思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その10
        初めてのマイレージ利用の旅 
       大連・旅順への旅
             正味2日間の駆け足の旅
                今回は夫婦2人旅 

[中山広場の北側、旧横浜正金銀行等が建ち並ぶ一廓] [二〇三高地頂上に立つ爾霊山の記念塔 ] [水師営会見所の全景]

 はじめに…マイレージの有効期限が7月で切れる!行くなら今しかない 
マイレージ―僕達の失敗の話
 最近は「出かける前にマイレージに加入手続きを」と海外旅行に出かける人には必ずアドバイスするようにしています。今はネットで簡単に加入できます。
 残念極まりないのですが、僕達は「マイレージは正規運賃で買う人だけに与えられるもの」と勝手に思い込んでいました。もちろん、それは間違い!格安航空券でもOKなのです。
 僕達がそのことに気がついたのは息子の大亮に教えてもらった2000年夏。それまでのヨーロッパ、北米は捨てていたことになります。2000年のペルーへの旅は長距離ですから結構なポイントが付きました。それ以降長旅はしていない(エジプト航空は制度そのものがなし)ので、そんなに貯まりませんでした。
 大抵の航空会社のマイレージは3年の有効期限があって、その間に付加されなければ消失します。もう3年以上経っていますから、消えているところなのですがラッキーなことがありました。2001年の7月に韓国修学旅行の下見の下見と称して文通相手の金貞美に会いにいったことがありました。これは格安パックツアーだったのですが、航空機はアシアナ航空。そして、アシアナはアメリカン航空と提携していてこれに付加されます。距離はたいしたことないのですが、これで約1年期限が延びたことになります。パックツアーはダメだろうと思っていたので、後で付加してもらうのにツアー会社の速水さんには随分お世話になりました。そういう訳で、期間延長できなかった西矢のお母さんは流してしまうことになり、今回は二人旅になった次第です。
2泊3日で行ける所…大連に決定
 でも、もう繋げませんから、行くなら、春休みしかないと気が付きました。行ける範囲は中国か韓国。最近の教員の春休みは実質的に短く、この時期に行くなら精々2泊3日。北京や上海、或いは成都など、とてもこの短い日程で行くのはもったいない感じがするので、余り見所の多くない大連を選んだ次第です。

月・日 行               動 宿泊ホテル
3月28日  JR高槻7:02→関空10:35⇒12:00大連周水子国際空港
 星海公園・聖亜海洋世界 勝利広場周辺 旧ロシア人街
大連賓館
3月29日  旅順 二〇三高地 水師営
 労働公園 ショッピングモール  
大連賓館
3月30日  中山広場周辺散策 
 大連周水子国際空港13:50⇒17:00関西空港 

バイクや自転車を殆ど見かけない街 渋滞もない街
 この間、ベトナムのホーチミン市やハノイ、エジプトのカイロなどアジアを訪れることが多かった後の旅。ところが、そういうアジアの都会とスッカリ様相が違うのです。
[中山広場周辺のパトカー] [ホテル周辺で見かけた白バイの交通違反取締り]僕が訪れたのはもう5年前になりますが、北京・西安・上海などの他の中国の街とも違うのです。
 今は多少変わっているかもしれませんが、北京や上海のあの自転車の群れ、ハノイのバイクの群れは見られません。人口の違いもあるでしょうが、でも、決してこの街も人口はそんなに少ないことはないはずで、周辺には膨大な団地群が広がっています。
 渋滞も余り無いようでした。だから、当然騒音もありません。車の種類も豊富で欧米の車も走っていて、VW,BMW、ベンツなんかもよく見かけました(これは貧富の差の問題を生むのかもしれませんが)。だから、排ガスもさほどではないようです。尤も、黄砂の関係でしょうか、空気は綺麗とは思えませんでしたが。
 その理由は、道路が大変広いこと。広場周辺ではロータリーがうまく機能していること。地下道がたくさん造られていて、人と車をうまくさばいていること。色々交通規制があって、それを徹底していること。僕たちにはわかりませんでしたが、乗り入れ禁止とかもあるのかもしれません。バスやトラムが発達しているせいもあるかも知れません。
国際的には、観光地ではない大連・旅順
 もうひとつ大きな理由は、この大連や旅順が基本的に観光地ではないことかも知れません。中国なら、どこに行っても史跡の一つや二つ在りそうなものですが、ここにはそういうものがないのです。その理由は調べてみないと判らないのですが、この町が新興の軍港関連都市だからでしょうか?旅順の二〇三高地や水師営があると言っても、そんなものは日本人が訪れるだけで普通の欧米人や、中国人にとってさえ何ほどの価値もない史跡でしょう。
 観光地であれば、物売りの人がやって来ます。そういう人達は、比較的貧しい人が多く、少しでも売り捌いて、家計の足しにする女性や子供が群がることになりますが、そんな場所がほとんど無いのです。
 ただ、二〇三高地では、車を降りた所から頂上までそんなに長くはないのですが、セメントで固めた坂道があります。其処に屈強そうな若者が籠かき屋をやっていました。20人ほども居たでしょうか、これは雇用の問題なのでしょうか。頂上間際の土産屋でも、女性の呼び込みが激しかったですが、もちろん日本語です。 
 だから、観光客は大半が日本人なのでしょう、宿泊した大連賓館(DALIAN HOTEL)のレセプションでも、いきなり日本語というのも失礼かと思い、英語で話し始めたのですが、スタッフは日本語の方がよく解るようでした。ですから、日本語交じりの英語という変な会話になってしまいました。
 水師営で遭遇した日本人のパックツアーの人も「余り見る所ないでしょう」と言い、「年配の人は、昔、大連に居た人が多いですね。私の主人もそうですが」と話されていました。

個性が感じられる町作り [空港に向かうタクシーから] [空港に向かうタクシーから2]
 いわゆる一戸建ての住宅はほとんど見られず、郊外にはたくさんの団地が林立していることは先に書きました。ただ、その建物の外観が画一的でないことに少し驚きました。日本の一昔前の例えば千里ニュータウンや僕の住んでいる高槻の富田団地なんかは、建て方はかなり画一的です。
 社会主義国家ですから、むしろ、画一的な方が、「らしい」と思えるのですが、逆のような感じです。これらは多分日本で言えば公団住宅みたいなものでしょうから、その企画プロジェクトに個性を認めているのでしょうか? 中国がどの程度資本主義化しているのかよく知らないのですが、宣伝の看板にはマンションの販売開始みたいなのもありました。

凄いスピードで進む近代化、現代化
[中山広場の北側、旧横浜正金銀行等が建ち並ぶ一廓]  最近の北京や上海を知らないのですが、ここ大連は凄いピッチで近代化が進んでいるようです。真新しい高層ビルが林立し、高層住宅はあまたあり、工業団地のようなものも整いつつあるようです。古い由緒ある建物は、僕達が宿泊した大連賓館(旧大和ホテル)を含め中山広場を取り巻く日本統治時代のものが残っている程度です。それも、後から巨大なビルに迫られている感じです。 [勝利広場周辺の歩行者天国]
 中山広場から西へ500m程の所に勝利広場があり、この一帯が一大ショッピングゾーンになっていて、デパート、ショッピングモール、スーパーマーケットが混在しながらいくつも建ち並んでいます。訪れたのが日曜日でしたから、押し寄せる人の波は凄まじく、その消費への熱気は相当なものに感じられました。
[「百年城」というデパートは夜になるとこの光景]  勝利広場の地下商店街もあり、こちらは日本で言えば「繊維街」みたいな所で、押すな押すなの大盛況でした。
 品揃えも豊富で、日本のデパートに見劣りするものではありません。デパートも、高級なものから庶民的なものまで色とりどりという印象でした。
 こういう膨大な商品に対する購買力はどのように作られているのかは、経済構造がよくわからないので、不明ですが、この中国の経済成長は半端ではないと感じさせられました。
[巨大スーパー。左端が量り売りの計量コーナー]  特に驚いたのは、中国語で「新瑪特購物休閑広場」というショッピングモールの地下にある巨大スーパーマーケット。身近な例で言えば、コーナンの何倍もある売り場に比較的ゆったりしたスペースに商品が並んでいて、壮観でした。そして、日本を凌いでいると痛感したのは食品の「量り売り」です。地球村の高木さんが強調されている無駄な袋詰でなく必要な分だけ買う量り売りです。しかもIT化でそれはスムーズです。客はビニール袋に入れて計量コーナーに持っていけば、簡単な操作で重さと価格とバーコードが明示されたシールが出てきてそれを貼り付けるだけです。スペインのアランフェスで見たことがありますが、日本では余りお目にかかりません。実に合理的なシステムです。

中国へ行くなら、簡体字を少しでも覚えて行くべきだった
[歩行者天国の看板。英語学校の宣伝など]  5年前に北京等へ出かけた時に「同じ漢字文化圏だから、復活の兆しのある韓国、繁体字の台湾、簡体字の中国、同じく簡略化を少ししている日本が『共通の漢字』を作ってはどうか」と週刊金曜日に投書し、掲載されました。
 その時も痛感していたのに、短い旅だからと準備しなかったのですが、簡体字を少しでも見ておくべきだったと後悔しました。色々な表示は基本的に漢字ですから、全く解らない訳ではないのですが、簡体字に遭遇するとウーン?と解らなくなる次第です。
 ただ、国際化が進むのはどこの国でも同じで、色々な表示の下に英(米)語が併記されるようになって来ています。なんで国際化が即英語やねん!?とも思わないでもありませんが、「米帝国主義は日中人民共同の敵」等と言っていた時期からすると隔世の感があります。でも、英語は今のところ余り通じません。英会話学校の看板もありましたから【写真右】、その内大きな変化が訪れるのでしょうか。
 解るはずもないのに、中国語で一生懸命話されると、申し訳ないけど困ってしまうのです。「中国語は解りません」くらいの中国語は覚えておくべきかな。ただ、1日目の夕食をとった庶民的なレストランでは、多分10才代のウェイトレスが、一生懸命英語で話してくれ、大体通じました。彼女も嬉しそうでした。
 
旅の基本情報ですが、治安良好、物価は安い
[大連中山大酒店の栄苑。奥の方の料理をチョイス]  さて、旅の基本的な情報に入ります。英語はほとんど通じないことは今書いた通りですが、そもそも欧米人がやって来るような観光地ではありませんから、その必要に迫られないのでしょう。カンボジアのアンコールワットの物売りの少年の、貧しくても、いや、貧しいが故の英語のうまさが思い出されます。町で拾ったタクシーに乗って、air portが通じないのには戸惑いましたが、地図を見せて「ここ」と言えば、もちろん困りません。彼は手をビューんと上へ向けて了解です。大連賓館でbreakfastが通じませんでしたが、ここは朝食と言った方が通じるホテルでした。
 それと、もちろん中国では筆談です。西矢が足と首のマッサージをしてもらう時はこれでやり取りだし、スタッフも慣れていて、紙とボールペンを出してくれます。スーパーで「倉庫へ物を取りに行って来る」と言うのを筆談で書いてくれたのですが、よく読み取れませんでした…。
 治安は大変良好なようです。マア、市の中心部だけのことですが、危険を感じることは全くありませんでした。
 物価もベトナムほどではないにしろ、安い。三上は前回パックツアー、西矢は中国語ができる同僚との旅の経験しかないので、少し不安もあったのですが、全く問題なしでした。何年か前は、外国人価格があるとか、友諠商店でしか買い物ができない状況があったようですが、今はそんなことは全くありません。
 しかも、1元=15円程度の相場で聞いていたのですが、この旅では13円と円高感。タクシーの初乗りが8元ですから、大体100円。周水子国際空港はダウンタウンから近く11Kmですが、タクシーで30元弱。400円もしません。
 少し困ったのは、いわゆるレストランの類いが中山広場はもちろん、その周辺に余り無いことでした。特に1日目の夕食は相当探しあぐねました。『地球の歩き方』にも今回は余り情報がないのです。2日目の昼、旅順から帰って、偶然垂れ幕の宣伝で知った中華レストランがいけていて、お奨めです〔大連中山大酒店(これは高級ホテル)5階の栄苑〕【写真右上】。色々な料理を現物でチョイスできて、1品3.9元というシステム。包子(肉まんのようなもの)はもちろん、野菜炒め、煮物、お粥、デザートも同じ価格でOK。結局、2日目は昼食も夕食もここでとることになりました。因みにお代は二人で満腹して500円ほど(夕食)。烏龍茶(2元)は何回もお湯を注いで頂きました。
ホテルは、大連賓館を選んで、大正解!
[大連賓館の廊下] [大連賓館のツインルーム]  ホテル選びは、事前に随分迷ったのですが、往路の飛行機の中で大連賓館にとりあえず決定。空港からのエアーポートバスの運転手さんにそれを伝え直行。今回はエアーチケットが無料なのでホテルは張り込んで五つ星だ!なんてことも考えたのですが、やはり僕達は節約家なもので、これで十分過ぎるくらいでした。
 冒頭に書いたように、このホテルは旧大和ホテルで、中山広場を取り囲む日本統治時代の建築物のひとつ。他の建物は中国の公共機関が使っていますが、もちろんここはホテルとして使われています。往時は日本の支配層が此処を使いながら中国支配を画策したのでしょう。三つ星で、バロック建築の外観は相当薄汚れてはいるのですが、流石に天井も高く、廊下も広く、歴史を感じさせ、悪くありませんでした。料金はツインで1泊400元(5200円)。
 蛇足ですが、大連には5つ星、4つ星クラスのホテルがあまた出来ています。初めにも書いたようにここは観光地ではありませんから、いくらビジネス客が多い町だとは言え、供給過剰じゃないの?と老婆心ながら思いましたが、実際のところはどうなんでしょう…

大連には少ない観光スポット。水族館と旧ロシア人街へ
[聖亜海洋世界の海底トンネル]  1日目、昼過ぎにホテルを決め、次の日は旅順観光なのですが、午後どこへ行こうかと思っても、初めに書いたようにそう見るべきものはありません。市民に人気の、ということで、動物園か水族館。動物園はパンダがいるそうですが、王子動物園にもいることだし、二人とも体調も万全でもないので、水族館だけにしました。
 ここは、星海公園。夏場は良い海水浴場のようでしたが、何せ寒風の中、早々に聖亜海洋世界なる水族館へ。アジア最長の118m。動く歩道もあり、それなりのものでしたが、それだけのものでもありました。因みに入場料の70元というのは、普通の市民からすれば相当な贅沢なのでしょうね。
 その後、旧ロシア人街へ。中山広場から放射線状に延びている道路の一つ上海路が鉄道を越す地域。鉄道を跨ぐ橋を勝利橋と呼び、元は日本橋と呼んだそうですが、そこを渡ると、突然洋風建築が姿を現すのです【写真左】。大通りに面した建物は最近建築されたものばかりです。土産物屋も少しあり、そこにはロシア風の物が置いてあり、ロシア文字の看板を掲げたレストランもあります【写真右】。大連市民向けの大阪のアメ村みたいな「ロシア村」なのでしょうか。この感覚も社会主義国としては「らしく」ないと感じましたが、どうなんでしょう?
[旧日本橋、勝利橋の臨時歩道?] [勝利橋の上から見た大連駅方面] [旧ロシア人街の街並。右手はロシア料理店]
【左から、勝利橋の臨時歩道?/勝利橋の上から見た大連駅方面/旧ロシア人街の街並。右手はロシア料理店】


 ですから、「チョッと興醒めだな」と思っていたのですが、細い路地を西に入ると、そこにほんとに旧ロシア人街があったのです。古めかしい洋風建築が残っていて、100m以上も続いています。裏路地という感じです。表にもあったのでしょうが、先に書いたようにスクラップ&ビルドされてしまったのでしょう。
 言葉もわからないので、話し掛けて聞くことは出来ませんでしたが、比較的貧しい人々が、この旧ロシア人邸宅を何家族かで共同使用している様子で、もちろん朽ち果てそうな部分もありました。日露戦争の直前に建てられたに違いありませんから、1世紀の証人ということになります。しかし、よくマア、持ち堪えたものだと変に感動しました。
 余計なお節介ですが、ここは何とか、街並保存して、歴史遺産として残さないとそのうち消え去る運命かと心配しました。ベトナムのように日本の文化庁の支援を仰がなくても、今の中国なら簡単に出来ることでしょうから…。

[旧日本橋、勝利橋の臨時歩道?] [勝利橋の上から見た大連駅方面] [旧ロシア人街の街並。右手はロシア料理店]
【左から、旧ロシア人街に入った所/廃品回収等の仕事をしている?/左に見えるのは今も営業している病院】

旅順、二〇三高地、水師営へ
 何と言っても大連へ来ているのは、初めにも書いたように日露戦争、旅順の攻防の歴史があるからですが、その旅順行きに2日目を充てることになります。
[坂の上の雲の表紙カバーに注目]  日露戦争開戦100年で、記念的な特集や記事もあるようですが、それにワル乗りしているわけでないことは初めに書いた通りですが、それにしても、この戦争についてよく知らないナ、と思い、何かを読んでからと思っていました。誰かに聞いたら、司馬遼太郎の『坂の上の雲』でしょ、と言われたので読むことにしたのですが、何と文庫本で8冊、たじろぎましたが、マア、知り合いには彼のファンも多く、この際と思って読み始めました。ところが、出かける前に読了できず、やっと、大連初日に5冊目の「二〇三高地」「水師営」の章に辿り着くという際どさでした。
 歴史小説の類いは、ドラマもそうですが、見ていてイライラするのです。浅学なため、どこまでが史実で、どこは想像、どこは脚色、というのが判らないので、スッキリしない訳です。
 この小説の感想や司馬遼太郎の評価などは、ここでは割愛しますが、日本近代史や、当時の世界情勢について改めて興味は湧きました。ただ、こんなにあれこれと興味・関心が移るのもええかげんにせんと、どれも中途半端になってしまうナとも思う昨今ではあります。
 ただ、これは購入した文庫本の表紙カバー【写真上】で知ったことですが、この小説が2006年にNHKの大河ドラマになるとか。これは際どく、微妙な影響を与えそうですから、気掛かりではあります。前高教組委員長の冨井さんの言によれば、本人は生前、ドラマ化を許さなかったのに、遺族がOKしたとか。「お国の為に死ねる」教育に悪用されることは故人の本意ではないはずですが、どうなることか?
 大河ドラマの観光地の集客力に及ぼす影響は絶大だと言いますから、2006年には旅順ブームが起こることになりそうですが、複雑な気持ちです。
[二〇三高地の頂上へ向かう最後の坂]  さて、僕たちの旅の話です。『歩き方』には、旅順行きはホテルか旅行社で依頼するのが賢明となっています。大連賓館で尋ねたら、タクシーの予約だけ。出かける前日は日曜日なので旅行社も休みだし、ベトナムのように街のあちこちに旅行社の支店があるわけでもないので、ともかくタクシーを依頼。二〇三高地と水師営を廻って350元。ドライバーさんは中国語オンリー。説明らしきことをしてくれるのですが、申しわけありませんがチンプンカンプンでした。途中旅順博物館の看板が出ていて、ここに入れないかと尋ねたのですが、ここは今建設中で駄目。確かにそんな感じでした。では今ある博物館は何処にあり、そこへは行けないのか?よく判らないのですが、日本語が話せる人の通訳によれば「ガイドが付いていないと駄目」ということのようでした。
[頂上から旅順口を望む] [頂上に立つ爾霊山の記念塔]  大連の中心部からタクシーで40分ほどで旅順の「国家森林公園203景区」に着き、入場料と駐車場代を払い、そのまま車で進み、降りた所から5分も急坂を登ればそこが頂上です(ここに先に触れた籠かき屋さんが群がっています)。その坂を登る前に中国人のお爺さんが近付いて来られ、「日露戦争について説明します」。時間もないし、エジプト式にバックシーシーを要求されるのも嫌だったので、「歴史はわかっていますから」と偉そうに振り切って出かけました。ただ、チョッとした会話の中で、乃木希典が作戦的には失敗し、児玉源太郎が指揮をとったことをご存知でした(僕は先の本を読むまで知らなかったのですが)。
 あいにく、曇天で頂上からは旅順口の海は明瞭に見えず、周りの山も少し霞んでいてくっきり見渡せるという状態ではありませんでした。ただ、この頂上を越えて二十八サンチ榴弾砲が飛んで行き、ロシアの旅順艦隊を撃沈させたことが日露戦争の一つの転機になったことに思いを馳せました。同時に精神論だけで突撃し、1万7千人もの日本人が命を落としたことも。
[ロシア軍の塹壕跡] [ロシア軍の塹壕と標識]  同じ坂道を戻ってしまうと何も見られないのですが、向う側に降りて行くと、ロシア軍が作った塹壕跡がわずかながら残っており、中国語と英語の簡単な表示があります。道から少しそれた林の中に乃木希典の息子の保典「戦死之所」という碑が立っています。粗末なもので、且つ、よくある建立の碑文等は一切ありませんでした。
 駐車場の近くにプレハブの資料館があり、日露戦争、旅順関係の写真が展示されています。詳細に見る時間はなかったのですが、説明文は中国語と英語だけで、全体の解説には、「侵略者同士の闘いであること、中国人民がその後抵抗を続けたこと、そして、愛国の教育に重要な場所である」というようなことが書かれていました(メイビー)。
 
 水師営は、もちろん、旅順攻防の開城の手打ち式がステッセルと乃木との間で行われた場所です。劉さんという農家で、当時日本軍の野戦病院として使われていた所だそうです。
 今はその周りに住居も詰んで来ており、この一廓だけが昔のまま「会見所」として保存されています。家屋そのものは2部屋だけの質素なものですが、中にこの会見にまつわる写真の展示があり、後で到着した日本人のパックツアーの人に中国のお爺さんが解説されていました。年配の人が多く戦前の教科書に載っていたという「水師営の会見」の歌を口ずさむ人もありました。
[水師営会見所入口] [会見所の全景] [会見室内部] [日本軍委員控室。展示を見る日本人]
【左上から、水師営会見所入口/会見所の全景/会見室内部/日本軍委員控室。展示を見る日本人】
 
 これだけの小さな史跡が、文化大革命等の嵐の中をよくぞ生き抜いたものだ、と変に感心しました。尤も、今はここを見せるだけで中国としては破格と思われる40元の収入があるのですから、貴重な観光資源を温存したことになります。門の横には食べ物屋さんがあり、良い匂いをさせていたし、先のパックの人はここで昼食でしたが、僕達は運転手さんも待っているので大連へ戻ることになります。
 『歩き方』に、旅順は今も軍事施設があり、日本人がウロウロしていたら拘束された、というような記述があり、二〇三高地と水師営だけにしておくのが無難という印象を与えるのですが、どうも後から考えると、これでは不充分なようです。二〇三高地の頂上で180元を120元に値切って買った『旅順大観』には、旅順市内の多くの史跡が紹介されています。関東軍司令部、関東州庁、旅順師範学校、溥儀楼などいくつもが旧跡として紹介されています。先の記述が分からないでもないのは、その多くは現在「旅順駐屯××部隊の招待所になっている」というような場所なのです。
 中国の軍事的な動きはわかりませんが、中国政府も時代の変化に対応して、公共的な建物を軍が使用することを止め、市政府に引き渡したり博物館にするなどの施策をとっては如何かと思うのです。しかも、旅順日露監獄旧跡などは、日本の植民地支配の象徴として「愛国教育基地」に指定されているようですから、日本人にも公開して、その残虐ぶりを見学させてもいいのではないかと思います。2006年の旅順ブームまでには是非適切な措置が取られることを期待したいと思います。
 中・ロの関係は、歴史的に複雑なのですね。日露開戦前は、帝政ロシアも植民地的野望を持ってこの地域に侵出してきています。驚くほどのスピードで支配のための建造物を、この地域には造営しています。それらを日露戦争後、日本が接収し、彼等の支配の拠点として使っています。そして、1945年、ソ連軍が「解放軍」として、日本軍撤退後、それを接収していきます。今も中ソ友誼搭等があるようです。もちろん戦後は、帝政ロシアではなく社会主義国ソ連との友誼です。ベトナムの対フランス感情に似ているかもしれませんが、米軍に当るのが日本軍。フランスに当るのがロシア。しかも、ロシアはフランスと異なり、植民地的支配を本格化する前にごく短期間で撤退してしまったということになります。
 ともあれ、軍がこれらの史跡を使用している経緯はソ連赤軍から引き継いだので、中国軍が使うという面が色濃いのだと思います。今も軍の宿泊所、病院などとして使われているようです。
 
2日目の午後は、再び大連市内・労働公園でのんびり [昼食の豪華メニュー? ]
 旅順観光は半日で終わってしまい、午後は、初めの方に紹介した料理現物チョイスの高級ホテルのレストランでゆっくり昼食をとり、その後、市内最大の総合公園である労働公園へ向かいました。102万uもあるなだらかな丘陵状の公園で、入園料3元が必要なのですが、整備されていて感じの良い公園でした。登りつめた所にリフトがあって、テレビ搭に行けば眺望が素晴らしいのでしょうが、曇天で霞んでいるので、乗るのはやめました。月曜日ですから人の入りも少なく喧騒とは無縁の静けさでした。
 大連は港町ですから帆船の模型がいくつも置かれていたり【下写真@】、サッカーが盛んな町だそうで、サッカーボール型の建物もあり【A】、中国らしい休憩所【B】、そして、親近感のわくことに、中央の階段には十二支の動物のブロンズ彫像が配置されていました【C・D】。更に労働公園の名に因むので当然でしょうが、労働表彰獲得者の顕彰の掲示も見かけました【E】。
[公園の入口付近の帆船の模型] @[南入口付近から見た公園全景・サッカーボールは建築芸術館] A[公園内の中国らしい休憩所] B[十二支を遼横に配した中央階段] C[十二支の一つ龍の彫像] D[労働表彰獲得者の掲示。行政だけでなく、医者、技術者等も] E
 
 
帰る日になって、突然の快晴!残念だけど、こればかりは仕方ないか… [空港の喫茶コーナーで喫煙できる幸せ? ] [民家が近くに建ち並ぶ空港周辺 ]
 2日目の夕方は、西矢が体調回復を目指してマッサージへ。浴洗という看板を出す店は何軒もあるのですが、お値段がイマイチよくわからなかったし、どういうマッサージか不明のため不安もあったのですが、先に書いた筆談交じりで交渉し、1時間半タップリやってもらって、900円程度のお値打ち価格だったようです。
 夕食をとりにいつものショッピングゾーン辺りへ出かけ、そこへの道筋には露店もあって色々な食材を売っていましたが、短期滞在なのでパイナップルだけ買いました。
 最終日は11時には空港へ向かわなくてはなりませんから、ほとんど時間がありません。でも、突然の快晴で少し悔しい思い。中山広場周辺をうろついて大連市を後にしました。
 大連の周水子国際空港は、驚くほど民家が接近していて、事故や騒音は大丈夫?と心配してしまいますが、今のところ、発着便数もさほどではないからでしょうか?
 蛇足ながら付け加えると、この空港を含め大連は喫煙者に寛大な町です。空港で喫煙しようと思えば、概ねビルの外を覚悟しなければなりませんが、何と土産店が並ぶ廊下状のスペースに喫茶コーナーがあり、喫煙OK。残った元をはたいて得た飲物と共に至福の一時を過ごせました。後ろの座席には出張を追えて帰る日本人会社員【写真右。後ろのスーツの人】と現地企業の最後のやり取りが行われているようでしたが、どの人が日本人でどの人が中国人かは判別不能でした。

どこまで、欧米化が進むのでしょうか? [中山広場で鶏毛鍵に興じる茶髪の若者 ] [空港使用料のチケットの裏面の広告 ]
 正味、たった2日間居ただけで、現地のことが詳細にわかるなどとは思いませんが、日本と同じようにウエスタナイゼイション・欧米化が急速に進んでいる印象を持ちました。そのことが今後どういう展開を見せ、日中関係や国際関係にどのような影響を与えるのか、関心を寄せざるを得ないところです。
 欧米化について付け加えれば、その一つは、テレビコマーシャル。三ツ星のホテルですからCNNや日本のNHKBS放送も見られますが、中国の民放を見ていて、そのコマーシャルフィルムの凄さには驚きました。凄いと言っても、要するに、日本と同じなのです。だから、日本のコマーシャルと同じ問題があるということです。商品の宣伝にやたら女性が出てきて、ダンスしたりするのです。大層に言えば「性の商品化」でしょうか。日本でも「テレビコマーシャルの男女差別を考える会」というような活動がありますが、こういう活動も国際化されなければならない時代なのかも知れません。テレビは写真が撮れませんでしたが、【上左の写真】は空港の使用料のチケット裏面の広告です。ガソリンの助燃剤の宣伝のようですが、何故若い女性が載っているの?と思います。
 これは、欧米化かどうかよくわかりませんが、茶パツ。中山広場では若者が鶏毛鍵という羽を蹴る遊びをしています。少し時間があるので、ここでヒューマンウォッチングをしたのですが、その一団の中に茶パツの子が居ました【上右の写真】。言葉は通じそうにないのでインタビューは出来ませんでしたが、今後の動向や如何に?と、頭髪指導に戸惑う三上は思ったりするのでした。
 もう一つ、資本主義化と言った方がいいのでしょうが、先に書いた高層ビル林立の中でも、結構多いのが銀行のビルです。表通りには荘重なビルが多いのですが、目立つのは銀行です。農業銀行、交通銀行、商業銀行と、やたら多い。銀行を頂点とする金融資本の支配が帝国主義の指標である等と昔経済学で学んだことのある者にとって、中国経済の今は何なの?と、またしても摩訶不思議な光景ではありました。