顔で祭壇の間へ通じる扉を睨むように見つめていた。
(唯子?)
小鳥は一瞬冥い何かに捕らわれている唯子が見えた。(……『啓示(ディビネージョン)』? だとすれば今唯子が……!?)
その光景が今実際に起こっているものだと小鳥は瞬時に悟る。小鳥が『大地の母神』を身近に感じるようになってから今のような断片的な風景を垣間見ることがたまに起こるようになっていた。他の神官から聞いた話によればそれは神からの『啓示』であり、起こりうる未来であったり、過去に起こったこと、そして現在に起こりつつある事柄で自分に身近なことを指し示したものだという。事実、今まで見てきた『啓示』は小鳥が道を定めたり、厄を避けるのに間違えなく役立ってきた。それでますます神への信仰が篤くなってきたのである。
(でも今回のは少し意味が違う……)
今までの『啓示』は自分の選択で何とかなるものだったが今回のものはどうにもならなかった。(……違う。わたしの役目は『大地の母神』様の力を唯子に届けること。あとは、ただ信じて待つだけ……)
「そこ、振りが甘いわ。そんなのじゃすぐに敵の攻撃を受けるわよっ!」
「すみません」
「素振り50回最初からやり直し。その後外で走り込みなさいっ!」
「はいっ!」
瞳の言葉に一言も返さずに門下生は黙々と素振りを開始する。
「千堂さん、少し厳しすぎませんか?」
「井上さん。あなたも実戦時間長いから分かっているでしょうけど、あの程度の腕ならばいつどこで屍を晒すかもしれないんですよ。私は自分の知り合いが一人でも多く生き残らせるためならば、鬼にだってなれます。それはあなたも鷹城さんも同じはずです」
「……すみません。私の見識不足でした」
「分かればいいんです。……井上さん、鷹城さんがあまり道場に顔を出してなかったということはあまり自分の訓練に時間を割けなかったでしょう?」
「あ、はい。指導できる人間の方が少なかったですから」
「あなたの腕を知るちょうどいい機会ですし、今から私と試合形式でやりませんか?」
「え、いいんですか?」
「構いませんよ」
「それでは不肖井上、胸を貸していただきますっ!!」
ななかはそう言うと木剣を左斜めの青眼に構える。
それに応じるように瞳は自然体のまま木剣を右手だけで持つ。
道場中の視線が突然始まった試合に注がれる。
「ハァッ!!」
気合の雄叫びとともに鋭い突きをななかは放った。
だが、それは瞳に届く前に止められた。別に、瞳が止めたわけでも妨害者が割って入ったわけでもない。突如として間合い直前でななかが自分の意志で止めたのだ。
「……唯子さん?」
「井上さん。あなたも感じたのですか?」
「え、千堂さんもですか?」
「はい。確かに鷹城さんの声が聞こえた気がしました」
「何か非常にイヤな予感がします。……私のイヤな予感って何故か当たるんですよね……」
「確か、今鷹城さんは寺院で呪われた剣の解呪の儀式中でしたね」
「行ってみますか?」
「……やめておきましょう。行ったところで私たちは何もできませんし、あそこには相川君たちがいるでしょうから大丈夫でしょう」
「ですが……」
「今の私たちに出来ることはただ祈ることのみです。鷹城さんを信じて待ちましょう、井上さん」
瞳はそう言うとにっこりと笑った。
──カラン
大輔は空になったコップの中の氷をならす。
「そんなところで諦めるものかねぇ、普通。まだ『望み』を一つたりともかなえてすらいないんだぜ。諦めるには早すぎるだろうが、鷹城。お楽しみはまだこれからだろ……。なぁ、相川」
口の端を薄く曲げるように大輔は笑うと、寺院でやきもきしているだろう彼の親友に語りかけていた。
(こんなものかしらね)
少女は集めてきた『想い』を確認する。(後はこれを『あれ』に送るだけっと)
(……滅びの道……)
(貧弱ナル人ノ子ヨ。虚無ニ堕チルガイイ)
唯子は虚ろな瞳で『呪い』の言うことを鸚鵡返しに返していた。
自分の力がまったく効かなかったこと、『呪い』が言うように『魔王』に人間が勝てないこと、そして人間が無力な存在であること。全てが絶望的な気がした。
(……負けないで、唯子……)
突然、彼女の心に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
(……誰……?)
(負けるな、唯子)
(唯子さん、頑張ってください)
(唯子ちゃん、自信を持ってください)
(鷹城、こんなところで倒れていいのか?)
(鷹城さん、そんなところで負けるのでしたら相川君、いえ、真一郎はもらっていきますよ)
(唯子ちゃん、今日の晩ご飯はご馳走だよ)
『カラドボルグ』を通し、彼女を応援する『想い』が次々と直接伝わってくる。
そして、最後に、
(唯子、自分を信じろ)
と、真一郎の声が彼女の中に響いた。
(主よっ!!)
(唯子は、まだ負けられないっ!!)
それまで虚ろだった唯子の目に生気が戻り、呪いを凛と睨みあげる。
(何ダト?)
唯子は相手の一瞬の隙をつき、右手一本でいとも容易に『カラドボルグ』にまとわりついていた『呪い』を斬り上げることで切り離した。(バカナ。コノ様ナコトガアルハズガナイ)
(まだまだぁーっ!!)
唯子はそのまま『カラドボルグ』を両手で構え直しつつ横薙ぎ、袈裟切り、切り上げ、逆袈裟と畳み掛ける。唯子の神速の斬撃は狙いを違えずに『呪い』をいとも容易に切り裂いていった。
(クッ……、『虚無ノ狭間』ニ『精神』ガ落チカケテイタ人間ニコレホドノ力ガアルワケガ……)
(無いというのか? 耄碌したな、『マイルフィック』よ。この世に生けとし生けるものの『想い』の結晶である我を最も使いこなせるのが『資格者』よ。その特性さえ知っておればいくらでも他人の『想い』に触れることができる。……人間とはな、他人のためならばいくらでも立ち上がれる生き物よ、それを忘れたぬしが愚かだったな)
(グヌゥゥゥ……)
(……だが今回はどうやら主の意思ではなく他者の介入によりその力を使っていたようだがな……)
『カラドボルグ』は誰にもその思念波が届かないよう己の中で独りごちる。
(クク、シカシソノ程度デ勝テルト思ウノハ間違イヨ。儂ノ力ヲトクト味ワウガ良イワッ!!)
(まだあんなに力が残ってるのー)
『魔王』の存在が強まったのを見て唯子は呆れ気味にぼやく。
(主よ、諦めるな。ヤツの力とて無限ではない。諦めなければ『想い』は応えてくれる)
(大丈夫だよ。唯子はもう絶対諦めたりはしないから)
唯子は『カラドボルグ』の柄を指が白くなるほど強く持つ。(絶対にっ!!)
(クハハハ、無駄ダ。全テハ無駄ト知レ、人間。アノ御方ヨリイタダイタ『虚無』ノ力デ喰ライツクシテクレヨウゾ。開クガ良イ、『虚無ノ門』)
『魔王』の叫ぶような思念波とともに再びその力が増していった。
(馬鹿なっ! 我が領域内でさらに力を増すだと!?)
(だとしてもやることは一つでしょ?)
(……そうだな。我としたことが少し動転していたらしい。行くぞ、主よ!)
(当然だよー。唯子はさっさとこいつをやっつけてみんなと一緒にご馳走食べるんだからね)
(戯言ヲ申スナッ!!)
『魔王』の攻撃を容易に『カラドボルグ』で受け止めると、そのまま受け流す。そのまま流れるような太刀さばきで、唐竹を決める。(グヲォォォッ!!)
(効いてはいるんだよねー)
唯子は苦笑しながらさらに左切り上げ、右薙ぎ、逆袈裟と素早く連携を決める。(だったら斬り続けるのみ)
(無駄ダトイウノガ……)
『魔王』は再び『虚無』の力を己に取り込もうとする。(ナ、何? 何故『虚無ノ門』ガ開かヌノダッ!?)
(ムッ!? ……『虚無』の力がヤツめに流れ込んでいない? どういうことだか分からぬが……主よ、今がチャンスだ。ありったけの『想い』を我にのせよ)
(よぉ~し、これで決めるっ!!)
唯子は『カラドボルグ』を大上段に構え、ありったけの『想い』を『カラドボルグ』にのせる。(自分の世界に帰れェ~ッ!!)
(余ガ、余ガ負ケルナドソノ様ナコトガアッテ良イハズガ……。グゥヲォォォオオオッッッ!!!) 『魔王』の断末魔が響き渡るとともに辺りから『呪い』の波動が消え去っていった。
(勝ったのかな?)
(見事だ、我が主よ。今こそ汝を我が正当なる主として認め、我が力を全て汝に委ねよう)
『カラドボルグ』の朗々とした宣言とともに唯子の意識が徐々に薄れかかってきた。
(…あ…にゃ……?)
(……時間のようだな。再び会うときまで、『想い』を大事にな、主よ……)
その言葉とともに唯子の中を駆けめぐっていたありとあらゆる『想い』が立ち去っていった。それとともに唯子の意識は微睡みにおちていった。
(ク、……マダダ。マダ滅ビルワケニハイカヌ。アノ御方ニイタダイタ力サエアレバ……)
(あればどうだって?)
(何ダト?)
『魔王』が振り返るとそこには漆黒の鎧を身に纏い、身の丈ほどある槍を片手で軽々と構えている堂々たる大男が立っていた。(キ、貴様ハ……)
(お初にお目にかかる。風芽丘の『試練場』の現『門番(ゲートキーパー)』をやってるものだ。と言っても、次に会う機会はないんだけどな)
男はまるで隣人に世間話をする気軽さで『魔王』に話しかける。(それじゃお名残惜しいがさようなら)
無造作に構えていた槍を手首の撓りだけで一回転させ、腰だめに構えると全身のばねを使った鋭い突きで『魔王』を穿った。『魔王』は避けることはおろか防ぐこともできずにその一撃を真正面から受けることとなった。そして、そのただの一撃で『魔王』はいとも容易にその存在を消された。
(……やけに呆気ないな。冗談で言ったつもりだったんだが、本当に勝負ありまで持ち込んでいたとは、なかなかに今度の『神剣の騎士』は面白いね。さてはてどこまで強くなるのかを見極めないとな。まあ、あの『剣』の性質上俺の敵対者になるとは考えられないが、世の中絶対って言葉はないからな。用心することにこしたことはない、か……)
(……いつまで隠れているつもりだ?)
唯子が去った後、『カラドボルグ』は何者かに語りかける。
(やっぱり気付いてたのね)
(我に介入できるものなどそうはおるまい。違うか、当代の『世界』よ?)
(何だかねぇ。そこまでばれてると逆に清々しいくらいね)
苦笑しながら『世界』と呼ばれた少女は姿を現す。
(はて? 『門番』殿がいないようだが?)
(やることがあるって言ってさっさとどっかに行ったわよ)
(ふむ、やはりあの時『虚無の門』が開かなかったのは彼の介入のお陰か)
(あら、意外だったわけ?)
(……そうだな。彼が潜在的な敵になる可能性が高いものの助力をするはずがないと思っていた)
(まあ、それだけあなたたちの陣営が追い込まれてると思われたのね。……少なくとも私も彼もこの世が無くなることを望んでいないわ。『均衡の守護者』としてね)
(見くびられたものだ。『日輪の女帝』や『大地の母神』の二柱の神にはちゃんと『代行者』が存在しておる。『紫電の覇将』も『代理人』を送り込んでいる。それを不利とは言うまい)
(確かにあの三人の能力は大したものだわ。でも既に『魔皇剣』は復活している。……これが何を意味するかはあなたの方が知ってるはずだわ)
(……ふむ。確かに魔界の覇権の象徴たる『魔皇剣』が復活しているのであらば話は別だな。しかし、それに対応するものも既に……)
(どこに『魔』の耳目が存在するか分からないんだから滅多なことは口にするべきではないわね)
(……確かにな。……一つ聞いておきたい。『世界』は滅びを望んでいるのか?)
(私は『世界』の意思を代行するもの。そして、少なくとも『世界』は滅びを望んでいないわ)
(了解した。ならば我は使命を果たすとしよう)
唯子が意識を取り戻したとき、目映い光を発していた神器は元通りに戻り、凄まじい力の奔流もなくなっていた。ふと、『真剣』に目をやってみるとそれまでは発していなかった清浄な光を刀身に湛えていた。それを目にした唯子は高く掲げていた『神剣』をおし抱くように両手で捧げ持ち片膝をつく。
それにあわせるように、
「「「「「「「「「「汝、鷹城唯子よ」」」」」」」」」」
と、十人の高司祭の声が見事に唱和する。
「『天空の父神』の名において恥じる事なき行動を」
「『日輪の女帝』の名において輝かしき栄光を」
「『嵐の皇』の名において猛々しき闘いを」
「『月光の貴顕』の名において優雅なる振る舞いを」
「『星辰の聖賢』の名において聡明なる行動を」
「『綿津見の帝王』の名において穏やかなる心を」
「『炎の大王』の名において赫赫たる勝利を」
「『紫電の覇将』の名において迅速なる行動を」
「『五金の富翁』の名において幸を」
「『大地の母神』の名においてこの世に生けとし生けるものへの愛を」
「「「「「「「「「「汝に望まん。汝、鷹城唯子に『天地十柱』の祝福を」」」」」」」」」」
真ん中で片膝をつき、頭を垂れる唯子に向かって十種の神器が差し向けられる。
唯子は予め教えられていた通りに、
「我、鷹城唯子、この剣に誓い人々の想いを抱き、この世に生けとし生きるものへと害をなす『魔』をうちはらう『騎士』とならん」
と、言うと『神剣』を一振りしてから鞘に収める。
かくして伝説の『神事』は終わり、ここに一人の新しい『神剣の騎士』が誕生した。
「しんいちろー、いづみちゃーん」
「唯子っ!!」
待合室でじっと待っていたいづみが唯子に駆け寄る。「無事終わったのか?」
「うん、終わったよー。もう、唯子お腹ぺこぺこだよー。早くさざなみ寮に帰ろー」
そうにこにこ顔で唯子は応えた。
真一郎は後ろからその微笑ましい様子を見て一つ大きな安堵の息をついた。ふと唯子の腰のあたりに目をやると今までみたこともない鞘に例の『カラドボルグ』を収めていた。それを見た一瞬やや翳りのある表情を浮かべてたが、すぐに明るい顔で唯子の方に歩いていった。
「遅かったな」
「えー、そんなに経ってないと思うよ、唯子は」
「当たり前だろう。当事者は時間の経過なんて感じないものさ。待つ身になれ、待つ身に」
「そうだぞ、唯子。心配してたんだぞ、相川も槙原さんも」
「うう、無事帰ってきたなり二人がいじめる~」
そう言いながらも唯子の表情には一片の曇りもなかった。
そうこうしているうちに法衣姿の小鳥と愛も待合室にやってきた。
そのころになってやっと眠りこけていた耕介が一つ背伸びをしながら大きな欠伸とともに目を覚ました。
「……あ、終わったんだ。じゃあ、早いところ寮に帰って夕飯の用意をしないとねぇ」
「……本当に寝てたんですか……」
耕介の方に振り返りややあきれ顔で真一郎が呟く。
「まあね。それにこういうことはなるようにしかならないものだし、待ってるとつらいからねぇ。俺の経験によればこういう場合は唯子ちゃんを信じて寝てるのが一番だよ」
少しも悪びれもせずに応え、「じゃあ、真一郎君。買い出し手伝ってくれないかな。今日は御馳走作らなくちゃいけなくてね」と、唯子の方を見て意味深な笑みを浮かべた。
●あとがき集●