惑 い



 よく晴れた日の午後、シリウス・ブラックとリーマス・ルーピンは話し合いの場に於いて、意見の完全な一致をみた。
「結局はそれが一番いい方法だと思う」
 とシリウスが提案し
「私もそう思うよ」
 とルーピンが同意した。
「けれどお前は、大切な友人だ。それは生涯変わりがない」
「その通りだね。役職名が少し変わるだけの事だ」
 そういう経緯で彼等は「普通の友人同士」という関係に戻った。

 彼等は亡き友人の息子である少年と毎年の夏を一緒に過ごす事になった。世間一般の人間がそのシチュエーションから考えるような気安さはそこにはなく、戒律の厳しい宗教の信者が結婚式に臨む時よりも彼等は緊張し、柄にもなく舞い上がった。
 少年がやってくるまでまだまだ月日があるにもかかわらず、2人は家の中の模様替えや補修に勤しんだ。何もかもが拭き清められ、見違えたようになって漸く、彼等は清掃よりも先に解決すべき事柄があることに気付いた。
 彼等の関係について。
 2人は今、正確に言えば友人同士という関係ではなかった。「友人」とはベッドで共に夜を過ごす人間を指す言葉ではおそらくない。では恋人同士なのかと問われても、彼等はきっと言葉を失っただろう。シリウスもルーピンも自分達がどういう間柄であるのかを決めかねて保留にしているような所があった。そこへ少年がやってくる。
 シリウスは秘密を持つのが苦手な性質だった。そして愛する者に言えないようなことは為すべきではないという信条の持ち主でもあった。ルーピンはそんな友人の性格を理解していたし、何より少年の父親である旧友に対して秘密を持つという習慣がなかったため、彼と同じ顔をしている少年を相手に果たして隠し事が出来るのか自信がなかった。
 そうして彼等は学生時代と同じ関係に戻った。つい最近始まった新しい習慣を1つやめるだけで、まったく簡単だと彼等は考えていた。
 しかし人に触れるという行為は確実に常習性を持つ。手を伸ばしてもそれを拒まない優しい体温。そしてためらいがちに伸ばされる手を受け入れる自分の、完全な許容。カフェインやニコチン、アルコールなどと同じように、慣れた人間の体を絶つには苦しみが伴った。それを知らなかった彼らは少なからずショックを受けたが、相手に告げる訳にもいかず沈黙を守った。
 抱擁は気付かぬうちに彼らを癒していたのだ。それを絶たれるのは疾病の療養を途中で放棄するようなものだった。
 彼等は頻繁に夢に見る。気付くと自分達は裸で抱き合っていて、驚いて「これはルール違反だ」と相手に言う。友人は不思議そうに何の話かと問う。「ハリーが……」と言うと、彼はハリーとは誰か?と真面目に尋ねる。その世界にハリーは存在しないようだった。彼は小さく笑いながら自分に口付ける。自分は安心して眼を閉じ、その濃厚な感触を楽しむ。そこで目が覚める。
 それは非常に喉の渇いた人間が、決して食べてはいけない熟れた冷たいフルーツを手に持って生活するようなものだった。
 彼等は相手のことを愛し、執着し、その肉体へも等しく混沌とした感情を抱いていた。シリウスもルーピンも友人の精神が不安定な時は正確にそれを感じ取る事ができる。そしてなお悪い事に相手が自分に触れたいと思った瞬間をも感じ取る事が出来た。
 自分に残された最後の友人である彼の願う事は出来る限り叶えたいと心に決めていた2人であるが、目を閉じて知らぬ振りをするしかない。
 彼等は事あるごとに戸惑った。ジョークを言って笑い合いながら肩を叩くのは正常な友人同士の範疇か。ソファに並んで腰掛けるときは人一人分ほど間をあければいいのか。おやすみを言い合うときには、それに相応しくない感情を相手の表情の中に見つけてしまったりせぬようにきちんと目を伏せていたし、もう友人の髪を撫でたりはしなかった。この歳の男はきっと同性の髪を撫でたりはしない。虹が出ていると自分に告げる彼の振り返った表情。年齢からはおよそかけ離れたその顔を見たときの自分の感情を一番正しく表現する手段がそれだったとしても、決して彼の髪に触れたりはしなかった。
 行動の全てを正しい物とそうでない物に分別して一覧表にしてほしい、と彼らは切実に欲した。
  足に怪我をした人間がそこを庇いながら歩くように危ういバランスをとって、彼等の生活は続いた。




 夜。冷たい空気。白い天井。
 聞き慣れた声でシリウスは目を覚ました。
 ルーピンの喉から搾り出されている恐ろしい音量。
 月に照らされた色々な物の影が、部屋中を切り絵のように飾っている。
 日頃穏やかな友人の常軌を逸した叫び声は、シリウスがこの生活で得たと思っていた精神の安定を容易に揺さぶった。悲鳴に混じる謝罪の言葉。彼がありもしない罪にひとつ詫びるたび、シリウスは床が落ちてゆくような不安に襲われる。震える指で口元を押さえて、彼は起き上がった。
 ルーピンを目覚めさせなければならない。おそらく彼は唇と、胸元を血で染めて、半狂乱でシリウスか又はハリー、或いはジェームズ、ピーターに詫びている。シリウスは、彼をそんな場所に1秒でも居させたくはなかった。
 シリウスの寝室から彼の寝室は近い。
 そういえばまったく同じだ、と気付いてシリウスは身体を強張らせる。彼の身体を抱きに部屋を訪ねる手順と、悪夢に苦しむ彼を揺り起こしに行く手順。同じ闇の中で部屋のドアを開け、まったく同じ歩数で彼の部屋まで辿り着き、同じドアをノックする。
 シリウスは眼を閉じて呼吸をした。
 肩を揺すって友人を起し、キッチンに連れて行くだけのこと。
 しかしそれが出来るだろうかと彼は自分に問い掛ける。
 彼の冷たい手が腕に触れ、吐息が指に触れたら、果たして自分は彼を抱擁せずにいられるだろうかと。抱きしめてしまえばきっと次は彼の髪に口付けるだろう。次は額に。彼は抵抗せず目を閉じるという確信がシリウスにはあった。悪夢の後のルーピンには正常な判断力がない。唇に口付けて、それから体を離すことができるかという自分の問いに、シリウスは力なく首を振るしかなかった。それが分かっていて彼の部屋に向かうのは裏切りではないだろうかとも考えた。
 けれど、闇の中で彼の悲鳴は続いている。
 現実の世界はルーピンにとって優しいものではなかったが、夢は更に執拗に彼を苛む。あの世界に彼を助ける人間は存在しないのだ。その中で、罪に恐怖し叫ぶ友人をそのまま1人で放っておくことはシリウスには到底出来そうにもない。
 彼は静かにベッドから降り、迷いのない足取りでドアへ向かった。




以前に何かのあとがきで書いた
「友達に戻りましょう」話です。
んとー、一言で表現すると「元の木阿弥」。
(というタイトルにしたかったのですが)
自分の感情と信条が相反したときって本当に
困りますよね。大抵は折衷案で茶を濁しますが
この二人は真面目なのか要領が悪いのか
ゼロか100かに走りがち。
いや、嫌いじゃないですよ。こういう人達は。


で、この後の反省会の会話。地の文を付けるのが面倒で
本当に会話のみ数行です。正気に返った直後。まだベッドの上。裸。
(シリウスさんの自制心って……)

おまけ

2003.08.18


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