Ⅲ 病に苦しむ


                    義理も仁義も腕立ても
                    病には勝たれぬかや
                    残念なり
                         (浄瑠璃・墓廻)




前口上

体調悪ければ
社会的なことまで目を向ける余裕とてない。
哲学者も歯痛だけは我慢できないと言う。
己の苦しみ和らげないでは
それどころではないというのが
凡人の偽らざる心境なのだ。
欲持つのこそ生きる証と思う人間は
あれもしたいこれもしたいで
今は死ねないとつい言ってしまうが
煩悩越えるお釈迦さん
この体の不調治まったなら
生きてるだけでも幸せと
思う気持ちだけなら
許してくれるだろうか。




病して残した最初の強烈な印象は
かつて非定型と言われた肝臓病で
入院した時の相部屋の人全員の
死に立ち会えたことだった。
1オクターブも声上げた60代の末期ガン患者。
突然の苦しみで飛び降り自殺した50代の糖尿病患者。
静脈瘤の破裂で激痛訴えながら亡くなった40代の患者。
退院後の1ヶ月に亡くなった20代の若い腎臓病患者。
死の在り様も死に至らしめた原因も様々。
でも人生の意味と社会の問題の縮図を彼らに見た。
体中黄色くなるだるさの中で
次は自分ではあるまいかと不安増したが
今考えると
私の人生観を方向づけた有り難い大病だった。




結腸ガン宣告されその摘出手術で
全身麻酔をかけられることとなり
始めて己の意識が強制的に絶たれた。
生きるための手術とわかるだけに
余裕があったのだろうが
「未だ落ちんのか」の声を最後に「無」が襲い
手術医の呼びかける声で意識を取り戻した。
強烈に寒かった。
「生きていたんだ」とそのとき思った。
そのかわり40㎝ほどの腸を切り取られていた。
他人にとれば一つのエピソードでしかないが
普段の眠りからの目覚めとは違って
大きな手術受けた当事者に固有の
生についての忘れられない意識だった。




人生三度目の大病は脳幹出血。
母の介護で郷里に帰った夜
左の手足がどうも思うように動かなくなった。
いぶかりながらも眠れば直ると思ったが
次第におかしくなった。
当然ぼけた母には通じず
たまたま手元に置いた電話子機のお陰で
妻に繋がって以後は自分が分からなくなった。
気がつけば点滴受け心電図をとられていた。
生きても人工呼吸器によるかもしれないと
家族が脅かされる中で生き延びたのは
天与のラッキーが連続したからだとしか
言いようがなかった。
代わりに後遺症に悩まされることとなった。




肝臓をウイルスでやられ
腸を癌でやられ
脳を卒中でやられたのに
不思議と今も生きている。
寿命は天から授けられたものとよく言うが
医学の進歩のお陰とも
運がよかっただけの話だとも言える。
生きれば生きるだけの喜びもあれば悲しみもある。
それが人生なんだと前向きにとらえられる内は
生きていくだけの力を持ち合わせている。
では、喜びも悲しみもない
涅槃の世界を何となくよいなと思えば
それは悟りなのか、燃え尽きの証なのか
分からなくなってくる。




人の寿命はわからぬもの。
脳死状態の人でも治療のおかげで生きている。
自分もわからぬ認知症の人が生きている。
それに反して
百歳までも生きると思われた人が突然亡くなってしまう。
元気に仕事で出かけた人が交通事故死で帰ってくる。
命が尊いのどうのと人間に考えさせる以上の
神秘さが寿命というものの中にある。
私もまたC型肝炎に癌に侵され
ついには脳卒中に襲われるという
他人には冗談だろうと言われる体験をしているのに
未だにしぶとく生き続けている。
願わくばそう言った途端に寿命が切れたなどと言う
人生の幕引きだけはしたくないものだ。




世の中どうしようもないことだってあると
鷹揚に認めるべきなのか
それとも人の欲が蒔き散らした応報なのだと
真摯に受け止めるべきなのか
親が何十年にもわたって作ったミカンの木が
手入れもされなかったお陰で
寿命もあるのにとうとう枯れてしまった。
お上のせいで自然開発だの減反だのと急かされて
それで土地枯らしてしまったのなら
言い訳も立つ。
だが定年なったら手入れするのだと
決めてはいても結果としては何もせず
そのせいで木とて病に罹り枯れていったのには
言いようのない哀れさを覚える。




普段何気なく動かす体にも
実は大変なエネルギーを使っていること
病気をしてみてよくわかった。
立って歩くと言うことさえも
勝手にやっているつもりでも
体にある細胞や筋肉が応えてくれなければ
気がせいても何もできない。
このケース
社会活動をする場合とよく似ている。
何かを成し遂げる場合でも
自分以外のものをそのための
道具と見るかパートナーと見るかでは
生きることの意味に大いに違いがあることも
病気をしてみてよくわかった。




政治家は落選すればただの人と巷に言われるが
私のように一度脳の病気にかかると
ただの人になるどころか
それ以下の生きるだけが精一杯のヒトとなりがちだ。
幸い私の場合
病院の治療と家族の介護のお陰で
人とコミュニケーションとれるくらいのただの人になったが
簡単に物事運べぬもどかしさといらだちは消えない。
ごく普通のことがごく普通にできることの大切さを
したりげに悟ったつもりの私であったが
落選したが復帰をねらえるただの人と
ごく普通に生きることを目標のただの人との間には
天と地ほどの違いがあることが
脳襲われた今になってやっと思い知らされた。




一度脳卒中に襲われ
生きるか死ぬかの苦労した経験すると
幸い治っても
発症前の兆候に似たものを
ほんの少しでも体に感じると
ああ又起こるのではないかと不安が襲い
その都度「再発するなよ」と
念じるほどに過敏になってくる。
この私の過敏さを薄めるために
あまたの無責任ぶりや特権が非難され
天下りや渡りが批判されているのに
平然とする今の政治家や官僚の鈍感さを
ほんの少しでもいいから与えてくれよと
願って止まなくなってくるのである。




体力の衰えを感じて
「もう先がないな」と実感しつつも
悠々自適の生活送れる人や
体力の衰えを感じても
「まだし残しがある」と思い起こし
新たな人生送ろうとする人は
これからを楽しめるという意味で
かえって幸せなのかも知れない。
かつて組織にいて糧を得ていたお陰で
右をとっても悲劇
左をとっても悲劇を演じ
するも地獄
せぬも地獄を味わって
われを見失う羽目に陥ったのと比べれば。




親の介護をする子までも
介護認定受けている。
そんな笑い話が現実に生きているために
私までもがその当事者になってしまった。
ものは言い様で
介護される側よりは介護する側に立つことで
自らのリハビリとなり
かえって生きる張り合いにもなると
こじつけ介護にいそしんでいるが
実際そのもどかしさとじれったさは
人には語り得ないほどだ。
それでも矜持を持ち続けたいので
人生とはこんなものだわいと悟ろうとすることで
日常を糊塗しているのである。




かつての若い頃と比べるのは
盛りを過ぎた者の悪い癖。
今の私の現実は時間は3倍・力は3分の1。
それでも何とか普通の日常生活が送れるのだから
車いすや寝たきりの生活の人と比べれば
贅沢な話。
何とはなしにかけられる同情と励ましにあって
病身の私を自ら叱咤する。
それでも
結局人の用にはならないとわかるにつれ
次第に無視されていくのも世の常。
だからこそ
人の評価気にせず前向きに生きて
生きて生きて生き抜いていこうともふと思う。




神経をすり減らし働いて
200万少しの年金生活者となった。
平均寿命には15年もある若さなのに
社会貢献もできず忸怩たる思いもある。
身体障害者で仕方がないと
思う心の中に潜むのは
怒りなのか哀しみなのか…。
甘えなのか諦めなのか…。
今かくあることをあるがままに受け容れるには
人間的にも社会的にも困難なご時世
その中をしぶとく生き続けていくことが
命もらった者の義務のようにも思えるが
結果としてそのことが
厄介者扱いされるようになるのもご時世だ。


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