思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その9 |
3連休利用の駆け足の旅 今回も3人旅・4日間 |
月・日 | 行 動 | 宿泊ホテル |
1月8日 | JR高槻15:00→関空18:45⇒22:55バンコク空港→ホテル | アジア・A.P.H |
1月9日 | バンコク空港7:50⇒9:35ハノイ・ノイバイ空港 革命博物館 女性博物館 |
ナム・ハイH |
1月10日 | ホーチミン廟・ホーチミンの家 鎮武観 文廟 玉山祠 水上人形劇 |
ナム・ハイH |
1月11日 | ハロン湾の町・バイチャイへ。 ハロン湾クルーズへ 鍾乳洞探索 カットバ島 | カットバ島のH |
1月12日 | ハロン湾クルーズ・復路 バイチャイからハノイ市内へ ハノイ・ノイバイ空港20:35⇒22:25バンコク空港 |
機中泊 |
1月13日 | バンコク空港0:00⇒7:10関西空港 |
そして、極めつけは文廟(孔子廟)です。(孔子廟は、日本にもあり、長崎の原爆記念館を訪れた際に市内に立派な物が建っていて驚いたことがあります)。孔子を祀るのですから、中国・漢字文化の最たるものです。そして、その中に、科挙試験の合格者の一覧が記念に残されているとなれば、とことん中国です。
この廟、ホーチミンの家、ホーチミン博物館、一柱寺は、ガイドブックの地図を見ると別々の敷地にありそうに見えるのですが、続いています。
もう一つは「女性博物館」。珍しい名前の博物館なので訪れました。ここは英語の説明はあったものの、お疲れでゆっくり読む元気はありませんでしたが、歴史、革命や社会での女性の役割の重要性が展示されていました【写真C】。特に入口の「ベトナム女性の像」は迫力がありました【写真D】。説明によれば、右手を水平にしているのはベトナム女性の意思の強固さを示すそうです。また、背景の部分は、ベトナムでは「父は山に喩えられ、母は湧き出る水に喩えられる」とのことで、それを表現しているとのことでした。
ただ、ここが一応社会主義国だということです。道教の寺院、その他の仏教寺院、民間信仰、それらが排斥されずに残されている、こういう寛容さは好ましいものと感じられます。バーミヤンの石仏の破壊を目の当たりにすると余計にそう感じます。歴史的遺産は遺産として保存しながら、その問題点を明らかにする、そういう姿勢が必要なのだろうと思います。
さて、ベトナムでは、孔子の評価をどうしているのでしょうか?ゆっくり読む時間はなかったのですが、文廟の孔子の説明掲示には、「国や家族の大切さを説いた」というようなことが英文で書かれていたように思います。
廟はもちろんホーチミンの遺体が安置されているのですが、そのままの姿で保存されています。レーニン廟のレーニンの遺体が今はどうなっているのかよく知らないし、見たことはないのですが、それを模しているのかも知れません。とにかく、廟の入口から出口までは相当な厳戒態勢で、特にカメラ類の持込は厳重にチェックされます。赤い袋を渡され、そこに入れ、袋ごと出口に運ばれていて、直ぐに返してくれます。
衛兵が要所に立っていて、厳重な警戒態勢なのですが、衛兵が独特の歩き方をするとかいうことはありません。ガラスケースに入った遺体の周りにコの字型の見学通路があり、そこを廻るのですが、「喋ってはいけない、立ち止まってはいけない」ということになっています。僕達はたまたま、道を間違ったので、大きな集団から離れて、入口で待つように指示されたのですが、10人程溜まったら入れてくれました。ですから、立ち止まってもよかったので、ゆっくり眺めることができました。薄暗い中でホーチミンの遺体にライトが当って、なかなかよく保存されている感じでした。
ホーチミンはその人柄や指導力の点で、本当にベトナムの人から敬愛されているので、こういう扱われ方は理解できるのですが、でも、個人崇拝を戒めたのもホーチミン自身でしたから、ホーチミンは草葉の陰でどんな顔をしているのでしょうか。因みに、ホーチミンには子どもが居ませんから、尚のこと、金日成・正日父子のような国にはならないようです。
ホーチミンの家【外観はタイトル下の写真、中央】は、彼の生前の住居なのですが、質素なもので、彼の人柄が偲ばれるからでしょうか、長蛇の列でした。高床式の2階部分に書斎と寝室、それだけです。ただ、補修されているのでしょうが、漆塗りなので僕らみたいな貧乏人からすれば、材質はハイな印象でした。しかし、本当に狭い所に質素に暮らしていたことがわかり、それを評価する国民が居る限り、現指導層をも規定する訳ですから、いい施設ですね。
ホーチミン博物館はベトナムのあらゆる都市にあり、いくつか見ているし、彼の生地であるフエのものが最も充実していると言われているので、パスしようと思ったのですが、「家」を出たら、そこがもう入口ですから、粗っぽく見ました。時間もなかったので丁寧に見ることはできなかったのですが、ここは、ディスプレイに工夫がされており、アート系という感じがしました。
一柱寺は博物館のまん前にあるのですが、小さく見落としてしまいそうですが、その名の通り一本の柱の上に立っているのが面白く、結構な人が覗いていました。
教育的な意味合いの強い博物館でしょうから、ベトナム人の若い見学者が目立ちました【写真A】。ただ、どこも事情は似ているようで、たくさんの見学者の中には退屈そうにしている人や、勝手なことをしている人も見受けられました。マア、「偉大な首領様に直立不動!」より人間的な気もしましたが。
英語の説明がなかったのでよくわからなかったのですが、レーニンが民衆に演説しているよく見る絵が展示されていて、目を引きました【写真B】。博物館以外でも、次の日ホーチミン廟へ向かうタクシーから相当大きなレーニン像も目にしました【写真E】。地図にはレーニン公園がありましたから、位置的にはおかしいのですが、それかと思ったら、違っていて、それはそれで別にあるようです。ロシアなんかでは地に墜ちた観のあるレーニンですが、ここベトナムでは評価は低くないようで、それはそれなりに興味深いところです。
物価は、1年前より円高感があり1ドンが0.0085円であったのが0.007円くらい(1円=146ドン)になって、一層有利になっている面があります。首都だから物価高という訳でもなさそうです。ロケーションもいいミニホテル(ナムハイホテル)【写真右】に泊まりましたが、トリプルで1泊28$でした。一人当り1050円。簡単なものですが朝食込みです。
タクシーの初乗りがホーチミンなんかより低く5000ドン位ですから、40円弱ということになります(ただ、とにかく単位がバカでかくなるので、慣れるまでは高いのか安いのかよくわからず、初日のタクシー代は一桁間違い、10倍の料金を払ってしまいました。それでも、40円のところを400円払っただけですが)。
食事も、現地の人から見れば高級なお店で、タラフク食べて一人700円に達しないという安さでした。初日の昼食など、『地球の歩き方』などのガイドブックに紹介されているおかず屋さん(コム・トゥアン)で食べましたが、余りの汚さにたじろいだものの(店が汚いのではなく、現地の人が食べ散らかすからですが)、店先のものを適当にチョイスして、なんと払ったのが3人で140円弱!
料理の美味しさは前回書いた通りです。特にお奨めはナムハイホテル(ハンザ市場の前)からも近かった「ハノイガーデン」。日本語メニューがあるので大助かりでした。現地の人に人気で、大はやり、テラス風のところで思い切り食べましたが、さっき書いた程度の料金でした。【写真左】
4日の内、ハノイに居たのは半分の2日間でしたから、食事もそんなに色々取った訳ではないのですが、2日目の昼食はガイドブックに載っていたバイキングの店を探し当てました。ブラザーズカフェという名前の文廟に近い店ですが、ここは日本人のパックツアー客のような人も来ておられ、とにかく、スープからベトナム風饅頭の類いまであって、タラフク食べるのに精一杯で、いい雰囲気のテラスで食べたのですがその風景を撮影するのを忘れた位です。【写真右】
水上人形劇は前の訪問の際に、ホーチミン市の歴史博物館の中で見たことがあるので、スケジュールによってはパスしようかと思っていたのですが、夜に訪れる所もないし、ということで見ることにしました。
見てみて、予想した以上にスケールが違いました。人形の遣い手が(フィナーレで登場されます)あちらは3人、こちらは10人、という一事でもそれは示されています【写真右】。音響もあちらはテープ、こちらは生演奏。流石にいくつもの海外公演をして来られているだけのことはありました。帰って来てから職場の同僚から、「大阪でも公演して、大仙公園だったかな?」と聞きました。
チッポケなことなのですが、この予約でチョッとやり取りがありました。ホテルでスタッフに予約を依頼したら、4$だと言います。「いや、40000ドンのはず」「違いは何?」「スペシャルシートだ」「40000ドンの席は1stだから、スペシャルだ」と、遣り取りが続き「チケット売り場はここだから、自分で行けば」、ということになった次第。マア、考えてみれば432円か274円かの違いだけなんですが、ヤッパリこういう事は許してはいけないと思ってしまうんですネ。
先に書いたホアンキエム湖の北東端に劇場があり、そこで予約、チケットを購入するのですが、1stはなかなか手に入り難く、僕たちも2人なら空いているが、3人ならダメというような遣り取りの末、翌日の一番早い時間(5:15〜)でOKでした。1stは、前の方の席で、且つ、演奏のテープ付き。それで300円弱。観客は圧倒的にヨーロッパ人が多かったようです。
ここへは、いつも通り自分で車を見つけ、ホテルをとり、クルーズ船を見つけ、というようにしてもよかったのですが、いまいち状況が飲み込めない感じだったので、日本を発つ時から、「料金も手頃な感じだから、現地ツアーを申し込もう」ということにしていました。
とにかくこういうことは早目に予約するに越したことはないし、ホテルがこういうツアーを斡旋するのはどこの国にもあることで、宿泊を決めたナムハイホテルでその交渉は始まりました。ハロン湾クルーズといっても、色々なパターンがあり、日帰り、1泊、2泊、…泊まる所も、カットバ島(湾最大の島)、船の中、等
日帰りだと、帰りが夜の8時半、これはいくら何でも遅い。ですから、予定通り2daysが基本。そこでお値段はというと、29$。ガイドブックの情報より少し高め。でも、この程度ならと決めかけたのですが、帰りの時刻が6:30pm。これはその日に空港へ着いていなければならない時刻。ということで、慌てずに「考える」ということで、街に出ました。ベトナムにはシン・カフェという大手のツアー会社があります。町のあちこちに小さなオフィスがあり、どこでも同じ料金設定なのかどうかはわかりませんが、そこを探して交渉開始。
驚いたことにさっきと同じ条件で、何と、13$。しかも帰る時刻は5:30。空港まで約1時間ですから、これならOKです(ベトナムでは、英語がある程度解れば、仕事になる時期なのですね。南田洋子に似た女性は子供をあやしたりしながら、副業のような感じで仕事をされていました)【写真右。ハンコも売っていて物色。入口に立っているのがシン・カフェの社員?】。
決めてからハロン湾クルーズに出かけるまで、僕たち家族で何度も確認したことは「何があっても、文句を言わないこと!」でした。だって、ホテルに迎えの車が来て、バイチャイの街まで連れて行ってくれて、昼食。クルーズ船に乗り、ホテルに泊まり、夕食。朝食ともう一度昼食。そして、ハノイまで連れて帰ってくれて、英語ですがガイド付き。これで13$。日本円にして1400円強。どんなひどいことが待ち受けていても、文句は言えない、期待ゼロで行こう、という訳です。
食事は、4食とも同じパターンで、ホテルとかのレストランで合い席で食べ、必ず6人詰めさせられるのです。それは、どのテープルにも同じ料理(4、5種類の)が運ばれ、それを中華料理風にみんなで箸を出す、という仕組みだからなのです。でも、味は結構いけるし、揚げ春巻や魚の切り身のフライがあり、野菜もたくさんで不満はありません(個人的にはお椀が一人一つで、皿は一切出してくれないので、ご飯の上に乗せなくてはならず嬉しくありませんでしたが、慣れの問題です)。
ハノイ往復のミニバスも、そういう次第でゆったりしていて、乗車率50%程度。さらに感激したのは、クルーズ船の船室や屋上デッキの居心地のよさです。とにかく、この低価格ですし、相当劣悪なものを覚悟したのですが、何の何の、ゆったりしたなかなかのものでした【写真上】。天候はベストとは言えず、どんよりしていたし、風もあるのですが、その風が冷たくなく心地よいのです。
後は、ホテルなのですが、一応ミニホテルで、調度品とかは簡素なものでしたが、期待度が低いだけに我慢できないほどではありませんでした。バスタブはありませんでしたが熱いシャワーも出ました。それに、部屋にではありませんが、バルコニーも外についていて、夕方と朝方の湾が眺められました【写真左】。ただ、シーツがないのが残念なのと、綿の布団はいいとして、それが何故かはみ出しているのはチョッと修繕すればいいものを、と思いましたが。
因みに、湾クルーズは1、2時間で終わるようなものではなく、大体3、4時間が基本です。1日目の午後と2日目の午前がハロン湾クルーズのプランだったのですが、着くまで予想していなかったのですが、宿泊は湾内最大の島・カットバ島だったのです。何となく出航した港に戻って宿泊と信じていたのですが、そんなことをしていては、2回チャチなクルーズを繰り返すことになるのでしょう。だから、カットバ島宿泊が合理的なのと、ここのホテルの方が割安なのかも知れません。
ホントの個人旅行なら、もっといろいろ話すことになるのでしょうが、こちらは家族ですから、彼女達同士の交流が主になりましたが。
カットバ島のホテルの夕食は、例の6人詰ですから、フィンランド人のミラが入って来て、名前を紹介し合うや否や、ミラが早口で話し始め、もう何を言っているのかてんで解りませんでした。僕達だって海外で日本人に会えば、旅の情報交換するでしょうから、そんな感じの会話が激しく行われます。ただ驚いたのは、ウェンディが僕達の名前を覚えて、ミラに紹介してくれたことでした。凄い気遣いの人という印象でした。【写真上。奥からウェンディ・マーガレット・ミラ】
そして、マーガレットはこの島が国立公園になっていて、トレッキングもできるということで、もう1泊留まるという自由さ。ウェンディは「日本に行きたいけど、物価が高いので仕事を見つけないととても行けない。NOVAかな?」てなことを言っていました。
1日目は湾を巡るだけでなく、島に立ち寄り、鍾乳洞の探索もありました。壮大なものでした【写真右】。
この島周辺だけではなく、幾つか、水上生活を営む人の集落も見えました(以前にテレビ番組でも紹介されていました)【写真左】。
嬉しかったのは、舳先で進行方向に向かって座ったりして、景色が眺められることでした。落ちれば終わりですから、日本だったら「危険・立入り禁止」とでもされるところでしょうが、全くOKなのです。超ミニ版のタイタニック号(あの有名なシーン)です【下の写真の黄色の彫り物が舳先にある舟のシンボル像(もちろん龍)です】。
そして、これはハノイ、ホーチミン市に限らず、これからの交通政策に重要だと思われるのは鉄道利用です。ハノイでも中心部に鉄道が走っているのですが、滅多に列車が通らないので写真【右】のような具合になります。これは廃線ではなく、れっきとした鉄道なのです。ハノイからハロン湾へ向かう道路の横にも線路が走っていましたが、列車は見かけませんでした。バスやトラックの行き交う道の整備の方が優先されるのは、発展途上国の一般的傾向ですが、もう少し中長期的な見通しが必要ではないかと痛感させられました。
街に、前回掲載したような国や共産党の看板は必死に探してやっと見つかるというのはハノイもホーチミン市も変わりはありませんでした。ハノイ中心部で見たホーおじさんの子供や平和を大事にする看板【写真左】は暖かげで好ましく感じられました。
今回は、飛行機の便の関係で、往路、バンコクでホテルを取らざるを得ず、翌早朝にハノイへ飛んだのですが、乗換ではないのでパスポートコントロールに並んでいたら、3つほど向うの列にコロッケさんが並んでいた次第。若いマネージャー風の男性と一緒でしたが、通過はこちらが遅れて、一旦は見失ったし、必死で探すほどのことはないので、まあイイか、と僕達のゲートへ向かおうとしたら、そこに居た、という訳です。何たってバンコクですからコロッケをコロッケと知る人は皆無に近い訳ですから、声を掛けられるのも悪い気分ではないのでしょう、写真も一緒に撮らせてくれました。プライヴェイトでなく、仕事で来ていたとか。