思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その23
    2012年・冬
お気軽・お安い パック・ツアー
 チュニジア 
深夜出発、エミレーツ航空で正味5日間
 
はじめに…人の動きの少なめの1月末に、気軽に出かけられるパックツアーでチュニジアへ 
 大学のクラブの先輩だった小比賀さんから伺った「旅の3スタイル」。@自分で企画する自由旅行、A旅行社と相談しながらの特別な旅(南極とか)、Bお手軽なパックツアー。
 そのBのパターンは意外と利用価値ありと思い始めています。国内ではそう思い、九州北部、東北北中部、飛騨方面は、そんな旅をしました。何と言ってもその安さと専用バスで運んでくれる行動範囲の広さが便利、魅力的です。
 海外でも、一昨年の台湾なんかはそうでした。今回は交通の便の良くないチュニジアにパックで出向きました。それほど広い国でもないので(日本の5分の1)、期間も正味5日程度。そして価格は最低の日は10万円(ただ、オイルサーチャージが4万円)。ギッシリ予定が入っていますから、オプショナルツアーもなく、他に要る費用はお土産代くらい。
 一応宣伝では、寒い日本から離れて暖かいチュニジアへ、となっていました。この時期ですから、アーモンドの花開く頃。それに、南へ下ればサハラ砂漠ですから、4輪駆動車で砂漠の静寂の中、日の出を見に行ける。
 そういう訳で早めに申し込んだのですが、もう一つの方は満員御礼。24日出発はOKでした。

 日程は少しハプニングもありました。実は三上は裁判員裁判の候補になっていて、一向に連絡が来ず、これは外れかなと思っていたのですが、何と申し込みが終わった直後にお呼び出しがかかり、旅行期間中にはまってしまいました。裁判員裁判は当たれば経験したいと思ったので、一旦は旅行をキャンセル。ところが間もなく、もう一つの事件の裁判員候補の呼び出しがあり、旅行期間からはずれています。地裁に連絡したら、前の方を不都合で申請して、後の方で呼び出しに応じて貰えばいいということで、旅行復活。

 チュニジアは観光客に擦れていず、シンプルな旅が可能な地域でした。例えば、格安パックツアーにつきものの土産物屋の強制連れ回りは全くありませんでした。そういう旅行社と業者の連携?が発生する前なのでしょうね。物価も安い印象でした。
 気候は真夏と違い灼熱の太陽なんかとは縁遠い日々でした。むしろ、降雨にたたられたりして、寒い日もありました。
1月24日 関空23:40発 チュニス着現地12:50(翌日)   1月28日 マトマタ、エルジェム、スース
1月25日 チュニス、カルタゴ、ケロアンへ 1月29日 シディ・ブ・サイド チュニス空港14:30発
1月26日 ケロアン、一気にトズール 1月30日 関空着17:00
1月27日 サハラの日の出、オアシスの村々、マトマタ    
 
 
古代都市で有名なカルタゴから出発
 飛行機は昨夏、スイスファミリーツアーで使ったエミレーツ航空でしたから、ドバイ経由。この航空会社は安いからか、日本人パックツアーの利用が多く、この日もチュニス行きだけで3グループが同乗していました。阪急トラピックスが強いようで、3者ともこの代理店でした。
 チュニスの空港には予定通りに到着し、午後1時頃には、北東部のカルタゴ遺跡に向かいました。ただ、ローマとのポエニ戦争が3回展開され、最終的に辛勝したローマ帝国が徹底的に破壊し尽くし、塩まで撒いたので、当時の遺跡的なものはほぼ無くなっていました。ピュルサの丘は地中海に面した展望の良いところで、そこに小さな博物館もありました。
▲カルタゴのピュルサの丘 ▲タニトの印(○―△) ▲博物館内のモザイク(上に猫)

 ローマ時代以降はその属州としての発展があり、アントニヌスの共同浴場等が残されていて、ローマのカラカラ浴場には及びませんが、相当な大きさでした。
 タニト神への信仰が存在し、その遺跡が残っている領域をトフェと言いますが、そこも訪れました。
 
▲アントニヌスの共同浴場全景 ▲共同浴場に建つ塔を仰ぐ  
 
▲トフェ タニト神の印 ▲トフェにある洞窟  

チュニスの旧市街メディナへ
  夕闇も迫る頃になっていましたが、初日の観光の最後はチュニスに戻り、メディナを少しだけ 探索しました。
 これ以降も主な街では旧市街・メディナを訪れましたが、みんな世界遺産に登録されていました。  

 
▲チュニスのメディナに入る門 ▲メディナの入口 ▲メディナの出口付近  

ケロアンの遺跡を訪ねた後は、ひたすらバスで走って490km
 チュニジアの北部は地中海、ヨーロッパに近く、比較的都市基盤が整備されている印象でした。ケロアンは少し南部で少し内陸ですから、その辺りから添乗員さんも強調されていましたが、「田舎」になります。でも、遺跡は結構たくさんあり、イスラム寺院のモスクも壮大でした。 
シディサハブ霊廟の中庭 ▲プレイスペース ▲廊下の壮大な装飾
 
▲グランド・モスク正面 ▲礼拝堂内部  

貯水池、メディナも少しゆっくり探索
 アグラブ朝の貯水池は水問題が深刻なこの地域では先進的な施設で壮大でした。
 ケロアンのメディナは買い物もして少しゆっくりできました。
 
▲アグラブ朝の貯水池 ▲ケロアンのメディナに入る門  

   

▲メディナ内のお菓子屋さん(マクロードというお菓子)

▲メディナ内の聖なる井戸と働くラクダ君    

トズールへの道はひたすら走る荒野の中
 今日向かうトズールはチュニジア中南部ですから、荒野の中を走る感じで、トイレ休憩を取ってもあまり車は通っていませんでした。  
 
▲この道を走って行きます ▲この道を走って来ました

 


この旅のメインイベント、サハラ砂漠で日の出を迎える、です
 朝6時半出発で、サハラ砂漠へ向かいます。全車両トヨタのランドクルーザーで5人ずつ乗車。40分程度で着きます。キツイ道は最後だけで、概ね道路が走っていました。いくつもベストスポットがあるわけでなく、一か所に集中していました。ジャメル砂丘と言う割には、丘とかの起伏があまり無く、単調な風景でした。天候はベストではなかったのですが、そこそこの晴れで良かったです。
 丘のトップの向こうには、スターウォーズのロケセットが残されていて、一つの観光スポットになっていました。
 
日の出前 ▲愈々日の出。右端がランクルと人々 ▲ランクルD班、5人組  

 

スターウォーズのロケ地跡

▲デザート・ローズを物色 ▲トズールのホテル  

山岳オアシスの村々へ。ランクルで探検ツアー
 砂漠から一旦ホテルに戻り、引き続きランクルに分乗して、山岳地帯のオアシスを巡る旅に出発。途中ラクダファミリーに遭遇したりもしました。オアシスですから当然源流や滝が流れ、ホッとするひと時でした。
 滝壷には蛙が居たり、村では珍しいザクロのジュースも売られていました。
 2か所のオアシスを訪ねた後、ランチはタジンとスープでしたが、温かい食べ物が嬉しかった。と言うことは少し寒かったことになります。
 ランチ後は220kmを走り、マトマタへ向かいますが、途中は大塩湖ショット・エル・ジョリドと荒野が続きました。
 
車を止めて、ラクダファミリーを観察 ▲タメルザのオアシス村 ▲オアシスの源流へ向かう

 

▲シビカの滝

▲清流に蛙が居ました ▲搾りたてのザクロジュース  
 
▲タマルザの滝 ▲シェビカ渓谷  
▲タジンとスープ ▲チャイを注ぐ ▲大塩湖ショット・エル・ジョリド

マトマタの穴倉式住居見学、ターン北上し円形闘技場へ
 マトマタはチュニジアでも相当南部で、東へ100kmも行けばそこはリビアです。なので、都市基盤が貧弱なのは当然で、お湯はストップするし、ヒーターは切れるし、厳しい一夜でした。
 ここもスターウォーズの撮影が行われた穴倉式ホテルがあり、その見学と、穴倉式の民家も尋ねました。
 保存状態が良いという円形闘技場のあるエルジェムへ向かいました。途中、ランチはクスクスでしたが、やはり美味しいとは思えませんでした。
 
ホテルマトマタの入口で ▲ホテルの前にある穴倉式居室 ▲ホテル・シディ・ドリス内部見学  

 

▲今から訪問する民家

▲民家のおばあさん ▲これがクスクス  

エルジェムのコロセオ(円形闘技場)は出入りが簡易、きつめの降雨に遭遇
 北上してエルジェムにあるローマ式のコロセオに着いた頃は相当な雨でした。
 幸か不幸か見学客は少なく、傘さしながらでしたが、ぐるっと見学しました。気軽に地下の控室にも入れました。
 
 
コロセオの観覧席の上で ▲コロセオ上から全景。アリーナの中央は地下室 ▲階段を登る  

 

▲地下室。控えの間

▲水浸しのアリーナ コロセオの外観  

最後の夜はスースで。地中海沿いのリゾート地でホテルは充実
 このパックの売りでもある最終日はワンランク上のホテル。スースは地中海に面したリゾート地でもあるので、ショッピングセンターも色々あり、買い物にも時間を取ってくれました。ただ、ここも降りたら雨でしたが。
 夕食はホテルのバイキングで、食べ応えがありました。もちろん停電もお湯ストップもありませんでした。
 
▲スースのショッピングセンターと奥にはスーク ▲ワンランク上のホテル ▲キャンドルでバイキングの夕食  

最終日は、チュニスの北、シディ・ブ・サイドへ。チュニジアン・ブルーが鮮やか
 スースからチュニスを越えて、リゾート地の代表的なシディ・ブ・サイドへ。
 ここで、パックならではの添乗員さんお奨めスーパーにも立ち寄り、お得な買い物の最終章。アルコール類を売るスペースも発見。
 丘の上には老舗の喫茶店があり、チャイを飲み、チュニジアンブルー鮮やかな建物が並ぶ道を散策。見下ろせばそこは地中海。チュニジアンブルーの塗装は法律で決められているとか。
 正午にはチュニスの空港に着きチェックイン手続き。何とここまで中国人のパックツアーが押し寄せて、列に入って来て少し騒がしくなりました。
 帰りの飛行機は、ドバイからは空いていて、ゆったり横になったりできました。乗り継ぎの待ち時間が4時間超えるとミールバウチャーが貰え、店も選択でき、タイ料理を食べましたが、悪くありませんでした。  
 
シディ・ブ・サイドの丘 老舗喫茶、カフェ・デ・ナット 向こうは地中海  

 

ブルーに鉄鋲の装飾

▲ドバイ空港でタラップ降りる ミール・バウチャーでタイ料理  
 

こういうツアーは、添乗員・現地ガイド、参加メンバーに左右されますネ
 期間、価格がお手頃、ホテル、食事もぜいたくは言えない、となると、後は添乗員さん、ガイドさん。
 添乗員中村さんはべとべとしていなくて、あっさり系で、ベテランのようで気遣いは意外と細やかで、疲れない人でした。
 現地ガイドはサイダさんという中年女性で、日本語も達者で、この方もあっさり系で、余計なことは言わないが、質問には的確に答えるタイプでした。日本語を話すガイドさんはまだ多くないそうで、4人のうちの一人だそうです。
 28人だった参加メンバーは、意外と一人参加が多く、8名(内女5)でした。母娘ペアーが3組、姉妹が1組、残り6組が退職夫妻。特に騒がしい人も居なく、落ち着いた雰囲気で、心安らかに過ごすことができました。チュニジアを選ぶくらいですから、大半のメンバーは海外旅行体験が豊富な方達でした。お話しするのは食事時くらいですから、そんなに話しこんだ訳ではありませんが、意外と大阪在住が少なく、兵庫、奈良、岡山、そして四国の方も結構居られました。多分最高齢は80歳くらいで数人居られたようですね。

 勉強不足で政治状況はわからないままでしたが、ジャスミン革命の最初のケースだったようで、隣のリビアとは対照的で、今関心事はリビアの物価高のようで、その影響がどう及ぶか…。



 
 


Copyright © 2012 MIKAMI HIROSHI