XI 心、涙す

                                   涙
                                       ①なみだ。
                                    ②なみだする。なく。
                                    ③先々を思い考える。
                                    ④もとめる。
                                             (角川 大字源より)


涙-前口上

郷里の志摩御座に爪切り不動尊がある。
名の謂われは弘法大師が
石に不動明王像を爪で彫ったといわれるところからくる。
霊験あらたかで信じたおかげで
百病が治ったとか海難を免れたとか
戦地から無事帰国したとかの御利益は枚挙にいとまない。
都会育ちの私は合理的な考えをとり
それほど信心深い人間ではなかったが
還暦を迎えて癌になるやら脳卒中患うやらで
死線さまよったが幸いにも生き残った。
後になってその時に母がこの不動尊に日夜詣り
御百度参りしていたと聞いて涙した。
母の信心で私はこの不動尊の御利益与ったのかなと
神妙な気持ちにとらわれたのはこの時からである。


 涙①

年だからというわけではないが
年上の人はもとより同年配の人を含め
時として年下の人たちまでも
つきあっていた人たちが
次々に亡くなっていく。
その上年のせいでも涙ぽくなった。
悔やむ気持ち、悲しみの気持ちと併せ
不安の気持ち、恐れの気持ちも起こる。
そろそろだなと思う。
覚悟せねばとも思う。
順番だからとあきらめの気持ちと
命の儚さと
今生き今思うことの今をしみじみと味わいたいとも思う。
これが日本人に固有の無常観というものなのだろう。


 涙②

年取るものに共通のおののきは
時空共有した古くからの知り合いが
世の中から去っていくたび大きくなる。
自分が死ぬと露も思わぬ幸せな人達が
順番だからと悟ったように言うが
病気の後遺症強く残る私などは
健常者並の動きとれず
時々襲う体のだるさや激痛
最近はパンパンになるほど膨れあがる足のむくみなど
間近に死の影踏んでいると涙し思い
次は自分の番かもしれぬと思い考えるのは必定だ。
94で亡くなった母親の「早くお迎え来てくれ」の口癖は
私にとれば
夢のようでもあり悪夢のようでもある。


 涙③

老いと病気のせいで
生きるだけでも精一杯の人間には
痛みやだるさ軽くなる時だけ
自分の未来や社会のことが考えられる。
ところが発作中はそんなことどうでもよいの心境になる
と言うよりは生きる気力全体が湧かない。
発作が早く治まればと祈るばかりである。
その最中には人間は苦しみながら死んでいくのかなと涙するが
そう覚悟する一方で
死ぬのは人の定めだからいいやと変に悟り
でも苦しみながら死ぬのはいやだ
ピンピンコロリと逝きたいと
この時になっても人は変な夢を求める。
悟りとは人には見果てぬ夢なのである。


 涙④

己の年齢が平均寿命に近くなってくるにつれ
知り人の訃報も多くなりその都度涙するようになる。
定年退職後には故郷に完全に引きこもるつもりであったが
心弱いというか
やはり世間への未練断ち切れず
学校や職場の友人達とのつながりだけは
どういうわけか残していた。
その絆の数も年経るごとに少なくなる。
訃報を聞くたびに
その人との交わりの様がありありと彷彿し
同時にその頃の自分の生き様を想い出させたが
その悼む気持ちに併行して起こってくるのは
決まって
「そろそろ自分の順番だ」の思いだった。


 涙⑤

大地震後の大津波で助かり喜びの涙した人のように
本当に死を覚悟した機会は   
誰の人生の中にそうあるものではない。
観念的に死を考える場合は後の人生に深みを与えるだろうが
実際に死に直面すると
人生の深み考えるどころでない。
ああ、もうお終いだとか、死ぬんだなとか
もっともっと生きたいのだとか
存在を絶たれる寸前の思いは当事者だけにしか分からない。
阿鼻叫喚の人もいただろう。
これも運命と覚悟し悠揚と死に臨む人もいただろう。
後になって他人がそれをどう論じようと
不意打ちによる非存在の不条理に彷徨う人の不幸に比べて
存在の無常を実際に体験して生き抜いた人は尊い。


 涙⑥

病気のために外での行動できず
家で生活余儀なくされた者にとって
何となく楽しみとなってきたのが本当に夢見ること。
場面は非合理的だし
願望でも最後まで思うようにはならず
さりとて予測もできなければすぐに忘れてしまう。
考えてみれば文字通り夢とはそんなものだが
よくよく考えれば
現実もそのようなことの繰り返しと思うのは
悔し涙流す負け犬の遠吠えのようである。
それでも夢見るのが楽しみとなってきたのは
なんと悲しいことには
目覚めたときに自分が涅槃の世界にいるのではなく
まだ生きていると思えるからである。


 涙⑦

「国富論」で有名なアダム・スミスが死に際に
自分の書いたものすべてを焼き捨ててくれと言ったとか。
実際にその通りに実施されたとは思うが
彼の弟子たちが師の作品を持っていたために
師の遺志に反して彼の思想は遍く知られた。
凡愚の徒として到底スミスの境地になり得ないが
人生の黄昏期に入ると物心関わらず
これまで蓄えてきたものがどうなるのか
気になるのはまだまだ拘りの心あるからなのか。
辞書代わりに残していた数多の書物も
インターネットの検索によって不要となり
図書館にも不要と言われ諦めの涙する一方で
後世の誰か変わり者のお役に立てればと
捨てきれないで保管し続ける私である。


 涙⑧

千年に一度といわれる東日本大震災。
被災者を慮り涙する一方
今ここに生きているわが身の幸運をつくづく思う。
アメリカ軍空襲のターゲットからはずれた所に住んだ幼い時
新薬のおかげで重篤な肝炎から逃れ得た30年代の時
大量下血で判明した癌の摘出手術をした50代の時
脳卒中の発生時に電話の子機近くに置いていた60年代の時
たまたまそこに命助けるなにかがあった。
天が助けてくれたとしか思えない。
それだけに天運に恵まれず
津波で命落とした人を悼む気持ちは口では言えない。
後遺症で自ら思い通りに動けない苛立ちもさることながら
こういうときにこそ
政府の力が試されていたとも思ったのだが…。


 涙⑨

なんと日本は「核」と縁があるのだろうと
今回の福島原発事故を身近に感じて
つくづくと思う。
戦争中に広島・長崎に投下された原爆での被災。
核実験で死の灰浴びた第五福竜丸事件。
核が平和利用されてもよく起こる原発所での事故。
それでもどことなく聞こえてくる「安全神話」に
少しは耳を傾けようとした矢先の
今回の放射漏れの話。
「又か」と日本人の負った定めに諦めの涙禁じ得ない。
ただちに人体に影響及ぼすほどではないと
安心顔でいう専門家や政府筋の話に
頷くこともできず不安に襲われるのは
そんな昔からのアレルギーが働いているからだろう。


 涙⑩

何が起こっても悪いようにとらえる慣性が
日本人の心包み込んでいるが
それを端的に示しているのがテレビの報道。
円高になればそれでほくそ笑む者がいるのに
報道するのは円高で悲しみの涙流す人の話ばかり。
円安になればそれでほくそ笑む者がいるのに
報道するのは円安で嘆きの涙流す人の話ばかり。
報道はそんなやらせが本質なのだと割り切れば
差引勘定もできるが
悪い面を強調されて情報提供される視聴者は
いかにもそれが真実であるかのように誘導され
いつの間にか世論が形成されていく。
かくして日本のテレビ界は自虐的な史観のもとに
視聴者を世論操作してきたのである。


 涙⑪


太平洋戦争で市民まで焼き殺され涙した日本は
もう二度と戦争しませんとの誓いのもとに
ついには世界で有数の経済大国になった。
そのかわり南樺太・千島列島を奪われ
軍国日本として奪った台湾と朝鮮半島は当然放棄し
日本全体はアメリカの属国のようになった。
国忘れて経済大国になった日本は
北方領土は戦後70年間何も出来ず
竹島は李ライン引かれ実効支配される始末。
ついには尖閣列島まで中国に狙われだしたが
自身の無能性と長年のつけのせいで呻吟する自民党。
戦後のイデオロギーに固執し馬脚表した民主党。
アメリカ・ロシア・中国・韓国・北朝鮮に対して
未来に禍根を残さぬための試練がついに来たようである。


 涙⑫

人とは歴史の奴隷だという。
奴隷とは時代性に囚われ
飛び出る自由も力もないこと示す比喩的表現である。
戦後教育を受けた私は
今は二度と戦争しない国だが
かつては南京大虐殺をし
強制連行の従軍慰安婦を作った国の人間だと
教えられ信じ込んで生きてきた。
ついには性奴隷の国の人間だと言われ悔し涙流した。
親や祖父がそんなことする筈ないと訝りながらも
事実かもしれないと何となく認めて生きてきた。
朝日新聞が嘘の報道認めなかったら
そう思ったまま死んでいった人間として
私は分類され位置づけられただろうと思う。


 涙⑬

さていつもの私に戻ろう。
最近同窓会の案内がきた。
母校が今どうなっているのか気にならないでもないが
出席の返事問われて
歩くにままならない惨めな姿さらしてまで
懐かしさの涙流してもと参加を泣く泣く断ってしまった。
すべての見舞客断って死んでいった
美男の有名俳優の気持ちがよくわかった。
年を取り病気になって老いさらばえて
それでも過去とのつながり頼むより
過去とのつながりすべて断ち
ただひたすら今を生き今を思うだけの
暮らしをして今を楽しもうとするのも
人間の一つの正しい生き方だと思った。

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