思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その27
    ガンジス川、タージ・マハル、デリー
 インド北部の旅 
たった3人のパックツアー 正味4日間〈2012年11月26日〜
はじめに…インド−水あたりが怖い、いつものエコノミーな旅は無理? 行き先も絞ってパックで 
 インドは、息子大亮の初めての海外旅行先で、確か大学1年生の時に、友人を誘っても誰も行ってくれず、単独行になった国です。
 その見聞録は私達に強烈な印象を与えたものです。特にインドで水を飲んではいけない!!ということです。大亮も、終盤に強烈な下痢を起こし、病院へ行き、偶々そこにいた日本人看護師さんに助けられて、何とかなったということでした。もう16、7年前のことですから時代は変わっているのでしょうが、いつものように、屋台で何かを食べるなんてことは絶対避けなくてはならない、ということになります。
 そうなると、少し割高になってもパックツアーでホテルなんかも一応3ツ星か4ツ星くらいになるプランで行くと安心かな、と考えていました。長期になると健康的危険も増しそうなので、1週間程度のものを探しました。航空機が着くのはデリーですから、そこからタージ・マハルのあるアーグラー迄はお決まりの行程。それにガンジス川のベナレスを入れる。この3都市は必須ということになります。
 そういうパックツアーを探すと沢山ありました。アーグラー迄は陸路で半日、ベナレスへは陸路なら1日、空路なら2時間弱になります。ですからベナレスへの往復をどうするかでパックのパターンは幾つかに別れます。往復とも夜行列車、夜行と飛行機、両方とも飛行機、昼間の列車と飛行機というように色々あるわけです。結局、デリーから往路は飛行機、帰りは列車というプランを選びました。
 ネット上で検索しABロード(リクルートが運営)に適当なものがありました。ファイブスタークラブという旅行社で東京と大阪に店があるようでした。それなりのポリシーを持った旅行社だという印象でした。旅好き揃いのスタッフができるだけ添乗もして現地を知るようにしているというのが売りであるとか。
 
キャセイパシフィック、香港で時間がかかるのを我慢できれば運賃は安い。ビザ取得に少し苦労
 エアーインディアとかを使えばかかる時間も少なくて済むのでしょうが、キャセイパシフィックとかを使えばトランジットに時間がかかるけどウンと割安になります。まぁ「時間を金で買う」みたいなことです。香港で5時間待ち、というようなことになります。本でも読んで待つ覚悟さえあればOKです。
 ビザが要る国へ行くのは久しぶりでした。東京と神戸で取れるのですが、神戸の領事館ではなくて大阪のビザセンターで取ることになります。ややこしければ、現地で聞きながら書き込めばいいと思っていたのですが、大阪は完全にネットでの申請に移行していて、紙ベースで書き込むなんてことはできません(東京はOKのようです)。
  ネットで書式に書き込み、それをプリントアウトして持参することになっていて、それしか受け付けないのです。こんなこと要るの?と思うようなことを色々書かされるのです(例えば、父親の出生地。こんなもん間違っていても戸籍謄本を持参するわけでもないのにわかる筈ないやろ!と思うようなことがいっぱいでした)。申請者の学歴まで書かされます。それも全部英語ですから、チョッと難儀です。
 そのフォームを完成させれば、いつの何時にビザセンターに来いということまで表示されます。そして、印刷して持参ということになります。僕の場合はここでアウトでした。何故か印刷ができないのです。センターに電話で問い合わせても解らず、ネットで困った体験を見て「アドビのバージョンが低いと印刷できない」という例が載っていたので、「これか?!」と気付いて、解決しました。最新バージョンにアップしたら印刷成功。どこかで諦める人が多いのでしょうネ、代行業が大流行りでセンターでも何人分も持って来ている業者さんを見受けました。その費用は8千円強でしたから、実費より6千円ほど高く、二人分1.2万円稼いだゾ、と変な喜び方をしました。
 この間のパックツアーでは20人くらいの団体だったので、さて今回は?と直前に旅行社に尋ねたら、何と3人だとか。性別も年齢も当日までわかりませんでしたが、予想に反して30才台の男性でした。税関職員で旅慣れていて、旅のスタイルも割と私達と近い感じで、互いの距離の取り方もいい感じで、ホントに良かったです。
 
 
 
香港空港でゆっくり5時間待ち ▲2日目午前、空路ベナレスへ早速ホテルでの昼食  
翌日は早朝から空路ベナレスへ移動。サールナート観光へ
 関空を11月26日11時に出発しましたが、台北経由、香港で乗り換え5時間待ち、デリー到着は時差補正して深夜24時を越えていました。
 デリー郊外のホテルで直ぐ寝て、朝食を済ませ、空港国内線へ。そこから1時間20分でベナレス着。
 直ぐにホテルにチェックインして、昼食。そこからサールナート観光へ。そこはブッダが初めて説法をした所として有名で、今や多くはないインドの仏教徒が訪れるようです。
 その中心のムールガンダ・クティ寺院を訪れました。
 
ムールガンダ・クティ寺院への参道 ブッダの説法の様子を示す人形  
 
寺院の内部  四方にブッダの生涯の壁画…日本人画家野生司(のうす)香雪が戦前に仕上げた
ダメーク・ストゥーパ(卒塔婆の起源)周辺は遺跡の跡広がり、静寂
 寺院の隣にダメーク・ストゥーパと僧院の跡が広がっています。緑の上で説教する袈裟を来た僧と生徒が見かけられました。
 6世紀に造られたというストゥーパの壁面の模様は一部残っていて、今も信者が回りを巡っていました。  
   
パレードが続いた。ストゥーパの入口付近 ストゥーパの前で説法    
 
ストゥーパを回る信者 僧院の跡に袈裟を着た僧侶達 アショカ王の石柱の基部ホントかな?  
オプション、夜のガンガーでショータイム
 現地ガイドのアミッドさんは日本語がいまいちなので、よく分からなかったのですが、ホテルに直ぐ帰るのではなく、ガンガー(ガンジス川)へ行き何かのイベントを見るという提案があり、費用は値切って一人1000ルピー(1ルピーは約1.5円)というので、もちろん、3人とも提案に乗りました。
 ホテルとガンガーは相当離れているので、車で近付き、後は車乗り入れ禁止区域を歩くことになります。日没以後は真っ暗になる細い路地を通り抜けガンガーに近付きました。
 ガンガーに入れる所をガートと言いますが、とあるガートに辿り着くと、凄い人だかりでした。アミッドさんに連れられて川に近付き、ボートに乗り込むとそこはショーの観覧席になる手筈なのです。読経のような音響に合わせて青年が振りを付ける、そういうショーなのです。段々と持っている小道具の炎が大きくなっていったりします。
 小一時間のショーでしたが、まぁ満足でした。帰りは凄い人で、車の迎えも難しく、リキシャーに乗せてもらい、これもいい体験でした。

 
ガンガーへ向かう夜道に牛さんも ガンガーの岸辺へ向こうに見えるボートに乗る  

 
ガンガーに灯篭流し ショーのスタート  

 
ショーのファイナル 帰りはリキシャーに乗って  
ガンガーでの朝の沐浴と日の出
 今回の旅のメインエベント、ガンガーの沐浴と日の出。早朝5時半にホテルを車で出発。途中から乗り入れ禁止区域ですが、この日はヒンズー教のお祭りの日らしく、凄い人出でした。こんなに早く、沐浴を終えて帰る人が対向車線にたくさん歩いているのですから、人の多さは半端ではありません。
 ボートをチャーターして右に向かいUターンして左へ向かう、その間に日の出を見ることになります。ガートにはそれぞれ名前がありますが、いちいち追いかけようがありませんでした。ただ、溢れんばかりの人が居るガートとほとんど人が見えないガートがありました。
 右の方へ行った時に、薪が積んであり、燃え残りが川に突き出ている所があり、その辺りが荼毘にふすところかなと思われました。  

 
ガンガーへ向かう人の波。柵の向うは帰る人 ▲日の出前、沐浴する人々  

 
▲多人数から小人数まで色々な船が川へ 久美子の家の表示。もう亡くなられているとか

 

 
日の出始まる 朝陽、昇る

 

 
竹と木で作ったオール 荼毘に付す所。薪が積まれている

 

急いでホテルに戻り、朝食後、列車に乗り込みアーグラー迄10時間
 車にピックアップしてもらい、ホテルで朝食、直ぐにベナレスの鉄道駅へ。
 列車は「二等寝台」というので、どんな具合かと心配でした。小奇麗という訳にはいきませんでしたが、2段ベッドの下を割り当てられ、そこで二人でしたから、チャンと身体を伸ばせたので、まぁいいか、という感じでした。寝ても起きててもいいので、10時から20時迄でしたが、あまり苦にはなりませんでした。ピッタリの時間にアーグラーに着いたのは、ラッキーでした。ホテルで会った日本人は「12時間遅れで、バスに替えられた」とか。昼食はアミッドさんが、買って持って来てくれましたが、まぁいつものカレーの類で美味しくはなかったですが一応食べられました。ミルクティの車内販売は10ルピーで、美味しかったです。

 

ベナレスのホテルのロビー出発 ベナレスのチケット売り場等。牛も居ました  

 
ホームに降りる。右の列車に乗り込む 寝台車の車内。間もなく下車です  
アーグラーは、あのタージ・マハル、そしてアーグラー城へ。
 ホテルに着いて直ぐ夕食。ホテルの部屋の窓からタージ・マハルが見えるというのが売りだったのですが、翌朝必死に探して遥か彼方に一応見えましたが…。
 タージ・マハル方面へは僅かな距離なのですが、旅行社のサービスで馬車なんかに乗せてくれました。さすがに世界的観光地ですから大勢の見学客が詰めかけていました。

 ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃のために22年をかけて1653年に完成させた世界一豪華な墓、という触れ込みですが、帝位を狙う3男により幽閉されたという史実が何となく物悲しくかぶさります。墓は墓ですから、中にあるのは棺だけ。寺院とかと違い何もない。尤もイスラム教は偶像崇拝禁止ですから寺院であっても何もないのでしょうが。違いはメッカの方向を向くためのミーラブがないくらいかな。
 裏側に流れるヤムナー河がいい雰囲気を残しています(その対岸に皇帝シャー・ジャハーンが自身の黒い墓を作りたかったとされています)。  

 

正門 正門からタージ・マハル遠望  

 
タージ・マハル正面 タージ・マハル真下から  

ドーム入口下から レリーフ。シューズカバー着用 ▲厳重に囲まれた棺

 
裏側のヤムナー河向こうにアーグラー城 正門からタージを振り返る  
同じヤムナー河沿いのこちらは赤いアーグラー城へ
 赤い砂岩で造られたアーグラー城へ車で移動。タージ・マハルより100年ほど前に作られたムガール帝国の権力の象徴と言われる居城。
 ここからは、ヤムナー河の向こうにタージ・マハルが見えるので、人気スポットでもあるようでした。木々や地上にはリスがチョロチョロしていて、のどかな光景でもありました。
 

 

▲濠を渡ってアマル・スイン門からアーグラー城へ ▲あちこちにリスがチョロチョロしている  

 
謁見の間へ 天井にも柱にもこういう模様  

 
川の向こうにタージ・マハルが見える イスラム建築らしい造り  
午後は車でデリーへ移動、翌日最終日はオールド&ニュー・デリー市内観光
 3人だけのパックツアーですから、普通のワゴン車に運転手さんとガイドのアミッドさん、そして森川君と私達で、効率的だったかも知れません。この日もアーグラーで昼食をとり、そのままデリーへ向かいました。4時間ほどで初日の夜に泊ったスターロックというホテルに到着。アミッドさんはデリーに住んでいるので、自宅に帰りました。ホテル周辺は公園らしいのですが、特に何もなく、夕食も胃に優しいサンドイッチ&コーヒーで済ませました。
 次の日は最終日で、そのまま深夜2時頃の出発で帰路につきますから正味1日のデリー観光ということになります。旅行計画に書いてある通りではなく、ガイドさんの判断で回り易いように動いたことになります。
 最初にフマユーン廟。アーグラー城を建てたアクバル帝の前のフマユーン帝の墓(1565年に妃が建てた)。タージ・マハルより100年ほど早くに作られていますが中央にドーム、左右対称の建築はその原型とされ、世界遺産にもなっています。
 次に訪れたのはガンディーが火葬された記念公園のラージ・ガート。広大な敷地にシンプルなモニュメントがあるだけなのはガンジーらしいのでしょう。

 

アーグラーでの昼食。インド風+中華風 デリ−のホテルの朝食。この際フルーツも頂く  

 
▲入場門からのフマユーン廟 フマユーン廟左から  

 
廟の内部はもちろん棺のみ。 ▲入場門をバックに全員集合。アミッドさんも  

 
▲ガンディーが火葬された記念のラージ・ガート ▲付近を何かのパレードが続いていた  
ムガル帝都の居城ラール・キラーから庶民の町チャンドニー・チョウクへ
 アーグラーからデリーに都を戻し、都城となったのがラール・キラー。レッド・フォートの別名通り「赤い砦」。『歩き方』によれば、最盛時の僅かな名残というが、それでも広大なものでした。反乱軍やイギリスによって多くの部分が破壊されたようです。
 正面から延びる都大路がチャンドニー・チョウク。今は雑踏でバザールの趣きでした。何かを買いたいわけでもなく、先を急ぎましたが、途中にシーク教の寺院があり、森川君が入ってみたいと言うので、同行しました。  

 

ラール・キラーの入口付近 門の下には名産品店のアーケード  

 
▲一般謁見の間の奥には玉座

左が貴賓謁見の間

 

 

 
貴賓謁見の間 デリーでもリキシャーが大活躍    

 

 
チャンドニー・チョウクの通り シーク教寺院裸足とスカーフが求められる    
デリーの最後は、インド最大のモスク、ジャマー・マスジット、巨大な塔、クトゥブ・ミーナール
 チャンドニー・チョウクから歩いて直ぐのジャマー・マスジットへ向かいました。礼拝が終わった直後で、インド最大のモスクですから出る人の波が凄いので相当な時間待ちました。小高い丘の上にあるので眺望は抜群でした。参道には溢れんばかりの人が流れ、露店がひしめいていました。
 少し離れたクトゥブ・ミーナールは高さ72m、奴隷王朝のスルタンがヒンドゥー教に対する勝利を記念して建てたもの。コーランの文句を図案化した彫刻が刻まれているそうです。 

 

ジャマー・マスジットに向かう ジャマー・マスジットへの階段  

 
奥にモスクのドームが見える ▲ジャマー・マスジットから参道へ  

クトゥーブ・ミーナール ▲インコがとまっている コーランの一節

 

4世紀に建てられた鉄柱 ▲挫折したアラーイーの塔(もっと大きなものを作る)  

渋滞は並ではない凄さ。町全体は汚れている印象。物価は安そうだが、詳細不明。少しのもめごと
 食事の主流はカレーになります。ナンは必ず付いてきますが、美味しかったです。スパイスが効き過ぎているということはありませんが、サラダやフルーツが欲しくなります。水で処理しますからこれも食べてはいけない!ということになっていました。でも旅の後半には「水にあたっても、なんとかなるやろ」とタカをくくっていました。
 幸い、全く水にはあたりませんでした。もちろんホテルに着くと必ずサービスでミネラルウォーターが置かれていましたからそれを利用したことは言うまでもありません。
 航空機や列車を別にすれば、移動の大半はバスではなく、ワゴン車でしたが、余計に渋滞や車の運転の荒っぽさは身に沁みました。
 リキシャーに鈴なりなのは(昔のミゼットみたいな小さな3輪自動車に9人ほども乗ります)見慣れた風景なのですが、車線はあるのか無いのか判りませんが、とにかくみなさん少しでも前に出ようとします。その時の為にクラクションがあると言う感じで、クラクションの音が響き合っています。
 車から見える住居は、布が屋根代わりにかけてあったりします。それも首都デリーでの話ですからね。暮らしは楽ではなさそうな印象でした。IT関連の産業の業績はいいとか言われていますが、そういう人達は居るには居るのでしょうが、旅行者には実感できることではありませんでした。

 人口が1位、2位なので、中国と比較されることも多そうですが、発展のテンポがウンと違うような気がします。インドは遅そうだなぁという印象です。政治と経済が密接に結びついているのでしょうが、こういう時は一党独裁が強いのでしょうか。

 急に話が現実的なことに変わりますが、最初に色々なパックツアーがある中で、このツアーは相当割安だと書きました。108000円で、燃油サーチャージは16200円。サーチャージがこんなに安いのは他に見当たりませんでした。デリーの空港使用料が7150円もするのは仕方ないでしょうネ。国内線の分1750円も要ります。関空も含めて、ここまでで締めて136650円という訳でした。
 お土産も何が良いのかよく判らないまま終盤を迎えましたが、デリーで空港へ向かう直前に尋ねた紅茶の専門店で、いいものをゲットできました。実はその直前に、チップの問題でアミッドさんと険悪になりました。彼が自分へのチップも金額まで含めて要求するので、3人とも怒ったのです。それまで、運転手さんへのチップはこれくらいとか言って来たのですが、ガイドには要らない(旅行費用に入っている)と言って来たのに、ガイドにも要ると言い出したのです。
 偶々、最後にインド人の一般家庭でチャイをいただくことになっていたのを、ゆっくりしたいのでそれを断りました。すると、インドの旅行会社のオフィスの確認が要るということで、携帯で話すことになり、日本語の堪能なスタッフと話しました。その時にチップ問題も話すことになり、運転手さんへのチップも返却させるというような話になりました。結局、返金されたものをそのまま受け取るわけにもいかず、適当にガイドさんにも少しチップを渡すことでこの問題は終えました。ただ、その話の後で『歩き方』に載っている紅茶の店を彼に案内してもらったのですが、真剣に探してくれたことは言うまでもありません。ホントにわかり難いところにある店でした。
 何と言っても紅茶はインドですからネ。お土産用の小振り(50g)のパックを色々な種類(ダージリンとか)を取り混ぜて50包以上買ったので向こうの人も驚いていました。あまり通ではありませんが、さすがにこの紅茶は美味しかったです。




Copyright © 2013 MIKAMI HIROSHI