イズカサゴ
Scorpaena izensis
*以上のスケッチには間違いがあって、背ビレの棘の数が13本になっています。正確には12本。機会と時間があれば別個体でスケッチをやり直す予定。
カサゴという商品名で売られていたお魚で、全長28.5センチでお値段2380円。このあたりのスーパーではあまり見かけません。大きさの割にはかなり高い魚です。しかし味は良く、白身の肉はおいしく、小骨もあまりありません。ただ、鱗はそれなりに頑丈なので鱗は削いだ方が調理には良さげ(唐揚げなどでは問題ないでしょう)。肝臓はそこそこ大きくてこれもおいしく、胃袋は肉厚で非常に丈夫です。食べごたえのある胃袋だと言うことができます。背ビレには12本の棘(以上のスケッチでは間違って13本に描いていますが)があり、腹ビレには1本、臀ビレには3本の棘があります。鋭いので調理の時などは注意。
背ビレの軟条の数は10。頬には強い棘が5本あります。頭骨の上の部分には鱗がありません。口蓋骨に歯があります(スケッチ右下の頭骨の図を参照)。この特徴は生体でも口を開けば確認することができますが、涙骨に3本以上棘があるという特徴となると、外見からではほとんど分かりません。涙骨とはスケッチ左下の頭骨の図において、眼の前方やや下にある星状の骨のことです。涙骨の棘のうち、前方下に飛び出した2本の棘は生体でも皮膚から突き出ており、触ると分かります。しかし、下に飛び出した3本目の強い棘の方は完全に肉で包まれていて、触っても、どうもなにかあるようだ、としか分かりません。ちなみにこの棘の先端は生体の場合、皮弁がついています。胸ビレの基底や腹ビレの前方に鱗はありません。また、胸ビレをめくってみるとちょこんと突き出た皮弁があることが分かります。こうした特徴から、「魚類検索」に基づき、イズカサゴであると同定できます。
*皮弁とは体から突き出た葉状の突起のことです。イズカサゴは鼻先、眼の上、側線や腹など、色々な箇所にピンク色の皮弁があります。
*同定に関する余談
ここで2013.03.24時点におけるwikiの分岐分類学の解説を引用してみましょう。
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一般的・伝統的な分類の概念から乖離していること
この点は、前述の「煩雑になりすぎる」こととも絡んで、図鑑や分類表を作る場合に問題になる。もし、正確に分岐分類的な図鑑があったとすれば、「分岐過程を熟知しているものしか検索できない」ような本末転倒なことになる。このため、現在でも図鑑や分類表のほとんどは、完全に分岐分類的にはなっていない。
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さて、以上の引用は分岐学に対する批判であり、分類学であれば分岐過程を熟知していなくても検索できるかのような書き方です。しかし、これは本当でしょうか? 「魚類検索」によってイズカサゴを調べた過程を考えると、私にはとてもそうは思えません。例えば”涙骨下縁に3〜5棘”、これは実際に「魚類検索」で出てきたキーですが、先に述べたように2本の棘は分かりますが、3本目は触ってもよく分かりません。私自身も”そういえばミノカサゴでは涙骨の張り出しの先に皮弁があったよな。その比較から考えると、皮弁のあるこの部分に3本目の棘があるのではないだろうか?”という推論に基づいて、イズカサゴの顔を指でぐりぐりしていました。そして、たぶん3本以上の棘を持つで良いだろう、と検索を進めたわけです。
この行動には、ミノカサゴとイズカサゴは仲間である、という予備知識があります。この予備知識は、系統的なものであるとも、あるいは分類的なものであるとも言えます。由来が共通するから同じ箇所に同じ器官があるだろう、とういう意味なら、この推論は系統的です。しかし、同じような配置だから同じ様になっているのではないか? という推論ならそれは類似に基づく推論で、分類的なものでしょう。あるいはアナロジーに近いのかもしれません。実際、ミノカサゴの涙骨にこういう棘自体はないので、私の発想は系統的、というよりも分類的な当て推量なところがあったのかもしれません(結果的には正しかったのですが)。
いずれにせよ、ミノカサゴとイズカサゴが仲間である、ということは、知っている人は知っているが、知らない人は知りません。そもそも”涙骨に、、、”というキー自体、それは涙骨とその位置を知っていることを前提にしています。もちろん、一般の人はそんなこと知りません。当然、知らない人からすれば、それが系統的な検索表だろうが、分類的な検索表だろうが、以上のような判断はできません。たぶん、そういう人は、検索表の途中で分からなくなって立ち往生してしまうのではないでしょうか?
これ自体は検索表が悪いのではありません。検索表とはそういうものだ、と言っているだけです。事実、検索表で調べるのは、結局のところ生物の種です。そうである以上、検索で使われるキーは最終的には種の分類の根拠となった形質でしょう。それはイズカサゴであれば胸ビレに隠れている1枚の皮弁であったり、あるいは涙骨の形状であったりします。つまり検索表に出てくるのは最終的には分類によるキーです。これを考えると、確かに、分類学であれば系統の分岐過程を熟知していなくても検索できる、という主旨のwikiの記述は正しい主張だとも言えます。ただ、それはこういう意味になるでしょう。
:分類の過程と形質を熟知していれば分類的な検索表を検索できる
これは、
:分類過程を熟知しているものしか検索できない
と言っていることに等しいのではないでしょうか?
ゆえに先のwikiにおける記述、
「分岐過程を熟知しているものしか検索できない」ような本末転倒なことになる。
とは、系統的な検索表が作られても私には手に負えません、なぜなら私は分類以外に興味のない人だからです、と言っているだけのように思えます。つまり、wikiのこの記述は、分類学しか知らず、系統学の出現に直面してとまどっている、適応できない古い世代の嘆きであるとしか聞こえません。つまるところ、この主張はおそらく、聞くに値しないものだと思われます。