| 思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その11《後編》 |
| 意外な発見、見直した「先進国」
成熟の国 イギリス(ブリテン)・3人旅・2週間 |
エディンバラには2つ駅があり、中心部がウェイバリー駅、一つ手前がヘイマーケット駅。『歩き方』によればヘイマーケットの方がBBが取りやすそうだったので、一旦近郊線で戻りました。パスを持っていると、こういう時便利。前述したこの旅ベストのBBに落ち着いて、いざ母の憧れの城、エディンバラ城へ歩いて向かいました【写真右。ヘイマーケット駅前】。裏側から回り込むような道になるのですが、天気もよくしかも城を眺めながらの道でしたから、全く苦にはなりませんでした。
@
A
B
C
D
E
F
@
A
B
C
D
先に大英博物館の日本コーナーが充実していないことを書きましたが、ここは展示の仕方も洗練されており、収集されているものも豊富で、一級だと思いました。合州国の東海岸のボストン、フィラデルフィアやニューヨーク・メトロポリタン博物館なんかにも充実した日本コーナーはありますが、それと比肩し得る内容だと思います。【写真右】
後で登場する矢崎さん(吹田出身)に説明する時に「関西人にはわかりやすい」と言われたのですが、鉄道の対比で言えば嵐山みたいなものです。阪急電車の桂から嵐山でピストン運転しているあれです。桂に当るのがオクセンホルム(正式には後にレイク・ディスクリクトと付くんですが)、嵐山に当るのがウィンダミアというわけです。
BBが決まり、安心してオレストヘッドへ。駅前から直ぐ登り口があり、気持ちのいい森道【写真左上】を20分ほど登れば360度の視界が開けるという絶好の展望台です。イギリスは日本と違って深い山岳地帯がないのですが、ここからはそのイギリスの最高峰も見えました【写真上右】。スカフェル・パイクという名前だそうです(頂上の説明板に書いてくれていて、pikeは鋭い峰の意と持参した電子辞書にありました)。
ナショナルトラストの定着は初めに書いたイギリスの成熟を示すように思います。自然を守れ、景観破壊反対という運動は日本にもありますが、それならいっそうのこと、自分達で購入し管理する、そういうことがひとつの回答なのでしょう。和歌山の天神崎保存の時に無関心だった自戒を込めての反省です。一人ひとりが出す基金の額は僅かでも積み重なれば大きなものになる、そういう運動はどこでも必要だと痛感します。この湖水地方に関しては後で触れるピーターラビットの作者、ベアトリクス・ポターの拠出が大きいのでしょうが、日本にもこういう作家が居るのでしょうか?
ブレンダンチェイスというウィンダミアのBBは、快活な夫が対応してくれ、超清潔で、料金も一泊50£と安く、部屋にシャワー、トイレはないのですが直ぐ近くにあり、申し分なかったのですが、「完璧に禁煙ですよ」と言われるBBでした。直ぐ近くが比較的人通りの多い地域で、ザ・ライト・ハウスというカフェテリアがあり、そこで夕方一人でスモーキング&コーヒータイムを過ごせました。カフェラッテ1杯で、かなり粘ったのですが、嫌味な態度もなく快適に読書したりできました。
このドック地区にはでっかいホリデイ・インが入っていたりするのですが、それを横に見ながら川沿いを行くとテート・ギャラリー。ロンドンの同名ギャラリーの分館で、作品はそう多くないが、その分ゆっくり鑑賞できたりします。特にピカソの「泣く女」は例のゲルニカに繋がる作品で、当時のスペイン戦争でのナチスの空爆を批判するポスター等と共に展示されていました。【写真左】
マア、こんなことに遭遇するのも希でしょうから、結局タワーは諦め、最後まで付き合いました。全員呼名し、学長のような人と握手するので、結構時間がかかります。呼名もさまざまで、専攻を詳しく言う人も居れば、名前だけの人も居る。呼名はカードを卒業生が渡してそれを読むので、その内容は本人次第。これも個人主義の良い所なのでしょう。
観光客で賑わう街で先ずは腹ごしらえ。UNOというイタリアレストランがランチタイムメニューを張り出していて、これはなかなかいい味でした(例によって3種類のメニューを注文)。氷、レモン入りの水をサービスしてくれたのも嬉しかったですね。
その向いにナッシュの家(ニュープレイスが隣接)があります。ナッシュは彼の孫娘。ニュープレイスは、シェイクスピアがロンドンから帰った後、18年間居住し亡くなった所なのですが、今はその屋敷は取り壊され、広大な敷地が庭園に改装されて残るのみです。その辺の事情がよくわからないまま訪れたのですが、スタッフが説明してくれ、納得。彼がシェイクスピアはリッチマンだったと強調していたのが印象的でした。
ロイヤル・シェイクスピア・シアターはエイボン川のほとりにあり、この日の演目はリア王だったのですが、チョッと観る勇気はなく、チケットがあるかどうかも調べませんでした。横にスワンシアターがあり、その2階にギャラリーがあります(小田島雄志『シェイクスピアへの旅』に載っていました)。そこにはシェイクスピアの肖像画や歴代の上演演劇のポスター等が展示されており、ファンなら落涙ものでしょうが、僕には豚に真珠でした。
真っ暗な中を動き始め、13世紀のオックスフォードから話は始まり、大学というものがどのようにして出来てきたかから説き起こされ、それにふさわしいロウ人形や町のざわめきまで聞こえてきます。そしてオックスフォードで活躍したゆかりの人物のエピソードが語られたりします。もちろん両横に展示や人形が配置されています【写真上】。これが動いたらもうお化け屋敷ですよ。出口付近にはオックスフォード出身の活躍する女性の写真が大きく掲げられていて、時代を映しているように思いました。「オックスフォードは進化し続けます」ってな締めで終ります。約30分、これで7£弱はお値打。残念ながら写真撮影は禁止でしたから、この暗い中ノーフラッシュはきつかったです。
その後はお決まりの展望台、聖メアリー教会【写真右】へ。結構待たされるのできっとエレベーターがあってそれが満員なんだ、と勝手に思っていたら、展望台が狭くて人数制限しているだけとわかり、歩かざるを得ず。マア、待つだけの価値はあり、ここでも360度の展望を得ることができました。とにかく回りは大学(カレッジ)だらけですから、主な建物はどれもカレッジと思って間違いなし。でしょう?
ストラトフォード2日目の午前は少し離れたアン・ハザウェイ・コティッジを訪れることにしました。タクシーで4£程度の場所。シェイクスピアの姉さん女房(結婚時26歳で8歳年上)であった妻の実家。
ここで彼が愛を語ったかどうかは想像の域なのですが、400年以上も前の豊かな農家の佇まいが残っています。古今東西を問わず農家の前庭は広いものでしょうが、今はそこに美しい花が咲き乱れています。屋根も茅葺で、骨組みも木でできていることは言うまでもありません。【写真左】
外には果樹園や樹木園が広がっていて、シェイクスピアの時代の野菜や果樹が植えられているという心配りです。リンゴも自然と落ちていて、拾っていただきましたが、美味しかったです。記念イベントで作成されたオブジェクトもあり【写真左】、変化を造っていました。前の広い道路を挟んでショッタリー川が流れていてあまり綺麗な川ではありませんが、鴨が遊んだりしていました。
ここからストラトフォードの中心部へ戻るのは、タクシーかバスで簡単だと思っていたら、どちらも容易には来ません。仕方なく歩いたら、近道だったためか、10分ほどで着いてビックリしました。ただ、待っていた場所は高級住宅街みたいで綺麗に手入された庭が印象的でした。【写真右】
後は、コッツウォルズ行きのバスが来るCity Hallの近くで待てばいいだけで、近くで買い求めた美味しいパンを食べながら時間を過ごしました。ところがバスが渋滞に会っているとかで、最初は15分遅れ、30分遅れ、と告げられ、結局1時間遅れで到着。何度か「金は返すからキャンセルしないか」と勧められたのですが、夕方の予定は特にないので待ち続けました。そして、結局乗客は僕達ともう一人の日本人矢崎さんだけの4人のみ。彼は英語が相当堪能で、ややこしい話は彼を介したくらいです。それもそのはず彼はただ今研究のためロンドン大学に出張中の都立短大の先生。実家は吹田にあり、何と三上の高校の後輩に当ることも判明。奇遇。
出発前からキャンセルしないかとか言ってくれていた人は、単なる係員かと思っていたらガイドのレオナルドさんで4人相手に解説。相当話し好きの人で、お相手は専ら矢崎さんがしてくれて助かる。元船員で、ガーデニングをしたりした後、ガイドをしているとか。1時間遅れのため、ツアーはかなり駆け足。バスをゆっくり走らせ窓から見て下さい、という感じの所も。結局停車したのは4箇所くらい。チッピングカムデン【写真下左】、古い街並の四辻【写真下中央。矢崎さんも入って】、スタンウェイ【写真下右】、ストウ・オン・ザ・ウォルド。
ストウ・オン・ザ・ウォルド【写真下】では、大休止でレオナルドさんが閉まりかかっているカフェテリアに交渉してくれて午後の紅茶。美味しいスコーンがジャムとバター(クリーム)付きで出て来て、イギリスで初めて(笑)美味しいと感じました。倹約旅行をしている僕達は、こんなことがなければ本場の午後ティなんて、パスしてたでしょうから、これは有り難かったですね。
ドイツのロマンチック街道など、ヨーロッパ大陸で中世の風情を残す町はたくさん思い浮かぶのですが、イギリスはピンと来ませんでした。でもこんな風にあるんですね。何れも鉄道の発達から取り残されたところ。それが却って保存状態をよくし、今となってはある種の価値を生むという皮肉ですね。ここの場合、ドイツなんかと違い、古城があるとか中世都市の面影ではなく、農村そのマンマで残っていて癒し系とも言えるかも知れません。ただ古いだけでなくここで取れる石の色がハニーカラー、蜂蜜色。そういう街並保存に意を用いているようでした。
駆け足のツアーはあっという間に終了するのですが、矢崎さんはRSCの今晩のチケットを予約していて、例のフェスティバル(運転手さんの情報では名前はGLOBAL GATHERING)に集う若者で渋滞気味で心配したのですが、何とか6時半には出発地点に到着し、事なきを得ました。ただこの若者達の集まり方は凄かったみたいで、街を歩いていても、会場へ向かう若者で車は渋滞し、車の中で既にスウイング、酒気も帯びてノリノリという光景で、これもいずこも同じかと感じました。
初めに書いた成熟と矢崎さんの話。「アメリカにも研究で居たことがありますが、そこでは押しのける雰囲気ですが、ここイギリスでは、皆さんほんとに優しいです」ということでした。
この町には『歩き方』によれば大型ショッピングセンターもあるし、最後の買い物もすることになりますが、数あるカレッジを回れるだけ回ればいい訳で、気が楽でした。その大型SCは色々な店が入っていて西矢母子お好みのセンズベリーというスーパーマーケットもありました。その下見を済ませて、訪れたのがオックスフォードストーリー。
ストーリーと名が付くものはこれで三つ目ですが、要するに工夫の凝らされた博物館でしょうか。ここの博物館は工夫が半端ではなく、大学の町ですから、二人掛けの受講机の様なもの二列がジェットコースターのようになっていて、ジェットコースターのように連続しておらず1ユニットが15メートルくらい離れていますし、もちろんスピードは超スローです。そしてギギーっと音がする感じが、レトロチック。係の人に「ジャパニース、プリーズ」と言えば日本語のヘッドフォーンを付けてくれる運びです。乗っていれば、勝手にいろいろな部屋を通ってくれる仕組みで、歩かなくてもいいし、順番を待つこともなく極めて順調です。
有名なクライストチャーチで聖歌隊のコーラスがあると『歩き方』に書いてあるので、少し時間を経て入りましたが、予想と大違いで少し戸惑いました。礼拝堂の奥で歌い、僕達は拝聴するものと思っていたら、彼等彼女等も僕達と同じ席に座り、一緒に何曲かは賛美歌を歌ったりするのです。途中で退出するなんて不謹慎なことができるはずもありません。45分間キッチリ付き合いました。立ったり座ったりもあるのですが、これは前の席の敬虔な老婦人の何人かのされるのを見よう見真似でついていくしかありませんでした。俄かクリスチャンもいいところでした。
2日目は、ホテルの庭がテムズ川に面しても居るので、そこでゆっくりし、その後はカレッジ巡り。オックスフォードストーリー見学の際に入手したガイドブックに散策ルートが載っていたので、それに沿って回り始めました。カトリックに戻ったメアリーよるプロテスタント弾圧を悼んでの殉教者記念碑【写真@】から始まって、トリニティカレッジ【写真A】、その横にあるブラックウェル書店【写真B】、ボドレイアン図書館【写真C】、ニューカレッジ【写真D】、マートンカレッジ【写真E】、そこからブロ−ドウォークへ出て、突き当りで休憩し【写真F】、いよいよクライストチャーチ【写真G】、と進みました。
@
A
B
C
D
E
F
G
どこも大学ですから、基本的にその邪魔をしないように訪れるので、
食事時ならホールは立入禁止です。ただ、今は夏休みでしょうか、あまり学生の姿は見かけませんでした。どのカレッジも礼拝堂を持っているので教会が付属なのでしょうが、昨日のように教会名の方が有名な場合もあります。でも聖メアリーの名が付いたカレッジなんです。どこも荘重な雰囲気ですから、「シッカリ勉強せなアカンで学生さん!」と思わず言いたくなりました。マートンカレッジに留学していた皇太子、君もだよ!
特に凄かったのはハリーポッターの映画で撮影が行われたというクライストチャーチのダイニングルーム。天井が思い切り高くて、周りの肖像画が著名なものばかり。ヘンリー8世、エリザベス2世はもとより、ロックなんかも教科書に載っているような絵がいっぱいでした。コッツウォルズでご一緒した矢崎さんが、くれぐれも見逃さないよう忠告してくれた意味もわかります。
遂に帰国準備の最終盤になりました。飛行機に乗るとまた機内食が出るでしょうから、夕食をとるのはまずいので、遅めの昼食にしました。カレッジ巡りを終えた僕達は昨日テイクアウェイした中華料理の店が料理人が見えるいい雰囲気だったので、そこを最後のレストランにしました。ここも夕方までランチメニューがOKで、前菜まで選べてなかなかいい店でした。因みに台湾の人かと聞いたら、香港チャイニーズだと言っていました。旅を振り返りながら帰国気分に切り換えました。後はオックスフォードからのヒースロー空港行きのバスに乗り込むだけでした。
イギリスの見学料の類いが高額なことを書きましたが、CONCESSIONという割引がどこでもありました。学生、高齢者、そして失業者などにはこれが適用されます(2、3割程度の割引率)。冒頭に触れた福祉国家的政策が今はどうなっているのかよく知らないのですが、削られたとは言え、まだそういう施策は残っている感じで、2ADULTS、1SENIORと言えば、ほぼ、何らかの割引がありました。帰りの空港へのバスにもこういう割引がありました。そういうこともあって、お年寄りが旅行している姿とかをよく見かけたような気がします。
家族で旅行するとその世界ができますから、一人旅と違い、海外での人との出会いはあまり多くなりません。情報を積極的に得なければならない状況におかれないからでしょう。たまたま時間に余裕があって、同じところに座るとか、という場合ですね。日本人同士でもそうで、今回はコッツウォルズの矢崎さんやウィンダミアのヒルリンガーさん・都築さんがそうでした。これらの方には、このWEBサイトの紹介をし、今これを見て頂いているかも知れません。矢崎さんからは帰国したらメールが届いていました。
もう一人、オックスフォードの聖メアリー教会で写真を撮ったりした大学生の田村さん。教会を出て来た所でお互い小休止だったものですから少し話をした程度ですが、就職も決まって最後の夏休み。どこに決まったんですか?と聞いて判ったのですが、東大の法学部で、就職決定先は外務省。「エーッ外務省?」と聞いてしまったのですが、「世間の批判の強いことも、給料が低いことも覚悟の上です」とのこと。この間いろいろ外交の重要さを感じるだけにほんとに頑張ってほしいと思いました。覆面経済官僚が書いた小説『三本の矢』(この小説は官僚の重要性を結論付けている印象)を奨めました。さすがに、森嶋通夫氏の訃報は知っていましたが、中味まではご存知ないようなので、これも推奨。辻元清美のこともどういう負け方をしたか迄ご存知でした。
今回の旅行では、あまり日本人の団体にはお目にかかりませんでした。アジア系で多い印象を受けたのは、台湾の人でした。オックスフォードは大学の町ですから、いくつも語学学校があるようで、ここに来ると日本の若者も見かけましたが、それでも台湾の人の方が多い感じで、闊歩しているという印象でした。日本の高校なんかでここへの夏期研修とかを売りにしているところもあるんでしょうね(ストラトフォードで一列になってコンビニで買い物をさせている変な女子高校もありました)。日本人で少し目を引いたのは、年配層のカップルで、定年を機にやって来たというような方が居られました。こういう旅行者がこれから増えるかも知れませんね。団塊の世代が海外にも溢れ出す?
最後の最後ですが、費用の件は現地に入る前に17万円まで書いたのですが、宿泊に5.4万円、昼・夕食に1.3万円、ツアー代等を含め交通費が1.5万円、見学料が1.8万円、合計で約10万円で納まり、総額27万円になった次第です。



Copyright © 2004 MIKAMI HIROSHI