『屠龍の乙女編 第1話』
瞳は幌馬車の中で揺られながら憂いのある表情を浮かべていた。
「……退屈ねぇ。何かこう……そう刺激的なことでも起きないものかしら? そう思わない、神咲さん」
「……普通は思わんね」
薫は瞳の唐突な問いかけに『十六夜』の手入れを中断し、唖然とした顔で答える。「それにこの仕事は隊商の護衛のはず。そうそう刺激的なことが起こっていたら仕事にならんね」
「……危険な道を通るからと言う売り文句だったのよ」
瞳は大きな溜息をつく。「そうでもなければこんな退屈な仕事を受けやしないわ」
「なるほど。そういうことだったのか。千堂にしてはまともな仕事を受けたものだと感心しとったんだが……」
「……神咲さん。あなた私のことなんだと思ってるの?」
「一言で言えば血に飢えた鬼神」
「…………」
瞳は穏やかな表情で、「神咲さん。……暗い夜道って何が起こるか分からないらしいわね」と怪しげに目を光らせる。
「あらまあ、それは大変です。薫、気をつけるのですよ」
唐突に現れた人影が薫に声をかける。
「……十六夜? 意味分かっていて言っとるね?」
「はい。ですから暗い夜道が危険なのでしょう?」
「……そう言う風に真にとられると言った方としては対応に困るわね……」
瞳は自分は無関係だとばかりに馬車の外の風景を見ながら呟く。
「薫。瞳様も気にされているみたいですし、これからは夜に出かけるのは控えましょう」
「いや、そういう意味で千堂は言ったんじゃなかとね……」
本当の意味を言うわけにもいかずに薫は少し困った顔をする。
「そもそも薫は前々から……」
その後暫く十六夜の小言は続いた。
「平和だねー」
知佳は遠い山陰を見ながら呟いた。
「平和なのだ」
美緒は寝ころんだまま空を見て呟いた。
「平和ですー」
みなみはほにゃっとした表情で呟いた。
彼女たちの後ろでは薫が十六夜に小言の嵐を受けており、その原因となった瞳がそしらぬ顔で外を眺めている。
「美緒ちゃん。望ちゃんは何で来ないんだっけ?」
「みなみはぼけぼけなのだー。望は家の仕事を手伝わないといけないから今回の仕事には来れないのだー」
「美緒ちゃん。それ、ら抜き言葉だよ」
「そんなことどうでもいいのだ。今問題なのは暇で暇で死にそーなことなのだ!!」
「美緒ちゃん、暇は死因にならないよ」
「……みなみ、知佳が冷たいのだー」
「……どうせあたしはぼけぼけなんです……」
みなみは隅っこの方で床にのの字を書いていた。
「う~、みなみががらにもなく落ち込んでいるのだ」
「そうだね、美緒ちゃんも柄にもなく悩んでいるしね」
「知佳ぼー、もしかして機嫌悪いのか?」
「どうだろうね。少なくともこないだ私の魔導書にいたずら書きしたことでなんかはちっとも怒ってないからね。うん、その上魔導書を破いたことなんか全然根に持ってないよ。……だから安心して美緒ちゃん」
美緒はその時の知佳の表情を後で真雪に、「まるでまゆそっくりで恐かったのだ」と述懐したという。当然真雪にその後すぐにどつかれたのだが。
一方、瞳と薫の方も変化が訪れていた。十六夜の小言に混じってちくちくと薫を叩いていた瞳についに薫の堪忍袋の尾が切れたのだ。
「せぇ~んどぅお~うっ!! うちもそこまで寛容じゃなかよ」
「それで私をどうするというわけ?」
「その減らず口を叩けなくする」
「へ~、あなたにそんなこと出来るんだ」
「出来るっ!!」
「ふふ、そうこなくっちゃ。私も暇で暇でたまらなかったのよ。……失望させないでよ、神咲さん」
瞳はまるで女悪役幹部のような笑みを浮かべて挑発する。
「絶対に泣かすね! ……十六夜ッ!」
「あ、薫。まだ話は終わってないのですよ」
十六夜が不満そうに薫に話しかけた途端、
「うわぁーっ! 山賊だぁ~!!」
と、叫び声が聞こえた。
「何ですって? これからって時に!?」
「ちっ! 千堂、勝負は一時お預けとね」
薫はそう言うやいなや馬車から飛び降り『十六夜』を抜く。
「ふぅ~、つまんないの。……まあ、これもこれで面白いわよね。きっと」
瞳はそう呟くと脇に置いてあった棍をとり、表に出る。「ほら、岡本さんに仁村さんに陣内さん。のんびりしてないの」
「は、はいー」
みなみは呼びかけられるといきなり跳ね上がるように立って慌てて馬車から飛び降りた。
「あ、みなみちゃん。得物忘れてるよ~」
知佳は『力』でみなみの柄の短いハンマーを浮かばせながら静かに降りる。
美緒はと言えば既にあたりにはいなかった。どうやら敵を察知するなりすぐに身を潜めたらしい。
「さてと、敵は何人かしらねぇ?」
いかにも楽しそうにそう呟きながら瞳は無造作に山賊たちに近寄っていく。
見てみると薫が既に山賊たちを峰打ちか何かでうち倒しており、死屍累々といった感じに山賊たちが地べたに寝ていた。そんな薫を恐れてか、十重二十重に囲んで睨み合いの様相を呈していた。
その上、
「岡本みなみ、吶喊しますー」
と、知佳から得物のハンマーを受け取り縦横無尽に叫びながら暴れ回るみなみに加えて、
「薫さん、みなみちゃん、いくよー。『自由奔放なる風の精霊たちよ。我が呼びかけに応え、その力とくと見せるべし。疾風怒濤(ワール・ウインド)』」
と、知佳が嵐を巻き起こし山賊たちを薙ぎ倒す。
「うーん、雑魚は神咲さんたちに任せるとして……。おかしいわねぇ、この集団の頭はどこにいるのかしら?」
基本的にこういう集団は強いものに従っている傾向がある。よって最も強いもの即ち頭となるわけである。そして、その頭が叩きつぶされると蜘蛛の子を散らすように雑魚は逃げ去っていく。
だが、瞳はそんなことを狙うために頭を捜しているわけではなかった。
「やっぱりやるからには強いのとやらないと面白くないからね」
棍を片手に憚ることなく悠然と山賊たちをかき分けて頭を捜す。たまに邪魔してくる雑魚には容赦ない一撃を与えながらなおも進む。普通ならばこの時点で瞳に対しても包囲陣が引かれてもおかしくないのだが、薫の尋常でない戦闘力や闇雲に突っ込んでくるみなみ、的確に多数の敵を戦闘不能に追いやる知佳の魔術に敵の目がいっているため、自然体で闊歩する瞳には大抵の連中は見向きもしなかった。
「それにしてもおかしいわねぇ。こんなしがない隊商にこれだけの人数揃えた山賊団が襲ってくるなんて……。何かあるのかしらね?」
「おかしいのだ。敵のぼすが見あたらないのだ」
山賊に襲われるやすぐに木の上に登ってあたりを観察し始めた美緒はその異変に気付いた。彼女の場合は瞳と違い野性の勘とでも言うべきもので敵集団にボスがいることを察知した。そして、そのボスを見つけるために木に登ったのだが、
「やっぱおかしいのだ。どこにもいそうにないのだ」
と、頭を捻る。
美緒もさざなみ寮に戻ればとあるグループの頭をはっている。当然、グループというものがどういうものかと言うことを厭と言うほど知っている。だからこそパーティー内でこの異変に最初に気がついたと言えよう。
「絶対に変なのだー。ぼすがいないぐるーぷにこんな動きはとれないのだ。だったらどこにいるのだ?」
辺り一帯を見渡すがそれらしい人物はいそうにない。
それどころか、
「あ、薫のやつが囲まれたのだー。やっぱ変なのだ。誰も命令を出してないのにあんなことできるわけがないのだ。やっぱりどこかにいるのだ。でもどこにいるんだろう?」
美緒は辺りを見渡しながら考えてみた。「う~、やっぱり変なのだ」
どこをどう見てもそれらしい影すらない。隠れているのかとも思って周りを見てみたが、それらしい動きもない。誰が命令を出しているのか、もしくは伝えているのかが分からないのだ。どう見ても場にいるもの全員誰かの命令通りに動いているみたいなのにだ。
「にゃ?」
ふと目の前を何かが飛んでいった。つい野性の血が騒ぎ追いかけそうになる。
一歩踏み出した途端、
「あにゃ!?」
と、枝の上から足を踏み外した。
慌てて体制を立て直し、何とか幹に抱きつく。
「ふ~、助かったのだー」
落ち着いてからもう一度飛んでいったものを探そうとしたときにふとおかしなことに気がついた。
「……何だか変なのが飛んでるのだ。あからさまに怪しいのだ」
見たこともない変な虫なのかよく分からないものが群をなし飛んでいた。地上で戦っていてはあまり気にならない高さであるが、木に登っている美緒にとっては非常に気になる高さであった。
「……とにかくおとすのだ」
美緒はパチンコに弾を込めて構えるとそのまま放つ。
弾は寸分違えずに怪しげな物体にあたりそのまま地上に落下する。
「……まずいのだ。あたしは何も見てないのだ!」
美緒はそう言うとその場から脱兎の如く逃げ出した。
怪しげな物体はちょうど真下を通っていた瞳の真上に落ちていったから。
(何? 誰が誰に呼びかけているの?)
その呼び声に気がついたのは敵を三度吹き飛ばしたときだった。
知佳は先天的に人の心が読めてしまうという能力を持っていた。その力のせいで忌み子として家族すらも彼女のことを遠ざけていた。ただ一人の例外が真雪だった。彼女が知佳を家から連れ出していなかったら今も忌み子として扱われていたことだろう。
普段はその能力を意図的に抑えている。姉の真雪と一緒に魔導師という職業(クラス)を極めていく過程で彼女は『力』の制御の術を手に入れた。これのお陰で普段から間断なく流れ込んできた人の心を読まずにすむようになった。心を読むということは読まれている方も読んでいる方も傷つくものなのだ。それを望まずにやれば尚更である。だから知佳は『力』を封じた。
しかし、一度戦闘や異常事態になれば違う。パーティーの不利益にならないように己の『力』で相手の動向を探る。特に魔術師や魔導師相手の時はこの『力』が役に立つ。相手の唱えようとしている『呪文』と同威力の『呪文』を唱えることで『相殺』するのだ。
基本的に魔術を封じ込める方法は相手に何らかの理由によって呪文を唱えさせなくさせるか『魔術障壁(マジックシールド)』を張ることで無効化するのいずれかである。前者の場合は相手を物理的に拘束したり、呪文を唱えられなくするために言葉を封じたり、戦闘不能状態にさせるといったところがよく用いられている手法で相手によっては全く通じないときもある。後者の場合は術者の力次第では最も有効な方法である。何故ならば相手の力量に左右されずに自分の実力、即ち『魔力』の強さによって防ぐことができるからだ。真雪ほどの実力者や『魔力障壁』を得意とする真一郎のような術者ならばまずいかなる『呪文』からも身を守れる。知佳も『魔力障壁』は得意だが、二人ほど巧くはない。少し手慣れた術者が相手ならばまず破られよう。
だが、彼女には他の術者が真似できない業があった。それが『相殺』である。相手の意識を読むことで次に唱えられる『呪文』の構成を調べ、全く同威力の反属性、もしくは同属性の『呪文』を叩き付けることで相手の術を『相殺』することで防ぐ。これが彼女の得意技『呪文相殺(スペルブロック)』である。
今も知佳は油断無く『呪文』を唱えようとしているものがいないかどうかを『力』を使って探っていた。だが、その過程でまたもや何者かに耳元で囁かれているような感じに襲われていたのである。
それの元を探ろうにも微妙に妨害されており、確たる真実を探り得ずにいた。
「……!?」
瞳は上から落ちてきた何かを手に持った棍で払った。何とも言えない感触とともにそれはいとも簡単にそばの大木に打ちつけられる。その感触による嫌悪感でしかめっ面を浮かべながら上をふと見上げたが怪しげな影一つすらなかった。
「……陣内さんね……。姿はなくても気配は隠せてないわよ……」
低い、地獄の奥底から響くようなその声は間違えなく美緒に聞こえたらしい。その証拠に瞳の頭上に鬱そうと生い茂る大木の枝からまだ紅葉すらしていない葉が何枚か落ちてきたのだから。
瞳はとりあえず気を取り直すと、棍で払った何かイヤなモノを見た。「……。やっぱり多足類……」
流石に悲鳴をあげることはなかったがそれの思いっきりひしゃげているモノを見て平然としてられるほど強くもなかった。大きい化け物ぜんとしているモノならばともかく、やはり通常サイズと認識されるこういったモノにはいつになっても耐性が付きにくいものらしい。すぐにでも棍を何かで拭きたい気分に駆られその場を去ろうとした瞬間、瞳はそれの異常さに気がついた。
まず、何とも言えないそのフォルムには似つかわしくない部品を見つけたのだ。それこそ台所で見つけるたびにイヤな気分になる茶色い悔いヤツの羽。普通のムカデなどには当然そんなモノはついていない。
次に、明らかに彼女以外が傷つけた跡。美緒が嫌がらせで落としてきたモノとばかりに思っていたがどうやら違うらしい。
その二つの違和感が瞳にある一つの推測をもたらした。
その推理に従い上を見てみるとやはりただならぬモノが山賊の上に飛んでいた。
「……そう言うこと……。仁村さん、上を飛んでる虫を焼き払いなさい! 岡本さんは仁村さんを守り抜くのよ!」
「え!?」
「詳しい理由はあとで話すわ! とにかく今はあの虫を何とかして!」
そう言い放つや否や知佳の方に目がいっている山賊の群に突っ込みわざと派手に暴れ始めた。彼女の思惑通り、山賊たちは何かに操られたように瞳の方に向かってきた。
それを鮮やかに捌きつつ瞳は薫の方へと誘導していく。
「何をやっとるね!」
「見ての通り誘導しているのよ」
瞳はそのまま薫と背中合わせになり十重二十重と囲んでいる山賊たちと睨み合う。「このままじゃ埒があかないみたいだからね」
「……? 何を考えてるね?」
瞳はちらりと上を見てから、
「ちょっとしたことをね」
と、襲いかかってくる山賊の肩口に棍を叩き込んだ。
「知佳ちゃん……」
不安そうな顔でみなみが知佳によってきた。「大丈夫かなぁ、千堂先輩と神咲先輩」
「う~ん、何か考えがあるみたいだし多分大丈夫なんじゃないかな? それよりも護衛よろしくね」
「うんっ!」
元気よく頷いたみなみを見てから、一つ深呼吸をつき、
「『世界の開闢より消える事なき炎界の炎よ。その猛る力にて現世を席巻せよ。炎嵐(ファイアストーム)』」
と、呪文を唱えた。
次の瞬間、目映い閃光が走り抜けたあと、彼女たちの頭上に赤い雲がかかったかのように炎が激しく渦を巻いて舞っていた。
あまりの眩さに目を細めながら瞳たちは圧倒的光量から目を守った。
山賊たちはそれすらも気にせずに襲いかかってきていたが、目をやられたせいか同士討ちすら始まっていた。
「……まだ動けるってことは全てを灼ききれなかったってことね。仁村さん、もう一度はなって!」
「はい」
しかし、今度は瞳たちを囲んでいた山賊たちが何かに命じられたように知佳に向かって襲いかかり始めた。
「やっぱりそうきたわね……」
瞳は抑えのために残った山賊たちを横目で見ながら様子をうかがった。
どうやら敵は一番厄介な敵を知佳と見定めたらしい。
「はう~、皆さんこっちに来ないで欲しいですー」
八面六臂の活躍で知佳になるべく山賊たちを向かわせまいとしているみなみだったが、それでも何人かは阻めずに抜けられていった。流石に今度は知佳も山賊たちの相手をするので手一杯となり、上空に『炎嵐』の第二波を放てなかった。
抑えに残った山賊たちを全て叩き伏せたあと、
「私たちも援護するわよ」
と、薫の反応も見ずに瞳は今度は知佳たちのいる方に向かって走り抜けていく。
薫は上空を見やってから、
「十六夜、うちは知佳ちゃんの代わりに『符』を使って上を焼き払おうと思う。補助を頼むね」
「分かりました、薫」
薫は懐から『符』を取り出し、
「『我、森羅万象の理を持って炎雷を招来せん。急急たること律令の如くせよ』」
と、呪を唱え『十六夜』からそれまで溜めていた霊力を流してもらう。
するとにわかに雷雲が生じ、立て続けに雷が落ちた。だが、地上に落ちることなく上空でその雷は何かにぶつかったかのように爆ぜると炎へと転じる。先程の知佳の『炎嵐』と同格かそれ以上の炎が辺りを覆った。
「薫、これは!?」
十六夜は驚愕の声を上げる。「『符』による呪が無効化されてます」
「確かに全然効いてないとね……。うちの使う『符術』はこの世界の理を用いてなにかしらの効果をもたらす術。それが全く効果がない……だとすれば上にいる何かはこっちの世界に属してないものということになるね」
少しばかり顔を引きつらせた薫が呟く。「しかも完全無効化すると言うことは相当な術者の使い魔ということということか……。だけど一体こんな田舎にそんな術者がいるものかとね?」
「……もしかしたら瞳様は最初からこのことを知ってこの依頼を……」
「ありえるね。千堂はこういうことに関しては鼻がきくとね。……だとしたら納得がいく。この退屈きわまりない仕事を引き受けてきたことの理由というものを……。だけど、今はそういったことを考えている閑はないか……。十六夜、斬り込むよ」
「はい」
二人は瞳とは反対方向から回り込んでいった。
(……やっぱり強い指向性を持った『意思』が誰かに命令している)
威力が弱く、効果範囲が狭いがそのかわりに効果の発動が早い呪文を立て続けに唱えながら知佳はさっきからこの場を行き交っている呼び声の正体を探っていた。(でもさっきほどその数は多くない……。瞳さんは気づいていたってことかな? だったらこの声がなくなるまで上空を灼くのが一番良いんだけど……。この状況じゃ無理みたいだね)
山賊の攻撃を無意識のうちに張った障壁で防ぎ、矢継ぎ早に呪文を唱え吹き飛ばす。これで何人目の山賊を吹っ飛ばしたのかすら分からない。多分一戦闘における敵への攻撃回数新記録を更新していることは間違えない。いつもならば鉄壁の前列が後列にまで敵をまわさないからだ。
(それにしてもおかしいな。こんな辺境の街道にこれだけの人数の山賊団なんているものじゃないのに。……ただの山賊団じゃないのは分かるんだけど、だとしたら一体何のためにいるんだろう?)
少し余裕があるので敵複数に対し『魔術矢(マジックアロー)』を放ち牽制する。(その上回復が早い気がする。普通薫さんやみなみちゃんの攻撃を受けたらどんな相手でも最低小一時間は気絶しているのに数分したら起きあがっているし……。絶対ただの山賊団じゃない。だとしたら本当になんの目的で……)
「知佳ちゃん、あぶないっ!」
「え?」
みなみの声で思索から現実に引き戻らされた知佳は目の前に剣呑な大斧を振りかざした山賊がいるのに気がついた。
今からでは呪文を唱え終われないし、障壁を張ろうにも間合いが近すぎて何とかする自信がない。避けようにも体術には自信がなかった。
(仕方ないか……)
一つ大きく息を吸ってから、『力』を発動させる。それと同時に山賊の大斧が振り下ろされたがただ何もない空間を通り過ぎ虚しく土を穿つだけだった。
次の瞬間、彼女は背中に白い光をたゆたえて空中に浮かんでいた。よく見ればその白い光は翼を象っていることが見て取れたであろう。
「何とかうまくいったみたい」
知佳はそう呟くと安堵による溜息を一つつく。「前もって『転移(テレポート)』の術を『呪符』に封じておいて良かったぁー」
魔導師の中には『呪文』を『呪符』と呼ばれる特殊な札に封じ込め好きなときにその力を発動することができるものもいた。しかし、いくら何でも呪文を唱えずにいやたとえ呪符を使ったとしても『転移』と『空中浮遊(レビテーション)』を同時にやってのける術者は存在しない。『魔導』とは異なる『力』でもない限り不可能である。
しかし、知佳はそれをやってのけた。これこそが彼女が持っているうまれながらの『力』であった。自在に人の心を覗くことができ、いかなる方法でも自分を傷つけようとするものをはね除ける障壁を作り出す能力。遠くにあるものを近くに引き寄せ、そして自在にものを浮かばせたり自重を増やす能力。彼女が望まずに手に入れた『力』、親兄弟からも忌み嫌われた『力』、そしてたった一人の姉にだけ受け入れてもらえた『力』である。今は、もっと多くの友人がその力を受け入れ認めてくれている。その様な人たちは彼女が『力』を使うときに現れる光の翼を「綺麗だね」と言ってくれた。
しかし、残念ながら人は異質なものを避け、忌み嫌う生物である。実際、彼女は一部の人間から幾ばくかの嫉妬と畏怖の念を込められて『天翼の魔女』と呼ばれることもある。彼女はそう呼ばれていることには別段気にはしていなかったが、彼女のことを妹として愛してくれているたった一人の姉は違った。それが彼女を悲劇に巻き込む原因となりかねないと考えたのである。
従って彼女の姉はまだ冒険者になる前の知佳にこの『力』を人前で使うことを強く禁じたのである。
今の知佳にはそれに従う義務はなかった。実際、既に『力』を制御する方法を完全に自分のものにしていたし、その力は冒険者として生きている今では必要不可欠な『力』であったからだ。
だが、彼女は姉の言うことを守る義理があった。忌み子として誰からも必要とされなかった頃に制御できなかったこの『力』を制御する方法を見つけだしてくれたのがただ一人姉として彼女に接してくれた他ならぬ真雪だったからである。
本来ならば剣士として究極の高みを目指せた姉。ただ自分の心の負担をなくすためだけに『魔導』を極めることとなった姉。そんな姉に何か恩返しがしたい、姉を自分という呪縛から解き放ちたい。そんな一心で知佳は冒険者の道を選んだ。
それが結果的に姉妹の仲に深い溝を作ってしまった今でもそのことを彼女は後悔していない。いつかきっとまた元の仲の良い姉妹に戻れると信じているから。
なるべく使うまいとした『力』を使っているためか彼女は過去の追憶に一瞬捕らわれていた。そんな過去の追憶を直ぐさま振り払い、知佳は自分の置かれた状況を手短に確認してみた。
現在位置は彼女が望んだとおりに敵の真上、先程『炎嵐』の呪文を放ったあたりに浮かんでいた。辺りを見渡せばあんまり詳しく観察したくないようなものがうじゃうじゃと飛んでいる。下を見下ろせば瞳やみなみといった前衛に敵はいいようにあしらわれていた。美緒はどうやらまだ隠れているらしい。ふと目をそらすと薫が何やら紙片を持って何か口ずさんでいるようだった。
すると突如頭上が暗くなってきた。見上げてみれば何故か雷雲が立ちこめている。
知佳は薫が何をなそうとしているかを悟り、慌てて『力』で『障壁』を自分の周りに張り巡らせた。その次の瞬間、轟音とともに知佳のいる中空に雷が落ちると再び爆炎があたりを支配した。これほどの爆炎ならばあの虫たちも一匹残らず灼かれただろうと知佳は推測した。もし、『障壁』が一秒でも遅れていれば知佳もまたあたりを飛んでいた虫たちと同じ運命になったかとも思い、背筋に寒いものが通り過ぎたりもしたが。
だが彼女の想像はいとも容易に敗れ去った。すぐ側の空間をよく目を凝らしてみてみれば『障壁』すら作らずにその虫たちは薫の呪を無効化していたのである。「……うそ」
思わず意味のないことを呟いてしまったが、事実は変わったりしない。知佳はすぐに気を取り直し、何故そうなったのかを冷静に考察してみた。
薫の用いている『符術』はこの世の森羅万象、物理法則やその他のありとあらゆる法則を力の源としているものである。この世界に籍を置くものには通用するがこの世界にはいるはずのない存在、魔族といった異世界の生き物には通用しない時がある。何故ならば、魔族はこの世界に見せかけ上存在しているのであって、実際は彼らの世界である『魔界』に存在しているのだ。この世界と『魔界』が重なっているときだけ彼らはこちら側に干渉することができる。従って、魔族はこの世界に長時間滞在できない。この世界と『魔界』が重なるということは無理がかかっている状態であり、その様な状態が長々と続くことはないからだ。
(だとしたらこの虫たちは魔族なの?)
その疑問を知佳は即座に否定した。魔族にも強弱があり、強い魔族ほどこちらの世界の法則が通じにくい。これはこちらにほんの少しの力を送り込めば充分な干渉ができるからである。弱い魔族ならばこちらの世界への影響力を強めるためにより干渉しやすい形態、こちら側の法則に基づいた体を作り上げる。それは確かに干渉し易くもなるが、こちら側からも干渉し易いということなのだ。従って低位の魔族に対しては『符術』も通用しやすくなる。その論旨でいけばこの虫たちは高位の魔族となるのだが、もしそうだったら直接この虫たちが襲いかかってくればいいことで、山賊たちを操るといった回りくどいことをしたりはしないだろう。
これらのことより彼女の脳裏には一つの答えが浮かび上がってきた。
(魔導を極めた高位の術者が作り出した使い魔ということ?)
もしそうだとしたら納得がいく。
一つは使い魔というものが術者の遠隔操作できる感覚器官みたいなものであるということ。この性質を利用すればこちらの動きなど手に取るように分かるし、使い魔を介することで自分の思念というものを山賊たちに伝えるなどということは赤子の手を捻るより用意だからである。 二つ目としては先程の『符術』に対する無効化能力である。使い魔は術者の望むような能力を得ることができる。当然、使い魔の能力は術者の『魔力』に左右されるが、ある程度他の能力を限定すれば先程の無効化ぐらいなら容易にこなすであろう。そうは言ってもこれほどまで完璧な無効化能力は相当な腕の術者でもない限り不可能だが。
そして最後に、山賊たちの動きである。痛みすら無視したあの動きは何者かに操られていると考えるのが順当であろう。先程から直接精神に聞こえてくる『声』の正体はこの虫たちが山賊に送っていた指令と考えれば納得がいく。
(……これじゃ魔導師失格だな。そういうことに詳しくない瞳さんの方が先にこのからくりを解いちゃうんだから……)
少しばかり落ち込んでしまったがそうもしてはいられなかった。早くこの元凶を取り除かない限りどうにもならないのである。いや、場合によっては疲れを知らない山賊たちにパーティーが敗北する可能性も出てきた。
(さっきから『魔術』を惜しみなく使ってきたからそろそろ打ち止めになっちゃうな。一撃で決めないと……)
焦りそうな心を落ち着けながら打つ手を考える。『符術』だったとはいえあれだけの無効化能力を保有した使い魔なのだ。ただの『魔術』で倒せるわけがない。(無生物相手だから空気の組成を変えて窒息死を狙うこともできないし、相川君みたいに炎系の呪文が得意というわけじゃないからこの虫全部を灼ききる自信もないし……。まゆお姉ちゃんだったら雷撃で一匹残らず叩き落とせるんだろうけど……。せめてこの虫が飛んでなかったら他のみんなにどうにかしてもらえたんだけど……これは甘えかな?)
自分勝手な考えに思わず苦笑してしまう。みんなからなんやかんや言われていても自分にも利己的なところがあるんだなと感心しながら。
その時、頭の中に天啓を受けたかのようにあることが浮かんだ。
(……待ってよ? この虫が飛んでいなかったらみんなに任せられる……。なんだ、簡単なことだったんだ)
直ぐさま自分の考えが実行できるものかを検討する。
そして、答えはすぐに出た。
「『何者にも束縛されずに荒れ狂う魔界の嵐よ。疾くきたりて現世を蹂躙せよ。破滅の嵐(ドゥーム・ストーム)』」
知佳が呪文を唱え終わった瞬間、あたり一帯を禍々しい何かが覆い始めていた。それはすぐにあたりを渦巻き始め、虫たちを巻き込んでいった。あの爆炎の中でも生き残った虫たちがなす術もなくその禍々しい渦に飲み込まれていき、ついにはその渦は嵐となった。凶風がそれまで無傷で無事にいた虫たち全てを飲み込みずたずたに切り裂いていく。あるものは全てを切り裂かれそのまま分子まで分解され、あるものは羽を切り裂かれ地面に墜落し、そしてまたあるものは魔界に戻っていく凶風に飲み込まれていった。
「ふぅ、わたしにできることはここまでかな……。あとはみんなに任せても良いよね」
地上にいる瞳、薫、みなみにとってはある意味心に深い傷を負うような光景であった。
突如山賊たちがバタバタと倒れていく中で、空から虫の残骸やらまだ生きている虫やらよく分からない体液などが降ってきたのである。
「何だかとってもいやですー」
泣き言を言いながらみなみは慌てて幌馬車へと逃げ出す。
「……こう数が多いと流石にやになるね……」
「薫、どうしたのですか? 声が震えてますけど」
「今日ほど十六夜が羨ましいと思える日はなかね」
「……同感。流石にこれはきついわね……」
瞳も薫も顔を強張らせてその光景を眺めていた。二人とも知佳を責める気はない。彼女が悪気や嫌がらせでこういった結果を引き起こしているとは考えられないからである。彼女とて風芽丘でも指折りの魔導師だ。最も効果的に何とかできるという結論を持って行動したことを何で文句が言えるだろうか。
しかし、精神衛生上の面を考えて行動して欲しかったなと二人とも深く深く思っていた。
とりあえず、天から虫が降ってくるというシュールな光景が終わったあと生き残っていた虫を全て隊商の馬車で轢き殺したとだけは追記しておく。
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