思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その34
    合間見て、チョッと短めパックで
  ロシアの旅
サンクトペテルブルク&モスクワ7日間〈2015年7月5日〜11日〉 
はじめに…行ける時に行っておこう。余裕がない時はお手軽メニューで 
 
ロシアへのパックツアーに出かけました。ロシアは社会主義革命の先達、昔は色々と勉強したのですが、すっかり忘れてしまっています。パックでもあまり人気が無く、ましてや革命中の重要事件の跡地を巡る旅なんて、余程の企画旅行でもないと無理そうでした。個人で行くにしても、英語の通じ具合を考えると相当難しそうでした。
 驚くほど安くて(サーチャージ込で本体価格20万9千円)、時期も悪くない(夏ベスト、でも夏休みは避ける)パックを見つけました。コースは似たり寄ったりですが、サンクトペテルブルクとモスクワの2都市がスタンダードです。都市間移動は列車というプランを選びました。日程は正味6日間で、関空昼頃出発、夕方5時頃帰国でいい時間設定でした。ただ、大韓航空、仁川での乗り換えに5時間(帰り)もありましたが、この価格ですから文句は言えません。

@Aサンクトペテルブルク到着は夜10時前でしたが夕方の感覚。観光初日はエカテリーナ宮殿等〔@は1日目〕

 仁川乗り換えで、概ね飛行時間は2時間と9時間でした。大韓航空ですから、機内食のビビンバが美味しかったことは言うまでもありません。両替するなら欲しいATMは空港には見当たりませんでした。
 夏至に近く、白夜とはいきませんが、夜中でも薄明るく、日の出は午前4時頃でした(北緯60度)。四つ星のホテルは空港から近くこの評価は高過ぎかも知れませんが水廻りは完璧でした。
 観光初日は少し郊外へ向かい、ピョトル大帝の夏の宮殿の庭園巡りから始まりました。広大な敷地に色々な噴水が張り巡らされ、噴水はモーターとかで上がるのではなく、力学的に工夫されているとのことでした。広い意味でバルト海に面するのが、大帝や帝国にとって大きな魅力だったことが分かります。ナチス軍に占領され、破壊しつくされ、戦後復元の作業が進められたので、その様子が掲示されているのも特徴的でした。
▲午後10時頃でこの明るさ。空港で。 ▲バスで10分。3連泊するホテルに到着。 ▲夏の宮殿入口は少し高台にあって、庭を見渡せる
▲水路の先はバルト海 ▲随所に掲示される破壊の酷さと復元の努力 ▲バルト海のフィンランド湾
 
 ▲大滝を後に  ▲フィンランド湾に続く水路を背に  ▲大滝の中心、サムソン像    
移動はもちろんバスで、メンバーは28人だったので、車内はゆったり目。ランチ後にエカテリーナ宮殿へ
  2日目からはベテランの日本語ガイド(ナターシャ)さんで見事に日本語を操っておられました。ランチの時の飲み物も水と食後のコーヒーとかは付いてくるので、ルーブルを使う頻度がウンと減りました。
 
エカテリーナ宮殿に限らず、宮殿の多くは外壁の色が水色なのです。後はクリーム色、ピンクとか、全般的にパステルカラーなのです。ガイドさんの説明によると、ロシアは北の国ですから冬が長く、その間はどんよりと暗い雰囲気に包まれる、それを少しでも明るく、というのがこういう色彩を多用する理由だそうです。納得でした。
 琥珀の間が有名なのですが、何故かそこだけは撮影禁止でした。修復作業の写真だけは撮れましたが。
 
▲エカテリーナ宮殿へ向かう ▲宮殿前の別棟方面 ▲宮殿の柱廊、昔は金箔だったとか  
▲絨毯の部屋 ▲金箔の部屋  セラミックと食卓
▲階段室の陶器 ▲セラミックと絵画
 ▲琥珀の間の修復作業(掲示)
天候に恵まれ快調なので次の見学も先取り、血の上の救世主教会等へ
  明後日のプランに入っている聖イサク寺院や血の上の救世主教会へもバスは回りました。ここは入場観光でなく下車観光なので、近くに車を止めて外から見学するだけなので、あまり時間はかかりませんでした。ただ、次のモスクワでもそうでしたが、これらの大都市には駐車場がなく、食事の時もそうですが、駐車したら直ぐに下車して歩く、というケースが多かったです。
▲下車して聖イサク寺院に向かう ▲聖イサク寺院の前で待つ私達のバス
 ▲血の上の救世主教会の正面
 ▲血の上の救世主教会横側  ▲夕食のつぼ焼き  ▲ホテルと市街を結ぶ道路にレーニンの像
Bエルミタージュ美術館へ、たっぷり1日の見学。ガイドさんのおかげで名作をピンポイントで観られて良かった!!
  この日は、全一日、世界の三大美術館のひとつエルミタージュ美術館見学。昼食も中で各自とるという6時間まるごと集中日でした。ただ、最初は金製品展示室に特別案内で、専属係員の解説が長く、1時間かかってしまいました(撮影禁止)。広大な元宮殿に博物館的要素と美術館的要素を併せ持つので、大変な量の見学になります。世界的に人気も高く、時折窓から見学者の長蛇の列を見ると気が遠くなりそうでした(団体さん優先)。
 
▲エルミタージュ美術館に入る。雨でも今日はOK ▲モリコネ・指を咬むキューピット ▲モリコネ・春  
   
▲タペストリー、左は「アジア」 ▲孔雀石の部屋 ▲入場待つ長蛇の列
▲女帝たちの肖像画 ▲大使の階段
 ▲孔雀のからくり時計
そうそうたる画家の名画が並ぶ
  結局、ランチもみんなで一緒に食べて(サンドイッチ・サラダとコーラ程度)、午後もガイドさんの案内で、名作と言われるものをきちっと回らせて貰えました。
 イタリア美術、フランドル美術、オランダ美術、スペイン美術と有名な画家の作品が色々と展示されていました。ただ、ルノワール、モネからピカソまでの作品は、前の旧参謀本部が新館として設置されたので、そちらへ移っていました。もう相当疲れていてオプションだったのでそちらの見学は止めました。
▲レンブラント・放蕩息子の帰還
▲同・女神に変装した妻サスキア  ▲同・ダナエ
 ▲陶器のレリーフ キリスト生誕  ▲ダヴィンチ・花を持つマドンナ  ▲ダヴィンチ・リッタのマドンナ  
▲ティツィアーノ・ダナエ ▲同・懺悔するマグラダのマリア ▲ラファエロの回廊
▲ラファエロ・コネスタビレの聖母
▲同・聖家族  ▲肖像の陶器(お見合い用だった?)
 ▲イルカと天使  ミケランジェロ・うずくまる少年  ▲ゴヤ・アントニアサラテの肖像  ▲グレコ・ペテロとパウロ
 
▲パルトロメ・ムリリヨ・犬と少年 ▲ピヨトル大帝の間 ▲エジプト美術の部屋  ▲宮殿広場と旧参謀本部(美術館新館)
夕食後少し時間があるので、離団。ネフスキー大通りを散策、地下鉄とバスに乗ってホテルへ帰ってみる
  この日は夕食後オプショナルでバレー鑑賞とかもあり少し時間がありそうなので、団を離れ、この街の中心ネフスキー大通りを散策、その後深くて有名な地下鉄に乗り、バスに乗り継いでホテルに帰ってみることにしました。ただ、雨足も強くなり、降ったり止んだりで、そうゆっくりもできませんでした。
 大通り沿いの公園にエカテリーナU世の像があるのですが、その下に配下の男性を従えています。その中に有名な愛人(ポチョムキン)も居て、辛うじてキリル文字が読めたので、小雨の中確認しました(下の右から2人目)。古くからあるという2階建の有名店街を見ましたが、素通り。昨日行った血の上の救世主教会へ運河沿いに出向いたりしたくらいで戻ることにしました。
 地下鉄はスムーズでしたが、バスは少し困りました。バスは路線確認が必須なのですが、ナターシャさんに教えて貰った路線が不正確で、乗ったバスは間違いだったようでした。何より驚いたのは、車掌さんが居ることでした。ワンマンに慣れているので、乗る時に運転手さんに何か尋ねると、何だか凄い怒った口調で叫ぶのです。「車掌が居るからそちらに聞け」と言ってるんでしょうね。で、車掌さん(大概は年金生活のおばあさんかな)に聞いても英語は通じない。乗客に英語の話せる人が居て通訳してくれました。次のバス停で降りて、客が教えてくれた路線に乗り換えるとOKでした。前のバスの代金は払いませんでしたが問題無しでした。
 
▲エカテリーナU世像 ▲血の上の救世主教会北側から
 サンクトペテルブルク地下鉄エスカレータ  ▲サンクトペテルブルクのホテル  
Cサンクトペテルブルクの見残しスポット見学後、高速列車で4時間強でモスクワへ
 午後に、列車でモスクワへ向う日ですから、午前中見学のみです。一昨日2カ所見学済みでしたから、カザン聖堂とデカプリスト広場の青銅の騎士像を見学、昼食を食べて、モスクワ駅へ向かいます。時間的余裕があるはずがそうでもないのは、渋滞が心配だからです。二都市のどちらも、バスの駐車場は大変少ないし、路上停車も禁じられている感じで目的地の近くでぐるっと回らされることも多いので、結構時間がかかるのです。渋滞は相当なもので、20分位で行けそうな所へ1時間かかっている感じでした。
 モスクワ駅(ややこしいですが、モスクワ行きが出る駅)に着いたのは発車10分くらい前で少し焦りました。指定席なのですが、打ち合わせ不十分で少しまごついている間に静かに列車は発車しました。座席は2席の2列で、日本の新幹線よりは少しゆったりしていました。
 モスクワのサンクトペテルブルク駅に着くと、眼前には、スターリン様式のビルが聳えます(今はホテル)。ここも渋滞で、列車は6時ごろに着いたのに、夕食を終えてホテルに着いたのは9時を過ぎていました。モスクワは緯度が下がるので、10時頃には暗くなっていました。
 
▲カザン聖堂(サンピエトロに似せる) ▲同・内部 ▲デカプリスト広場・青銅の騎士像  
▲イサク聖堂横の新婚カップル ▲ロシア行・サプサン号(手前右がツアコンさん) ▲サプサン号、モスクワに到着
▲駅を出て前にスターリン様式のビル(今はホテル) ▲ホテル・ノヴォテルセンターの部屋
Dほぼ1日中離団し、地下鉄の地下宮殿巡りとモスクワ市ど真ん中・赤の広場周辺へ
 モスクワの1日目は、郊外へ足を伸ばしてセルギエフ・ポサードへ往復するプランでした。現地で考えたのですが、片道2時間半、往復5時間はもったいない。行先もこの間見学しているロシア正教の寺院だから類似の教会。そして、レーニン廟は明日行く赤の広場で「ちょっと行って来ます」と抜けられたとしても明日は休館日で入れない。それに、モスクワの地下鉄は凄いらしいから、それも見たい。これだけ理由が並ぶと、離団しかないなぁと結論。ツアコンの尾崎さんも、気軽にOKしてくれたので、気持ちよく独自行動をとれました。
 ホテルの位置が抜群で、ホテルを出た所がノヴォスロボーツカヤ駅@でステンドグラスが素晴らしい。地下鉄環状線(5号線)沿いに、次のプロスペクト・ミーラ駅Aは陶器のレリーフが見事。次のコムソモーリスカヤ駅Bは天井のモザイク画が美しい、と続くのです。他にも見るべき地下鉄駅はあるのでしょうが、これだけでも十分でした。最後の駅で1号線に乗り換えれば、赤の広場近くの駅にも着けるのです。モスクワの地下鉄網はそれこそ網の目のように張り巡らされている感じでした。
 
▲@駅のステンドグラス ▲@駅 上に労働の姿 ▲A駅 鎌とハンマーが残る    ▲A駅 陶器のレリーフ・果樹摘み
B駅 天井のステンドグラス ▲B駅 レーニンの演説のモザイク ▲Bホーム奥にレーニン胸像  ▲超長い地下鉄のエスカレーター  
クレムリン近くの地下鉄駅で下車、赤の広場・レーニン廟へ。マルクス像やエンゲルス像も発見
 モスクワの地下鉄は、均一料金で50ルーブル(135円)。三駅でホームを鑑賞しても駅から出ないので赤の広場近くの駅に行っても切符は一枚でした。
 もちろん朝早いので開いていませんがボリショイ劇場前を通り、その前の革命広場に。そこに相当大きなマルクス像が立っていました。フセイン像が倒される光景は未だにイラク絡みで流れますが、スターリン像やレーニン像も引き倒される映像が記憶に残っています。この二都市でも、レーニン像はそれぞれに僅かに残っているようで、とことん忌避されている訳ではない印象でした。レーニン廟も色々議論があったようですが、残ったようです。
 レーニン廟は、週休2日で時間も10時〜13時なので、うまく立ち寄らないと入れないのです。こんなに公開時間が僅かだから人も少ないのかと思ったら行列ができていてビックリ。ベトナムのホーチミン廟と同じで、立ち止まることは許されずぐるっと回るだけですから、流れは速かったです。
 広場の反対側には有名なグム(国営百貨店)があるのですが、今はブランドショップが並んでいて一大ショッピングモールになっています。クレムリンは明日みんなと一緒に入るので横を通って、ドストエフスキー像のある国立図書館を見ながらアルバート通りに入りました。国立図書館も昔の名前・レーニン図書館が残っていて、キリル文字表示もそうなっていました。
 通りを少し戻るとゴーゴリ並木道があり、その先に救世主キリスト聖堂があるのですが、その斜め前に何とエンゲルスの像があるのです。『地球の歩き方』には地図上だけですが載っているんですね…、驚きました。
▲ボリショイ劇場南にマルクス像 ▲レーニン廟入門に並ぶ ▲レーニン廟(右側)前の胸像  ▲グム百貨店中庭
 
 ▲図書館とドストエフスキー像  ▲アルバート通りで軽食  救世主キリスト聖堂正面    その対角にエンゲルス像      
ノヴォデヴィッチ修道院で団に合流、アルバート通り散策と夕食を共にする
 この日の団の最後の観光地はノヴォデヴィッチ修道院で、そこから夕食会場に向かいます。この修道院で合流しないと、夕食レストランには行けません。まぁダメなら仕方ないのですが、尾崎さんにもその旨伝えての離団でした。この修道院までは地下鉄で行き、少し待ちましたが、無事合流できました。
 そこからアルバート通りへ向かい、僕達がさっき歩いたのと逆方向に進む散策でした。いい感じのお土産屋さんがあり、少し買い物もしました。
 
▲ノヴォデヴィッチ修道院で団を待つ ▲アルバート通りのプーシキン夫妻像 ▲レーニン通りのレーニン像  
E最終日は赤の広場とクレムリン。渋滞心配しながら、3時頃にはモスクワの空港へ
 赤の広場に到着したのは9時前でしたから、グムも開いていなくて、人通りも少なく、静かな印象でした。広場は通るだけなのですが、クレムリンはチケットも必要なので入口は相当混雑していました。クレムリンは、ソ連共産党大会が行われたり、かつて政治の中心だった所なのですが、その中にこんなにたくさんの宗教施設があるのは驚きでした。中心部にギッシリと○○聖堂が立っているのです。
 武器庫(その一部にダイヤモンド庫)は歴史博物館のようなもので、それぞれに入場料が必要らしく(両方で1200ルーブル)、凄い人をかき分けてガイドさんが説明してくれました。武器、武具、衣装、織物、王冠、馬具、宮廷馬車が所狭しと並んでいましたが、ガイドのナターリャさんの説明でポイントになるところを渡り歩いた印象でした。撮影禁止でしたから、写真はありません。
 聖堂広場に面した4つの聖堂の中で最も権威のあるウスペンスキー大聖堂に入りました。中の円柱に聖人たちが描かれているのは珍しい光景でした。
 クレムリンを出て昼食に向かいました。モスクワの空港、夕方の7時頃出発なので4時頃に着いておきたいのですが、何せ渋滞が心配なので、早目早目に行動することになりました。
 トランジットの仁川空港で待ち時間は5時間ほどありましたが、本を読んだりして何とか凌ぎました。仁川空港は久し振りでしたが、民族楽器の演奏や韓式の行列をしていたり、いろいろ工夫を凝らしている印象でした。
 
▲赤の広場へ東側から入る団の皆さん ▲ワシリー寺院と左はクレムリンの公用門 ▲朝9時で人まばら。左はクレムリンの城壁  
▲西端から正面はワシリー寺院逆側 ▲レーニン廟。ここからは入れない。今日は休館 ▲グム百貨店の向うに聖カザン聖堂  
   
▲クレムリン内。武器庫等(中撮影禁止) ▲クレムリン内 ウスペンスキー大聖堂内部。   ▲同大聖堂。最後の審判
▲クレムリン内 鐘の皇帝 ▲クレムリン内 大砲の皇帝
 ▲乗り換えの仁川空港で。韓式の行列

見どころの大半は、ロシア正教の聖堂等と宮殿(美術館)。宗教への依存は不可避なのでしょうか。
 ロシアに限らずどこへ行っても、世界遺産とかの歴史的建造物の多くは、時の権力者・支配者が民衆を収奪して作り上げたものであることは、共通しています。収奪の対象が他国の民衆であったりすることもあります。ただ、そういうことがなければ、ある種の文化の発達はなかったでしょうから、仕方ないことです。それに宗教が絡むと、民衆は喜んでこの作業に従事したとか言うことになるのでしょう。ただ、ロシアのように、一旦、そういう支配者を打倒し、別の価値観で社会を作ろうとした国では、特別の感慨もあります。しかもその革命後の社会を元に戻した社会から見たらどうなるのか、というややこしい話になります。
 フランス革命のように、初期のラディカルな路線(宗教色の排除など)が良くも悪くも修正されていった場合はそうでもないのでしょう。こんなことを書き出すとキリがありませんし、ロシア革命の正当性に組するのでもありませんから、止めます。
 ただ、最近の中国での動き(儒教の復活、キリスト教の浸透等)を見るにつけ、原則的に宗教が排除された社会主義の国で、70年の経過後しっかりロシア正教が復活している姿には考えさせられるものがあります。
20世紀の歴史をどう捉えているのかな?
 サンクトペテルブルクとモスクワでナターシャさんとナターリャさんの二人の現地ガイドさんがついて下さったのですが、その説明に出て来るのは「ソ連時代には許されなかった○○」「ゴルバチョフの時代には△△」というパターンの言い方でした。スターリンとかは出て来ません。ただ、彼の像は完全撤去されているのですが、レーニン像は1、2あるので、その解説の際、ナターリャさんは「レーニンは良くは思われていません」。ナターシャさんは「お年寄りには今の暮らしに比べ社会主義の方が良かったと言う人も居ます。年金が5分の1くらいに減ったので働かなければ生きていけないからです」と言われていました。
 大そうに言えば、歴史認識の問題なのですが、難しい問題ですね。教科書にはどのように書かれているのでしょうか。ロシア革命の道が正しいとか言う気はありませんが、レーニンまで全否定していいのかな?とは思いました。彼が登場する頃の状況を民衆の視点で見たらどう捉えられるのか…。流石に、エリツィンやプーチンの名前はガイドさんの口から出て来ませんでした。時間もないので、敢えてガイドさんに聞こうとは思いませんでした。
パックツアーならではの便利さと、離団(個人行動)しての楽しみ
 旅の行程は、バスならではの効率的なプランでした。もう少し長く居るなら地下鉄・路線バスを使いこなして行けるのでしょうが、それほど見たい所がたくさんある訳ではなかったので、これくらいが良かったかなと思います。
 大胆にモスクワの2日目、ほぼ1日中離団したのも正解でした。高槻市の図書館で借りた『地球の歩き方』で十分対応できました。ツアコンの尾崎さんが、気軽にOKを出してくれたのも良かったです。モスクワ最後の夜は、夕食後、何人かの方が地下鉄巡りに出かけられ、私達の体験を情報提供させて貰いました。
 まだ日本円を直接ルーブルに両替をできる所は少ないそうで、僕達は関空で替えて行きました。先に書いたように食事の時はミネラルウオーターやコーヒーは付いていましたし、現金が必要な屋台とかがある訳ではなかったので、現地通貨を使う必要は少なかったです。
 昼食・夕食は有名なピロシキ、ボルシチ、ビーフストロガノフとかも出て来るのですが、味はアッサリ目で、量は多くなく僕達にとっては良かったです。
 メンバー28人限定も座席に余裕があり、行動もスムーズでよかったです。大半はリタイア組カップル(11組)で、勿論一人参加(女4、男2)もありました。ロシアツアーに来る方達は旅慣れておられ、遅刻は皆無でしたし、みなさん静かな印象でした。
 




Copyright © 2014 MIKAMI HIROSHI