思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その9
        1年前ベトナムの旅での見残し北部 
       ハノイ・ハロン湾の旅
             3連休利用の駆け足の旅
                今回も3人旅・4日間 

[ハノイの中心部で踏み切りの手前で待つバイク群] [ホーチミンの家。見学者は長蛇の列] [ハロン湾の鍾乳洞を出た展望台から]

 はじめに…一度も海外に出かけなかった2003年。取り戻し(?)のスタートは新年の8日から 
 年賀状にも書いたのですが、2003年は結果的に一度も海外に出かけることができませんでした。SARS、戦争の影響もあったのですが、三上が久しぶりの3年生の担任で、それどころではなかったということもあります。
 最後の海外の旅は2002年の12月のベトナムの旅でした。この時、9日間がマックスでしたから、ハノイを訪問地に入れるとかなりタイトなスケジュールになるので、割愛しました。
 ハノイだけなら3〜4日くらいで行けそうだから、短い休みを利用してまた行こう、ということになっていました。となると、冬休みか春休みになるのですが、これがまた色々事情があり、うまくゆかず、結局、ハッピーマンデイ(成人の日)利用の正味4日間の旅になった次第です。
 三上の3年担任も、多くの生徒は進路が決まり、残る10人程は一般入試に向けて自分で頑張るしかない時期でした。8日の始業式を終えて、9日のみ休暇を取り、連休明けの13日は関空から職場へ直行。ハードなスケジュールでしたが、一応無事乗り切りました。
 ただ、前回の印象記に書いたように、ベトナム人気は高く、日程と価格の面で今回もタイ航空を使ったのですが、〈バンコク―ハノイ〉だけが取れず、キャンセル待ちの状態で年を越してしまい、OKが出たのは、何と出発の3日前という慌しい準備日程でした。
 それでも、とにかく出かけられたのは、何とラッキーなことに、2004年の1月からビザが要らなくなったおかげです。ゴーサインが出てもそれからビザの手続きをするのは結構面倒なことですが、それが免除された次第です。一人5000円の節約になったことは言うまでもありません。この有り難い変更は、空港やパスポートコントロールでも徹底しておらず、何度か、ビザは?と聞かれましたが、余りのタイミングの良さに感謝!

月・日 行               動 宿泊ホテル
1月8日     JR高槻15:00→関空18:45⇒22:55バンコク空港→ホテル アジア・A.P.H
1月9日 バンコク空港7:50⇒9:35ハノイ・ノイバイ空港
 革命博物館 女性博物館  
ナム・ハイH
1月10日  ホーチミン廟・ホーチミンの家 鎮武観 文廟 
玉山祠 水上人形劇
ナム・ハイH
1月11日 ハロン湾の町・バイチャイへ。 ハロン湾クルーズへ 鍾乳洞探索 カットバ島 カットバ島のH
1月12日 ハロン湾クルーズ・復路 バイチャイからハノイ市内へ
ハノイ・ノイバイ空港20:35⇒22:25バンコク空港  
機中泊
1月13日 バンコク空港0:00⇒7:10関西空港 

1年前の印象に大きな変化無し。ハノイでも、やっぱり、バイク・バイク・バイク
 1年の空白はあるものの、何だか連続した旅のような感じで、ホーチミン市、フエ、ホイアン(前回)、そして、ハノイに立ち寄った、そんな印象です。
[夫婦の間に子供を挟む4人乗りパターン] [夕方、色々な組み合わせの二人乗りが登場]  ですから、前回のような発見はあまりなく、同じ印象を深めた感があります。前回書いた「バイク・龍・米、そして、ホーおじさんの国」の印象は変わらず、今回は農村部に足を踏み入れなかったので“米”の国は実感しませんでしたが、バイクはハノイでもその多さには驚かされました。
 ハノイは、ホーチミン市なんかに比べると、まだ信号が少しはあるという印象ですが、「どうして、こんな交通量の多いところに信号がないの?」という感じです。それと、チョッとは堅牢なバイクが多い感じはしましたし、バイク屋さんの数も少なめ、従って、例の[HONDA]の看板も少なめでした。その分、ヤマハやスズキが多いのかナ、と思ったりしました。
 ハロン湾からの帰り、あるロータリーを廻っている時に、そのロータリーだけで、3件もの接触事故を見ました。前回、「老婆心ながら、もしこれから市民の生活水準が上昇し、自家用車保有率が上がれば、もう大変なことになります。…何らかの交通政策を持たないと街は破綻する、と感じました。」と書いたのですが、その兆候が出て来ているのかも知れません。
 もう一つ、昨年は感じなかったのに今回痛感したのは、警笛のうるささです。エジプトのカイロほどではないにしても、相当な騒音でした。日本のように警笛を鳴らさないようにという指導をしても、それでは接触事故が増えるかも知れない程、確かに交通量は多いのですが、何らかの交通政策が必要ではないかと感じました。街並み保存(ホイアン)では日本人が協力しているようですから、こんな面でも支援があってもいいのでは?と思いますがどうでしょうか。

やはり「漢字文化圏」!の名残の数々 [道教の寺院・鎮武観の門。] [ハノイの中心部の湖に浮かぶ玉山祠の門]
 ベトナムが本来、中国文化圏、或いは漢字文化圏であったことは、今回も痛感。右の写真の様に、漢字そのものが目に飛び込んで来るのはもちろんなのですが、それ以外にも漢字で書かれていたらよく判るのに、と思うことも多々あります。【左:ハノイの中心部の湖の島にある玉山祠の門。右:市の少し北部にある道観(道教の寺院)】
 この玉山祠のある湖の名前がそうです。ホアンキエム湖なのですが、還剣から来ているそうです。キエム=剣なら、何となく判る気がします。「黎朝の始祖が湖に棲む亀から宝剣を授かって、それで明の支配を打ち破った。そして、その剣を返還した」という伝承に基くそうです。亀とか鶴とか、民俗学に詳しくない僕にはよくわかりませんが、何だか日本の、ひいては東アジア文化圏と共通なものを感じます。

 そして、極めつけは文廟(孔子廟)です。(孔子廟は、日本にもあり、長崎の原爆記念館を訪れた際に市内に立派な物が建っていて驚いたことがあります)。孔子を祀るのですから、中国・漢字文化の最たるものです。そして、その中に、科挙試験の合格者の一覧が記念に残されているとなれば、とことん中国です。
 ただ、ここが一応社会主義国だということです。道教の寺院、その他の仏教寺院、民間信仰、それらが排斥されずに残されている、こういう寛容さは好ましいものと感じられます。バーミヤンの石仏の破壊を目の当たりにすると余計にそう感じます。歴史的遺産は遺産として保存しながら、その問題点を明らかにする、そういう姿勢が必要なのだろうと思います。
 さて、ベトナムでは、孔子の評価をどうしているのでしょうか?ゆっくり読む時間はなかったのですが、文廟の孔子の説明掲示には、「国や家族の大切さを説いた」というようなことが英文で書かれていたように思います。
 

[文廟門] [文廟の正殿] [孔子像]
【左から、文廟門・正殿の中央部分(屋根の上にはヤッパリ龍です)・孔子像】

ホーおじさんの国、ホーチミン廟の訪問
[ホーチミン廟の外観。内部は撮影厳禁]  ハノイは首都ですから、議事堂とかもあるのですが、それらを含んだゾーンがホーチミン廟一帯ということになります。
 廟はもちろんホーチミンの遺体が安置されているのですが、そのままの姿で保存されています。レーニン廟のレーニンの遺体が今はどうなっているのかよく知らないし、見たことはないのですが、それを模しているのかも知れません。とにかく、廟の入口から出口までは相当な厳戒態勢で、特にカメラ類の持込は厳重にチェックされます。赤い袋を渡され、そこに入れ、袋ごと出口に運ばれていて、直ぐに返してくれます。
 衛兵が要所に立っていて、厳重な警戒態勢なのですが、衛兵が独特の歩き方をするとかいうことはありません。ガラスケースに入った遺体の周りにコの字型の見学通路があり、そこを廻るのですが、「喋ってはいけない、立ち止まってはいけない」ということになっています。僕達はたまたま、道を間違ったので、大きな集団から離れて、入口で待つように指示されたのですが、10人程溜まったら入れてくれました。ですから、立ち止まってもよかったので、ゆっくり眺めることができました。薄暗い中でホーチミンの遺体にライトが当って、なかなかよく保存されている感じでした。
 ホーチミンはその人柄や指導力の点で、本当にベトナムの人から敬愛されているので、こういう扱われ方は理解できるのですが、でも、個人崇拝を戒めたのもホーチミン自身でしたから、ホーチミンは草葉の陰でどんな顔をしているのでしょうか。因みに、ホーチミンには子どもが居ませんから、尚のこと、金日成・正日父子のような国にはならないようです。

 この廟、ホーチミンの家、ホーチミン博物館、一柱寺は、ガイドブックの地図を見ると別々の敷地にありそうに見えるのですが、続いています。 [ホーチミンの家・寝室] [ホーチミンの家・書斎]
 ホーチミンの家【外観はタイトル下の写真、中央】は、彼の生前の住居なのですが、質素なもので、彼の人柄が偲ばれるからでしょうか、長蛇の列でした。高床式の2階部分に書斎と寝室、それだけです。ただ、補修されているのでしょうが、漆塗りなので僕らみたいな貧乏人からすれば、材質はハイな印象でした。しかし、本当に狭い所に質素に暮らしていたことがわかり、それを評価する国民が居る限り、現指導層をも規定する訳ですから、いい施設ですね。 [ホーチミン博物館の入口]
 ホーチミン博物館はベトナムのあらゆる都市にあり、いくつか見ているし、彼の生地であるフエのものが最も充実していると言われているので、パスしようと思ったのですが、「家」を出たら、そこがもう入口ですから、粗っぽく見ました。時間もなかったので丁寧に見ることはできなかったのですが、ここは、ディスプレイに工夫がされており、アート系という感じがしました。 [一柱寺]


 一柱寺は博物館のまん前にあるのですが、小さく見落としてしまいそうですが、その名の通り一本の柱の上に立っているのが面白く、結構な人が覗いていました。 

若い人への教育のため?革命博物館・珍しい女性博物館
 幾つか博物館が集まっている地区があるのですが、初日で飛行機の疲れもありましたし、雨模様でブルーな気分でしたから二つだけ訪れました。一つは「革命博物館」で、ここはフランス植民地時代の税務署だった所だそうですが、その建物の堅牢さは、フランスの植民地支配の凄まじさを象徴しているようでした。【写真@】
 教育的な意味合いの強い博物館でしょうから、ベトナム人の若い見学者が目立ちました【写真A】。ただ、どこも事情は似ているようで、たくさんの見学者の中には退屈そうにしている人や、勝手なことをしている人も見受けられました。マア、「偉大な首領様に直立不動!」より人間的な気もしましたが。
 英語の説明がなかったのでよくわからなかったのですが、レーニンが民衆に演説しているよく見る絵が展示されていて、目を引きました【写真B】。博物館以外でも、次の日ホーチミン廟へ向かうタクシーから相当大きなレーニン像も目にしました【写真E】。地図にはレーニン公園がありましたから、位置的にはおかしいのですが、それかと思ったら、違っていて、それはそれで別にあるようです。ロシアなんかでは地に墜ちた観のあるレーニンですが、ここベトナムでは評価は低くないようで、それはそれなりに興味深いところです。

 もう一つは「女性博物館」。珍しい名前の博物館なので訪れました。ここは英語の説明はあったものの、お疲れでゆっくり読む元気はありませんでしたが、歴史、革命や社会での女性の役割の重要性が展示されていました【写真C】。特に入口の「ベトナム女性の像」は迫力がありました【写真D】。説明によれば、右手を水平にしているのはベトナム女性の意思の強固さを示すそうです。また、背景の部分は、ベトナムでは「父は山に喩えられ、母は湧き出る水に喩えられる」とのことで、それを表現しているとのことでした。

[革命博物館の入口外観。観光バスで見学に来る人も多い] @[ベトナム人の若い見学者が多い] A[有名なレーニンの演説の絵の複製] B[女性博物館の展示。女性に関係する色々な像] C[ベトナムの女性像] D[通りすがりの公園に立っていたレーニン像] E
 
物価・治安・清潔・料理は、ハノイも変わらず
 [ナムハイホテルの室内] 昨年、「日本の若い女性に人気」の理由が物価の安さ、治安の良さ、清潔さ、料理の美味しさにあると書きましたが、もちろん、ハノイ・ハロン湾でもその通りでした。
 物価は、1年前より円高感があり1ドンが0.0085円であったのが0.007円くらい(1円=146ドン)になって、一層有利になっている面があります。首都だから物価高という訳でもなさそうです。ロケーションもいいミニホテル(ナムハイホテル)【写真右】に泊まりましたが、トリプルで1泊28$でした。一人当り1050円。簡単なものですが朝食込みです。
 タクシーの初乗りがホーチミンなんかより低く5000ドン位ですから、40円弱ということになります(ただ、とにかく単位がバカでかくなるので、慣れるまでは高いのか安いのかよくわからず、初日のタクシー代は一桁間違い、10倍の料金を払ってしまいました。それでも、40円のところを400円払っただけですが)。
 食事も、現地の人から見れば高級なお店で、タラフク食べて一人700円に達しないという安さでした。初日の昼食など、『地球の歩き方』などのガイドブックに紹介されているおかず屋さん(コム・トゥアン)で食べましたが、余りの汚さにたじろいだものの(店が汚いのではなく、現地の人が食べ散らかすからですが)、店先のものを適当にチョイスして、なんと払ったのが3人で140円弱! [ハノイガーデンの料理] [ブラザーズカフェのバイキング料理]
 料理の美味しさは前回書いた通りです。特にお奨めはナムハイホテル(ハンザ市場の前)からも近かった「ハノイガーデン」。日本語メニューがあるので大助かりでした。現地の人に人気で、大はやり、テラス風のところで思い切り食べましたが、さっき書いた程度の料金でした。【写真左】
 4日の内、ハノイに居たのは半分の2日間でしたから、食事もそんなに色々取った訳ではないのですが、2日目の昼食はガイドブックに載っていたバイキングの店を探し当てました。ブラザーズカフェという名前の文廟に近い店ですが、ここは日本人のパックツアー客のような人も来ておられ、とにかく、スープからベトナム風饅頭の類いまであって、タラフク食べるのに精一杯で、いい雰囲気のテラスで食べたのですがその風景を撮影するのを忘れた位です。【写真右】
 

ヤッパリ見ておいて正解だった「水上人形劇」
[水上人形劇のフィナーレで遣い手さん達登場] 後半はハロン湾クルーズに出かけるので、ハノイで過ごしたのは、2日間だけで、これまでに書いたことで(時系列は無視されていますが)、ほぼ終了です。ただ、もう一つ、訪れたのが水上人形劇です。
 水上人形劇は前の訪問の際に、ホーチミン市の歴史博物館の中で見たことがあるので、スケジュールによってはパスしようかと思っていたのですが、夜に訪れる所もないし、ということで見ることにしました。
 見てみて、予想した以上にスケールが違いました。人形の遣い手が(フィナーレで登場されます)あちらは3人、こちらは10人、という一事でもそれは示されています【写真右】。音響もあちらはテープ、こちらは生演奏。流石にいくつもの海外公演をして来られているだけのことはありました。帰って来てから職場の同僚から、「大阪でも公演して、大仙公園だったかな?」と聞きました。
 チッポケなことなのですが、この予約でチョッとやり取りがありました。ホテルでスタッフに予約を依頼したら、4$だと言います。「いや、40000ドンのはず」「違いは何?」「スペシャルシートだ」「40000ドンの席は1stだから、スペシャルだ」と、遣り取りが続き「チケット売り場はここだから、自分で行けば」、ということになった次第。マア、考えてみれば432円か274円かの違いだけなんですが、ヤッパリこういう事は許してはいけないと思ってしまうんですネ。
[生演奏の謡い手・楽団] [獅子の舞い] [仙女の舞い]
   【左から、生演奏の謡い手・楽団/獅子の舞い/仙女の舞い】
 先に書いたホアンキエム湖の北東端に劇場があり、そこで予約、チケットを購入するのですが、1stはなかなか手に入り難く、僕たちも2人なら空いているが、3人ならダメというような遣り取りの末、翌日の一番早い時間(5:15〜)でOKでした。1stは、前の方の席で、且つ、演奏のテープ付き。それで300円弱。観客は圧倒的にヨーロッパ人が多かったようです。

後半は、世界遺産・ハロン湾クルーズへの旅
 [シン・カフェの店頭。立っているおばさんがスタッフ] ハロン湾はハノイから車で3〜4時間の位置にあり、バイチャイという町に行き、そこからクルーズ船に乗ることになります。
 ここへは、いつも通り自分で車を見つけ、ホテルをとり、クルーズ船を見つけ、というようにしてもよかったのですが、いまいち状況が飲み込めない感じだったので、日本を発つ時から、「料金も手頃な感じだから、現地ツアーを申し込もう」ということにしていました。
 とにかくこういうことは早目に予約するに越したことはないし、ホテルがこういうツアーを斡旋するのはどこの国にもあることで、宿泊を決めたナムハイホテルでその交渉は始まりました。ハロン湾クルーズといっても、色々なパターンがあり、日帰り、1泊、2泊、…泊まる所も、カットバ島(湾最大の島)、船の中、等
 日帰りだと、帰りが夜の8時半、これはいくら何でも遅い。ですから、予定通り2daysが基本。そこでお値段はというと、29$。ガイドブックの情報より少し高め。でも、この程度ならと決めかけたのですが、帰りの時刻が6:30pm。これはその日に空港へ着いていなければならない時刻。ということで、慌てずに「考える」ということで、街に出ました。ベトナムにはシン・カフェという大手のツアー会社があります。町のあちこちに小さなオフィスがあり、どこでも同じ料金設定なのかどうかはわかりませんが、そこを探して交渉開始。
 驚いたことにさっきと同じ条件で、何と、13$。しかも帰る時刻は5:30。空港まで約1時間ですから、これならOKです(ベトナムでは、英語がある程度解れば、仕事になる時期なのですね。南田洋子に似た女性は子供をあやしたりしながら、副業のような感じで仕事をされていました)【写真右。ハンコも売っていて物色。入口に立っているのがシン・カフェの社員?】。
 決めてからハロン湾クルーズに出かけるまで、僕たち家族で何度も確認したことは「何があっても、文句を言わないこと!」でした。だって、ホテルに迎えの車が来て、バイチャイの街まで連れて行ってくれて、昼食。クルーズ船に乗り、ホテルに泊まり、夕食。朝食ともう一度昼食。そして、ハノイまで連れて帰ってくれて、英語ですがガイド付き。これで13$。日本円にして1400円強。どんなひどいことが待ち受けていても、文句は言えない、期待ゼロで行こう、という訳です。

現地ツアーの凄さ、驚きのリッチな内容
 [ハロン湾クルーズ船の屋上デッキ] [ハロン湾クルーズ船の船内] さらに詳しく交渉の中味を紹介すると、この安さは、large groupだからで、small groupだったら、22$になると言うのです。同じことはナムハイホテルでも言われ、基本は29$だが、large groupだったら、23$だと言われました。sは12人まで。Lは20人程度だとか。別に20人でも困らないので、安い方を選んだのです。ところが、早朝、7:30にミニバンが迎えに来てくれ、集合地点で幾つかのホテルから集まったのは総勢8人程度。その中で、バイチャイで別れた人も居ますし、ホテルには泊まらず、船で泊まった人も居ますから、どれがグループなのかよくわかりませんが、とにかく料金はラージ並みですが、実際はスモールなのです。
 食事は、4食とも同じパターンで、ホテルとかのレストランで合い席で食べ、必ず6人詰めさせられるのです。それは、どのテープルにも同じ料理(4、5種類の)が運ばれ、それを中華料理風にみんなで箸を出す、という仕組みだからなのです。でも、味は結構いけるし、揚げ春巻や魚の切り身のフライがあり、野菜もたくさんで不満はありません(個人的にはお椀が一人一つで、皿は一切出してくれないので、ご飯の上に乗せなくてはならず嬉しくありませんでしたが、慣れの問題です)。
[カットバ島のホテルから見える港の夕暮れ]  ハノイ往復のミニバスも、そういう次第でゆったりしていて、乗車率50%程度。さらに感激したのは、クルーズ船の船室や屋上デッキの居心地のよさです。とにかく、この低価格ですし、相当劣悪なものを覚悟したのですが、何の何の、ゆったりしたなかなかのものでした【写真上】。天候はベストとは言えず、どんよりしていたし、風もあるのですが、その風が冷たくなく心地よいのです。
 後は、ホテルなのですが、一応ミニホテルで、調度品とかは簡素なものでしたが、期待度が低いだけに我慢できないほどではありませんでした。バスタブはありませんでしたが熱いシャワーも出ました。それに、部屋にではありませんが、バルコニーも外についていて、夕方と朝方の湾が眺められました【写真左】。ただ、シーツがないのが残念なのと、綿の布団はいいとして、それが何故かはみ出しているのはチョッと修繕すればいいものを、と思いましたが。
 因みに、湾クルーズは1、2時間で終わるようなものではなく、大体3、4時間が基本です。1日目の午後と2日目の午前がハロン湾クルーズのプランだったのですが、着くまで予想していなかったのですが、宿泊は湾内最大の島・カットバ島だったのです。何となく出航した港に戻って宿泊と信じていたのですが、そんなことをしていては、2回チャチなクルーズを繰り返すことになるのでしょう。だから、カットバ島宿泊が合理的なのと、ここのホテルの方が割安なのかも知れません。
 
ツアーならではの良さも…グループで知り合う [カットバ島のホテルでの夕食]
 個人旅行で、家族連れだと、敢えて求めない限り、色々なメンバーと話す機会はありません。が、こういう現地ツアーに参加すると、自己紹介したり、何時からこちらへ来ているのか、というような会話が生まれます。先に書いたように、グループと言っても、ミニバスに乗るだけの人、船内宿泊する人、色々あったのですが、結局、カットバ島に泊まったのは僕達のグループではオーストラリア人のマーガレットとカナダ人のウェンディ。マーガレットは小旅行で来ており、画家。ウェンディは丁度カナダを発って1周年。ラオスやマレーシアを廻り、マレーシアでは英語を教えていたとか。
 ホントの個人旅行なら、もっといろいろ話すことになるのでしょうが、こちらは家族ですから、彼女達同士の交流が主になりましたが。 
[ホテルのバルコニーでマーガレットとお別れ] [カットバ島の港でウェンディと]  カットバ島のホテルの夕食は、例の6人詰ですから、フィンランド人のミラが入って来て、名前を紹介し合うや否や、ミラが早口で話し始め、もう何を言っているのかてんで解りませんでした。僕達だって海外で日本人に会えば、旅の情報交換するでしょうから、そんな感じの会話が激しく行われます。ただ驚いたのは、ウェンディが僕達の名前を覚えて、ミラに紹介してくれたことでした。凄い気遣いの人という印象でした。【写真上。奥からウェンディ・マーガレット・ミラ】
 そして、マーガレットはこの島が国立公園になっていて、トレッキングもできるということで、もう1泊留まるという自由さ。ウェンディは「日本に行きたいけど、物価が高いので仕事を見つけないととても行けない。NOVAかな?」てなことを言っていました。
 
ハロン湾は「海の桂林」と言われる、面白い景色の連続
 クルーズは、船内からも屋上デッキからも島々を眺められ、のんびりした船旅。写真のような光景が次々と展開しました。
[僕たちが乗ったのと同型のボート] [舳先から海、島々] [いろいろな形の島、岩の間を観光船が通る]
 
[鍾乳洞の壮大な内部] [水上生活を営む人々]  1日目は湾を巡るだけでなく、島に立ち寄り、鍾乳洞の探索もありました。壮大なものでした【写真右】。
 この島周辺だけではなく、幾つか、水上生活を営む人の集落も見えました(以前にテレビ番組でも紹介されていました)【写真左】。
 嬉しかったのは、舳先で進行方向に向かって座ったりして、景色が眺められることでした。落ちれば終わりですから、日本だったら「危険・立入り禁止」とでもされるところでしょうが、全くOKなのです。超ミニ版のタイタニック号(あの有名なシーン)です【下の写真の黄色の彫り物が舳先にある舟のシンボル像(もちろん龍)です】。
[ボートと後の海、島々] [航跡と行き交う現地の作業船] [舳先のシンボル、龍の彫り物]
 

最後に、ハノイとホーチミン市の違いは? [ハノイの中心部にある鉄道の線路]
 ハノイとホーチミン市の違いを聞かれますが、2日居ただけですから、そんなに良くは解らないのですが、一つだけ判ったことは、「道に迷いやすい」ということです。地図を見ながら歩いて、目的の道に辿り着くどころか、元に戻っていた!こんな経験は初めてで、自信を喪失しました。ハノイは古くからの首都であったためでしょうか、通りが入り組んでいます。そして、碁盤の目になっていないで、交差点のところで何本もの辻が延びているので少し角度を間違えると、あらぬ方向へずれていくようでした。
[ホーチミンが子供を抱く看板]  そして、これはハノイ、ホーチミン市に限らず、これからの交通政策に重要だと思われるのは鉄道利用です。ハノイでも中心部に鉄道が走っているのですが、滅多に列車が通らないので写真【右】のような具合になります。これは廃線ではなく、れっきとした鉄道なのです。ハノイからハロン湾へ向かう道路の横にも線路が走っていましたが、列車は見かけませんでした。バスやトラックの行き交う道の整備の方が優先されるのは、発展途上国の一般的傾向ですが、もう少し中長期的な見通しが必要ではないかと痛感させられました。
 街に、前回掲載したような国や共産党の看板は必死に探してやっと見つかるというのはハノイもホーチミン市も変わりはありませんでした。ハノイ中心部で見たホーおじさんの子供や平和を大事にする看板【写真左】は暖かげで好ましく感じられました。

最後の最後に、おまけの話 [バンコクの空港でコロッケさんと]
 職場などで、完成したアルバムを見せて、最も早いのは「コロッケに会ったん?」という反応でした。アルバムは忠実に時系列に沿っているのでトップページに出てくることもあって、すぐ目に付くものですから。
 今回は、飛行機の便の関係で、往路、バンコクでホテルを取らざるを得ず、翌早朝にハノイへ飛んだのですが、乗換ではないのでパスポートコントロールに並んでいたら、3つほど向うの列にコロッケさんが並んでいた次第。若いマネージャー風の男性と一緒でしたが、通過はこちらが遅れて、一旦は見失ったし、必死で探すほどのことはないので、まあイイか、と僕達のゲートへ向かおうとしたら、そこに居た、という訳です。何たってバンコクですからコロッケをコロッケと知る人は皆無に近い訳ですから、声を掛けられるのも悪い気分ではないのでしょう、写真も一緒に撮らせてくれました。プライヴェイトでなく、仕事で来ていたとか。