\心、包む

                                包
                                     @はらむ。みごもる。
                                  Aつつむ。くるむ。かこむ。かくす。ふくむ。いれる。
                                  Bつつみ。つつんだもの。
                                  Cしげる。
                                             (角川 大字源より)


 包−前口上

あれもしていない、
これもしていないと
気づくこと大変多くなった今の私。
し残してきたことがあると感じるのは
それだけ覇気あるからと
自画自賛する己を認めたいのかもしれないし
有言不実行のいい加減さ示しているのかもしれない。
それらを片づけないでは死ねないと思うのは
死の気配に包まれるようになった私に
逆に生きる張り合いを与えるためと勝手読みしている。
そのくせこのごろとみに根気なくなり
何をやろうとしたのかさえ忘れること多くなったのは
死の恐怖を忘れさせる天の配剤とさえ
思って糊塗しようとする私となっている。


 包@

定年少し前の頃
物忘れしたり注意散漫になったりして
ミスを犯すことが多くなった。
ケアレスミスしても
自ずと責任取る厳しい組織にいたので
すっぱりと現役退き責任取らなくてもいい
第二の人生に入る決断をした。
そこで気づいたのは日本を包む無責任な雰囲気。
ミス犯しても責任取らない官界はいつものこととして
公約破ってもどこに責任あるのかと開き直る政界や
言い間違ってもこともなげに訂正し糊塗するマスコミ界。
自利にのみ固執する各界の無責任ぶりは
老化現象と体の不具合で苦しむ私を
一層に嘆かせることとなった。


 包A

映画の「猿の惑星」では
核戦争によって人類が滅んだことになっているが
福島原発事故以来の人間の対応を覆い隠しているのは
人類の滅亡は何も核兵器の使用によってではなく
「想定外」の原発多発事故によっても
起こるだろうとの思いだ。
原発なければ今の生活レベルが守れないというのなら
国民のために原発の稼働を決断しても良い。
だが生活レベル下げてまで原発不要を言うのなら
それなりの覚悟を国民がする必要はあるだろう。
私個人は原発稼働に反対の立場だが
それを押し通せるのは
電気代高くなっても生活のレベルが下がっても
今生きていさえすればよいと思っているからであろう。


 包B

大学入試に共通一次試験制度採用されてから
受験生の心を包み込むようになったのは
事実の単なる暗記力あるかどうかだった。
その結果日本人は背景・原因を探ったり
結果・影響を予測する「考える力」よりも
ただ事実を記録するだけの力を大事にするようになった。
正解を○×式や選択肢から決める方法で
どうして「思考力」や「想像力」が醸成されようか。
そんな共通一次試験の申し子達が、今や
司法・行政・立法に携わる人を初め警察や地方の役人
それに経済界やマスコミ界を差配するようになった。
共通一次試験を経なかった私が
彼らの不見識や不祥事や頼りなさを痛感するのは
エリートになれなかった者の僻みからだけではないのである。


 包C

かつての若手起業家ホリエモンが
自身に投げかけられる困難事に
「想定内」と発言して自信のほどを示した。
それでも起訴され裁判闘争にも敗れるという
「想定外」に翻弄されることとなった。
その後の東日本大地震および津波による天災と
それに起因する福島原発事故による人災は
逆に「想定外」という言葉をも定着させたしまった。
責任のない人が使うのなら許されたとしても
「想定内」にすべき役人が使ったものだから
この「想定外」という言葉は
「無謬主義」に包まれた役人の
責任逃れの恰好の言葉として
以後ことある毎に使われるようになった。


 包D

広告としてよく使われるのは
その商品を使用した人の感想を紹介する手法だ。
当然ながらその商品を推奨する声で包み込まれている。
その商品を非難する声を紹介するなんてのは滅多にない。
それは広告なのだからとわれわれも知っている。
これと全く同じなのが
新聞や雑誌に見られる読者からの投書の声。
仲間用に作られた機関誌にならいざ知らず
報道として一般読者のために作られた新聞や雑誌の投書にも
その新聞や雑誌の記事を非難する投稿なんてとんとない。
読者は殊更によいしょの声を包み込んで投書している。
新聞や雑誌は都合が悪い報道の掲載控えている。
ペンは剣よりも強いかも知れないが
新聞や雑誌の独りよがりな価値観は剣よりも恐ろしい。


 包E

テレビの映像が茶の間に入りこんだおかげで
リアルタイムで情報を知るようになり
喜怒哀楽の感情が著しく増幅されるようになった。
例えば東日本大地震と大津波と原発事故災害は
余すことなく映像が明らかにしてくれたので
同時代人として当事者ならずとも日本人は
その感情を共有できたと思われる。
それはそれとして一方的に流れる映像を見て
何となく釈然としない観もあった。
大津波直後の原発の映像はきれいだったが
後で映された映像は無惨な姿だったことである。
どちらもリアルタイムでの実写は間違いないとしても
その映像さえも人間の思惑を包み込んでいるようで
テレビ媒体の有り難さと恐ろしさを垣間見た思いである。


 包F

広島の悲惨さを実際見聞きしたなら
核兵器容認云々しないだろう。
死刑執行を実際見聞きしたなら
死刑制度容認云々しないだろう。
餓死者を実際見聞きしたなら
本人の甲斐性の結果云々しないだろう。
性に狂奔もしなく
神にすがりつかないでもいられる
常に死から逃れられている安全地帯の人は
第三者に見聞きしたものを材料に現実を判断する。
でなければ
己のしたこと感じたことをそのまま胎んだまま判断する。
悲しいかな
人は他人に対してあまりにも盲目である。


 包G

原始時代には原始時代の人の生き方あるように
現代には現代人の生き方がある。
封建時代には封建時代の人の生き方あるように
民主主義の時代には民主主義の時代の人の生き方がある。
イスラムの国にはイスラムの国の人の生き方あるように
仏教国には仏教国の人の生き方がある。
中国には中国人の生き方あるように
日本には日本人の生き方がある。
そして
子供には子供の生き方あるように
年寄りは年寄りの生き方がある。
ところが人間は時・場所・状況に包み込まれている。
考えが違うと相手を理解すること難しくなるが
喜怒哀楽の感情は古今東西・老若男女問わず共通している。


 包H

司法界が正義貫く公正で神聖な場所だというのが
単なる神話でしかないと明らかにしてくれたのが
例の大阪特捜検事の証拠改ざん事件。
最近の警察から裁判所に至る司法関係者のモラールは
弁護士も含めて著しく低下している。
ドラマの世界では仰々しく美化されているが
実際は閉鎖的な縦社会の典型となっている。
思うに警察の捜査もずさん。
検察は確かめもせず立件。
裁判所はほとんど鵜呑みにして裁定。
上級にあがってもよく吟味もせず書類だけで裁定。
官僚の無謬主義と同じで誤判断しても責任は取らない。
そう判断させた民の側に責任転嫁する。
ここにも司法界のいい加減さが日本社会を包み込んでいる。


 包I

たとえば収入少なくなったにもかかわらず
今までの贅沢が忘れられず
あれもこれもで収入の二倍の生活をしたら
その一家は確実ににっちもさっちもいかなくなるだろう。
常識人ならすぐわかることである。
それがあれもこれもの要求で
国民の声含み込んで打ち立てた国家予算。
ついに歳出が歳入の二倍になった。
政治家や公僕は何しているのだという気さえおこる。
一家の主が家族を路頭に迷わせれば主失格だ。
だのに国家運営携わる政治家や公僕の方は
東日本大震災の処理の無能ぶりでわかるように
収入の2倍の支出を許す政治をしては
国のために働いているとうそぶけるのである。


 包J

政界も大半政治屋でしめられ
官界も総じて官僚の資質が低下している中で
経済活動で一流といわれた財界も
政官癒着の報い受けたせいか
それとも経済人も全体的に資質落ちたせいか
次第にかげり見せ始めた日本。
その不吉な予感を日本的経営する東電・関電に見た。
国の庇護で儲けさせてもらいながら
客たる電気利用者を小馬鹿にしたような経営感覚。
そのくせ自力再生の努力もなく困れば国に甘える。
戦後教育の負の部分を背負った電力会社の体質は
その権利意識と無責任さを
財界の中にも癌のように包み込んでいることを
まざまざと見せつけた。


 包K

沖縄にあるアメリカの基地の移転問題。
これは日本人の心の暗部を包み込んでいる。
外国の軍隊がいまだに日本にいるのは
どう考えたっておかしい。
それ言うと平和惚けだの誰が日本を守っているのだと
自称愛国者はいろいろご託並べるが
結局核兵器もてない日本だからと飛躍して
アメリカの基地を容認してしまう。
国民も沖縄は気の毒だけど
わが県に来るのは厭だと反対運動に走る。
政治家は地方のことは地方にと唱うくせに
自国のことは自国で守るとまでは言うことできない。
いっぱしの軍隊持ちながらアメリカ頼みなのは
小金持ちながらそれでもお上頼みなのとよく似てる。


 包L

地方分権の声聞かれて久しいが
あれやこれやの抵抗あって
結局は霞ヶ関官僚の手の中に入れ込まれてしまったた。
地方の公務員は中央の通達には奴隷のごとくだし
地方の政治家は国政預かる政治家の手法をそっくり真似る。
何が地方自治なのなのだと言いたくなる。
政治家のレベルは国政であれ地方政治であれ
政治家選ぶ民衆のレベル以上にならないとは
言い得て妙の政治的真理だが
「由らしむるべし知らしめぬべし」の日本人の感性が
為政者のずる賢い思い上がりを未だに許している。
いくらかけ声あっても元の木阿弥になる様は
日本人の懲りない習性を見事に包み込んだ見返りだ。
それでも今の私は一票分の意思表明するしかないのである。


TOPへ  和魂の調べ・目次へ 次へ