赤絵の明治九谷@

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私は元々は、陶磁全集を眺めたり、陶芸をやってみたり、使うためのぐい呑みを地味に集める程度の、ただの焼物好きでした。

ぐい飲みの延長線での染付との出会いから、骨董の染付にはまってしまったのですが、ほどなくしてヤフオクを覚えたりしたので、たちまち財政破綻。

「染付以外は見ない」 と心に決めた。
ところがしばらくして、この猪口が伊万里の染付のカテゴリーに出てきたんです。反則である。

精緻な線描き、高台周りの九谷の赤(私流に言えば「血色」)、一目で魅了されて、「ぐい呑もコレクションのうちだし良いかな」 なんて思ったとたんタガがはじけて、突っ走ってGET。

実際に手にしてみるとこれがまた思っていた以上に良い、堂々たる器形、精緻さにこめられた執念とも言える気迫に圧倒されてしまった。
ヤフオクで手に入れたもので、思った以上というのは何点もないが、これはその一つである。


古九谷は近年、江戸前期の肥前諸窯の産(古伊万里)ということが定説となったが、それ以前は九谷の産とされていた。
事実、短期ではあるが明暦から元禄にかけて磁器生産が行われていたようである。(石川県では現在も 「九谷説」)
19世紀にはいって、大聖寺藩では産業奨励、失業者救済の目的で藩営の春日山窯を開設、この窯自体は十数年ほどで廃窯になったが、これが現在の九谷陶業の源となったのである。

春日山開設からほどなくして、古九谷の再興を意図して民窯の吉田屋窯や若杉窯などが開かれ以降、江戸末から明治にかけて多くの優れた民窯が開設された。所謂、再興九谷である。

作風は吉田屋窯に代表される「青手」、宮本窯の赤の細密描法「赤絵金襴手」、庄三窯の洋絵具を駆使した多彩で繊細な「彩色金襴手」、永楽窯の「金襴手」など、見るべきものは多い。

この猪口は、角福の銘と、貫入もなく良く焼き締まった素地、微細精緻な線描、出品者は幕末と表記していたが、ここにおいて同意できるものである。





私は思うところがあって、骨董のぐい呑では酒は飲まない。
酒の肴とするだけである。酒の肴に何度眺め回してもこの猪口の持つ緊張感が心地良い。

こうして私の心の中に出来上がった印象は 「九谷の赤絵は面白い!」

再興九谷には、前述の優れた窯元の作品など多くの名品がある。ただし写しも多く、悪意の贋物も多いようなので、片手間に首を突っ込むことなどとんでもないことである。

その点、線描きの赤絵の場合は、絵画的要素はともかく、この作品のように情念そのものという作業がみえるから、「問答無用」のパワーがある。

これなら、私にも判る!

こう勝手に確信して、「こだわり」始めてしまったのである。








基準が上の猪口だから、めったに食指が動かない。

たまにあるが、そこまで出すなら古伊万里のお皿と言うことになってしまう。

ところがこの徳利、無競争でGET。たまにこんなことってあるんですよね。

九谷赤絵のの典型的な意匠で地貫なし完品。
明治期と判断する。


倍率 2倍

倍率 2倍
             鳥の腹の部分、羽根を表現しているのが嬉しい。並び葉文の細かさも私の判断基準の一つです。







                 この馬上杯は、大正期とみているが、内側に瓔珞文があるのが珍しい。これによって総体の品格が上がっている。






                  大正期の典型的な意匠。磁胎は半陶半磁のようでビリビリの地貫であるが、大変細密に描かれていて破綻がないのが良い。





これは現代作家の昭月さんの作。洗練されたデザインで良くまとまっているが、冒頭の猪口の圧倒的な力強さの前では
軽く見えてしまう。


この猪口は、おかあちゃんと、名古屋にいるむすめが共謀して、私をほっぽりだして金沢旅行に行ったときの土産。
一人ほっぽられて、グレてやろうと思ったけど、この猪口でごまかされた。





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