生月島
「かくれキリシタン」を訪ねる旅 Par 3

2005年8月8−10日
夏の島は、朝から蒸している。
「熱帯朝」?


 18-19世紀生月島の基幹産業であった捕鯨の元締め「益冨家」を訪れる。といっても門の外から、のぞき見るだけ。現在の当主は博多に住むと言うが、庭の手入れは行き届いている。

 「益富家」の財力は平戸藩に大きな影響を与え、それが、捕鯨のテクノクラートである「かくれキリシタン」を弾圧から守ったのではないか。さらに「益富家」自身が「かくれキリシタン」なのではないか。

 これが、周辺地域と比べ、格段に開放的な生月島の「かくれキリシタン」が今ある原因ではないか、というのが皆川達夫氏の推論である。
「生月島博物館 島の館」

 名前からして、妙に時代がかった観光施設かと思いきや、さらりと嫌みのない現代建築の内部には、緻密にディスプレーされた、島を支えた捕鯨の歴史を語る展示が一階に、二階には「かくれキリシタン」を丁寧に紹介するエリアがある。

 最近は、韓国のキリスト教徒の来館が増えているという。単純にキリシタン殉教の地を訪れていると考えれば、それで良いのだろうか。

 戦時下の韓国で、独立運動を支えたキリスト教徒たちを、礼拝堂に押し込め扉を閉ざし、火を放った日本国軍の蛮行を思うと、複雑な思いに駆られる。
旅の最後には、現代のカトリック教会を訪ねた
提供画像
カトリック山田教会
 1912年(明治45)コンバス司教の時に建立、生月島の西南部に位置する。全島が「かくれキリシタン」といわれる生月島で、カトリック信徒は人口の3%ほど。

 礼拝堂内の高窓の部分には、世界から集めた蝶々の羽で描かれた、象徴的な聖画がはめ込まれている。

 西玄可の子息トマス西神父の列聖(1987年)を記念する記念碑。1988年建立。
カトリック紐差教会

 平戸の中心から車で30分。木ヶ津湾の最深部に紐差教会は建つ。
 初代の礼拝堂は1858年(明治18)竣工。現在の建物は1929年(昭和4)に鉄川与助の設計、施工で完成。
 もう巣からはみ出しそうなツバメの子たちが迎えてくれた。

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カトリック宝亀教会

 1898年(明治31)に建立された、側廊にベランダを持つ開放的な小さな礼拝堂。

 現存する平戸最古の礼拝堂は、畑越しに海を望む丘に建っている。

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参考にさせて頂いたホームページ

生月島博物館「島の館」
 
「生月島のキリシタン文化」の頁には
 論文級の解説が掲載されている

 http://www.ikitsuki.com/yakata/index.htm

長崎とその周辺のカトリック教会案内
 
神父様が運営しているサイト
 http://www1.odn.ne.jp/tomas/mypage2.htm

キリシタンの里をたずねて−「長崎の教会」
 http://www.pluto.dti.ne.jp/~yuriko/


鉄川与助が建築した教会を案内
 
おじいちゃんが建てた教会
 
http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/

大村湾の汐の出入り口を、西海橋から見下ろす
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