| 思いつくまま印象記 旅体験あれこれ その10 |
正味2日間の駆け足の旅 今回は夫婦2人旅 |
| 月・日 | 行 動 | 宿泊ホテル |
| 3月28日 |
JR高槻7:02→関空10:35⇒12:00大連周水子国際空港
星海公園・聖亜海洋世界 勝利広場周辺 旧ロシア人街 |
大連賓館 |
| 3月29日 | 旅順 二〇三高地 水師営 労働公園 ショッピングモール |
大連賓館 |
| 3月30日 | 中山広場周辺散策 大連周水子国際空港13:50⇒17:00関西空港 |
僕が訪れたのはもう5年前になりますが、北京・西安・上海などの他の中国の街とも違うのです。
最近の北京や上海を知らないのですが、ここ大連は凄いピッチで近代化が進んでいるようです。真新しい高層ビルが林立し、高層住宅はあまたあり、工業団地のようなものも整いつつあるようです。古い由緒ある建物は、僕達が宿泊した大連賓館(旧大和ホテル)を含め中山広場を取り巻く日本統治時代のものが残っている程度です。それも、後から巨大なビルに迫られている感じです。
勝利広場の地下商店街もあり、こちらは日本で言えば「繊維街」みたいな所で、押すな押すなの大盛況でした。
特に驚いたのは、中国語で「新瑪特購物休閑広場」というショッピングモールの地下にある巨大スーパーマーケット。身近な例で言えば、コーナンの何倍もある売り場に比較的ゆったりしたスペースに商品が並んでいて、壮観でした。そして、日本を凌いでいると痛感したのは食品の「量り売り」です。地球村の高木さんが強調されている無駄な袋詰でなく必要な分だけ買う量り売りです。しかもIT化でそれはスムーズです。客はビニール袋に入れて計量コーナーに持っていけば、簡単な操作で重さと価格とバーコードが明示されたシールが出てきてそれを貼り付けるだけです。スペインのアランフェスで見たことがありますが、日本では余りお目にかかりません。実に合理的なシステムです。
5年前に北京等へ出かけた時に「同じ漢字文化圏だから、復活の兆しのある韓国、繁体字の台湾、簡体字の中国、同じく簡略化を少ししている日本が『共通の漢字』を作ってはどうか」と週刊金曜日に投書し、掲載されました。
さて、旅の基本的な情報に入ります。英語はほとんど通じないことは今書いた通りですが、そもそも欧米人がやって来るような観光地ではありませんから、その必要に迫られないのでしょう。カンボジアのアンコールワットの物売りの少年の、貧しくても、いや、貧しいが故の英語のうまさが思い出されます。町で拾ったタクシーに乗って、air portが通じないのには戸惑いましたが、地図を見せて「ここ」と言えば、もちろん困りません。彼は手をビューんと上へ向けて了解です。大連賓館でbreakfastが通じませんでしたが、ここは朝食と言った方が通じるホテルでした。
ホテル選びは、事前に随分迷ったのですが、往路の飛行機の中で大連賓館にとりあえず決定。空港からのエアーポートバスの運転手さんにそれを伝え直行。今回はエアーチケットが無料なのでホテルは張り込んで五つ星だ!なんてことも考えたのですが、やはり僕達は節約家なもので、これで十分過ぎるくらいでした。
1日目、昼過ぎにホテルを決め、次の日は旅順観光なのですが、午後どこへ行こうかと思っても、初めに書いたようにそう見るべきものはありません。市民に人気の、ということで、動物園か水族館。動物園はパンダがいるそうですが、王子動物園にもいることだし、二人とも体調も万全でもないので、水族館だけにしました。
ですから、「チョッと興醒めだな」と思っていたのですが、細い路地を西に入ると、そこにほんとに旧ロシア人街があったのです。古めかしい洋風建築が残っていて、100m以上も続いています。裏路地という感じです。表にもあったのでしょうが、先に書いたようにスクラップ&ビルドされてしまったのでしょう。
言葉もわからないので、話し掛けて聞くことは出来ませんでしたが、比較的貧しい人々が、この旧ロシア人邸宅を何家族かで共同使用している様子で、もちろん朽ち果てそうな部分もありました。日露戦争の直前に建てられたに違いありませんから、1世紀の証人ということになります。しかし、よくマア、持ち堪えたものだと変に感動しました。
余計なお節介ですが、ここは何とか、街並保存して、歴史遺産として残さないとそのうち消え去る運命かと心配しました。ベトナムのように日本の文化庁の支援を仰がなくても、今の中国なら簡単に出来ることでしょうから…。
日露戦争開戦100年で、記念的な特集や記事もあるようですが、それにワル乗りしているわけでないことは初めに書いた通りですが、それにしても、この戦争についてよく知らないナ、と思い、何かを読んでからと思っていました。誰かに聞いたら、司馬遼太郎の『坂の上の雲』でしょ、と言われたので読むことにしたのですが、何と文庫本で8冊、たじろぎましたが、マア、知り合いには彼のファンも多く、この際と思って読み始めました。ところが、出かける前に読了できず、やっと、大連初日に5冊目の「二〇三高地」「水師営」の章に辿り着くという際どさでした。
さて、僕たちの旅の話です。『歩き方』には、旅順行きはホテルか旅行社で依頼するのが賢明となっています。大連賓館で尋ねたら、タクシーの予約だけ。出かける前日は日曜日なので旅行社も休みだし、ベトナムのように街のあちこちに旅行社の支店があるわけでもないので、ともかくタクシーを依頼。二〇三高地と水師営を廻って350元。ドライバーさんは中国語オンリー。説明らしきことをしてくれるのですが、申しわけありませんがチンプンカンプンでした。途中旅順博物館の看板が出ていて、ここに入れないかと尋ねたのですが、ここは今建設中で駄目。確かにそんな感じでした。では今ある博物館は何処にあり、そこへは行けないのか?よく判らないのですが、日本語が話せる人の通訳によれば「ガイドが付いていないと駄目」ということのようでした。
大連の中心部からタクシーで40分ほどで旅順の「国家森林公園203景区」に着き、入場料と駐車場代を払い、そのまま車で進み、降りた所から5分も急坂を登ればそこが頂上です(ここに先に触れた籠かき屋さんが群がっています)。その坂を登る前に中国人のお爺さんが近付いて来られ、「日露戦争について説明します」。時間もないし、エジプト式にバックシーシーを要求されるのも嫌だったので、「歴史はわかっていますから」と偉そうに振り切って出かけました。ただ、チョッとした会話の中で、乃木希典が作戦的には失敗し、児玉源太郎が指揮をとったことをご存知でした(僕は先の本を読むまで知らなかったのですが)。
同じ坂道を戻ってしまうと何も見られないのですが、向う側に降りて行くと、ロシア軍が作った塹壕跡がわずかながら残っており、中国語と英語の簡単な表示があります。道から少しそれた林の中に乃木希典の息子の保典「戦死之所」という碑が立っています。粗末なもので、且つ、よくある建立の碑文等は一切ありませんでした。
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