思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その11《後編》
 意外な発見、見直した「先進国」
成熟の国 イギリス(ブリテン)・3人旅・2週間 

いよいよ、エディンバラ城へ
[ヘイマーケット方面からのエディンバラ城] [ヘイマーケット駅前を通って城に向かう]  エディンバラには2つ駅があり、中心部がウェイバリー駅、一つ手前がヘイマーケット駅。『歩き方』によればヘイマーケットの方がBBが取りやすそうだったので、一旦近郊線で戻りました。パスを持っていると、こういう時便利。前述したこの旅ベストのBBに落ち着いて、いざ母の憧れの城、エディンバラ城へ歩いて向かいました【写真右。ヘイマーケット駅前】。裏側から回り込むような道になるのですが、天気もよくしかも城を眺めながらの道でしたから、全く苦にはなりませんでした。
 8月はエディンバラは色々なフェスティバルの企画が相次ぐようです。最も有名なのはミリタリータトゥー(マーチングバンドのフェスティバル)。そんな時期に飛び込みでウロウロするのは不安なので、先にエディンバラにやって来たのですが、既に準備は整っていて、ミリタリータトゥーの臨時劇場は完成していました。ですから、正門の前にあるはずの広場はそれに占領されていました【写真Aの中央の青い部分】。因みにミリタリータトゥーは今年は8月6日からだそうで、僕達が帰国してからの開催なのですが。
 スコットランドとイングランドの関係の歴史は映画『ブレイブ・ハート』等で描かれているように複雑なものがありますが、この城はその象徴みたいなところがあります。だから哀愁が漂い、人気があるのかも知れません。城からの展望は素晴らしく、海にも近いので余計景色は変化に富みます【写真BC】。城そのものは、大宮殿ではなく、比較的簡素なものでした。正面のロイヤルマイルを下った所にあるホリルード宮殿の方が整備されているようで、現国王エリザベス2世もそちらを愛用しているそうです。
 でもその方が歴史遺産としては重みがある印象でした。王宮【写真Dの右】にはスコットランドの歴史が展示され、中でも、メアリーの息子ジェイムスがスコットランドの国王からグレイトブリテンの国王になるところは彼等にとって一つのハイライトでしょうからそういうロウ人形もありました【写真E】。大英博物館から取り戻した(1996年)ストーン・オブ・ザ・ディステニィ(運命の石)【写真F】も厳重な保管の下に置かれ、ここだけは写真を撮っていたら注意を受けました。

[エディンバラ城の入口] @[正門方面・中央の青がミリタリータトゥーの会場] A[カールトンヒル方面] B[城の中郭方面] C[王宮と戦没者祈念堂] D[メアリーと次期国王ジェイムズ] E[運命の石と王冠] F
 
 もう一度歩いて帰るのは疲れるので、先のウェイバリー駅からヘイマーケット駅へ列車で戻り、歩いて3分のベストBBのレアーグに落ち着きました。
 
 次の日はエディンバラの町を探索する日で、また列車に乗り、ウェイバリー駅からスタート。カールトンヒルという格好の展望台へ。エディンバラ城が遠くに見え、昨日の展望とはまた一味違う360度のパノラマを満喫しました。【写真下】
[エディンバラへ向かう車中で昼食] [エディンバラへ向かう車中で昼食] [キングスクロス駅・乗り込む列車]
 
 エディンバラ城からホリルード宮殿までの道をロイヤルマイルと呼び、距離は1マイル(約1.6km)。この道沿いに土産物屋さん等が続くのですが、見所の博物館もあります。感心したのは「ピープルズ・ストーリー」。その名の通り、民衆の歴史をそう広くない所に、ロウ人形や歴史的な小物も集めて展示。印刷や製本から建築や家内労働まで、色々な仕事の変遷を示し、生協運動や組合運動、市民運動などにもテーマは及んでいました。【写真下】
 こういう民衆の視点での博物館は異色で、無料、どういう運営主体なのか興味はありましたが、尋ねたりする余裕は残念ながらありませんでした。
[印刷労働] [製本労働] [組合運動や市民運動]
  [聖ジャイル教会のステンドグラス] [聖ジャイル教会の外観。像はジョン・ノックス]
 エディンバラ博物館や子供史(これはCHAILDHOODの訳語です)博物館など、無料でありながら真面目できちっとした展示の博物館がありました。
 ロイヤルマイルの最後は聖ジャイルズ教会で、その冠のような屋根が特徴で、ステンドグラスも大変具象的なデザインが目を引きました。【写真右】
 ロイヤルマイルから少し南にあるのがスコットランド博物館・ロイヤル博物館。スコットランドのアイデンティティを賭けて作られている感じで、その展示の膨大さ、多様さは凄いものがありました。イングランドなら分けられてきた経過があるものが、一体化されているので自然史博物館【写真A】のような面もあるし、スコットランドの工業史【写真B】も含まれ、もちろん多様な文化財もありでした。予想外だったこともあり、時間も十分でなく、早足で回らざるを得ませんでした。
 スコットランド博物館側から入り、その外観はユニークですが【写真@】、途中ロイヤル博物館に入った所は吹き抜けの大きなホール【写真Dの鏡の中】になっていて圧倒されます。その端にミレニアム時計【写真CD】が作られており、数人の芸術家の共同制作らしく、定期的にこれが鳴るのですが、なかなかユニークなモニュメントになっていました。

[スコットランド博物館の入口] @[恐竜などの世界] A[タータン織りの機械等] B[ミレニアム時計] C[ミレニアム時計の振り子の鏡] D

[印籠や刀の鍔の展示] [幽玄の世界「能」] [浮世絵に見る吉原]
 先に大英博物館の日本コーナーが充実していないことを書きましたが、ここは展示の仕方も洗練されており、収集されているものも豊富で、一級だと思いました。合州国の東海岸のボストン、フィラデルフィアやニューヨーク・メトロポリタン博物館なんかにも充実した日本コーナーはありますが、それと比肩し得る内容だと思います。【写真右】

湖水地方のひとつの基地、ウィンダミアへ
 エディンバラでも、見残した所はいくつもあったのですが、次の湖水地方へ移動開始。湖水地方は、そのピクチャレスクをどう守るかの長い運動があり、有名なナショナルトラストの成果の典型でもあります(この辺の事情は高橋哲男『イギリス 歴史の旅』で読みました)。だから、交通至便ではないのは当たり前で、それでも列車でアプローチできること自体を感謝しないといけない所なのでしょう。
[オレストヘッドへの緑の道]  後で登場する矢崎さん(吹田出身)に説明する時に「関西人にはわかりやすい」と言われたのですが、鉄道の対比で言えば嵐山みたいなものです。阪急電車の桂から嵐山でピストン運転しているあれです。桂に当るのがオクセンホルム(正式には後にレイク・ディスクリクトと付くんですが)、嵐山に当るのがウィンダミアというわけです。 [イギリス最高峰スカフェル峰を中央に] [ウィンダミア湖の南方を見る]
 湖水地方で鉄道に接点を持つのはこの駅だけで、もっと豊富な自然が奥に広がるのでしょうが、短期の訪問者はここで精一杯。ウィンダミア湖はイギリスで一番大きい湖。でもオレストヘッドという小さな丘からでもその全貌がほぼ見渡せる程度の広さです。
 ですから、イギリス人も含めて観光客が押し寄せる町ではあるわけで、賑わいも相当なものでした。でもそれだけにBBもたくさんあり、探すのにそれほどの苦労はありませんでした。旅行術的に驚いたのは、この地の物価の安さです。日本なら「観光地は物価が高い」が常識ですが、振り返ってみると、イギリスで物価が最も安かったのはウィンダミアではないかと思われます。駅前に大きなBoothsというスーパーもあり安くて品揃えも豊富。中ではチキンのグリルまで売ってました(前記した夕食のおかずになったことはもちろんです)。
[蒸気船博物館のスティームボート]
 BBが決まり、安心してオレストヘッドへ。駅前から直ぐ登り口があり、気持ちのいい森道【写真左上】を20分ほど登れば360度の視界が開けるという絶好の展望台です。イギリスは日本と違って深い山岳地帯がないのですが、ここからはそのイギリスの最高峰も見えました【写真上右】。スカフェル・パイクという名前だそうです(頂上の説明板に書いてくれていて、pikeは鋭い峰の意と持参した電子辞書にありました)。
 天候もよく、素晴らしい眺めを堪能して、下山し、そのまま蒸気船博物館【写真左】へ。今も動くスティームボートが集められていて、この時も、好きな人が4£を払って乗船していました。もちろん大きなものではなくレジャー用なのですが、ニスで塗り込められた船体の光り具合が印象的でした。相当歩いたので疲れもあり、初めてタクシーに乗りました。
 
[湖上のヨットの練習]
 ウィンダミア2日目は、ウィンダミア湖岸のボウネスからクルーズでレイクサイドへ。そこからSLに乗りハヴァースウェイト駅まで行き、同じ経路を戻るというパックチケット。因みに料金は10.95£で、ロンドン塔の13.5£からすれば得をしたような気分でした。湖上を走るのは40分だけでしたが、湖岸に点在するコティッジ、セイリングスクールの生徒達を見ながらの気持ちいい船上体験でした。ナショナルトラストのお陰で乱開発から守られていることがわかります(相当部分がトラストの所有になっているとか)。
[レイクサイド駅でSL] [帰路に乗った船]  ナショナルトラストの定着は初めに書いたイギリスの成熟を示すように思います。自然を守れ、景観破壊反対という運動は日本にもありますが、それならいっそうのこと、自分達で購入し管理する、そういうことがひとつの回答なのでしょう。和歌山の天神崎保存の時に無関心だった自戒を込めての反省です。一人ひとりが出す基金の額は僅かでも積み重なれば大きなものになる、そういう運動はどこでも必要だと痛感します。この湖水地方に関しては後で触れるピーターラビットの作者、ベアトリクス・ポターの拠出が大きいのでしょうが、日本にもこういう作家が居るのでしょうか? [船からのボウネスピア]
 SLの旅は、片道20分ほど。終点の駅付近には何もありません。線路に近い小さな公園でランチタイム。湖水地方に6日滞在する予定と言われていた嵐山で幼稚園を経営する桜井さんご夫妻と情報交換をしながらの一時でした。オレストヘッドをお教えしたら、早速行かれるようでした。
 ボウネス・ピア【写真右】に戻った後、この地にゆかりのポターの博物館があり、入ってみました。ピーターラビットを愛読している人には堪らない魅力の空間だと思います。僕達はそういうタイプではないのですが、中で上映していた彼女の紹介が日本語のヘッドホーンもあり、色々教えられたことが大きな収穫でした【写真下中央】。ここから駅付近へは上り坂ですからタクシーを捜したのですが見つからず、バスに乗りましたが2階建てのオープンタイプで、初体験で回りの景色を見ながらというのも気持ちよかったです。この時、女子高校生風のグループが居て、うるさいことこの上なく、いずこも同じかと、嘆息。【写真下右】

[ピーターラビットの模型] [ベアトリクス・ポターの写真等展示] [ウィンダミアへ戻るバス2階]
 
[ライトハウスでスモーキング・コーヒタイム]  ブレンダンチェイスというウィンダミアのBBは、快活な夫が対応してくれ、超清潔で、料金も一泊50£と安く、部屋にシャワー、トイレはないのですが直ぐ近くにあり、申し分なかったのですが、「完璧に禁煙ですよ」と言われるBBでした。直ぐ近くが比較的人通りの多い地域で、ザ・ライト・ハウスというカフェテリアがあり、そこで夕方一人でスモーキング&コーヒータイムを過ごせました。カフェラッテ1杯で、かなり粘ったのですが、嫌味な態度もなく快適に読書したりできました。
 ライターの貸し借りがきっかけで日本人と話になり、結構な時間、情報交換となりました。ドイツ人と結婚されたヒルリンガーさんと神戸市職員の都築さん。ヒルリンガーさんはお子さんをインターナショナルスクールに通わせていて、夏場はこういうところでサマースクールに入れていて、それも別々のスクールで、送りは父、迎えは彼女、という訳で、ついでの旅行中(笑)とか。都築さんは短い休暇を嘆きつつ、旅慣れておられて、色々情報交換を3人でしました。都築さんはこの後ロンドンで1日しかないけどミュージカル・シカゴをこちらへ来てからネットで予約したそうです。

古い工業都市、ビートルズの町、リヴァプールへ
[ibsホテルの外観]
 ブレンダンチェイスは早く発つのに合わせて朝食も早めてくれ、リヴァプールへ。オクセンホルムへ戻り、プエストン乗換でリヴァプール。ここで初めて宿探しのピンチを体験。この町は世界で初めて蒸気機関車が走ったり、造船等で栄えた所。でも重厚長大産業の凋落で寂れていたのをいろいろ復興事業を試みている町。だから本来の観光都市ではありません。で、BBなんてものがそもそも数少ない。だから駅近くをいくつか訪ねたものの「NO VACANCY」で、初めてのピンチ到来。YMACAまで断られる。
 色々相談した結果、思い切って駅を離れ、川沿いのアルバート・ドックの近くへ移動することにしました。そこには設備は最低限だが格安ホテルチェーンがある。目当てのホテルは昼間は無人で、かつ機械故障で駄目でしたが、隣の同系列のibsホテルで決まり。一人でも三人でも同一料金で僕達には好都合(47.95£とリーゾナブル)。シャワーとかの設備は完璧で機能的。BBの朝食にも少し飽きてきた頃で、朝食無しもたまには結構。
 珍しく方角を間違え無駄足を踏んだものの、ホテルはアルバートドックのまん前。ここは都市再開発の目玉で、最初に入ったのはビートルズ・ストーリー。再開発ビルの地階にあり【写真下左】、ビートルズの生い立ちから順を追っていつものロウ人形なども使いながらの展示が続く。彼らが活躍し始めたキャバーンクラブの再現とかもある。もちろん彼等の曲がそれぞれの場所にふさわしく流されている。終盤にはジョンレノンの部屋【写真下右】、彼の遺品のメガネの展示など。他の見学地でもそうですが、ここでもビートルズ関連グッズが売られていて盛況。

[ビートルズストーリーの入口] [ビートルズのユニフォーム] [ジョン・レノンの部屋]
 
[ピカソ・泣く女] [スペイン戦争空爆反対ポスター]  このドック地区にはでっかいホリデイ・インが入っていたりするのですが、それを横に見ながら川沿いを行くとテート・ギャラリー。ロンドンの同名ギャラリーの分館で、作品はそう多くないが、その分ゆっくり鑑賞できたりします。特にピカソの「泣く女」は例のゲルニカに繋がる作品で、当時のスペイン戦争でのナチスの空爆を批判するポスター等と共に展示されていました。【写真左】 [マージーサイド博物館・奴隷貿易の展示]
 そして、マージーサイド海洋博物館。この地区は川に囲まれているのですが、その川がマージー川なのでこの名前。リヴァプールは港町でもあるのでその歴史を展示。その量も半端ではないので、これだけのものを見て回るのは、見学続きの身には辛かったですね。ただ地階全体を使って「奴隷貿易」の展示があってリアルなもので驚きました。【写真右】
 
 この町には正味半日しか居ませんから、タクシーで急いでリヴァプール大聖堂へ。とにかく大きな聖堂で、ここから町を一望できるというので駆けつけたのですが、それは果たせませんでした。入るなり雰囲気が違うのです。入口に居る青年が、「入ってもいいが人垣の中に入ってはいけない。タワーは今日は開いていない。イベント中だから」という訳です。誰かが講演をしているようで、初め何をしているのかわからなかったのですが、大学の卒業式なのでした。
[リヴァプール大聖堂で卒業式] [卒業生退場] [リヴァプール大聖堂の外観・記念写真撮影]  マア、こんなことに遭遇するのも希でしょうから、結局タワーは諦め、最後まで付き合いました。全員呼名し、学長のような人と握手するので、結構時間がかかります。呼名もさまざまで、専攻を詳しく言う人も居れば、名前だけの人も居る。呼名はカードを卒業生が渡してそれを読むので、その内容は本人次第。これも個人主義の良い所なのでしょう。
 僕達も親戚のような顔をしてビデオや写真を撮りしました。テレビカメラが壇上を大写ししていましたが、これは全てビデオ製作会社の提供のようで、式の模様のビデオ申込みに人だかりができていました。終れば外で親子や兄弟で記念撮影、洋の東西を問わずと言うべきなのでしょうね。 [中華料理店の食べ放題メニュー]
 この後、久しぶりの本格的な中華料理の食べ放題に大満足し(大同という店で、アジア系の客はなく、地元の人がたくさん来ていました。4.5£ですからお値打は知られているようでした)【写真右】、そのまま歩いて、ビートルズの街、マシューストリートへ。
 この中華料理店を出てから少しだけですが、イギリスに居た間で唯一の降雨に会いました。そのせいではないと思いますが、マシューストリートには他の観光地のような人の賑わいはありませんでした。横断幕はあるものの、人通りは皆無に近い感じでした【写真下左】。有名なビートルズショップもまだ6時半というのに閉まっていました【写真下中】。彼等が活躍したと言われるキャバーンクラブが再建されていて、そこだけ少し客が入っているだけ【写真下右】。アルバートドックのほうに客を取られているのでしょうか。

[ビートルズストリートの横断幕] [ビートルズショップの入口] [キャバーンクラブ]

シェイクスピアの生家があるストラトフォード・アポン・エイボンへ
[BBウッドストックの外観] [BBグロヴナーヴィラ外観]
 ホテル前からタクシーで駅に出て、バーミンガム経由でストラトフォード・アポン・エイボン(エイボン川沿いのということですが、面倒なので以降省略)へ向かいました。バーミンガムは大きな町で、鉄道駅も幾つかあり、ここでの乗換は別の駅へ行かねばなりません。幸い時間もあり、近くでしたから問題無しでしたが、時間がない時は困るだろうと思いました。
 ストラトフォードは、何と言ってもシェイクスピアゆかりの地ですから、伝統ある世界の観光地で、今離れたリヴァプールとは比較になりません。もの凄い人の集りです。その分、BBは取り難そうですが、キャパも大きく、少し探せば何とかなる町のようでした。ただ着いた翌日に、フェスティバルがあるので難しかったのと、ここは珍しく二人ならOKだけど、と断られたこともありました。町によってシステムが違うもんで、この町は皆一人当り料金でした。一人旅派には好都合。BBが集まっている通りをウロウロした結果、2日間別のBBになりましたが、3軒ほどの移動ですから問題なし。【写真上。左は1泊目、右は2泊目BBの入口付近】
[シェイクスピアの生家外観] [生家の寝室]  観光客で賑わう街で先ずは腹ごしらえ。UNOというイタリアレストランがランチタイムメニューを張り出していて、これはなかなかいい味でした(例によって3種類のメニューを注文)。氷、レモン入りの水をサービスしてくれたのも嬉しかったですね。
 シェイクスピアの生家へ(Birthplaceですが、日本語になるとマアこう言うんでしょう)。石の文化でなく、木と土の文化なので感動しますが、保存には格別の配慮がされているようで、ここもトラストが管理しています。周りは今風の造りの街並(と言っても趣のある)になっていますが、ここだけは中世の屋敷がぽつんと立っています。横に博物館があり、そこから入って生家につながります。彼の死後直ぐに管理された訳ではありませんから、色々な経過があったことが説明されたりしていましたが、彼の父が皮手袋の製造で財を成したのでそういう部屋も復元されていました。但しトラストのスタッフが常駐していて質問には答える、つまり、写真撮影は極めて困難という次第。この時期に訪れた特権でしょうか、庭にも周りにも綺麗な花がいっぱいでした。 [ハーバードハウス外観]
 数分歩いた所にハーバードハウスがあり、あのボストンにあるハーバード大学の創始者の母の実家だそうですが、この建物も木造ですが、大変いい保存状態で木柱の彫刻なんかが見て取れます。【写真右】
[ニュープレイスの花壇] [ニュープレイスの奥の庭]  その向いにナッシュの家(ニュープレイスが隣接)があります。ナッシュは彼の孫娘。ニュープレイスは、シェイクスピアがロンドンから帰った後、18年間居住し亡くなった所なのですが、今はその屋敷は取り壊され、広大な敷地が庭園に改装されて残るのみです。その辺の事情がよくわからないまま訪れたのですが、スタッフが説明してくれ、納得。彼がシェイクスピアはリッチマンだったと強調していたのが印象的でした。
 繰り返しになりますが、この庭園は広大で、かつシェイクスピアの作品に出て来る花々で敷き詰められ、壮麗なものでした。持参したジュースや紅茶を木陰で飲むという贅沢もしました。ここもトラストが買い戻し整備したのでしょう、大変な作業だったことが想像されます。お陰で今の賑わいがある訳です。【写真上左】 [シェイクスピアの学校]
 ここを出て、ロイヤル・シェイクスピア・シアターへ向かう途中に彼が通った学校もありました。古い国王のエドワードの名前が付いているような名門校ですが、見学時間は終了していても、入って行け、奥の方に古い木組みの校舎が残されていました。こういう辺りは日本でも見習えばいいのにと思ったものです。
[スワン劇場にあるシェイクスピアの肖像画] [スワン劇場ギャラリーのポスター]
 ロイヤル・シェイクスピア・シアターはエイボン川のほとりにあり、この日の演目はリア王だったのですが、チョッと観る勇気はなく、チケットがあるかどうかも調べませんでした。横にスワンシアターがあり、その2階にギャラリーがあります(小田島雄志『シェイクスピアへの旅』に載っていました)。そこにはシェイクスピアの肖像画や歴代の上演演劇のポスター等が展示されており、ファンなら落涙ものでしょうが、僕には豚に真珠でした。
 横手のエイボン河畔で休憩。スワンがすっ頓狂な声で鳴いていましたが、天候もよく、のどかな一時でした。少し行った所に有名なシェイクスピアの銅像があり、周りを彼の作品の登場人物の像が取り囲んでいました。

[エイボン川の白鳥] [シェイクスピアの銅像] [四隅の一つレィディマクベスの像]


[アン・ハザウェイ・コティッジの前庭で] [アン・ハザウェイ・コティッジの茅葺の屋根]
 ストラトフォード2日目の午前は少し離れたアン・ハザウェイ・コティッジを訪れることにしました。タクシーで4£程度の場所。シェイクスピアの姉さん女房(結婚時26歳で8歳年上)であった妻の実家。 [シェイクスピアの椅子と呼ばれるそう]
 ここで彼が愛を語ったかどうかは想像の域なのですが、400年以上も前の豊かな農家の佇まいが残っています。古今東西を問わず農家の前庭は広いものでしょうが、今はそこに美しい花が咲き乱れています。屋根も茅葺で、骨組みも木でできていることは言うまでもありません。【写真左】
[アン・ハザウェイ・コティッジの後の庭で] [アン・ハザウェイ・コティッジ樹木園のオブジェ]  外には果樹園や樹木園が広がっていて、シェイクスピアの時代の野菜や果樹が植えられているという心配りです。リンゴも自然と落ちていて、拾っていただきましたが、美味しかったです。記念イベントで作成されたオブジェクトもあり【写真左】、変化を造っていました。前の広い道路を挟んでショッタリー川が流れていてあまり綺麗な川ではありませんが、鴨が遊んだりしていました。 [アン・ハザウェイの近くでタクシー待ち]
 ここからストラトフォードの中心部へ戻るのは、タクシーかバスで簡単だと思っていたら、どちらも容易には来ません。仕方なく歩いたら、近道だったためか、10分ほどで着いてビックリしました。ただ、待っていた場所は高級住宅街みたいで綺麗に手入された庭が印象的でした。【写真右】
[ツアーのバスを待つシティホール前で]
 後は、コッツウォルズ行きのバスが来るCity Hallの近くで待てばいいだけで、近くで買い求めた美味しいパンを食べながら時間を過ごしました。ところがバスが渋滞に会っているとかで、最初は15分遅れ、30分遅れ、と告げられ、結局1時間遅れで到着。何度か「金は返すからキャンセルしないか」と勧められたのですが、夕方の予定は特にないので待ち続けました。そして、結局乗客は僕達ともう一人の日本人矢崎さんだけの4人のみ。彼は英語が相当堪能で、ややこしい話は彼を介したくらいです。それもそのはず彼はただ今研究のためロンドン大学に出張中の都立短大の先生。実家は吹田にあり、何と三上の高校の後輩に当ることも判明。奇遇。
 出発前からキャンセルしないかとか言ってくれていた人は、単なる係員かと思っていたらガイドのレオナルドさんで4人相手に解説。相当話し好きの人で、お相手は専ら矢崎さんがしてくれて助かる。元船員で、ガーデニングをしたりした後、ガイドをしているとか。1時間遅れのため、ツアーはかなり駆け足。バスをゆっくり走らせ窓から見て下さい、という感じの所も。結局停車したのは4箇所くらい。チッピングカムデン【写真下左】、古い街並の四辻【写真下中央。矢崎さんも入って】、スタンウェイ【写真下右】、ストウ・オン・ザ・ウォルド。

[チッピングカムデンのマーケットホール] [コッツウォルズストーンの家並の四辻で矢崎さんと] [スタンウェイで]

 ストウ・オン・ザ・ウォルド【写真下】では、大休止でレオナルドさんが閉まりかかっているカフェテリアに交渉してくれて午後の紅茶。美味しいスコーンがジャムとバター(クリーム)付きで出て来て、イギリスで初めて(笑)美味しいと感じました。倹約旅行をしている僕達は、こんなことがなければ本場の午後ティなんて、パスしてたでしょうから、これは有り難かったですね。
[ストウ・オン・ザ・ウォルドの広場で] [カフェテリアでスコーン] [ベルナルドさんとお別れの記念写真]

 ドイツのロマンチック街道など、ヨーロッパ大陸で中世の風情を残す町はたくさん思い浮かぶのですが、イギリスはピンと来ませんでした。でもこんな風にあるんですね。何れも鉄道の発達から取り残されたところ。それが却って保存状態をよくし、今となってはある種の価値を生むという皮肉ですね。ここの場合、ドイツなんかと違い、古城があるとか中世都市の面影ではなく、農村そのマンマで残っていて癒し系とも言えるかも知れません。ただ古いだけでなくここで取れる石の色がハニーカラー、蜂蜜色。そういう街並保存に意を用いているようでした。
 駆け足のツアーはあっという間に終了するのですが、矢崎さんはRSCの今晩のチケットを予約していて、例のフェスティバル(運転手さんの情報では名前はGLOBAL GATHERING)に集う若者で渋滞気味で心配したのですが、何とか6時半には出発地点に到着し、事なきを得ました。ただこの若者達の集まり方は凄かったみたいで、街を歩いていても、会場へ向かう若者で車は渋滞し、車の中で既にスウイング、酒気も帯びてノリノリという光景で、これもいずこも同じかと感じました。
 初めに書いた成熟と矢崎さんの話。「アメリカにも研究で居たことがありますが、そこでは押しのける雰囲気ですが、ここイギリスでは、皆さんほんとに優しいです」ということでした。

[リバーホテルの外観]

いよいよ最後の訪問地・大学の町オックスフォードへ
 日本でもそうですが、鉄道のダイヤは土・日は平日と異なります。丁度出発の日が日曜日で、平日ならある電車がなく、直通を諦め、バーミンガム経由でオックスフォードへ。移動日は荷物も重く、どうしても宿泊先は駅近くになります。この町を明日は夕方に発ちますから、最後の1泊です。迷ったのですが、結局最後だし、ゆっくりしたいということで初のホテル泊まりになりました。その名もリバーホテル【写真右】。テムズ川の上流の支流のサイド。とは言っても、100£(朝食、税金込みで)で、BBに毛が生えたようなものですが、今まで宿泊の時に求められなかったことに気が付いたパスポートを出しました。
 この町には『歩き方』によれば大型ショッピングセンターもあるし、最後の買い物もすることになりますが、数あるカレッジを回れるだけ回ればいい訳で、気が楽でした。その大型SCは色々な店が入っていて西矢母子お好みのセンズベリーというスーパーマーケットもありました。その下見を済ませて、訪れたのがオックスフォードストーリー。
[オクスフォードストーリーの入口付近] [ロジャーベーコン] [オックスフォード出身の活躍する女性達]  ストーリーと名が付くものはこれで三つ目ですが、要するに工夫の凝らされた博物館でしょうか。ここの博物館は工夫が半端ではなく、大学の町ですから、二人掛けの受講机の様なもの二列がジェットコースターのようになっていて、ジェットコースターのように連続しておらず1ユニットが15メートルくらい離れていますし、もちろんスピードは超スローです。そしてギギーっと音がする感じが、レトロチック。係の人に「ジャパニース、プリーズ」と言えば日本語のヘッドフォーンを付けてくれる運びです。乗っていれば、勝手にいろいろな部屋を通ってくれる仕組みで、歩かなくてもいいし、順番を待つこともなく極めて順調です。
[聖メアリー教会の外観]

 真っ暗な中を動き始め、13世紀のオックスフォードから話は始まり、大学というものがどのようにして出来てきたかから説き起こされ、それにふさわしいロウ人形や町のざわめきまで聞こえてきます。そしてオックスフォードで活躍したゆかりの人物のエピソードが語られたりします。もちろん両横に展示や人形が配置されています【写真上】。これが動いたらもうお化け屋敷ですよ。出口付近にはオックスフォード出身の活躍する女性の写真が大きく掲げられていて、時代を映しているように思いました。「オックスフォードは進化し続けます」ってな締めで終ります。約30分、これで7£弱はお値打。残念ながら写真撮影は禁止でしたから、この暗い中ノーフラッシュはきつかったです。

 その後はお決まりの展望台、聖メアリー教会【写真右】へ。結構待たされるのできっとエレベーターがあってそれが満員なんだ、と勝手に思っていたら、展望台が狭くて人数制限しているだけとわかり、歩かざるを得ず。マア、待つだけの価値はあり、ここでも360度の展望を得ることができました。とにかく回りは大学(カレッジ)だらけですから、主な建物はどれもカレッジと思って間違いなし。でしょう?

[聖メアリー教会からのラドクリフ・カメラ] [聖メアリー教会からのカレッジ群] [聖メアリー教会からのカレッジ群]

[クライストチャーチの聖歌隊]  有名なクライストチャーチで聖歌隊のコーラスがあると『歩き方』に書いてあるので、少し時間を経て入りましたが、予想と大違いで少し戸惑いました。礼拝堂の奥で歌い、僕達は拝聴するものと思っていたら、彼等彼女等も僕達と同じ席に座り、一緒に何曲かは賛美歌を歌ったりするのです。途中で退出するなんて不謹慎なことができるはずもありません。45分間キッチリ付き合いました。立ったり座ったりもあるのですが、これは前の席の敬虔な老婦人の何人かのされるのを見よう見真似でついていくしかありませんでした。俄かクリスチャンもいいところでした。
 
 2日目は、ホテルの庭がテムズ川に面しても居るので、そこでゆっくりし、その後はカレッジ巡り。オックスフォードストーリー見学の際に入手したガイドブックに散策ルートが載っていたので、それに沿って回り始めました。カトリックに戻ったメアリーよるプロテスタント弾圧を悼んでの殉教者記念碑【写真@】から始まって、トリニティカレッジ【写真A】、その横にあるブラックウェル書店【写真B】、ボドレイアン図書館【写真C】、ニューカレッジ【写真D】、マートンカレッジ【写真E】、そこからブロ−ドウォークへ出て、突き当りで休憩し【写真F】、いよいよクライストチャーチ【写真G】、と進みました。

[殉教者記念碑] @[トリニティカレッジ] A[ブラックウェル書店] B[ポドリアン図書館] C[ニューカレッジの外壁] D[マートンカレッジ] E[ブロードウォークの終点] F[クライストチャーチの入口] G
 
 どこも大学ですから、基本的にその邪魔をしないように訪れるので、[クライストチャーチのダイニングルーム] 食事時ならホールは立入禁止です。ただ、今は夏休みでしょうか、あまり学生の姿は見かけませんでした。どのカレッジも礼拝堂を持っているので教会が付属なのでしょうが、昨日のように教会名の方が有名な場合もあります。でも聖メアリーの名が付いたカレッジなんです。どこも荘重な雰囲気ですから、「シッカリ勉強せなアカンで学生さん!」と思わず言いたくなりました。マートンカレッジに留学していた皇太子、君もだよ!
 特に凄かったのはハリーポッターの映画で撮影が行われたというクライストチャーチのダイニングルーム。天井が思い切り高くて、周りの肖像画が著名なものばかり。ヘンリー8世、エリザベス2世はもとより、ロックなんかも教科書に載っているような絵がいっぱいでした。コッツウォルズでご一緒した矢崎さんが、くれぐれも見逃さないよう忠告してくれた意味もわかります。
 遂に帰国準備の最終盤になりました。飛行機に乗るとまた機内食が出るでしょうから、夕食をとるのはまずいので、遅めの昼食にしました。カレッジ巡りを終えた僕達は昨日テイクアウェイした中華料理の店が料理人が見えるいい雰囲気だったので、そこを最後のレストランにしました。ここも夕方までランチメニューがOKで、前菜まで選べてなかなかいい店でした。因みに台湾の人かと聞いたら、香港チャイニーズだと言っていました。旅を振り返りながら帰国気分に切り換えました。後はオックスフォードからのヒースロー空港行きのバスに乗り込むだけでした。
最後に、書きそびれたこと、幾つか
 文字の多さに配慮して減量を試みましたが(あんまり減ってないか?!)、最後に、途中で割愛したり、書き忘れたことを少しだけ続けます。
 イギリスの見学料の類いが高額なことを書きましたが、CONCESSIONという割引がどこでもありました。学生、高齢者、そして失業者などにはこれが適用されます(2、3割程度の割引率)。冒頭に触れた福祉国家的政策が今はどうなっているのかよく知らないのですが、削られたとは言え、まだそういう施策は残っている感じで、2ADULTS、1SENIORと言えば、ほぼ、何らかの割引がありました。帰りの空港へのバスにもこういう割引がありました。そういうこともあって、お年寄りが旅行している姿とかをよく見かけたような気がします。
 
 家族で旅行するとその世界ができますから、一人旅と違い、海外での人との出会いはあまり多くなりません。情報を積極的に得なければならない状況におかれないからでしょう。たまたま時間に余裕があって、同じところに座るとか、という場合ですね。日本人同士でもそうで、今回はコッツウォルズの矢崎さんやウィンダミアのヒルリンガーさん・都築さんがそうでした。これらの方には、このWEBサイトの紹介をし、今これを見て頂いているかも知れません。矢崎さんからは帰国したらメールが届いていました。
 もう一人、オックスフォードの聖メアリー教会で写真を撮ったりした大学生の田村さん。教会を出て来た所でお互い小休止だったものですから少し話をした程度ですが、就職も決まって最後の夏休み。どこに決まったんですか?と聞いて判ったのですが、東大の法学部で、就職決定先は外務省。「エーッ外務省?」と聞いてしまったのですが、「世間の批判の強いことも、給料が低いことも覚悟の上です」とのこと。この間いろいろ外交の重要さを感じるだけにほんとに頑張ってほしいと思いました。覆面経済官僚が書いた小説『三本の矢』(この小説は官僚の重要性を結論付けている印象)を奨めました。さすがに、森嶋通夫氏の訃報は知っていましたが、中味まではご存知ないようなので、これも推奨。辻元清美のこともどういう負け方をしたか迄ご存知でした。
 
 今回の旅行では、あまり日本人の団体にはお目にかかりませんでした。アジア系で多い印象を受けたのは、台湾の人でした。オックスフォードは大学の町ですから、いくつも語学学校があるようで、ここに来ると日本の若者も見かけましたが、それでも台湾の人の方が多い感じで、闊歩しているという印象でした。日本の高校なんかでここへの夏期研修とかを売りにしているところもあるんでしょうね(ストラトフォードで一列になってコンビニで買い物をさせている変な女子高校もありました)。日本人で少し目を引いたのは、年配層のカップルで、定年を機にやって来たというような方が居られました。こういう旅行者がこれから増えるかも知れませんね。団塊の世代が海外にも溢れ出す?
 
 最後の最後ですが、費用の件は現地に入る前に17万円まで書いたのですが、宿泊に5.4万円、昼・夕食に1.3万円、ツアー代等を含め交通費が1.5万円、見学料が1.8万円、合計で約10万円で納まり、総額27万円になった次第です。
 
 

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