◇はじめの一歩から◇
思い出せるかな(?!)印象記 あの頃の旅体験 そのB

   初めて!の第3弾 家族での海外自由旅行
 プラハ・ドイツ・スイス・パリの旅 
妙(西矢の母)さん、海外旅に目覚める!! 足かけ15日間〈1991年7月22日〜
はじめに…初の個人旅行から3年、今度は家族全員での海外自由旅行へ 
 海外旅行パック、海外自由旅行と、1985年から3年おきにチャレンジして来ました。その頃、私達は西矢のお母さん・妙さんに夕食をほぼ全面的に依存していました。いつも妙さんに子供の面倒も含めて留守を任せて海外へ自由に行けました。そろそろ、妙さんも海外へお連れしようということになり、「どこへ行きたい?」と尋ねました。「行けるのなら、スイスへ行きたい」という返事でした。
 妙さんは、若い頃から、「兼高かおる 世界の旅」等を見ていて、とても自分で行けるとは思っていなかったそうです。ですから誘ったら大喜びでした。となると、食事の心配もあるので、子供二人も一緒に行くことになりました。三上の母は出不精な方でしたから、お留守番ということになりました。
 5人旅というのは少し半端な数なのですが、まぁ家族ですからエキストラベッドでも凌げるし、何とかなりそうでした。スイスは1回目の旅で行っていますが、何度行っても悪い所ではないのでその方向で調整しました。例によって航空券の入手からスタートしましたが、割安だったのは最初の到着地のホテル3泊分がついたエールフランスのチケットでした。これも特別行きたかったわけではなかったのですが、プラハからスタートということになりました。
まだ日本人があまり行かなかった東欧の古い街並みプラハから旅は始まりました
 ベルリンの壁が壊れて1年半、旧体制の崩壊は東欧全体に波及し終わった頃でした。チェコも例外ではなく、僕達が学生時代に聞いた「プラハの春」ですが、今回は当時の熱気も回復する勢いで、特に民衆の決起はプラハのバーツラフ広場から始まったようです。セットで付いていたホテル・インターナショナルは外観は古色蒼然としているのですが、室内や朝食バイキングは結構良いものでした。そこからバーツラフ広場や鉄道駅は近く、何度も出向くことになります。
その頃は豪華過ぎた(?)機内食 ▲バーツラフ広場(と言ってもストリートかな) ▲広場の先の国立博物館前
プラハには、まる二日、夜にはスメタナホールでコンサートも。メインはプラハ城。
 ホテルの前にはトラムの駅があり、直ぐに出かけられました。旧市庁舎には仕掛け時計もあり、定時に観光客が見守ります。火薬塔の上に登ると市内が見渡せ、ここは「百塔の都」と呼ばれて、そういう眺望でした。二日目にはカレル橋を通って、プラハ城へ出向きましたが結構急な坂道でした。降り道には色々な大道芸をやっていて、チェンバロの演奏までありました。
 
火薬塔 オペラ座 火薬塔から遠くにプラハ城  
 
旧市街の広場。ヤン・フスの像 旧市庁舎の仕掛け時計  ▲モルダウの向こうにプラハ城  
プラハ城へ坂道続く プラハ城内  ▲城内の聖ビート教会 降り道での演奏
   
モルダウで白鳥に餌をやる大亮達 プラハ駅構内で夜行列車を待つ    
夜行列車でドイツへ、ライン川下り、川沿いのリューデスハイムで一泊。フィッセンからミュンヘンへ
 プラハからは、夜行でドイツへ向かい、朝にはフランクフルトに着いていました。コブレンツから鉄道でライン川沿いに走り、セントゴアで乗船しました。この頃、出発前の仕事詰め込み過ぎが原因か、三上の胃潰瘍は最悪になりましたが、何とか持ちこたえました。
  リューデスハイムには古城ホテルがありますが、満室のおそれもあり、ここだけは日本から予約して行きました。ホテル内にテニスコートあり、プールまである豪華なホテルで、ゆっくりしました。日本人のパックツアーも泊っていましたが、夜8時頃に到着し早朝に出発していましたからもったいない感じでした。
 反対側に直ぐスキーのゴンドラのような乗り物があり、ストンと降りることができるのがわかり、時間の節約になりました。何回か電車を乗り継いで、夕方(と言っても8時過ぎて)あのノイシュバインシュタイン城の下の3年前にも泊ったLislホテルにチェックインできました。今回も天候はよくなく、翌日も小雨に煙っていましたが、三上はホテルで休養し他のメンバーで城の見学をしました。
 バスで向かったフィッセンから、ミュンヘンへ。ここでも市庁舎の仕掛け時計が人気でした。
 ミュンヘンでは電車とバスで小一時間のダッハウに強制収容所跡があり、出かけました。元々不調だった三上は嘔吐するほどの展示でした。此処にも人体用の焼却炉が残されていました。 

 

 
夜行列車のコンパートメント ライン河下りからの眺望    

 

 
リューデスハイム付近の展望台 予約していたホテル・ヤーグトシュロス    

 
ホテルの裏庭に鹿も居ました 夕方のホテルの庭 翌朝、ホテルのプールで  

 
ホテルの反対側から鉄道駅へ ノイシュバインシュタイン城 城内の天井画  

 
ノイシュバインシュタイン城  ミュンヘン市庁舎の仕掛け時計 ダッハウ強制収容所  

 

 
ダッハウ強制収容所の焼却炉 ダッハウ強制収容所外観    
チューリッヒ経由で今回もルッツェルンへ。ここからスイス名峰の旅開始
 ルッツェルンは3回目になりますが、今回は市の中心部を取り巻いている城壁を巡りました。登るのはきついのですが、風も爽やかで眺めも良かったです。
 翌日は愈々グリンデルワルドへ向かうのですが、ハプニングがありました。インターラーケンからグリンデルワルド行きに乗ったつもりがラウターブルンネンに着いてしまったのです。パニクッてしまって、元へ戻るしかない?と思っていたら、係の女性が「ここから別の線でクライネシャイデックへ行けるよ」と教えてくれました。
 喜んでその電車に飛び乗りました。目の前に見覚えのあるクライネシャイデックのホテルが見えた時は感激しました。
 ダメもとで、このホテルに泊まれないか、一応尋ねてみました。年配のおばさんがメガネを上げながら見て下さって、OKが出ました。これも感激でした。もちろん老舗ホテルですから、薄暗い雰囲気でしたが、ホントにいい体験ができました。初めて来た時にロープウェイが終了していて歩いて降りたメンリッヘン往復もゆったりしました。  

 
▲城壁からのシュプロイヤー橋 ▲カペル橋(まだ燃えていない)  

 
▲車輛からクライネシャイデック方面 ▲クライネシャイデックのホテルとアイガー

 

 
▲ベッターホルンとグリンデルワルドの町 ▲アイガー背に全員集合

 

電車乗り継ぎ、ツェルマットへ。マッターホルン見えた。建国700周年でケーブル子どもは無料とか…
 今度はちゃんとグリンデルワルドへ下りて、そこから電車を乗り継いでツェルマットに午後2時過ぎに到着。三上は調子戻らず、動きが鈍ったままでした。食べられないのが辛いですネ。一日目に泊ったホテルはいまいちだったので、二日目の朝にホテルの変更を大亮と西矢で頑張りました。歩も待っている間にホテルの人から電話がかかって来たのに対応できたようです(飲み物何にするか)。
 もちろん二日目はゴルナグラードへ。その電車に乗る時に生年月日を書かせるので面倒な!?と思ったら、建国700周年で子どもは無料というサービスの為で、結構なことでした。当時の三上にとってはゴルナグラードで煙草の煙をくゆらすのは最高の贅沢でした。リュッフェル湖巡りは三上は体調不良でパスし、他のメンバーは楽しめました。
 午後、スネガーヘケーブルで行きましたが、ここも無料でした。ここからのマッターホルンの眺めは素晴らしかったです。
 夜はWEGA(日本人のスタッフが多く大人気の土産物店。その店長が寝屋川高校出身だったのです) で知り合った同じく寝屋川高校の卒業生の服部夫妻(新婚旅行中)がホテルへ来てくれてα米と味噌汁を作ってくれました。美味しくて感動モノでした。建国700年のお祝いで村は一晩中賑やかでした。
 

ゴルナグラードで全員集合 リュッフェル湖  ▲雲間にマッターホルン

スネガーへ向かう途中 スネガーからマッターホルン  ▲スネガーには遊具も
先ずはジュネーブへ、TGVでパリへ
 エールフランスですからパリから帰国することになります。先ずはジュネーブへ出て、そこからTGV(新幹線)でパリに向かいます。まだ三上は胃痛が止まず、ホテルの交渉やTGVの予約は西矢と大亮が活躍します。ジュネーブで朝食を食べていたら、「三上先生と違いますか?」と聞く人があり、吹田東高校の3期生で看護師をしていて、11日間の旅で今日帰るところとか。国際化の時代を実感しました。TGVは日本の新幹線と違って在来線と同じ線路を走るので実感がわかないのですが、早いことは早いようでした。
 パリでも三上はホテルで静養が多く、ルーブルも三上以外で見学になりました。凱旋門近くでの夕食は一緒でしたが、胃に合わせて選べるので中華料理が良かったです。
 パリのホテルを出て、地下鉄の空港行きが良くわからず戸惑いましたが、何とか到着し無事帰国の途に着きました。ただ、成田から羽田へのシャトルバスに乗って、そこから伊丹へという時間がかかる行程ですから、胃痛の身にはきつかったです。  

 

ジュネーブで ジュネーブでレマン湖  

 
TGVでパリへ ノートルダム寺院  ▲セーヌ川の橋上で休憩  

 

 
パリ凱旋門 ルーブル博物館入口    

 
ルーブル博物館内部 ルーブル博物館  ▲ルーブル博物館エジプト文字  
 
海外旅行三度目にしては、大胆な家族旅行でしたが、子供達も成長したもので、乗り切れました
 今回もDSTでチケット(一人約26万円)やユーレイルパス(前回より短期間で4.3万円)を購入し、費用的に3年前と大きな変化はなく、日本に比べたら宿泊代や食事にかかる費用は圧倒的に安いですから、意外と出費はかさんでいません。ただ家族全員となると合計は大きくなりますネ(妙さんの費用は自分持ちでしたが)。
 今回は想定外の三上の胃潰瘍で戸惑いもありましたが、西矢や大亮が活躍せざるを得ませんでした。三上は高槻に帰ってかかりつけの先生に診て貰ったら、「これは本格的な胃潰瘍や、穴が開かんで良かったナァ」と嬉しそうな声でした(胃腸科専門の医院なので)。「入院して点滴受けた方が早よ治るで」ということで、8月下旬の補充授業の開始まで入院することにしました。
 大亮は高校1年でバレー部の合宿に行けなかったのは残念だったようですが、まだ1年生だったので、まぁいいか、というところでした。
 妙さんは、「初めてで最後」と言っていたのに、海外旅行の面白さに目覚め、その後、パックツアーでですが、色々な情報を集めてより内容のいい、より安いツアーを探索するようになり、海外旅行を趣味とするサークルにも入り、私達よりたくさんの国を訪れることになっていきます。
   




Copyright © 2013 MIKAMI HIROSHI