恐竜をどう考えるか?:天文学者と占い師は悩まない

 

 私達が学校の教科書で星や天体について習う時、しばしば平らな大地の上に星空がお椀のように被っている図が使われる時があります。

 考えてみれば、あれは天動説な体系なわけですね。つまり、

 1:大地は平らである

 2:空は半球であり、大地を覆っている(あるいは球殻が平らな大地を取り囲んで回転している)

のです。こういう世界観は間違いなく天動説です。

 そしてまた私達が大好きな星占いも天動説体系であることに疑いはありません。出勤前のテレビ番組や雑誌で何気なく星占いをチェックしていませんか?^^)。星占いの世界観では宇宙は時計細工のようなもので、時を正確に刻む歯車がたくさん噛み合っているようなものです。惑星や月、太陽と星はその時計細工のようなシステムに沿って天を動く。

 そしてまた天の運行は地上にいる私達に影響を与えると考える。少なくとも天体を神として、天界が地上を支配するのならそうなる。そしてまた、そう考えることは悪いことでもなんでもない(ただし、人生の重大な事柄や会社の決定などで星占いを使うと評判は悪くなる)。

 

 さて、例え話をしたところで本題に入りましょう。この十数年の間、恐竜に関する知識は飛躍的に増えました。また、そうした知識をいかに体系づけるか、その方法論も初めて導入され、これまで恐竜に関して信じられてきた多くの見解が修整を余儀無くされました。

 :以前と違って、恐竜が単系統であることは疑いない

 :以前と違って、鳥が恐竜であることは疑いない

 :始祖鳥は現代の鳥の祖先ではない、しかし、もっとも原始的な鳥であることには疑いはない

(直系の祖先でないのならば、血縁もないのだ、という一部の誤解はまったくの詭弁)

 

 言ってみれば、天動説な世界観が地動説に代わるがごとく、大きな変化が恐竜研究とその周辺に押し寄せました。しかし、というか当然というべきか。こうした大きな変化にはかならずついていけない人たちがいます。というか、旧い世代のかなりの人間がそれについていけない。そればかりか、

 なぜ鳥が恐竜なのか?

 なぜ鳥と恐竜を一緒にしなければいけないのか?

 なぜ系統を正確に反映させなくてはいけないのか?

 なぜ分類と系統を同じように扱ってはいけないのか?

という戸惑いの声はよく聞きます。

 しかし、戸惑いに対して系統学者などはしつこく”分類と系統をまぜて考えてはいけない”といいます。なぜ彼らは、鳥は恐竜の一種であり、鳥は恐竜であり、鳥と恐竜を別に分類することは正確ではない、というのか?。

 

 なぜなら、

 :分類と系統は別である(実際、ダーウィン以前にも分類は存在していました)

 :分類が何を示しているか理解しないまま系統を論じることは危険をともなう(間違える)

からです。例えていえば、私達は天動説に基づいてロケットを飛ばしたりはしない。地球が平らであると考えて地図を作ったりはしない。同じように、系統を反映していない分類で系統を論じても意味がない。

 もちろん、分類は天動説よりも、もっと良いものであるし、ずっと便利なものであることには疑いがない。逆にいえば、分類は系統とまったく同じではないけれども、近似的にはおおむね似ています。だから混乱してしまう。同時にだから問題がおきる。分類≠系統、あるいは分類≒系統であるのに、分類=系統と考えて系統を考える。これはまずい。

    

 ”分類が間違う可能性がある”そのことをとやかくいっているのではありません。系統学でも間違いは起きうる。あたりまえ、どんなものでも間違いはある。

 そうではなくて、問題になるのは、分類≠系統であるのに、分類=系統で系統を語るのは根本的に間違っている、ということなのです。

 ちなみに系統学では答えを検証し、テストすることができます。確からしさを示すこともできます。アインシュタインの相対性理論のように(分類のテストはどういうものなのかは知りませんが・・・)。

    

    

 

 

 このことから考えると、鳥は恐竜であると言われていやがる人は、言ってみれば地動説をいやがる星占い師と同じだ。しかし、中世末期はともかく、そんな星占い師が今の世界にいるのだろうか?。第一、私達自身が星占いと地動説を頭のなかで両立させているではないか。

 星占いが好きであるからといって、私達は天動説を否定したりはしない。

 しかし、そうであるのに、どうして鳥は恐竜であるというといやがるのだろう?。星占いと天動説を頭のなかで同居させているのに・・・・。

 

 逆にいうと、どうして系統学者たちや多くの人は、あなたがどう思おうと分類と系統は違う、と口を酸っぱくしていうのだろう?。それはすでにいったような理由があるからだ。

 例えば系統を正確に表現すると鳥は恐竜の一部になる。より具体的にいうと、鳥と呼ばれる生命の樹の枝はより大きな生命の樹の一部であって、その枝全体のことを私達は恐竜と呼ぶのだ。

 ようするに鳥は恐竜である。

 しかるに、私達は”恐竜”という単語と、”鳥”という単語をこういう意味では使わない。恐竜から鳥が進化したという。この単語の使い方は古典的な分類だ。この言葉とこの文章自体が次ぎのことをあらわしている。

 分類は系統とイコールではない。

 このように扱う分類が生命の樹をどの程度正確に反映しているのか?、それを理解しないで議論を進めるととんでもないことになる。便宜的に分類していたはずの”鳥”と”恐竜”はやがてあなたの頭のなかで別のものになってしまうだろう。これでは正確な議論はできない。

 要するに、天動説体系でロケットを飛ばしてもらっては困るのだ。系統学者やそういった人々が困っているのは多分、

 ”天動説を信じて、ロケットの打ち上げにそれを適用する星占い師”

なのだろう。

 これでは困る。天文学者は星占い師を弾圧したりはしない。すくなくとも、そんなことをしても意味がない。星占い師も大部分の人はNASAに口出ししないだろう(多分ね)。だが、恐竜の世界にはそういったことをする人たちがいる。もちろん、星占いを信じることが悪いのではない、

 

 :かまわない、恐竜のかっこよさを語るのは。それは心理学の範疇だ。

 :問題ない、恐竜と鳥を別に語るのは。それは人間の認識の話なのだろう。

 :どうでもいいことではないか、十分な資料もないのに温血か冷血かを語るのは。科学ではないかもしれないが。

 :知ったことではない、すべての仮説を等価と扱うのは。もっとも発言者がどうやって生き延びてきたのか不思議だ、彼にとって赤信号と青信号は等価ではないのか?。

 

 これらはみな星占いとなんら変わらない。だけどみんな占いが好きなのだ。恐竜がカッコイイというのもそれと同様。たわいのないおしゃべりだ。誰もそんな会話に対して目くじらなど立てたりはしない。科学はアイドルのゴシップや噂などに関心はない。そんなことはどうでもいいことなのだ。

 ただし、もしあなたが、

 

 :どうして研究者は鳥を恐竜であるというのか?、違うものだ

 :分類と系統は同じだ

 :恐竜はグループによってこんなに違う。別の生き物だ

 

といったら、それは問題だ。

 あなたは地球が平面であることにして航路を導き出した飛行機で東京からニューヨークまで旅行するか?。

 私達の日常では星占いと地動説が共存している。星占いと天文学はおおよそお互いの範囲もわきまえている。天文学者は人生相談などしたりはしない(少なくとも商売にはしない)。星占い師は核融合などに興味はない(多分ね)。だったら私達にもできますよね?。そういう生活。

 

 恐竜の系統トップへ→ 

 恐竜に関する科学へ→ 

 

  分岐学の入門書「恐竜と遊ぼう」/参考文献はこちら→