思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その42
    4泊7日のパックツアーだけど中味の濃い
  一度は行ってみたかった ペトラ→死海・エルサレム
少しだけ見えたエルサレムの複雑で不思議な状況
〈2019年11月13日~19日〉
はじめに…「ペトラ(ヨルダン)に行ってみたい」が出発点 
 
西アジア(中東)へは、トルコ以外に訪れていないのですが、ペトラ(ヨルダン)へは行ってみたいと思っていました。息子が学生時代に訪問し、いたく感動した遺跡で、映画「インディージョーンズ 最後の聖戦」のロケ地にもなって世界中から注目されるようになったところなのです。ペトラ遺跡には色々逸話があるようですが、後で触れます。
 この地域は、最近もトルコがシリアに攻め込むとか、以前からのパレスチナ・イスラエルの緊張が続く地域ですから、不安定な状況だし、交通網も発達していないので、パックツアーを探しました。
 ポピュラーなのは、塩分が多くて浮遊体験ができる海抜マイナス450mの死海と三大宗教の聖地であるエルサレムの観光を組み合わせた7日間コースでした。クラブツーリズムが比較的低価格で正味30万円を少し切り、最近の僕たちの海外旅行にしては高目でしたが、安全を買うのだから仕方ないなぁというところでした。
 航空会社はキャセイパシフィック、香港経由で、空港での待ち時間は4時間程度、往路は夜中ですから、寝てしまいそうな時間帯でした。アジアだとは言え、直ぐ先にEUの国があるのですから、香港からテルアビブまで12時間ほどかかりました。
 仕方ないことですが、イスラエルの空港イン・アウトですから、ヨルダンへの国境越え、そこからまた二日後にイスラエル再入国で国境越えとなるので、少々面倒でしたが、一応想定範囲内ではありました。

①関空夕方出発でゆっくり準備ができ、なかなかよかった〔①は1日目、以降同じ〕
②空港朝8時出発、バス乗り換えながら7時間、夜はペトラ・バイナイトに間に合った
 関空出発は夕方5時なので、塚脇を1時前に出るというゆったり出発でした。関空から香港まで約4時間、空港で4時間、テルアビブまで約12時間、時間はたっぷりあるので、何冊かの単行本を機内持ち込みにしたのですが、チョット難しめの本にしたのが間違いで、ウトウトすることが多くなりました。キャセイのビデオリストは、日本映画が多く三上も西矢も2本ずつ(「長い別れ」(主演山崎努)等)見ました。
 空港を出たのは朝8時頃でしたが、この日は、イスラエルから国境越えをしてヨルダンに入り、南下するので、7時間以上かかり、バスもイスラエルのバスから、国境を超えるとヨルダンのバスに乗り換え
(現地ガイドも交代)ヨルダンに入って先ずは何故か乗合バスに5分ほど乗る、という具合でした。
 旅行社「旅のしおり」にも「国境越えは場合により、大変お時間がかかる場合もございます。予めご了承ください」と書かれていたのですが、結局2時間くらいかかりました。
▲ヨルダンへの通関のクルマゲート ▲ヨルダンに入った後の乗合バス ▲おっとりしたヨルダンの入国審査
20分で夕食、急いでペトラ-バイナイトへ。ロウソクだけの静かな、ナイトショー
 そのシワ寄せは、ホテル着が遅れ、今回は夜の大きなイベントのペトラ・バイナイトに響いてきます。そのナイトショーの開始時間も結構エエ加減だそうで、8時あるいは8時半…。ホテルに夜の7時10分頃に到着、7時半から夕食バイキングで、8時にはホテル出発、5分後にはペトラ遺跡のゲートにインという駆け足の連続でした。
 バイナイトは月・水・木のみだそうで、この日は木曜でした。エジプトのアブシンベルで凄いナイトショーを見たことがあるのですが、そういう音楽と映像の壮大なものではなく、ペトラ遺跡の最大の見所、アル・ハズネ(日本語で宝物殿)前で、1800本ものキャンドルに照らされた中、ベドウィンの奏でる音楽(笛と歌)に包まれるショーなのです。ゲートから30分以上歩くのですが、その道筋も紙で囲われたローソクの灯りで導かれます。明日、じっくり見学する巨石群(通り道をシークと呼ぶ)の間を進むことになります。
▲シークの先に会場が見えた ▲ライトアップされたアル・ハズネ ▲帰り道のキャンドル。白い光はヘッドランプ
③終日、ペトラ遺跡を見学。相当な距離を歩き、最終目的地のエド・ディルへは900段の階段
 バイキングの朝食を済ませ、遺跡の入口まで遠くはないのですが、一応バスで移動。入場は朝9時。
 この遺跡は、世界で一番高い入場料だと言われているそうで、入場券には50JD(ヨルダンディナール)と表記されていましたからレートは1D=154円として8千円近いことになります。
 ヨルダンのガイドさんは英語オンリーのおじさんなので、添乗員の小林さんが要所要所でスマホを見ながら解説するというスタイルでした。
 遺跡の入口から昨夜バイナイトで進んだアル・ハズネ迄が第1区という感じですが、40分ほどの道。壮大な岩の割れ目(シーク)が続くので、その巨大さに感心したり、上下水道の跡とかもあり、長くは感じません。
▲遺跡入場。昼食迄は団体で
▲オベリスクの墓。前に馬車用の道  ▲シークに入る
▲シーク歩き始め ▲洪水で流れ着いた巨岩 ▲シークも最終盤。ベドウィン風の人も
▲向こうにアル・ハズネが見えた   ▲観光客いっぱい  ▲アル・ハズネのアップ、今は立入禁止  
遺跡唯一のレストラン・ベイズィンでランチ。最終目標エド・ディルへ。一気に下って、ペトラ博物館へ
 アル・ハズネから始まる第2区に当たるのが、円形劇場、王家の墓から柱廊通りと平坦で広い道が続きます。ここも、一時はローマ帝国の支配下に入ったので、その名残もあります。柱廊通りの突き当りにあるのが遺跡内の唯一のレストラン、ベイズィンでここでバイキング形式のランチタイムになります。
 小休止した後、第3区に当たるのがここからエドディル迄で、2時間近くの登りになります。900段近い階段(合計ですが)を登り、ツアーとしては自由参加でしたが、大半の方が行かれました。結構きついなぁという感想でした。このゾーンの最高地点なので、展望は良好でした。
 帰りは、一気にゲートまで向かうのですが、夕方近くになり、ゲート横にある日本のJICAの援助で最近作られたペトラ博物館の閉館時間が心配で懸命に歩きました。近代的な博物館で設備も整っている印象でした。
▲アル・ハズネの裏に犠牲祭壇 ▲向こうに王家の墓が続く ▲円形劇場
▲王家の墓の端 ▲柱廊通り ▲凱旋門  
▲アルハビス城 ▲ベイズィンでランチ  
▲昼食後、エド・ディルへ出発 ▲左上にエド・ディルの上部。山羊がウロウロ ▲エド・ディル前の広場に到着
 
▲エド・ディル(修道院)前でツーショット ▲展望台からエド・ディル方面 ▲エド・ディルの反対側の展望  
▲岩の裂け目の深さ
▲一気に下山。テントは昼食のレストラン  ▲柱廊通りの大神殿跡 ▲来た道を急ぐ
▲ペトラ博物館入口、間に合った ▲新しい博物館なので、設備も充実 ▲遺跡の部分をかたどったレプリカ
④イスラエルへ再入国。エリコから死海へ向かい浮遊体験、オリーブ山、そしてエルサレム
 イスラエルへ再入国する日なので、不測の事態を警戒して、何とホテルを朝6時に出発。出入国管理の建物には10時頃に到着。イスラエルに入ったのは11時半。これでも早目だったらしく、現地ガイドさんの言によればそのお陰でエリコに立ち寄れたとか。世界で一番古い町だとか。エリコ山、誘惑の山だとか。クリスチャンにとっては重要な遺跡のようです。乾燥フルーツの売店だけが印象に残っていますが…。
 そこからバスで小一時間、死海のカリアビーチに到着。一巡するだけのバイキングランチの後、死海のビーチへ。もちろん海水ですから、シャワールームあり、バスタオルも貸与で、ひと安心。世界中の人が集まるので大賑わいで、その分、大急ぎで着替えなければなりません。全くの印象ですが、超年配の方が多かったようです。遊泳体験でなく浮遊体験ですから、浮くのを楽しむ。気の付く現地ガイドさんが、新聞を貸して下さって、ポーズを取ったりしました。泥の成分が良いらしく、泥パックをするコーナーも。沿岸には塩の結晶がいっぱいでした。
 死海から約1時間で明日見学するエルサレム旧市街の谷を挟んで向かいにあるオリーブ山へ向かいました。主の泣かれた教会、万国民の教会等、比較的近年に建てられた教会や墓地を見学して、エルサレムに入りホテルに向かいました。
 
▲イスラエルへの入国 ▲エリコ山展望台 ▲死海・カリアビーチへ    
▲お馴染み浮遊、読書の光景 ▲泥娘集合(何故か仏人男性も) ▲世界で一番低い(海抜-420m)バール
▲主の泣かれた教会外観 ▲ゲッセマネの園(樹齢高いオリーブ) ▲万国民の教会  
⑤まる一日、三大宗教の聖地エルサレムとパレスチナ自治区のベツレヘム見学
 エルサレム旧市街は4つの区域に分かれていて、もちろんその区分けは壁があるわけでもなく線が引かれているのでもありません。住んでいる人々が違いますから、宗教、文化等が異なるので直ぐに判る人には判るのでしょうが、観光客には俄かには無理でした。
 再度イスラエルに入ってからのガイドさんはエミさん(仮名)、日本生まれの日本人でした。ユダヤ人と結婚され、一男二女にも恵まれておられるそうです。3年前に離婚されたことも包み隠すことなく話される実家は大津の元関西人でした(付け加えることがありますが、最後に書きます)。
 4地区の最初はムスリム(イスラム教徒)地区。有名な金ピカ屋根の岩のドーム、そして嘆きの壁。嘆きの壁は、一応入場チェックがありますが緩いものでした。男性は帽子が必要で、無い人はキッパという超小さい帽子らしきものを借ります。男女別で、女性の方が手狭な印象でした。紙に願い事を書いて壁の隙間に押し込むのですが、効能の方は?
 ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)を辿るのが今日のメインイベントです。イエス有罪判決の後、十字架を背負って歩かされる。ゴルゴダ迄1km。その間に14のステーション(エピソードかな。日本語訳は留)があり、その目印が小さな彫像風に飾られています。これが無ければよほど詳しい人でなければどんどん見過ごしそうでした。関心のない方は飛ばしてもらっていいですが、一応14の留を書いておきます。
①有罪判決を受けたピラトの官邸②鞭打ちの教会③イエスが最初につまづいた場所④苦悩の母のマリア教会⑤シモンがイエスに代わり十字架を背負った場所⑥ベロニカ教会⑦イエスが再びつまづいた場所⑧エルサレムの婦人等を慰める⑨イエス3度目につまづく 聖コプト教会⑩ゴルゴダの丘⑪十字架に釘づけ⑫息を引き取る⑬マリアが亡骸を受け取る⑭イエスの墓
▲昨日訪れたオリーブの丘を望む ▲水場の向こうに岩のドーム  ▲普通の民家を通って嘆きの壁に向かう  
   
▲嘆きの壁遠景 ▲キッパをかぶってみました
 ▲白い笠の向こうが女性スペース    
▲ヴィア・ドロローサを歩く。レンタル十字架と ▲第1ステーション ▲第3ステーション  
▲普通の商店街の中を通って進む ▲第7ステーション  ▲第9ステーション十字架返却
▲道のゴール聖墳墓教会 ▲キリストの墓見学を待つ信者さん達 ▲キリストの最後を描く壁画
▲キリストの墓 ▲旧市街を抜けて ▲シオン門を出てシオンの丘へ
▲マリア永眠教会のマリア像 ▲嘆きの壁の代替だった壁面 ▲最後の晩餐の部屋跡地
午後はキリスト誕生の町ベツレヘムへ。ここはエルサレムにあってパレスチナ自治区
 生誕教会のあるベツレヘムへ向かい、バスで小一時間。ここで昼食。キリストが生まれたとされる町。
 未だに訳わからないですが、この有名な町が、町ごとパレスチナ自治区なのです。別にこれまでと変わったこともなく、壁がある訳でもありません。
 イエスが生まれたとされる場所は地下にあり、長蛇の列で、ガイドさんが2時間ほど待ち時間が要りますがどうしても行きたいと言う人?と聞かれパーフェクトにゼロ。添乗員さんがホッとされました。
その時間でミルク・グロットの教会へ(伝説は割愛)。
▲生誕教会外観 ▲生誕場所に行くために2時間待ちの皆さん ▲司祭の説話
▲ヒエロニムス像(聖書のラテン語訳) ▲聖カテリーナ教会はミサ中 ▲伝説のミルク・グロット  
⑥鶏鳴教会に立ち寄り、テルアビブ空港へ、イスラエルならではのトラブルもありつつ、無事出国
 いよいよ最終日、残された数時間は鶏鳴教会訪問。鶏が鳴く前にペテロはイエスを知らないと三度言うとの予言にまつわる教会。法廷に行く前に入れられたとされる牢獄が聖地になっています。ここは景色もよく、昨日訪れた岩のドームとかもよく見えます。ナツメヤシの実が成熟しているのも初めて見ました。
 いい景色をバックに、メンバーに恵まれた参加者17人とエミさんで記念写真も撮りました(これは非公開)。
 テルアビブ空港には11時過ぎに到着。時間は十分にあったのですが、セキュリティチェックが信じられないおかしさでした。�バックパックだけ別室に連れていかれ、全部出さされ、ナツメヤシが怪しいから全部取り上げられ、機械で検査。「それ君とこの国の名産やろ!」そして、座席も夫婦でボーディング手続きしてるのに、全く離れた席指定。添乗員さんが気付いてくれて慌てて変更、なにこれ⁉

 添乗員の小林さんによれば、この国はこういうことががあるんですよ、とのこと。助けられました。
▲エルサレムのホテルからの夜景 ▲ホテルからの早朝風景  
   
▲鶏鳴教会のエントランス ▲ペテロの逸話を解説するエミさん
 ▲イエスが捕らえられたとされる地下牢    
 
▲地下室で聖書読むエミさん ▲遠くに岩のドームなど神殿の丘
 ▲これがナツメヤシの実    

 最後に、これまでに飛ばしてきた事柄やこの旅全体を通して感じたことを書いておきます。
ペトラ遺跡の成り立ち
 冒頭に書いたように、映画インディージョーンズシリーズで有名になったとは言え、一体いつ頃からの文化なのか、よく知りませんでした。この地域は地中海の東沿岸付近に当たりますから文明の発祥のゾーンにあったことは確かです。時期によっては、重要な通商路でもあったので高度な文明が発達したはずです。紀元前6世紀ごろナバテア人がキャラバン隊の安全を保証する形で支配力を強めたようです。ギリシャ文化に起源をもつヘレニズム、そしてよくあるローマ帝国の支配下での発展の流れがあったようです。
 ただ、地中海沿岸よりは内陸部にあったためか、その後歴史上の表舞台からは消え、1812年スイスの探検家がこの遺跡に到達するまで、その高度な文化は埋もれたままになっていたようです。
イスラエルはユダヤ人だけの国ではないこと。でも比較優位(武力を背景に)は明らかか。
 イスラエルと言ってもエルサレムに足を踏み入れただけですからわからないことが多いですが、旧市街が特殊なのかもしれませんが、あんなにイスラム系、ユダヤ系、キリスト教徒系が住み分けていることも知りませんでした。しかも多分平和に共存している。それより驚いたのは、旧市街だけではなく、キリスト生誕の地として有名なベツレヘムはエルサレムからバスで小一時間の距離にありながら、市としてパレスチナ自治区だというのです。ガイドのエミさんに尋ねたら、そういう地区はほかにもありますとのこと。イスラエルとパレスチナ自治区は平和に共存していける関係ではないはずだと思うのですが、頭がこんがらがってきます。
 エミさんはユダヤ人と結婚していて3人の子供もいますから、ほぼユダヤ人的感覚なのですが、こんなことをサラッと言います。「イスラム系の人には石油産出国が付いている。ユダヤ系へは世界のユダヤ人が応援をくれる。キリスト教系の人はあまり支援してくれる人がいない。だから、比較的貧しい人が多い(地区になる)」。「ユダヤ系の人も仕事を頼む時、安い方がいいから、パレスチナ系の人に頼むことも多い。そうやってうまくまわっている」。そして、街の案内をしていても、「この道路から向こうは○○年迄はヨルダンでした」とサラッと言う。それって戦争で奪い取ったんやんかと思います(もちろん言いませんでしたが)。イスラエル国歌が好きだと言って歌詞を紹介していましたが、他でもないシオンの丘に帰る(集まる)と高らかに歌うのです。シオニズムそのものです。
 ただはっきりしていることは、エミさんが言うように日常的には人々は入り混じりながら普通に暮らしているのですね。
 何と言っても、世界的にはキリスト教徒が多いわけで、エルサレムに集まるクリスチャンの多さと熱心さは凄かったです。悲しみの道の途上でも賛美歌を歌いだしたり、司祭が解説したりという光景が見られました。
パスポートに入出国のスタンプは押さないのでした
 イスラエルに入国したことがある人には入国を断る国がある、と聞いたことがあるので、いくら海外へ行くことが少なくなっているとはいえ、まずいかなと心配していたのですが、周辺のアラブ系の国だけでした。知り合いが頼めばスタンプは押さないでカードに処理してくれるそうですよ、と教えてくれたのですが、実は全員にカード処理してくれることになっていました。入国カードと出国カードが手元に残ることになりました。パスポートの押印ページは無傷のままだということになります。
アフリカ系の黒人を見かけることが多いのは気のせいではなく、歴史的な経緯があるらしい
 古代、ユダ王国が分裂したときに、アフリカへ流れた人々がユダヤ教徒として存在し、とりわけエチオピアに多いとか。そのため、イスラエルのあちこちでアフリカンを見かけることが他国より多い印象でした。






Copyright © 2019MIKAMI HIROSHI