◇はじめの一歩から◇
思い出せるかな(?!)印象記 あの頃の旅体験 そのC

   初のリフレッシュ休暇で
 シンガポールの旅 
たった二人のパックツアー 正味3日間だけ〈1992年12月9日〜
はじめに…これまでの少し力んだヨーロッパツアーから、気軽な近場の旅へ 
 1985年から3年おきに3回チャレンジして来たヨーロッパツアー。今回はひょんなことから、皆さんの忙しい時期にちょこっとアジアに出かけることにしました。実は、その頃、公務員にも勤続20年とか、30年とかに気分転換に少し長めの休暇をという組合の運動があり、実現しました。大学教員のサバティカルなんかと違い、20年で何と3日間のみ。でも土日とつなげると5日にはなります。それを活用して近場へと思い、シンガポールに出かけました。
 何せ時間がありませんから、ホテルを探すのに手間取っている場合ではありません。ですから、ホテルと空港からの送迎付き、半日観光付き、後はフリーという半パックにしました。空港に着いて驚いたのは、パックツアーと言っても団員は私達のみ。現地ガイドさんは黄(ウォン)さんという女性でしたが、ワゴン車でマイクで話そうとされるので、「それ要りませんよ」という始末でした。でも有り難いことでした。
最初の半日はガイドさんと一緒にお決まりの観光コースと昼食
 昼前に出発しましたが、到着は現地5時(時差は1時間)。初日はホテルに入り、ニュートンサーカスで夕食に屋台村(ホーカーズセンター)へ出かけ、繁華街を少し散策しただけで終わります。12月9日でしたが、大変暑い日々でした。クリスマスシーズンなんですが、日本の感覚からすると気分が出ません。
 実質1日目は、半日観光と昼食までガイドさんが付きます。血債の塔、市庁舎、マーライオン、リトルインディア、チャイナタウン、マウントフィーバーと速足で回ります。
 高嶋伸欣さんのブックレット『旅しよう東南アジアへ―戦争の傷跡から学ぶ』を持って行きましたから、現地ガイドの黄さんより詳しかったり、休憩中に見せてあげたりしました。とにかく客は私達だけなので、ここへ行きたいと言えば連れて行っていただけました。
ホーカーズセンターの屋台で夕食 ▲血債の塔 ▲血債の塔の中心部
抗日の士・林謀盛の顕彰碑 チャイナタウンのヒンズー寺院 ▲どこも、こういう物干し
午後はセントーサ島へ
 昼食はパックに含まれていて、高級なレストランで飲茶料理でしたが、凄いボリュームでした。
 その後、車で港まで送って貰い、船でセントーサ島に渡りました。この島はアミューズメントゾーンで、水族館とかもあるのですが、蝋人形を中心に展示した、「シンガポールの先人達と降伏の部屋」が圧巻でした。特に日本軍の占領と植民地としての日本語の強制とか軍票とかは詳しく展示されていました。原爆の投下が
植民地からの解放と結びついている展示は印象的でした。
   
シンガポールの人々の暮らしが蝋人形で 日本の侵略の跡    
   
日本語学習が強制された証拠 蝋人形で占領の山下中将ら    

広島への原爆投下

   
  地下の水族館    
実質2日目は出国し、ジョホール・バルを往復
 バス停を探すの少し手間取りましたが、乗ればたったの20分で手続きポイントで、マレーシアのジョホール・バルに渡りました。出国と入国の手続きを経てまた30分程バスで進んで、中心部へ。いくら両替するかは難しかったですネ。
  王宮とかモスクとかありましたが、時間もなくゆっくりはできませんでした。ただ、南国の雰囲気だけは味わうことができました。昼食もトロピカルな雰囲気の食事を超安値で頂けました。英語、日本語どちらも通じずチョッと困りましたがなんとかなるものです。
 夕方にはシンガポールに帰国(?)し、夜はマンダリンホテルのプールサイドでアジアンナイトを楽しみました。  

 
南国ムードいっぱい 昼食。これで500円弱でした 市庁舎とヒンズー寺院  

 
派手な色のヒンズー寺院 マンダリンホテルでのアジアンナイト   
最終日は、晩晴園へ。豪華なラッフルズホテルのバイキングランチを堪能
 先に書いた高嶋さんの本のお陰と、『歩き方』にもバスルートが載っていて、孫文記念館にあたる晩晴園へ行けました。孫文の事績を称えるようなビデオテープも売っていました。2階が展示場になっていて相当丁寧なものでした。
 近くに日本人墓地もあるので、そちらへタクシーで向かいました。季節が季節ですから観光客は殆ど居ませんでした。
 中心部に戻って、伝統があり超高級なラッフルズ・ホテルでバイキングランチを食べました。ランチと言っても相当豪華なもので(例えばステーキを焼いてくれるとか素敵なフルーツとか)、これで2500円はお値打ちでした。
 午後は本屋さんを回ったり、リトルインディア、アラブストリートをうろうろして過ごしました。最後の晩餐は、初日の夕食を食べたニュートンサーカスの屋台にしました。果物の王様と言われるドリアンにもチャレンジしましたが、余り好きになれない感じでした。
 一応パックツアーですから、ホテルに戻って黄さん達と落ち合い、空港へ送って貰いました。出発は深夜1時過ぎでとにかく眠かったです。

 
▲晩晴園。正面に孫文の銅像 ▲ここにも日本語強制の跡  

▲カタカナ新聞「サクラ」 ▲軍票みたいなものかな

▲日本人墓地公園 二葉亭四迷の墓もあり

 
▲由緒あるラッフルズホテル ▲スターフルーツとドリアン(右)

 

 
リフレッシュ休暇の正しい(笑)使い方はこうだ!? こういうお手軽パックもいいかも知れない
 休暇3日以外に金杯と3万円の旅行券を貰った記憶があります。実際は基本料金8.9万円を日本旅行に払いました。金杯は三上の父に進呈しました。
 西矢の方が1年遅れで就職していますが、この権利の有効期間は2年あったので、二人一緒に取れた次第です。初めてのアジアの旅になりましたが、何せ近いのが良かったですネ。
 寒い12月に暑い暑いと言いながら過ごすのも悪くなかったですが、シンガポールの人はコートを着られないのが残念だそうですが、その気持ちわかる気がします。それと噂通り、タバコにはきついところでした。歩き疲れて喫茶店に入ったのに、タバコはダメ!で、何しに入ったんや!?とガックリしたこともありました。
 こういうほんの一部観光付き、大半フリータイムというのは利用価値ありで、今後参考になる旅スタイルでした。尤も団員二人の幸運のおかげかも知れませんが。
   




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