思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その35
    「世界一美しい散歩道」に惹かれて
  ニュージーランドの旅
ミルフォードスタートで16日間〈2016年2月8日〜23日〉 
はじめに…気がかりだったプランをようやく実現。直接の準備だけでも1年以上 
 
大学のクラブ(ワンゲル)の先輩から送信される旅の印象記に触発されたのがきっかけで、「世界一美しい散歩道」、「世界のトレッカー、憧れの的」と絶賛されるミルフォード・トラックへ行って来ました。妻の西矢の高校時代の親友がニュージーランドに住んでいて、この機会に会いたいということもありました。
 ミルフォード・トラックは、よく知っていて興味深く感じる人と「それ何?」という人の両極端に分かれる所のようです。本格的にプランを考え始めて、色々なところで話をすると、「私も行きたい」「ニュージーランドに居た時に聞いたことがある」というような反応がありました。もちろん「行ったことがある!」と言う人も。私達も当初はミルフォード・トラックとミルフォード・サウンドのつながりもよく分からない状態でした。ただ、申し込みが必要で、人数制限もあり、二つのタイプ(ガイド付きと無しと)があることは聞いていました。
 私達はガイド無し(インディビジュアルと呼ぶ)で行くことにして、申し込みの時期を待つことにしました。南半球ですから向うの夏は12月から2月ですが、このシーズンの申し込み開始は7月1日だと聞いていました(飛行機もホテルもトラックの申し込みが取れなかったら、どうしようもないのです)。ネット申込は少し不安だし、チョッとサイトを見ておこうと相当早めでしたが、昨年の3月頃にアクセスしたら、何と諸般の事情で(と書かれていたように思います)今年は2月くらいから申し込み受付が始まっていたのでビックリしました。しかも、既に半分くらいは埋まっていっているのです(3泊し一方通行で歩くので初日を取れば自動的に全泊取ることになります)。これは慌てました。2週間くらいの旅程になると思っていましたが、まだニュージーランドの勉強も何もしていないので、困惑しました。ただ、メインはミルフォード・トラックですから、先ずここに行くことにして、自分達の都合を考えてとにかく申し込みました。3泊の後、サウンドのクルーズに参加するので、それとは別にもう1泊するのですが、4日間頑張ったご褒美に少しいい所を予約したかったのですが、そちらは満室で、2段ベッドの予約しかできない状態でした。7月頃に作業を始めていたら、このプランは1年お預けになるところでした。
 こうして、慌てて申し込みを完了(すべて英語でしたから、最後まで不安が付きまといましたが)、後のプランや飛行機は、西矢が大奮闘して詰めていきました。カナダと同じで鉄道は発達してないので、移動は飛行機やバスを使わざるを得ず、飛行機の国内線も使うのでニュージーランドエアーで予約しました。ホテルはホテルズ・コムを主に使うことになりました。
 

@Aクイーンズタウンは、ミルフォードトラック準備に買出しとかへ。〔@は1日目、以降同じ〕

 ニュージーランド航空は成田のみですから、伊丹出発で羽田へ、リムジンで成田へ移動。ロスタイムは、まぁ我慢できる範囲内でした。成田−オークランドは11時間ほどでした。往路では時差でプラス4時間ですが、時差による体調の変調はあまりありませんでした。オークランドの空港で2時間待ちで国内線に乗って、クイーンズタウンへは朝9時に到着。市中心部でホテルはすぐ見つかり、荷物を預け、市内探索やチケットの予約、明日以降の4日分の食材を買い込んだりしました。
 クイーンズタウンはワカティプ湖に寄り添うように広がり、観光のためのこじんまりした町で中心部は爽やかで静かな街並みが広がっていました。ホテルはYHAというバックパッカー向きでしたが、裏側は湖に面していました。
 ホテルの近くに日本人スタッフの居るツアー会社があり、バスやクルーズのチケットを取りました。「慌ててチケットを取らなくてもいいのでは?」と尋ねて、スタッフが「この時期ですからネェ」と言います。私達の旅の始まりが中国の春節に重なっていることに初めて気がついたのです。この後も中国の皆さんの数に圧倒される日々が続きます。
 夕食は、長い列に並んでゲットしたファーグバーガーの最大版($17.9。$1=80円程度)を湖岸で食べることにしましたが、美味しかったです。今日買い込んだ食材を含め、最小限をサブザックに詰め、残りは5日後に戻って来るYHAに預かって貰ったのはもちろんです。ただこういう客が多いのでしょう、ロッカーにどうぞ、ということでした(1日でも5日でも$2)。
▲クイーンズタウン中心部の前はワカティプ湖 ▲歓迎して、街中に繰り出す中国の獅子舞
▲ホテルYHAのベランダから ▲この町の名物、巨大なファーグバーガー ▲湖にカモメ
Bミルフォードトラック、スタート。歩き始めるまでの不安色々。1日目はウォーミングアップ程度。
 昨日予約したばかりのバスは朝7時前に出発。15分前集合ですからまだ薄暗い中でバス乗り場に集まりますが、色々な方面にバスは出ますから乗り間違えたら大変です。日本の乗り合いバスと違って、乗り合い観光バスという感じで予約が前提なんですね。名前を言って乗せて貰う。2時間半かかってテアナウに着きますが、途中で予約した色々な客をピックアップして行きます。
 テアナウは色々な観光コースの出発点なので人でごった返しています。ここからボート乗り場までバスに乗らなければならないのですが、どこへ行けばいいの?出発時間も近付くし、日本でプリントしたトラックの予約シートはYHAに置いてくるというミスで、頭は真っ白状態に。そこに、「ニシヤさんですか?」の声。DOC(Departmennt Of Conservation)の日本人女性スタッフでした。「お待ちしていました」と優しい声にホントに救われた次第。ここで正式のチケット(バス・ボート・小屋・ボート)を渡される仕組みだったようです。
 テアナウ・ダウンズからのボートは小一時間かかりますがなかなかの景色で、西表島のクルーズを思い出したくらいです。朝早かったので、私達はこの船内で朝食でした。乗っている人はグレイト・ウォークス(ミルフォードトラックのトレッキングを正式にはこう呼ぶようです)の参加者ということになります。日本人が10人以上居られたので、伺うと「最初のロッジまで歩いてランチをとって戻って来ます」と言われていました。こういう参加の仕方もあることを知りました。
▲薄暗い中、YHAを出発 ▲テアナウのヴィジターセンター ▲ボートに乗り込む
▲後方を振り返る ▲前方の景色 ▲前方の壮大な景観
ボートはグレイドワーフに着き、グレイドハウス、そしてクリントン小屋へと歩き、小屋の使い方とかを確認
 厳格な自然保護を貫くニュージーランドですから、ボートに乗り込む前から登山靴は消毒液を踏んでいましたが、グレイドワーフでも消毒の警告がありました。天候はとてつもなく快晴で、初日は1時間半ほどしか歩かないのにもったいない!と思うくらいでした。
 直ぐにガイド付きウォークのロッジに着くのですが、私達は長いつり橋を渡り更に1時間ほど歩きクリントン小屋に着きます。水の透明感には驚きますが、これはこの後も続きます。
 個人ウオークは40人限定ですが、ガイド付きのように事前打ち合わせもないので、それぞれに小屋(Hut)に到着して行きます。どんなメンバーなのかは、集まってみないとわかりません。どの小屋も2段ベッドですが、造りは色々で、どこのベッドで寝るかは着いた者から決めて行き、そのベッド番号の一覧表に各自記入するだけ。キッチンもガス台は6台でバーナーは各2個ですから、混み合って困るということは無かったようです。
 
▲グレイトワーフ到着 ▲歩き始める ▲グレイトハウス上にヘリコプター  
▲グレイトハウス通過 ▲クリントン川に長いつり橋  ▲ウェットランド
 
▲クリントン小屋(左&奥:宿泊棟/右:キッチン)  ▲宿泊棟内部
 ▲クリントン川で遊ぶ  ▲今日の夕食は丼色々  
Cミルフォードトラック、2日目、ミンタロ小屋へ。
 1年前に個人ウォークで来た(それを知ったのも直前)従妹夫妻から得た情報がホントに有効でした。彼らのヒントで朝・昼は食パンにハム・チーズ・胡瓜のサンドイッチ(食材はクイーンズタウンのスーパーで買出し)。5時頃から準備しますが、もちろん未だ真暗。ヘッドランプ必携と言われ、役立ちました(キッチンの電灯は6時ごろからしか点かない)。3日ともキッチン一番乗りグループでした。音を立ててはいけないので、色々なものは宿泊棟から運び出して作業(音を出さないのは東北ボランティアで苦労したのを思い出します)。ペットボトルも日本のしっかりしたものを持参するのがいいとアドバイスを受け、これも正解でした(水に溶ける粉末の緑茶、ミルクコーヒー持参)。
 6時半頃に明るくなるので、3日とも6時50分出発でした。ほぼ一番でした(でも、次の小屋に着くのは真ん中くらい)。小屋に掲示されている天気予報では、今日も明日も雨だったので、心配でしたが、何とか持って晴れ間さえ見えました。私達が2泊目のミンタロ小屋に着いたのは3時前でしたが、その後、雨が降り出し、夜には相当な降りになりました。
 2日目も上り下りはあまり無く、おだやかな道が続きました。道の雰囲気は屋久島のもののけの森(苔むす森)とよく似ています。降雨量の多さは屋久島以上ですが、共通点です。屋久島の苔むす道はそんなに長く続かないし、結構な登りや下りがありますが、ミルフォードでは平坦な道が長く続きます。谷筋を歩くことが多いので両脇に滝が見えたり、覆われる木々が無くなると平原的な雰囲気になったりもして変化もあります。サンドフライ除けの薬を前の休憩場所に忘れて来たことに気付き、「まだ始まったばかりなので、これなくしては危険」と判断して取りに戻ったこともありました。ホントに小さな虫なのですが、知らない内に手や足に来ていて、この薬が役立ちました。
 ミンタロ小屋は1棟で2階建でした。2階は暗かったので、1階で、2段ベッドの上と上にしました。
▲少し明るくなって、出発。 ▲道標。進んだ距離1マイル毎に ▲平原的な雰囲気
▲ヒレレ・フォールズ ▲水が透き通って、魚も見えます ▲曇り空から、少し晴れ間も
 
▲こういう枯れた川原を渡ることも ▲道に出て来るウェカ(飛べない鳥) ▲2段ベッドの上。向うの上と  
▲キッチン ▲夕食はビーフ&クリームシチュー、ホウレン草スープ。指先は梅干し。隣は香港、右はUS、奥はオーストラリアの人達  
Dミルフォードトラック3日目、マッキノン峠へ。下ってサザーランド・フォール往復、ダンブリング小屋
 トラックの最高地点マッキノン峠を越します。『地球の歩き方』には「ジグザグの上り」「急な下り」と書かれていて、緊張して歩き始めました。でも、日本の山のような急な上り、下りではなく、心持ち上ってってるかなという程度でした。ただ、距離は長いので疲れはしました。天候も最悪を予想したので、まだましでしたが、峠周辺ではガスっていて、展望は望めませんでした。
 峠の下り、15分くらいのところにシェルター(避難小屋)がありました。小雨模様で寒かったので、入ってみて驚いたのは、何とガスコンロがあることでした。水も出ますから沸かしてミルクコーヒーを飲むことができました(ガイド付きの部屋は隣にありましたがロックされていました)。
 下りには、いくつか大きな滝があり、段々になった滝なんかも見られました。しかし、もちろん、圧巻は580mのサザーランド・フォールでした。ガイド付きのロッジからの往復で、平坦な道ですが1時間半以上かかります。個人向けにはザック置き場の小屋があり、戻って来てからまだ1時間ほど歩きます。このプラス1時間は相当きつかったですね。
 ダンプリン小屋は宿泊棟2棟とキッチン棟でしたがこの棟が少し離れていたので、降雨時には困りました。
 画像に夕食メニューを書いていますが、全てフリーズドライの食品です。個人ウォークは自炊ですから、食料持参(当然ですがゴミ持ち帰り)。好日山荘で携行食品を調べ、実際に試食し、こういうメニューになった次第。お湯をかけて15分、美味しくはないが、不味くもない。必要なのはお湯だけですから、コッヘルと食器のみ持参でした。その為に、ご一緒した韓国の盛さんは何度もザックを見て「どうしてこんなに容量が少なくて来られるのか?」という表情でした。
▲まだ灯りがついている小屋を出発 ▲峠越えへ、後少し… ▲可憐な花の向うに谷が見えた
▲ジグザグ道を登る ▲マッキノン峠の展望台 ▲晴れなかったけど、少し薄日
 
▲一瞬谷筋が見えることも(ミルフォード方面) ▲ガスコンロ(左端)シェルターで 奥にドイツの青年 ▲あまり急坂はなかった下り  
▲段々の滝も ▲急坂には木組みの階段も  ▲もののけの森(苔むす森)的な道、羊歯いっぱいの道…  
 
▲サザーランド・フォール遠景 ▲サザーランド・フォール前で
 ▲580mの上部  ▲小屋の入口、宿泊棟2棟
▲宿泊棟からキッチン棟を見る ▲この日は2段ベッドの下・下で(向い。結構広い)
 ▲赤飯、山菜おこわ、にゅうめん。前にオーストラリア人
Eミルフォードトラック4日目(最終日)、終点サンドフライ・ポイント。ボートでミルフォードサウンドへ。
 最終日ですが、この日も出発は6:50でした。朝早くに歩き始めると、鳥の鳴き声が迎えてくれ、山の峰に陽がさし始めるのを見ることができました。アップ・ダウンは全くなく歩きやすい道が続きました。きっとチャンと名前があるんでしょうが、幾つもの山が次々と現れました。下流に向かうので川幅も広くなり、それだけゴールに近付いている実感もありました。アーサー川と川のような湖(アイダ湖)に並行して進みました。
 ゴールのサンドフライ・ポイントが近付くとガイド付きのメンバーも折り重なるような感じで進みます。途中、日本人ガイドさんから「ワンデイですか?」と声をかけられ、イエ、3泊で歩いて来ました、と返事。荷物が少ないのでと驚かれたのです。実は入口と同じで、出口でも逆向きに進み、適当な所で折り返すワンデイメニューがあるそうです。今回の並行したガイド付き50人の内日本人は14人だったそうです。色々と話を聞きましたが、ネットでの申し込みなので、たまに体力的に無理な方が歩き始めることもあり、お引き取り願うこともあるそうです(日本人は稀)。その際はヘリコプターで送るそうで、そう言えば小屋のそばに必ずヘリの発着スペースが設置されていたのを思い出しました。
 ゴールには2:15に到着しました。コースタイムは6時間でしたから、1時間ほど多めになりましたが、完歩できました。後0.5kmになってからが、とんでもなく長かったので、何かの間違いだと今でも確信しています。
▲最終日も早朝スタート ▲こういう感じの道 ▲朝陽がさし始める
▲雲が漂う ▲吊り橋も渡る ▲チョッと幻想的な景観に日の出も
 
▲蜘蛛の巣に朝露 ▲川幅も広くなり、左に道 ▲中州が広がる  
▲透き通る水 アイダ湖 ▲GOALのサンドフライ・ポイント  ▲ミルフォードトラック表示の終了  
今度のボートは10分余り、直ぐに対岸に着き、歩いてロッジに到着
 ボートは何往復もしているようで、午後3時に出ることになっているボートは2時半に出るらしく、15人くらいで満員になる小さなボートでアッと言う間に対岸に着きました(名前をチェックしていて、一応これで安全を確認しているようです)。 
 
GOALの前の休憩ポイントで、フランス人の夫妻から、今日の宿泊はどこか聞かれ、「完歩後だけはいいホテルにと思ったけど、空いてなくてロッジに予約している」と答えたら、私達も一緒だと言われていました。このロッジの位置がわかっていなかったので、ボートを降りて、バスに乗るのか、迎えが来るのか…と戸惑っていたら、フランス人夫妻と3人くらいが歩き始めたので、ついて行きました。20分ほどでミルフォードサウンドロッジに到着。直ぐにチェックインしました。
 このロッジはバックパッカー向きにもなっていて、2段ベッドで12人くらいのキャパの部屋でした。同じ2段ベッドでも、ここは電気が点いているし、シャワーはあるし、ごみが捨てられる(笑)!同室は若者が多く、日本人の女性、個人ウォークで一緒だったドイツの青年も居ました。キッチンは大賑わいで、色々な料理がされていました。韓国の盛(ハン)さんも泊まっておられ、お嬢さん二人とレストランで食事されていました。
 ガーデンがあり、そこで、今までの残りのフリーズドライで夕食をとりました。

▲サンドフライポイントから
▲救命胴衣付けてボートで向かう
 ▲対岸のミルフォード
 ▲ミルフォードサウンドロッジの入口  ▲ロッジのレセプション  ▲少し寒いけど、庭で夕食
Fミルフォード・サウンド・クルーズ クイーンズタウンへ戻る
  さすがに、5時起きの必要はなく、7時に起床し、朝食もレストランはあったのですが、ウォークの食材が残っていたのでガーデンで食べました。そこで盛さんが写真をデジカメでみせてくれましたが、中々の腕前で感心しました。ここも日本人はほとんど見かけませんでしたが、3世代の母・娘が居られ、「ミルフォード・トラック行ってこられたんですか?」と聞かれ、その情報提供で話に花が咲きました。今回は断念したけど行く気満々で色々聞かれました(神奈川の方で、これを見て頂いていると思います。こういうこともあり、3泊4日の報告はその辺に重点を置いています)。
 ミルフォード・サウンドのクルーズ船のターミナルまで歩いて15分くらい。船はクイーンズタウンで予約済みで、午後1時になっていますから時間は十分過ぎるほどあります(この便にしたのはアナウンスに日本語があるからでした)。Foreshore Walk(渚の遊歩道)をゆっくり廻ったりし、ターミナルで乗船を待つことにしました。
船は3社程が運航していて、次々と色々な大きさの船が出て行きます。船のカウンターはどれも中国の春節おめでとうで飾られていました。
 私達の船は日本語ガイダンスがあるということだったので、日本人が多いのだろうと思っていたら、何の何の、ここも中国の方で満ち溢れていました。船のスタッフに日本人が居られ、その方の誘導で座席は確保できたのですが、大半は中国人でした。この船がランチタイムに出港するからでしょうか、ランチ時は必ず座席に居て、終わればフリーということでした。私達もシンプルなピクニックランチ($18)を予約していてよかったですが、中国の皆さん倍近い値段のObento等を予約されていましたヨ(笑)。
 最上階の展望デッキに出ると、ほとんどアジア系の人ばっかり。ですから、日本語が聞こえると懐かしいくらいでした。そんな人に声をかけたら、何と高槻の人達で、このレアケースは!?とビックリ。それも高槻にある大阪医大6回生で4人の女性でしたが卒業旅行だとか。天候は雨がちなこの地域にしては曇天でも喜ぶべきなのでしょう、パキっと晴れませんでしたが、フィヨルドってこんな感じなのだと納得しました。幸い、オットセイやイルカも見ることができました。
 
▲渚の遊歩道には、説明板が整備 ▲ミルフォードサウンドと雨についての解説 ▲クルーズ船のカウンターは祝・春節  
 
▲私達が乗るクルーズ船 ▲ピクニックランチ(コーヒー等はフリー) ▲振り返り  ▲絶壁に小さな船  
▲進行方向 ▲デッキ上の人々
 ▲進行方向の絶壁
▲オットセイ ▲イルカ  ▲スターリン・フォール  
 
▲後部から ▲クルーズ船最終盤(後方)
 ▲クルーズ船最終盤(前方)  
バスでミルフォードサウンドからクイーンズタウンへ戻りますが、結構な道のりでした
 着いた初日に予約したバスは午後3時にクイーンズタウンへ戻るのですが、日本人のガイドさんは、乗り込む前に「チョッと待ってて下さい」と言います。意味不明でしたが、要するにこのバスはクイーンズタウンから来てクルーズが終わるとそのまま戻るので、来た時の乗客優先ということでした。だから、ここで降りた人が二人いて、そこへ私達を座らせる、ということだったようです。このバスも、中国人が35人くらいで、その他は日本人を含め15人、満席。以降の長距離バスは全て日本人ガイドがつくことになりますが、日本人観光客は大変少なかったです。ドライバーが英語で話し、ガイドが日本語で解説。マァ、私達は便利でよかったのですが、どうなんでしょう…
 クイーンズタウンへは近道があると思っていたのですが、来た時の逆に走るだけで、テアナウに戻り、そこからクイーンズタウンへ、合計4時間半ほどかかりました。ガイドさんも「来る時に説明しましたので、ごゆっくりご休憩下さい」と言っていますので、眠っている内にクイーンズタウンへ着きました。
 クイーンズタウンでは、明日以降の食材(キッチン付のホテルなので)を、勝手知ったるスーパーで買い込み、久し振りの豪華夕食(笑)をタイ料理の店で頂きました。初日のランチで食べた店でしたが、忘れられないくらい美味しい店で再訪しました。
 
▲バスの上部はこんな具合 ▲車窓から。いっぱい見た羊の群れ ▲クイーンズタウンの郊外  
 
▲夕方、クイーンズタウンの川辺 ▲ザ・モールで
 ▲タイ料理の店で夕食
Gアオラキ/マウントクックへ向かう そしてフッカーバレー、タスマン湖へ
 バスでアオラキ/マウントクックへ向かいますが、このバスも5時間半。観光乗合バスですから、トイレ休憩を取りながら進みます。お土産屋さんもあれば、フルーツファームの販売所も(試食でき、詰め合わせのフルーツが$8とお買い得も)あります。見晴らしのいい所でも停まってくれます。「ここではランチタイムをとります」とガイドさんが言って少し長目の休憩もありました。日本人の比較的若めのカップルも何組か居られました。
 マウントクック・ビレッジに予定より早く着いて、明後日のクライストチャーチ行きのバスを予約し、星空観賞も予約。そして、今日は快晴なのですが、明日以降崩れるという予報もあり、思い切って、一番ポピュラーなフッカーバレー・トラックへ行くことにしました。
 フッカーバレーへの道はここへ来た人の大半が歩き、上り下りもなく往復2時間程度で手頃なのですが、途中から岩石の質によるのでしょうね、白っぽい埃まみれになるのが難点でした。
▲こういう道を5時間以上 ▲フルーツ・ファームで ▲果樹栽培をメインにしている町に
▲ワイン用のブドウ畑 ▲散水機がいっぱい ▲ここでランチタイム(右が私達のバス)
 
▲魚の養殖池 ▲人口の水路(運河) ▲展望台で休憩(正面奥にマウントクックが見えた)  
▲フッカーバレーへ出発 ▲アオラキ/マウントクックが鮮明に  ▲振り返るとビレッジ方面。休憩  
 
▲途中のミューラー湖(水の色は灰色) ▲フッカー川
 ▲フッカー上部橋を渡る  
▲フッカー湖。向うに浮かぶのは雪渓 ▲フッカー湖、横から。
 ▲フッカー湖から戻る
知り合った日本人のお陰で、タスマン湖へも
  フッカー湖の手前で、悪路に閉口して岩陰で休憩している時に声をかあって知り合った若い女性と気が合い、西矢とはフッカー湖の上でもずっと話をしていました。看護師さんで従兄の居るシドニーに来ていて、そこからこちらに飛び、レンタカーを借りて動いているそうでした。「フッカーバレーの後、車でタスマン・バレーへ行きますけど、一緒に行きませんか?」 と誘われ、連れて行って貰いました。その後、僕達のモーテルでラーメンを一緒に食べたりして色々話しました。彼女との話は、なかなか興味深いものでしたが、このHPの最後に書くことにします。
 彼女は春節の所為もあってホテルが取れないので、車で寝るかも知れないと言いながら、星空のきれいなテカポ湖に夜9時半頃向かいました。私達はビレッジのセンター的なハーミテージホテルで行われる10時からのビッグ・スカイ星座鑑賞を予約したので、車で送って貰いました。ホテルのプラネタリウムを見た後、バスでヘリの発着場へ移動し、そこで南十字星や色々な星座の解説を受けました。「あそこのあの星…」とか言われても分らないのでは?と思っていたのですが、何とサーチライトで指してくれるのでわかりやすく、ビックリしました(写真はありません)。
▲キャンプグラウンド。車へ向かう
▲ブルーレイク  ▲タスマン湖へ向かう
 ▲タスマン湖の壮大な眺め  ▲アオラキ・コート・モーテルの室内    
Hビレッジ周辺のウォーキングコースを歩く。天候にも恵まれ、レッドターンズが予想外の良さ
 ビレッジ周辺には昨日のコース以外にもいくつかのウォーキングコースがあり、この日はゆったりできるので、適当に選んで歩くことにしました。心配した天候も崩れず、雨天になるのは翌日ということになりました。フッカーバレーのように人は多くなく、静かな散策でした。
 最初にガバナーズブッシュウォークへ。少し登りますが、展望もよく、ビレッジ全体を俯瞰できました。続いてボーウェンブッシュウォーク。ここは1周10分と短いのですが、遊歩道に鳥の説明があり、ボタンを押すとその鳥の鳴き声が聞こえるという仕掛けなので、面白かったです。
 この後、一旦モーテルに戻り、昨日の残りのラーメンでランチ(鶏の照り焼き添え)。休憩後、レッドターンズトラックに出かけました。『歩き方』には急坂と書いてあったのですが、ミルフォード・トラックの例で甘く見ていたら、ホントに上りの連続でビックリしました。ただ、山上池周辺は趣があり、前にはマウントクックが見えるので、大変いい感じでした。
 2泊したのはモーテルでしたから、前に駐車場があり、私達のような客は珍しかったかも。でも自炊用具もしっかりしていて、価格もそこそこで、今回の旅では“一点豪華”にあたりそうでした。フレンチウインドウから外に出られるし、景色もよかったです。
▲早朝には、こういう光景も見られる ▲日の出 ▲奥がキッチンスペース
▲ガバナーズブッシュ、歩き始め ▲右の方にヘリの発着場 ▲登山道で後正面にマウントクック
 
▲ボーウェンブッシュ ▲ボーウェンブッシュの鳥の鳴き声装置 ▲モーテルの外観(1棟に2部屋)  
▲レッドターンズのスタート ▲ここにも可憐な花がいっぱい  ▲レッドターンズの説明板  
 
▲ビレッジ(私達のモーテルも)と山々 ▲赤い山上池
 ▲レッドターンズの向うにマウントクック  
▲パスタの夕食。奥のウインドウから山々 ▲テラスから(7:50pm)
 ▲テラスから見える月(8:40pm)
I本格的な雨、ビジターセンターでの見学等で過ごし、クライストチャーチへ。
 心配した雨はいよいよ降り出しましたが、午前中はビジターセンターでの見学やザ・ハーミテージで過ごし、午後は移動日だったのでラッキーでした。この地域を色々な角度から探索したビジターセンターの展示は見応えがありました。その後、ハーミテージホテルのラウンジで休憩したり、のんびり過ごし、昼前にホテルのカジュアルレストランでランチにしました。雨は止まず、モーテルに預けていたザックを受け取り、バスが来るYHAで待つことにしました。
 1時50分に来るはずのバスが10分ほど遅れてきたのは、まぁいいのですが、日本人のガイドさんが「テカポ湖へ行かれる○○さん」と呼び、そんな人は居なかったので、私達が乗ろうとすると、名前を尋ねられ、「そういう方は聞いておりません」との返事。ドキュメントを見せると、そこには2月17日ではなく、3月とある!そんなバカな、1か月も先のブッキングを一昨日する筈ないやろ!と思うのですが、ガイドさんによれば満席で難しい…揉めていると、運転手さんが来られ、乗っていいの表情。どこでもいいから乗せて貰わないと…席を探すと最後部に二つ席があり、ホッとしました。
 途中、雨の中でしたがテカポ湖に立ち寄り、そこからも乗客があり、後は一路クライストチャーチへ向かいましたが、いつも通りいくつかのホテルで降ろしていきますから、結局5時間半後の7時半に私達予約のホテル近くに着きました。とにかく9時ごろまで明るいのがこういう時は助かります。欲張りな(意欲的な?)私達はこの日も9時前にホテル近くを少し探索しました。
この日の朝食 ▲ビジターセンター ステンドグラス ▲ビジターセンター展示
▲ビジターセンター展示全景 ▲服装等の歴史 ▲アオラキ/マウントクックの全景ポスター
 
▲ザ・ハーミテージ(ホテル) ▲ハーミテージのラウンジ ▲カジュアルレストラン  
▲テカポ湖/善き羊飼いの教会 ▲教会内部  ▲牧羊犬の像  
 
▲クライストチャーチのホテル(全てで10u) ▲仮設大聖堂方面に虹
 ▲カセドラル・スクエア(大聖堂は倒壊のまま)  

Jクライストチャーチの見どころを歩く
 予約した私達のホテルは市の中心部にあったので、主な観光ポイントは歩いて廻れました。私達の強い味方=スーパーマーケットを朝一番に訪ねてから、動き始めました。ここにはジャパン・パンという洒落た(駄洒落)店があったり、寿司弁当等というのも売っていました。ただ、大きなショッピングモールなので、どこに何が売っているのかわからなくて建物を出て、生鮮品は何処に売っているか尋ねた人が後でそこの店員さんだったりしました。
 ネイティブのマオリの文化の展示が充実しているというカンタベリー博物館を訪れましたが、欲張りだと思えるくらい、色々な展示が並んでいました。
 この博物館があるのも、その西側にあるクライストチャーチ植物園があるのも、ハグレー公園の中なのですね。どこへ行っても無料なので、その辺が分からなくなってしまいます。
▲廃屋のような家屋の横で建設も ▲ショッピングモール(国民投票に残る国旗候補) ▲カンタベリー博物館前の噴水
▲歴史・文明の始まり… ▲マオリの音楽、儀式 ▲色々な展示
 
▲石細工、木工 ▲色々な彫像 ▲恐竜  
▲南極が近い(日本なら太郎・次郎かな) ▲雪上車    
 
▲アジアンカルチャー 先頭は日本文化 ▲仏像等
 ▲浮世絵  
▲印籠と根付 ▲中国文化
 ▲中国の絵画
▲西アジア エジプト文化 ▲アンモナイトや恐竜
 ▲カンタベリー博物館の建物
クライストチャーチ植物園はのんびりしている人も多く
  博物館を出て、広い公園を歩きながらベンチを見つけ、朝にショッピングセンターで買ってきたお弁当を食べましたが、そういう現地の人も多いので何の違和感もありませんでした。
 植物園を探索しましたが、地図を見ながらでも、どこに何があるのかよくわからないくらいでした。
▲ハグレー公園の噴水
▲弁当でランチ  ▲鴨と鴎が仲良く
 ▲日本人が贈った(1954年)世界平和の鐘  ▲ロックガーデン  ▲巨木
▲ダリア園
▲バラ園  ▲熱帯植物園
 ▲熱帯植物園のサボテンコーナー  ▲熱帯植物園の蔓類  ▲熱帯植物園の巨大な花々
カンタベリー地震から5年、クライストチャーチの町の考え方なのか、慌てて復興に手を付けないのは…
  東日本大震災の2週間少し前に起こったクライストチャーチ中心のカンタベリー地震。そのためにこのニュースが飛んで行ってしまったことはよく言われることです。現地に来てみて、まだ多くの傷跡が残っていることは、あちこちに空き地があり、朽ちてしまいそうな建物がそのまま残されていることでよくわかります。倒壊したビルの壁に壁画が描かれているのも、特徴的です。日本でも東北での復興の遅れが話題になりますが、ここクライストチャーチは大都会なのです。神戸の震災と比べると、5年後にこんな状態ではなかったはずと思います。だから、この地の皆さんの考え方と神戸淡路の人のそれが違っているんだろうなと思いますが、そんなことを伺う力も余裕もありませんでした。
▲トラムは未だ観光用だけ
▲リ・スタート(コンテナ・モール)  ▲カードボード・カセドラル(仮設大聖堂 設計:坂茂氏)
 ▲シンプルな仮設大聖堂内部  ▲ステンドグラス中から  ▲壁画アート
▲左のビルは廃屋。右端は私達のホテル
▲左が仮設大聖堂。右が壁画アート  ▲こんな壁画も
K半日をクライストチャーチ郊外、トラビス・ウェットランドへ。午後は飛行機でオークランドへ
 南島最後の日ですが、オークランド行きの飛行機は3時発で、ホテルの近くにバスのセントラルステーションもあるので、午前中そう遠くない郊外へ。トラビス・ウェットランド・ネイチャー・ヘリテージ・パーク、とても長い名前の野鳥の保護区。
 『歩き方』の情報でバス(ここは路線バスをメトロと呼ぶ?!)路線が判るので、とにかく運転手さん頼みでバスに乗りました。セントラルステーションには路線ごとの時刻表もあって、便利になっていました。
 バス停に「○○はこちら」と表示がある訳もなく、不安でしたが、無事辿り着きました。予想を遥かに超える素晴らしい所でしたが、訪れる人は殆ど無く、地元の方がウォーキングをされているくらいでした。
 午後1時過ぎのバスで空港へ向かい、オークランド迄は1時間半ほどで着き、夕方6時頃にはメインストリートのクイーンストリートに到着。4泊するホテルもこの通りから意外と近い所にありました。
▲バス停前は湿地帯 ▲昼顔等、花々も色々 ▲遊歩道が続く
▲野鳥が55種類も… ▲このゾーンの変遷を説明する ▲プケコ
 
▲向うには羊たちも ▲つがいの鳥 ▲色々な表情の羊たち  
▲池で遊ぶ鳥たち ▲こういう遊歩道が続く  ▲帰りのバスに乗り遅れ、バス停裏でパンランチ  
 
▲16階建てのアパートホテル ▲14階の部屋からの眺め。左上に月も出ている
 ▲その夜景  
Lオークランド実質1日目は、高校時代の同窓生の娘さんご家族の家へ伺うことに
 最終盤3日間あるオークランドでのプランは詳細不確定(西矢の友人に会う計画は難しくなり)で、旅行中に『歩き方』を読みながら思案し続けていました。三上の高校時代の同窓生の娘さんがオークランドに住んでおられることを思い出し、日本に居る時からメールでやり取りをしていました。旅立つ直前だったので、詳細が詰まらないままNZに来てしまったのですが、スマホ(デビュー2か月目のビギナー)でのやり取りもできるから何とかなるか…と思っている内に最終盤に至りました(日本でのPCメールはOKでしたが、スマホとの通信はできず)。娘さんの携帯の番号が判っていたので(このホテルはWIFI有料ですが、市内電話無料)電話したら繋がらなくて、万事休す! 諦めることにしました。ところが、夜10時半頃に突然ホテルの電話が鳴り、何と娘さんからの電話でした。
 突然で申し訳なかったのですが、次の日にお宅へ行かせて貰うことになりました。間一髪セーフ!そのものでした。よくわかっていない僕達にバスの乗り場から降り口まで、丁寧に説明して貰って、再会できたし、現地で暮らす娘さん一家の暮らし振りとかも聞くことができました。因みに同窓生夫妻は1月からここに来ているので、3世代の皆さんと色々話ができました。しかも、この同窓生の夫は私達のワンゲルの1年後輩のお兄さんなのです。
 バスの終点から30分くらい離れた所にお宅があり、広大な牧場的な所に住んでおられて、居宅も含めて日本人オーナーから借り受けているとのことでした。そこへ行く前に簡単なウォーキングコースも案内してもらい、前の海水浴場にも行き、昼食もご馳走になりました。子ども達(友人の孫)の学校にも立ち寄りました。
 土ボタルが見られるというので、夜9時頃にならないと見えないので、迷惑かも知れないのですが、その時間までお邪魔しました。それを見に車ででも行くのかなと思ったら、何とご自宅の敷地内でした。
▲中心部から1時間弱のバスで ▲近くのウォーキングコース(真中の3人が孫と娘婿) ▲オレワの海岸。ビーチで楽しむ人達(ここは夏!)
▲海辺の遊具で遊ぶ ▲表示に書いてある通り ▲子ども達の通う学校を見学(学校は休み)
 
▲校庭にアスレチック? ▲校庭のラグビーグランド。NZでは欠かせない!! ▲お宅に到着  
▲お宅の中の川 ▲裏の小山の頂上(右二人が同窓生夫妻)  ▲裏山散策から戻る  
 
▲テラスでバーベキュー開始 ▲お嬢さん帰宅で色々トーク
 ▲土ボタルが見える9時ごろまで話は続く
Mオークランド中心部を歩く パーネルロード&ニューマーケット
 ゆっくりと中心部を歩くことにしました。ホテルを出て東へ行くとパーネルロードに繋がり、その先にオークランド戦争記念博物館があります。その途中に西洋とマオリ文化の融合が見て取れると言われるホーリートリニティ大聖堂もあるという大通りなのです。
 ショッピングコンプレックスにはあまり興味はなかったのですが、大聖堂は日曜だったのでミサも行われていました。ミサが始まってしまうとゆっくり見学もできませんでしたが、何となくわかったかな…。
 博物館は、カンタベリー博物館と同様に色々な展示が豊富なのですが、マオリのパフォーマンスがあるのが興味深く、それは外しませんでした。現地に行ってから知ったことで、帰ってから孫にもさりげなく言われたのですが、NZはラグビーが強く、その時にハカというパフォーマンスをするそうですが、その源流がここにあります。
▲オークランド宿泊は名前もアパート。フルキッチン ▲ホーリートリニティ大聖堂の外観 ▲ミサ前のリハーサル
▲ステンドグラス、中から ▲側壁もステンドグラス風 ▲色々なポスターも
 
▲オークランド戦争記念博物館からシティ ▲トーテムポール風 ▲帆船  
▲天井にも ▲表示が床にも  ▲織物  
 
▲色々なマスク ▲マオリパフォーマンスの呼込み
 ▲森の風景の前、謡う  
▲こういうお道化た感じも ▲バトンタッチ風
 ▲凄いギョロ目で睨み付ける
▲マオリハウスの中 ▲巨大な舟
 ▲戦争博物館ですから…。
▲ポスター ▲ペナント 9月2日って? ▲終戦  ▲原爆の被害
博物館前は広い芝生、公園。ここで持参のおにぎりランチでゆっくり。その後ニューマーケットへ向かうはずが…
  博物館を出て、芝生いっぱいのなかを歩きながら、今日もベンチを探しておにぎりでランチにしました。ここも中国の春節を祝うイベントが用意されている模様でした。そこから、次に向かうニューマーケットはそう遠くないので近道しながら丘を下って行きました。大きな道に出て、どうも現在地がよく分からなくなりました。その辺に居る人に道を聞いても要領を得ません。地図と周辺の建物とかを睨めっこしましたが、やっと歩いている道は今朝歩いていた道だと判明。元に戻っている!?コンパスは持って来ていましたが、もちろんホテルに置いてきました。という訳で、珍しく町で道に迷ってロスタイム1時間。
 ニューマーケット地区では、お土産とかを買ってひと安心でした。ひと駅ですがNZで初めて電車にも乗りました。この日は夕方、もう一人の友人と食事することになっていたのですが、待ち合わせはスカイタワーで、と分かりやすい目印でした。ただ、西矢がスマホをホテルに置いて来たので渋滞で遅れる連絡が入らず、心配しましたが、結局何とかなり、久し振りにトルコ料理を美味しく頂きました。
▲博物館前の芝生でおにぎりランチ
▲中国の春節を祝うのかな  ▲これもそんな感じ
 ▲ニューマーケット駅から電車に  ▲電車車内。窓にスカイタワーが見える  ▲スカイタワー真下から
Nオークランドの最後は、近くの島−ランギトト島へ渡る
 この旅の最後は、ホテルもフェリーターミナルに近いので、30分もかからないランギトト島へ向かうことにしました。
 フェリー乗り場は、色々な方面へ船が出て行き、9時過ぎの出港で混み合っていましたが、私達のフェリーはそれほどでもありませんでした。この島は比較的新しい火山島(最後の噴火は250年前)なので、溶岩が露出している光景が特徴的でした。『歩き方』にも、「たいていの所には遊歩道が整備されているので安心」とあり、その通りなのですが、せっかくだからもう一つ隣の島の近くまで行こうと思い、そこから島の南側がコースタルトラックと名付けられた道なのでここを歩いたのですが、中々大変でした。途中からコーストを外れ森に入って行くので、道は溶岩だらけで、足はきつかったですね。5時間近く歩いたことになります。
 でも景色とかはなかなか好くって、これはこれでいい体験でした。
▲午前中3本だけのフェリーに乗り込む ▲シティ方面。左は超大型の客船 ▲ランギトト島全景。シンバル型
▲ランギトト埠頭 ▲火山の解説板 ▲ピークに到着。360度の展望
 
▲向うに隣のモトゥタプ島 ▲沢山の生徒が登って行った。遠足? ▲隣の島が見える(右)  
▲海の水は冷たい? ▲この火山礫を歩くのは疲れる  ▲入江も火山岩だらけ
 
 
▲早目のフェリーに乗れそうで、やっとおにぎりランチ ▲埠頭が見えた!
 ▲帰りのフェリーに乗り込む  
O空港へは「スカイ・バス」が頻繁に走っていて、チケットも往復割引で購入済み。復路は伊丹までゆったり
 4泊したオークランドのホテルはアパートだったので、オフィスがあるだけで、スタッフは午後6時になったら居なくなり、何かあったら電話をというスタイルでちょっと驚きましたが、それで困ることはありませんでした。ゴミが増えて捨てて欲しいと言いに行ったのですが、ゴミ捨て場を教えてくれて、終わりでした。マァ、それ故の低価格(都心で1泊$128)だったのかも知れません。
 最終日は時差マイナス4時間で1日が長いせいもあり、朝、発って、夜、家に着いているという結構な流れでした。空港行きもスカイ・バスというバスがラッシュ時は10分間隔で走っているので、何の心配も無しでした。前日島から2時半頃に戻って来れましたから、最後の買い物もパッキングも済ませていました。こちらで米も買ったので、それもキッチリ食べて帰ることになりました。
 往路のように羽田経由でなく、成田―伊丹の便だったので、気分的に随分楽でした。
▲何度も使った1階のエレベータールーム ▲オークランド空港のトイレにも ▲成田乗り換えで伊丹へ
   
   最後に、これまでに飛ばしてきた事柄やこの旅全体を通して感じたことを書いておきます。
ミルフォード・トラック40人の方達の国別内訳など
 話は前後しますが、ミルフォード・トラックのインディビジュアル・ウォークの40人の内訳です。ガイディッド・ウォークのような事前の現地説明会も、終了後サウンドのホテルでの完歩証授与もないので、アッサリしていてそれはそれでいいのですが、皆さんがどこの国から来られているかはわかりませんでした。いちいち「Where are you from?」と聞くのもはばかりますから、正確にはわかりませんでした。
 適当に、夕食時に座った時とかに尋ねてみた結果は、イスラエル5人、アメリカ合州国4人、ドイツ3人、フランス2人、香港1人、韓国1人、オーストラリア10人以上、こんな感じでした。日本人は私達2人だけでした(昨年の従妹の時も2人だけだったとか)。
 たいてい翌日は早く起きなければならないし、長時間歩いて疲れているので、色々な方との会話を楽しむ余裕はありませんでした。その上、ナチュラルスピードで話されている中に入り込んで行くのは、とても無理!な感じでした。オーストラリアの方から日本にはどんな登山コースがあるのか聞かれた時、日本アルプスとか屋久島の話はしましたが、それ以外はゆっくり話す機会はありませんでした(ドイツの青年が高校を終えて大学へ行く前の半年ほどの滞在だとか)。韓国の紳士はソウルにお住まいで、化学会社にお勤めだったようでリタイアから3年ほどと言われていました。日韓関係の話まではとても行きませんでした。
 因みに、ガイド付きと無しの価格ですが、私達にはガイド付きの価格が正確にはわかりません。ただ、ガイド付きの方は少なくても$2100だとか。無しの方はテアナウからのバス、ボート、小屋3泊、最後のボート迄で合計$315。為替レートによって変わりますが、私達の予約の段階で20万円と3万円くらいの格差でしょうか。
トラックを歩く体力…長く歩くトレーニングは必要でした、
 一方通行で途中で帰る訳にもいかない、自炊で食料持参と関連荷物や寝袋、ジグザグの坂道、急な下り、と書かれているミルフォード・トラックへ行くのですから、トレーニングは必要と考えてはいました。西矢は近くの友人とウォーキングを毎朝30分していました。三上は冗談で「応援している辻元のポスティングをたくさんやってるから、大丈夫」と言いつつも、若い頃に担任した元生徒達のハイキングを楽しむグループの山行に付き合わせて貰ったり、地域コミュニティの周辺登山に参加したりしていました。西矢と高槻北部のハイキングコースに出かけたりもしましたが、結局、上に書いたように「長い距離を歩く」ことが大事だったみたいです。3日目のサザーランド・フォールを往復し、10時間歩いた日の夜、寝たとたんに両方のすねが急に痛くなり慌てましたが、万が一のために持参した湿布薬を貼りました。すると、直ぐに痛みも引いて、全く何事もなかったように翌日を迎えられました。
相当徹底したクレジットカード社会でした。両替はキャッシュカードで
 海外へ行く時、いつも気になる現地通貨の話ですが、以前訪れたカナダと同じくらいクレジットカードが通じる国でした。こんな少額ならカードで買うのは無理かな、と思ってもほぼ問題無しでした。現地通貨でなければ対応できなかったのは、主に運転手さんに直接払うバス代くらいでした。
 現地通貨の入手は、銀行のキャッシュカードで行って来ていますが、大手銀行は国際カードを殆どやめていて、最後まで使えた東京三菱UFJも廃止されました。今回は新生銀行が国際キャッシュカードをウリにしているので、普通のキャッシュカードで使いましたが、順調でした。
 これまで、円高の時に得した感覚はなかったのですが、今回は円安が進んだ時に航空券や一部ホテルの支払いをカードで済ませていて、割高になっていたので、最近の円高によるお得感はありました(レートは$1=95円が$1=75円に)。
スマホデビューから2か月、便利なこともたくさんありました
 私達はずっとガラケーでもいいと思っていたのですが、そのガラケーも壊れかけていて、友人から「海外へ行くなら、スマホが便利!」と勧められ、昨年の12月半ばにスマホデビューしていました。スマホを持っての海外旅行の1回目でした。海外でネットに繋げるとべら棒な費用がかかると警告されていたので、Wi-Fiフリーの所以外では繋げないように設定しました。
 今まで気にもかけていなかったWi-Fiフリーの表示とかの有無が気になりますし、ガイドブックやホテルの案内にもそのことが書かれているんですね。長距離のバスの中でもWi-Fiフリーがあったりしましたが繋いだのは主にホテルでした。ホテルでもパスワードとかを聞いてくる(泊まっている部屋番号や姓を書くとか)のと、そんなことしなくても直ぐOKだったりもしました。
 旅中まで日本で何が起こっているのかを知る必要もないのでしょうが、ネットでニュースを見ると、甘利さんが睡眠障害で1カ月特休を取ったとか、奢る自民党の議員がとんでもない発言をしているとか、マァ、色々な情報を眺めました。特に役立ったのは、LINEのメールでのやりとりでした。日本からのメールもありましたが、現地で知り合った日本人とはこのメールが有効で、一緒に食事をする時間の打ち合わせや、今どこにいるか、とかをリアルタイムで連絡し合えるので、大変便利でした。
マオリとの共生に意を用いていることが散見される旅でした
 「新大陸」(こういう言い方自体が不正確で大陸が新しいわけではありませんが)はどこもネイティブの民族との関係が問題になります。南米、北米はもとより、オーストラリアのアボリジニとの関係等。スペインが暴虐の限りを尽くした南米は措くとしても、北米以降はイギリスとの関係になります。一時のオーストラリアの白豪主義は酷いものでしたが、NZではマオリとの共生に随分意を用いていることが窺えました。上に報告した大きな博物館の展示からしてそうです。有名なマウントクックも、必ず「アオラキ/マウントクック」とマオリ語と併記しています(ここに書く時も面倒なのですが)。帰ってから調べたら国会議員もマオリ党があり、比例代表制なので幾つかの議席を持っているようです。人口比でも15%だそうです。ラグビーのオールブラックスのチームが行うハカというパーフォーマンスでもマオリの血を引く人がリーダーになってやるそうです。それなりの軋轢や経過があるのでしょうが、評価されるべきところだと思いました。
tomokaさん、凄いエネルギッシュで、行動的な27歳の看護師さん
 アオラキ/マウントクックで知り合い、その3日後にも夕食をクライストチャーチでご一緒した27歳の看護師さん(tomokaさんとしておきます)の話の続きです。大学の看護学部を卒業した後、看護師として3年間病院で働き、その間に必死になって貯金して、フィリピンの英語の専門学校へ入学したそうです。英語を勉強したのは、世界へ飛び出したかったからのようです。専門学校は半年で、その間に猛烈に勉強し、入学した時のグレードは最底辺に近かったのが、卒業する時にはトップクラス近くに来ていたそうです。自分で稼いだお金で学校へ行っているので勉強する迫力が違うのでしょうね。
 その後、養護老人ホームで働き、派遣だったのですが、そこを辞めて、今、シドニーでイタリアンレストランをやっている従兄の所へ行っていて、その間にニュージーランドへ来ている、ということでした。大学生の妹がシドニーへ来るのでその案内をしたら一旦日本へ帰るのだけど、どうするの?と尋ねると、選択肢が色々あって結構難しい…ということでした。
 オーストラリアで看護系大学へ行き、国際的な看護師の免許を取りたいと考えているようでした。もし介護施設で働くとすれば、派遣でなく直接雇用で雇いたい、という意向だけど、こんな風に1か月ほども休むのがわかっていたら、非正規で雇う方がいいのかも知れないと言われているとか。
 お父さんは是非日本に帰って来てほしいと思っておられるけど、彼女はオーストラリアで働くのが自分には一番いいと思うと言います。それは、ワークライフバランスの点で日本よりオーストラリアの方が圧倒的に良いからだと言います。オーストラリアでは、どんな仕事をしていても、1年働いたら1か月休まなければならないと決められている。シック休暇も1年に10日あって、殆どの人がsickでなくても取る。そういうことだったら、自分のような人間には、ホントに働きやすい。という訳です。詳細は不明ですが、もし、そういう選択をする人が多くなれば、世界は変わるのに、日本は変わるのに…と感嘆した次第です。若者に人気のない国には人が住まなくなる、という訳です。






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