思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その33
    三たび4世代、今回は8人旅
  ファミリーメキシコの旅
カンクン&メキシコ・シティ―12日間〈2014年8月6日〜17日〉 
はじめに…念願かなって、はるばる中米メキシコへ 
 
健康寿命ということもあり、元気な時にしか行けない所へ今の内に行っておきたいと年賀状にも書いています。中南米ではペルーには行ったのですが、その近くへは距離的にきついけど中米のメキシコには行ってみたいなぁと思っていました。法事で親戚に「次は何処へ?」と聞かれ、そんな話をしたら、息子の大亮夫妻が機敏に反応。「一緒に行こう」と言われたのですが、夏休みとかになるので高くなるからいやと答えていました。それを聞いていた西矢の母(妙さん)も反応。妙さんは8年前脳出血で倒れ、メキシコへのツアーをキャンセルせざるを得なかった経緯があり、メキシコは心残りの地なのでした。
 妙さんは87歳、車椅子でしか旅には行けないので、やっぱりやめておくとも言っていたのですが、息子たちが「僕らがサポートするから」とすすめるので、妙さんも行く決心をしました。こうして大亮一家と同行することになり、そうなると子ども達も一緒にということで、母、私達、息子夫妻、孫全員3人の8人旅になりました。
 個人旅行となると、まず航空券の手配、そして宿泊先の確保。これらは早ければ早いほど安いので、恵子と大亮がネットや電話で奮闘。この段階でおおまかな旅程を決めなければならず、二回現地体験ありの大亮の経験とガイドブック
を見て宿泊地はカンクンとメキシコ・シティに決めました。どちらも連泊にしました。

@A直行便は成田発のみ。伊丹から成田経由、メキシコ・シティ経由カンクン行き。長目の一日〔@は実質1日目〕

 高槻市民にとっては伊丹発は便利なのですが、成田での待ち時間にもよります。今回は6時間でしたから長目でしたが、事前学習不十分でしたから、そのための時間と思えば何とかなる時間でした。昨年のカナダもそうでしたが、日付変更線を跨ぎ時差がマイナス14時間ですから、往きは大変得をして、8月6日が長く続きました。
 旅程で迷ったのですが、先にカンクンへ飛び、帰りにメキシコ・シティにしました。カンクンは、驚くほど蒸し暑かったです。降り立って「エッ、ここ大阪以上やん」と叫んだほどです。
 ホテル(コンドミニアム)は、ネットで予約したので、ホテル内での位置・階数とかはよく分からないままでしたが、結果的には大正解でした。オーシャンフロントでとったのですが、1階だったので前が芝生でその先は砂浜、海と続いていました。
 午前中、子ども達は早速のスイミング、午後は近くと聞いていたククルカンプラザへ出向きました。カンカン照りでしたが20分と聞いたのでメインストリートを歩いたのですが倍以上かかりました。その後大亮達と子ども達はダウンタウンへバスで出かけ大型スーパーで水や食材を買出ししてくれました。
▲恵子の妹と娘に送って貰い、伊丹から出発 ▲成田に向かう機上から富士山が見えた ▲成田空港でゆっくり
▲13時間+2時間半でカンクン到着 ▲翌日、早速ホテル前でビーチバレー ▲海は浮輪禁止でしたが…
 
 ▲逆波乗り?  ▲カリビアンブルーのカリブ海  ▲海の後は、ホテルのプール    
▲プールで春菜(大亮撮影の防水カメラ) ▲2日目の昼食はソーメン  2日目午後は猛暑の中、買い物に街へ    
カンクンはカリブ海に面する世界有数のリゾート。ラグーンに挟まれた細長い地形に大変な数のホテルが林立
  予約したホテルの位置はその中ほどなのですが、それでもここからバスで移動しようとすると、まずダウンタウン(セントロ)へ行かなばならず、車椅子での移動では大変なことになります。タクシーか、現地のツアーに参加すれば、ホテルまで迎えに来てくれますから、安心です。
 そのことに出発前に気がついて、大亮が中心になって、日本でネットで検索し、現地の旅行会社を物色し、予約を始めました。この会社はスタッフほぼ全員日本人ですから、やりとりはスムーズでした。価格の基準は何故かUSドルでしたが、ディスカウントまで交渉していました。着いた翌日は疲れもあるので、買出しとかカンクン探索とかに充てるとして、
残り4日の内、3日はこの旅行社のツアーに参加することになりました。
 カンクン正味2日目はチチェン・イツァーへのツアーでした。ホテル前まで迎えに来てくれて、車椅子の運搬にも配慮してくれました。私達以外の参加は4ペアー8人でした。カップルとフロリダのディズニーランドで働く2人の女性でした。カンクンから車で2時間半かかりますが、日本人ガイドがメキシコの歴史とかも含め色々解説してくれ、初日にはピッタリでした。
 
▲チェチェン・イツァ―へ向かう ▲途中、トイレ休憩 ▲途上でバジャドリの町  
▲球戯場を歩く ▲あちこちにイグアナ  ツォンパントリ(骸骨の台座)
▲ジャガーとワシの台座 ▲カスティージョ
 ▲カスティージョの前で妙さん
戦士の神殿(上にチャック・モール) ▲生贄が捧げられたセノーテ カスティージョの後ろ側は修復せずに保存 
▲旧のゾーンにある天文台 ▲帰り道に土産物屋さん
 ▲ランチはバイキング
昼食後はセノーテで水泳。暗いので少し不安、しかも落雷で真っ暗に
  パックツアーですから、簡単なバイキングのランチ【上の写真】の後に、セノーテでの水泳が付いていました。ユカタン半島には川が無いのですが、石灰岩地帯に見られる陥没穴に地下水が溜まった天然の井戸、泉のことをセノーテと呼び、水源と同時に真水の水泳場でもあるわけです。あいにくスコールに見舞われ、停電になってしまい、途中真っ暗になって、早々に引き揚げました。本格的なセノーテでの水泳は三日後になります。
▲こわごわセノーテに入る ▲天窓から光が射す
 ▲鍾乳洞なので、こういう光景
B一番人気のテーマパーク…シカレ(XCARET)へ。ナイトショーはハワイのポリネシア文化センターにも負けない?
  子ども達の喜びそうな企画で、水辺のテーマパーク「シカレ」(マヤ語で「入江」)へのツアーに参加しました。ナイトツアーがあるので帰りは現地出発が夜の9時半になり、送迎が付いていなかったら大変なのです。ガイドは不要ですが、一応英語バージョンでした(因みに日本語だったらツアー価格は割高になります)。
 このテーマパークの売りは地下・川下りで、ライフジャケットを付けて会場を縦断するような人口の川を流れる(泳ぐ)のですが、洞窟っぽい所とかを通過し飽きないように作られていました。
 
▲シカレ入口、鳥たちが出迎え ▲3人ギャング、ソンブレロを被る ▲いざ出発!川下りへ  
   
▲ライフジャケットで ▲流れているのは水ではなく、海水 ▲ゴールに到着。
▲昼食に近付くイグアナ君 ▲海辺には熱帯魚
 ▲何度も飛び込む子ども達
▲川下り2回目。今度は三上も ▲ガラス越しにマナティ
 ▲ナイトショー会場近くに教会
2時間に及ぶナイトショーは圧巻でした
 このパークのメインイベントは2時間に及ぶナイトショーで、皆さん早目に会場に集まります。私達も持参したおにぎりを食べながら1時間以上も待ちました。本格的な楽団の演奏で次々と踊りやマーチングが繰り広げられます。
 内容はメキシコの古代文明からスペインの征服、独立…と歴史にまつわるエピソードに沿ったものでした。その歴史観が適切なものなのかどうかは、よくわかりませんでしたが、メキシカンソングには、会場が湧いていました。そしてフィナーレでは「ヴィヴァ!メヒコ!」と歓声が轟きました。
▲開幕時、キャンドルを灯す
▲チチェンイツァの球戯場を模したゲーム  ▲横にも大きな楽団
 ▲市場風景  ▲鉄道馬車に乗って  ▲カウボーイがロープ技披露  
▲ソンブレロをかぶって華やかなショー ▲壮大にフィナーレ
C子ども達は泳ぎ三昧、三上・西矢はダウンタウンへ買い物
  前日、シカレのナイトショーでホテルに帰ったのは10時半過ぎだったので、ゆっくり過ごそうということで子ども達は海で泳いだり、プールで泳いだり、泳ぎ三昧で過ごしました。ホントに水と戯れるのが好きです。
 三上と西矢はせっかくなので、バスに乗ってダウンタウン(セントロ)探索に出かけました。バスは数社が走っていて、時刻表の必要が無いくらいバンバン走っています。道路の大半は東に有名ホテルが並び、西にラグーンと海関連ショップが並ぶ一本道ですから、凄いスピードで飛ばします。それでも渋滞なしで僕達のホテルからでも30分以上走ります。料金は9.5ペソ(1ペソ≒8円)ですが、10ペソでお釣りを貰ったことはありませんでした。エアコンはありませんが、風を切って走りますから大丈夫でした。
 ダウンタウンに出向くのは、大型のスーパーでの買い物もあったのですが、ATMから現金を引き出すことも重要なミッションでした。現地旅行社のツアーに参加するのが好都合なので、結局3回のツアー(加えてカンクンの空港・ホテル間の送迎も)になりました。そうなると支払いの金額も相当なもの(日本円で27万円程度)になるのですが、この会社はクレジットカードなら5%アップになると言うのです。もったいないのでペソ・ドルで払いたいのですが、三上がインターナショナルなキャッシュカードを持っていて、引き出せても、上限があるのです。その上限もATM機によって違ったり(日本円にして5万から10万円)、三上のカードを受け付けなかったり、相当な
苦労でした。最終支払に何とか間に合いましたが、変な苦労をさせられました。
 
▲セントロの教会で、日曜ミサ ▲大型スーパー前のオブジェ ▲ラグーン沿いの「ワニ注意」  
 
▲ベランダでソーメン昼食 ▲前の芝生で ▲サッカー三昧、色々のポーズ    
灯台下暗し、ホテルの横にマヤ博物館がありました。意外な博物館でした。
  色々な遺跡や博物館を見てきたのですが、実は泊まっているホテル・エンポリオの南・西隣にマヤ博物館がありました。新しくできたみたいでガイドブックにも載っていないので、気付かず、夕方から出かけました。
 このホテルエリアにもそれなりの遺跡が残っていたりするので、それを保存して博物館にしたようです。館内には見るべきものはあまりないのですが、林の中が博物館でした。
 
入口の表示は大半がスペイン語でしたが、大亮の通訳によれば、60歳以上のシニア割引はメキシコ人には有効だが、海外から来た人には適用されないようでした(車椅子の妙さんは障がい者、子供も無料)。他の博物館も大半がそうでした。
 
▲いつものホテルのエントランス ▲マヤ博物館。後はHエンポリオ ▲狭かったが、こんな遺跡も  
 
▲庭で遺跡探訪 ▲今日の夕食はカレー
Dカンクン実質最後の日。グランセノーテで泳ぎ、カリブ海に面したトゥルム遺跡
 チチェンイツァはカンクンから西に2時間半ほどでしたが、南方向へ1時間半ほどのところにあるのがトゥルム遺跡です。ツアーとしてはこれにグランセノーテがセットされ、透明度高く、明かるくなかなか良かったです。
 
▲ツアー出発前、海方面 ▲グランド・セノーテの入口 ▲グランセノーテ、透き通った水が見える  
 
ライフジャケットとシュノーケル借用 ▲冷たい水に入る 水深20m  
▲洞窟へ向かう ▲明るいセノーテ
 ▲風が涼しいレストランでランチ
 
▲前菜 ▲レストラン前のビーチで  波は激しく 
ユカタン半島の先端部、カリブ海に面するトゥルム遺跡は交易でも栄えたらしい
 グランセノーテから上がった後は、海辺の瀟洒なレストランでランチでお腹いっぱいになり、子ども達は、その前の海で最後の海水浴を楽しみました【写真上】。その後はメインの訪問先であるトゥルム遺跡へ向かいました。海に向かって立つカスティージョ(城)は趣がありました。他にも見どころがあり集合に遅れそうなくらいでした。
 
▲トゥルム遺跡に入って直ぐ ▲イグアナが決闘中 ▲風の神殿を背に  
 
▲カスティージョを背に ▲降臨する神の神殿 カスティージョを背にキッズ  
▲カスティージョと海 ▲フレスコ画の神殿前で
 ▲右から
 
▲左から ▲イグアナ2匹  トゥルム遺跡入口で 
最後の夕方も子ども達はホテルのプールでギリギリまで遊んで名残を惜しみました
  ホテルに戻ったのは夕方6時ごろでしたが、海・プールで最後のスイミングでした。
 コンドミニアムなので中心に大きなLDKがあり、その両サイドにダブルベッドとツインベッドの部屋があり、LDKには広げられるベッドが二つという、ゆったりしたスペースでした。キッチンも大きな冷凍冷蔵庫、電熱、電子レンジ、食洗機(洗剤が無く使いませんでしたが)とそこそこの設備でした。毎日クリーニングがされていました。
 
食器類も揃っていて、スーパーで「最高級白米」(日本語表記)を買ったので、鍋でご飯も炊け、お握りを作って重宝しました。実は日本から米を持って行ったのですが、メキシコシティの空港で没収されました(二包の内一つはセーフ)。こんなことは初めてでしたが、帰りの飛行機で日本の税関申告書をよく見たら米は持ち込み禁止になっていました。
 
▲カリブ海、泳ぎおさめ ▲プールもこれが最後 ▲今日貰ったシュノーケル愛用  
▲リビングのベッドを引き出すと ▲妙・恵子の部屋 ▲夕食は冷麺とおにぎり
Eメキシコシティへ移動。空港にタクシー会社が並んでいて、最安値で契約。市の中心部では渋滞。ホテルのロケーションは良好。
 飛行機で2時間半ほどでした。予想通りとは言え、急激に気温が下がりました。シティは標高が2千mを超えているので、高山病的な症状にならないよう注意してとアドバイスされたほど。あの蒸し暑いカンクンから来るとホントに爽やかでした。夕方4時頃にホテルに着いたので、カンクンから持ってきたおにぎりで昼・夕食にしました。大亮達と子ども達は7時から始まるプロレス(ルチャ・リブレ)を見に出かけました。三上と西矢はホテル近くの革命記念塔へ出向きましたが、小雨交じりになり、コンビニで買い物をしてブルブル震えて戻って来ました。
 
▲シティのホテルで遅い昼食 ▲革命記念塔(まん中はエレベーター) ▲子ども達はルチャ・リブレ(プロレス)  
Fメキシコシティ、先ずはソカロ(中央広場、憲法広場)へ。国立宮殿、大聖堂、テンプロ・マヨール
 気候が快適なので、車椅子を押して歩いて行っても苦にならないし、ホテルとの距離も遠くないので、20分ほどでソカロに到着。途中キョロキョロしながらでした。もちろん、中心都市の中心部ですから人通りは相当でした。
 
▲Hエンポリオを出発 ▲アラメダ公園沿いに。 ▲青いタイルの家  
 
▲後にカテドラル・メトロポリターナ ▲国立宮殿の壁画
▲入口左の壁画 ▲入口正面左
 ▲入口正面右  ▲入口右
 
▲廊下の壁画スタート ▲廊下の壁画遠景  ▲国立宮殿出口へ
大聖堂(カテドラル・メトロポリターナ)とその裏にあるテンプロ・マヨールへ
 アステカの神殿を破壊した石材等を使って建てたといういわくつきの大きな教会で、何重にも祭壇があるようで、よく解らないまま訪れましたが、熱心な信者が参られていました。
 
▲カテドラル・メトロポリターナ ▲祭壇でミサ ▲奥の祭壇前で  
   
▲天井を見上げる ▲主祭壇を出る   カテドラル・メトロポリターナ前で。警官靴磨き中?
▲広場に特設遊園地(後が国立宮殿) ▲テンプロ・マヨール見学開始
 ▲入口方面が見える  
▲チャック・モール遠景 ▲チャック・モール拡大  博物館前から入口、大聖堂方面 
▲アステカ神話の石板 ▲ツォンパントリ(骸骨の台座)
 ▲アステカ模様の台座
チョッと遠かったけど、再び歩いて民芸品のシウダデラ市場へ
 少し遠いけどホテルへ帰る道筋にある民芸品市場まで歩きました。4時を過ぎていましたが、この市場の一角にあるルピタという店で昼食。その後、みんなお土産調達に色々な店を探索しました。
▲大聖堂と国立宮殿 ▲シウダデラでランチ ▲民芸品市場のTシャツ屋
Gメキシコシティから1時間弱、最後の遺跡探訪はテオティワカン。タクシーを利用して大正解でした
 メキシコシティでの宿泊はアパート(コンドミニアム)ではなかったのですが、朝食付きでした(全くの偶然でしたが、カンクンと同じ系列のエンポリオ)。この朝食が大変豪華なバイキングだったので、昼までお腹が空くことはありませんでした。オムレツやパンケーキ等はその場で焼いてくれます。ジュースなんかも豊富で美味しかった。
 さて、この旅のメインであるテオティワカン、バスが頻繁に出ているのでそれで行こうと思っていたのですが、カンクンの体験からしてもジャンボタクシーに乗る方がよさそうでした。メキシコのタクシー事情もあまり明朗でなさそうですから、ホテルを通して予約する方が安心な感じでした。前日にホテルで交渉が成立し、往復で向うで待ってくれて1800ペソ(14000円程)。オスカルという運転手は大変親切で、車椅子で待機する妙さんをガードしてくれたりもしました。
 
▲ホテルの朝食バイキング ▲三文化広場(古代・スペイン支配・現代) ▲テオティワカン到着  
   
▲太陽のピラミッド。横から正面へ ▲ピラミッド階段途中で  ▲上から太陽の広場  
▲太陽のピラミッド頂上で ▲階段降りる
 ▲太陽のピラミッド下で  
 
▲死者の道。月のピラミッドへ
▲ピューマの絵  月の広場で。後は太陽のピラミッド 
月のピラミッド、その手前のケツァルパパロトルの宮殿・ジャガーの宮殿も見どころいっぱい
 月のピラミッドは頂上までは登れないのですが、中層のステージから見る太陽のピラミッド等はなかなかのものでした。手前の宮殿も鮮明な彩色壁画が残っていました。
 入口近くにシティオ博物館があり、ここは窓越しに太陽のピラミッドが見えその前にテオティワカンの全体像の模型が配置してあるユニークな展示で驚きの声をあげました。
 遅めのランチでしたが、運転手のオスカルが値段も含め色々探してくれて
大助かりでした。
 
▲月のピラミッドの急坂 ▲月のピラミッド中層で ▲月のピラミッド全景  
 
▲ケツァルパパロトルの宮殿 ▲ジャガーの宮殿  ▲太陽のピラミッド周り込んで帰路へ
▲シティオ博物館 ▲シティオ博物館の窓(太陽のピラミッド)
 ▲テオティワカンからの帰途でランチ  
夕方、大亮チームはローマ地区等でショッピング、西矢・三上と健介はグアダルーペ寺院を訪ねました
 3時半頃にホテルに戻ったので、私達は前にテレビで見た褐色のマリアがあり健介も行きたがったグアダルーペ寺院を訪ねました。メトロバス一本で行けるので、それに乗ってみたいということもありました。
 メトロバスはバス優先レーンのようなものですが、この車線に入るのは厳禁なようで、その分渋滞していてもスイスイだし、スピードも出し放題という感じでした。バス停は駅舎風になっていて、改札もあり、プリペイドカードもコインで売っていました。
 ガイドブックには、この地域は治安が良くないのでツアーに参加をと書いてありましたが、そういうことは全くありませんでした。
 ホテルに帰って、ホテル近くの地元でも評判のタコス店で夕食にしましたが、さすがに流行っていて美味しい店でした。
 
▲グアダルーペ寺院(中央が旧館、右が更に旧館) ▲旧の旧館祭壇 ▲旧館祭壇  
 
▲褐色のマリア像の解説? ▲新館と旧館 ▲新館で行事
▲メトロバスの乗り場 ▲ホテル近くのタコス店
 ▲タコス店のお姉さん、手つきに感激
H最終日、午前は大亮チームと西矢三上健介チームに分かれ、私達は大壁画と博物館へ。大亮達はサッカースタジアムへ。
 どちらもメトロバス1号線で南下します。この時間帯は通勤ラッシュでそんなに早くは走れませんでした。車内も昨日と違って結構混んでいました。
 私達は先ずメキシコ国立自治大学の図書館の大壁画を目指しました。
 
▲レフォルマ通りをバス停へ ▲すき始めたメトロバス ▲大学への道。右の左がメトロバスレーン  
   
▲メキシコ国立自治大学へ ▲中央図書館北・西  ▲西・南  
▲南 ▲南・東
 ▲立体壁画(後右が図書館)  
 
▲広い構内にリスも ▲こんな壁画も  広い大学構内 
タクシーでフリーダ・カーロ博物館、レオン・トロツキー博物館へ
 国立自治大学から北東へ、タクシーなら10分もかからないところにこの二つの博物館があります。タクシー代は日本円で300円少々でした。これらの博物館は『歩き方』にも『るるぶ』にも紹介されていました。フリーダ・カーロはよく知らなかったのですが、彼女の映画(「フリーダ」)が有名なようで、来館者もトロツキーに比べたら段違いに多かったです。メキシコ共産党にも参加していたので、トロツキーの受け入れに尽力するなど、活動家でもあったらしいことを、ここに来て知りました。ただ、スターリンの肖像と自分の肖像を並べて描くとか、寝室にレーニンの写真を貼るとか、当時の共産主義運動の詳細はわかりません。
 トロツキーの方は、歩いて10分ほどの所でしたが、周りの支援が大きかったのか、結構ゆったりした生活が送れていたように感じました。
 
フリーダ・カーロ博物館 ▲「私の家族(未完)」 ▲自画像とスターリン?  
 
▲出産等へのこだわり ▲トロツキー  ▲自画像
▲アトリエ ▲寝室。天井に鏡
 ▲中庭  
 
▲レオン・トロツキー博物館 ▲トロツキーの写真掲示  ▲受付にカーロの写真
▲レーニンとの写真 ▲書斎
 ▲寝室
▲信号待ちの間にジャグリング ▲信号待ちに窓拭き
 アステカスタジアムの大亮チーム
いよいよ最終日午後は、国立人類学博物館見学
 二つのチームの内、大亮チームの方が早くホテルに戻れそうだったので、妙さんと一緒に再度民芸品市場に行ってくれました。合流して最後の目的地国立人類学博物館へタクシーに分乗して向かいました。
 メキシコ古代文明の現地にあったものでここへ陳列しているものも多く、壮大な博物館でした。
 
▲国立民族学博物館 ▲特別に十二支展(子、牛、寅…) ▲リフトで地下へ  
 
▲博物館でランチ ▲テオティワカンから見学開始→  

 
 
 
   
   

 
 
 
   
   

 
 
 
   
   
タクシーでホテルに戻り、ジャンボタクシーで空港へ。空港への道は信じられない渋滞、早目に出たのは正解でした
 民族学博物館からホテルに戻る時、分乗したタクシーの料金が1台は倍以上で降りてから気がついたのですが時すでに遅しでした。メーターだから大丈夫と思ったのが間違い。400円程の倍だから、いい体験ということにします。
 預けた荷物を受け取って、夕食は空港でと思って早めに出たのは大正解でした。とにかくメキシコシテイは市域が東京に次いで広いそうで、大勢の人が中心部に通勤でやって来て帰宅するので、凄い渋滞になるようです。空港近くを通って帰る人も居るのでしょうね。縦も横も道路は車でいっぱいになって身動きが取れなくなるのでした。
 航空会社アエロメヒコは最悪という前評判もありましたが、普通に良くないという程度でした。成田について直ぐに伊丹へ国内便があればよかったのですが、何と11時間待ちになるので、止む無くシャトルバスで羽田へ移動。ここでブランチに蕎麦を食べて、伊丹に到着しました。帰りも晶子と歩・紀男君に迎えに来てもらって無事帰りつきました。
 
▲たくさんあったコンビニ(オクソと読む) ▲空港へ向かうタクシーに花売り ▲無事、伊丹空港に到着

訪れたのは、リゾート地と政治経済の中心ですが、それぞれに古代遺跡が近くにあり、バランスよく探索できるところでした
 メキシコは観光立国と言っていいほど、かつては踏み潰した古代マヤ・アステカ文明の遺跡を大切に再開発している国です(踏み潰したのはスペイン人ですが)。その遺跡が中心的な町からそれほど離れていないのが旅行者にとっては大変好都合でした。今回の旅のように、小・中の子ども連れでは遺跡ばかりも退屈するでしょうから、リゾート地で遊んだりしながら、両方の目的を達せられるいい配置だったと言えます。
 予算的にははじめにも書いたように、夏休みにしか行けず、その分、飛行機代もホテル代も割高になってしまいました。それも時間との勝負で、1日遅れたら料金が高くなるという疲れるプランニングでした。結局航空券は大人で往復22万円強になりました(子供でも18万円強)。ホテルは部屋単位ですから一人当たりは難しいのですが、1泊当り大人5千円、子供3千円で計算することにしました。ですから、全部で9泊ですから大人は4万5千円になります。食費はカンクンは自炊でしたから、日本から持参したものもあり、スーパーで買出ししたので、驚くほど安くて済んでいます。もちろん、大亮達が料理してくれての話です。後は先に書いたように現地のツアー代約4万円、その他の交通費1万円、現地でのレストラン代は妙さんの奢りでしたが、全部で5万円程(一人当たりにすれば1万円)。合計で約33万円といったところです。
旅行中の細々したことなど
 いつも困ることですが、メキシコもチップがある国で悩まされます。総額的には大した金額ではないのですが、ここは要る?どれくらい?と結構煩わしいものでした。
 誤算だったのはカンクンはダウンタウンへ行けばスーパーがあったのですが、メキシコシテイではよほど郊外へ行かないと見当たりませんでした。コンビニはたくさんあるのですが大型スーパーはダメでした。OXXOの店【上の写真】と何故かセブンイレブンが多かったですね。こういう店は少額でもクレジットカードOKで便利でした。
 帰ってから大亮夫妻に聞いて驚いたのですが、スペインでスペイン語を話しても当たり前、できなかったら何で?という感じだそうですが、メキシコでスペイン語で話すと大変喜ばれたそうです。大亮と妻恵美ちゃんは3年間バルセロナで過ごしたのでそれなりにスペイン語で話せるのですが、そういう違いがあるとは知りませんでした。私達のように挨拶だけでは、その違いはわからないでしょうが、日常会話まで話すとこうなるみたいですね。ですから、スペイン語の現地学習にはいい所かも知れません。
 
二つの町を訪れただけでメキシコを語ることはできません。ただ、勉強不足とは言え、色々と考えさせられる地域、国でした。
 友人にメキシコへ行くというと、「治安は大丈夫なん?」という反応が多かったです。麻薬絡みの凶悪事件が多いようですが、世界でも名だたるリゾート地カンクンと首都メキシコシテイの訪問ですから、それほど危険でないのは言うまでもありません。
 ただ、大きな印象としては、合州国と違い、ネイティブの人の比率が高い感じがしました。USがイギリスの植民地であったのと同様に、メキシコはスペインの植民地であったので、その使用言語や文化的系譜等類推できるのでしょうが、メキシコの場合、モンゴロイド系の血が混じっている人の率が高いように見えました。
 マヤ、アステカ文明等の古代文明の勉強も不十分でしたが、近現代史もよく解らないで、関連書籍を現地で読むありさまでした。選んだ本が悪いのか、どうも歴史の筋がよく見えないのです。簡単に言えば、USの民主党・共和党とか、イギリスやドイツの保守党・労働党(社民党)みたいな対立軸が明瞭でないのです。政治の時代区分も個人に帰せられることが多いのです。
 ただ、現地でそういう所を訪ねたわけではないのですが、大まかに判ったことは、社会主義的な運動が相当強力な時代があり、大方は無残な結果になっているようです。この辺のことはUSの南に隣接している地政学的な影響もありそうです。北側にカナダがあるので、この3つの国を対比的に分析すれば面白そうですが、脱線しすぎですね。
 僕はトロツキーを特別に高く評価しているのではありませんが、せっかくなので、彼の生前の家が博物館になっている所を訪れました。世界中から(祖国のソ連からも政敵スターリンに狙われ)放擲された彼を招き入れたのはフリーダ・カーロとその夫の芸術家夫妻でした。彼等もメキシコ共産党の活動家だったわけで、そいうことを可能にするほどには彼らの活動が根付いていたのでしょう。その前段に、ロシア革命の影響も受けたのでしょうが、メキシコでも革命が起こっています。その結果は憲法に結実しています。ですから、メキシコシテイの中央広場は憲法広場とも呼ばれているのです。その内容は相当先進的なものだったと言えます。
 幾つかの産業の国有化を実現し、その典型が石油関連企業です。当初石油産業はアメリカ資本中心に支配されていましたから、隣国であることも手伝って反米的雰囲気が濃厚であったようです。そしてその産業の組合も強力であったようで、日本の以前の官公労に比すべき存在であったのかも知れません。メキシコの官公労は既得権を享受していると、人々の怨嗟の的になったようです。

 女性やマイノリティの権利擁護、先住民の権利拡大というようなことが広く謳われていたようですが、なかなか実現には向かっていないようです。それを保障していくだけの経済的基盤が作られていないからではないかと思われます。むしろ、北米自由貿易協定等によってUSへの従属が進み、経済的な疲弊は覆いがたくあるようです。新自由主義的政策も進んでしまい、民営化の進展も凄まじいようです。USへの移民、不法入国も多く、そこからの家族への送金も大きな額に上っているようです。先進的だった憲法も極度に形骸化されているようです。
 ですから、総じて言えば、20世紀初頭に見られた協働社会的な萌芽は完全に消し去られているのが現在の姿だと言わざるを得ないようです。その背景には経済的な基盤を作りえなかったことがあるようです。単純比較するのはよくないとは思いますが、私達にとっても他山の石とすべきかもしれません。
 その証は、僕達が行った革命記念塔のさびれ方、憲法広場と呼ぶことの少なさ、トロツキー博物館の入館者の少なさにも見えました。そして、経済的停滞は首都圏の周辺(テオティワカンとの間の景色)に見られた人々の住宅事情、交差点に登場する芸人や物売りの多さにも見えました。首都圏でさえこんなですから、周辺部、そして合州国との国境付近ではもっと事態は深刻なようです。






Copyright © 2014 MIKAMI HIROSHI