V 病に苦しむ
義理も仁義も腕立ても
病には勝たれぬかや
残念なり
(浄瑠璃・墓廻)
前口上
体調悪ければ
社会的なことまで目を向ける余裕とてない。
哲学者も歯痛だけは我慢できないと言う。
己の苦しみ和らげないでは
それどころではないというのが
凡人の偽らざる心境なのだ。
欲持つのこそ生きる証と思う人間は
あれもしたいこれもしたいで
今は死ねないとつい言ってしまうが
煩悩越えるお釈迦さん
この体の不調治まったなら
生きてるだけでも幸せと
思う気持ちだけなら
許してくれるだろうか。
@
病して残した最初の強烈な印象は
かつて非定型と言われた肝臓病で
入院した時の相部屋の人全員の
死に立ち会えたことだった。
1オクターブも声上げた60代の末期ガン患者。
突然の苦しみで飛び降り自殺した50代の糖尿病患者。
静脈瘤の破裂で激痛訴えながら亡くなった40代の患者。
退院後の1ヶ月に亡くなった20代の若い腎臓病患者。
死の在り様も死に至らしめた原因も様々。
でも人生の意味と社会の問題の縮図を彼らに見た。
体中黄色くなるだるさの中で
次は自分ではあるまいかと不安増したが
今考えると
私の人生観を方向づけた有り難い大病だった。
A
結腸ガン宣告されその摘出手術で
全身麻酔をかけられることとなり
始めて己の意識が強制的に絶たれた。
生きるための手術とわかるだけに
余裕があったのだろうが
「未だ落ちんのか」の声を最後に「無」が襲い
手術医の呼びかける声で意識を取り戻した。
強烈に寒かった。
「生きていたんだ」とそのとき思った。
そのかわり40pほどの腸を切り取られていた。
他人にとれば一つのエピソードでしかないが
普段の眠りからの目覚めとは違って
大きな手術受けた当事者に固有の
生についての忘れられない意識だった。
B
人生三度目の大病は脳幹出血。
母の介護で郷里に帰った夜
左の手足がどうも思うように動かなくなった。
いぶかりながらも眠れば直ると思ったが
次第におかしくなった。
当然ぼけた母には通じず
たまたま手元に置いた電話子機のお陰で
妻に繋がって以後は自分が分からなくなった。
気がつけば点滴受け心電図をとられていた。
生きても人工呼吸器によるかもしれないと
家族が脅かされる中で生き延びたのは
天与のラッキーが連続したからだとしか
言いようがなかった。
代わりに後遺症に悩まされることとなった。
C
肝臓をウイルスでやられ
腸を癌でやられ
脳を卒中でやられたのに
不思議と今も生きている。
寿命は天から授けられたものとよく言うが
医学の進歩のお陰とも
運がよかっただけの話だとも言える。
生きれば生きるだけの喜びもあれば悲しみもある。
それが人生なんだと前向きにとらえられる内は
生きていくだけの力を持ち合わせている。
では、喜びも悲しみもない
涅槃の世界を何となくよいなと思えば
それは悟りなのか、燃え尽きの証なのか
分からなくなってくる。
D
人の寿命はわからぬもの。
脳死状態の人でも治療のおかげで生きている。
自分もわからぬ認知症の人が生きている。
それに反して
百歳までも生きると思われた人が突然亡くなってしまう。
元気に仕事で出かけた人が交通事故死で帰ってくる。
命が尊いのどうのと人間に考えさせる以上の
神秘さが寿命というものの中にある。
私もまたC型肝炎に癌に侵され
ついには脳卒中に襲われるという
他人には冗談だろうと言われる体験をしているのに
未だにしぶとく生き続けている。
願わくばそう言った途端に寿命が切れたなどと言う
人生の幕引きだけはしたくないものだ。
E
世の中どうしようもないことだってあると
鷹揚に認めるべきなのか
それとも人の欲が蒔き散らした応報なのだと
真摯に受け止めるべきなのか
親が何十年にもわたって作ったミカンの木が
手入れもされなかったお陰で
寿命もあるのにとうとう枯れてしまった。
お上のせいで自然開発だの減反だのと急かされて
それで土地枯らしてしまったのなら
言い訳も立つ。
だが定年なったら手入れするのだと
決めてはいても結果としては何もせず
そのせいで木とて病に罹り枯れていったのには
言いようのない哀れさを覚える。
F
普段何気なく動かす体にも
実は大変なエネルギーを使っていること
病気をしてみてよくわかった。
立って歩くと言うことさえも
勝手にやっているつもりでも
体にある細胞や筋肉が応えてくれなければ
気がせいても何もできない。
このケース
社会活動をする場合とよく似ている。
何かを成し遂げる場合でも
自分以外のものをそのための
道具と見るかパートナーと見るかでは
生きることの意味に大いに違いがあることも
病気をしてみてよくわかった。
G
政治家は落選すればただの人と巷に言われるが
私のように一度脳の病気にかかると
ただの人になるどころか
それ以下の生きるだけが精一杯のヒトとなりがちだ。
幸い私の場合
病院の治療と家族の介護のお陰で
人とコミュニケーションとれるくらいのただの人になったが
簡単に物事運べぬもどかしさといらだちは消えない。
ごく普通のことがごく普通にできることの大切さを
したりげに悟ったつもりの私であったが
落選したが復帰をねらえるただの人と
ごく普通に生きることを目標のただの人との間には
天と地ほどの違いがあることが
脳襲われた今になってやっと思い知らされた。
H
一度脳卒中に襲われ
生きるか死ぬかの苦労した経験すると
幸い治っても
発症前の兆候に似たものを
ほんの少しでも体に感じると
ああ又起こるのではないかと不安が襲い
その都度「再発するなよ」と
念じるほどに過敏になってくる。
この私の過敏さを薄めるために
あまたの無責任ぶりや特権が非難され
天下りや渡りが批判されているのに
平然とする今の政治家や官僚の鈍感さを
ほんの少しでもいいから与えてくれよと
願って止まなくなってくるのである。
I
体力の衰えを感じて
「もう先がないな」と実感しつつも
悠々自適の生活送れる人や
体力の衰えを感じても
「まだし残しがある」と思い起こし
新たな人生送ろうとする人は
これからを楽しめるという意味で
かえって幸せなのかも知れない。
かつて組織にいて糧を得ていたお陰で
右をとっても悲劇
左をとっても悲劇を演じ
するも地獄
せぬも地獄を味わって
われを見失う羽目に陥ったのと比べれば。
J
親の介護をする子までも
介護認定受けている。
そんな笑い話が現実に生きているために
私までもがその当事者になってしまった。
ものは言い様で
介護される側よりは介護する側に立つことで
自らのリハビリとなり
かえって生きる張り合いにもなると
こじつけ介護にいそしんでいるが
実際そのもどかしさとじれったさは
人には語り得ないほどだ。
それでも矜持を持ち続けたいので
人生とはこんなものだわいと悟ろうとすることで
日常を糊塗しているのである。
K
かつての若い頃と比べるのは
盛りを過ぎた者の悪い癖。
今の私の現実は時間は3倍・力は3分の1。
それでも何とか普通の日常生活が送れるのだから
車いすや寝たきりの生活の人と比べれば
贅沢な話。
何とはなしにかけられる同情と励ましにあって
病身の私を自ら叱咤する。
それでも
結局人の用にはならないとわかるにつれ
次第に無視されていくのも世の常。
だからこそ
人の評価気にせず前向きに生きて
生きて生きて生き抜いていこうともふと思う。
L
神経をすり減らし働いて
200万少しの年金生活者となった。
平均寿命には15年もある若さなのに
社会貢献もできず忸怩たる思いもある。
身体障害者で仕方がないと
思う心の中に潜むのは
怒りなのか哀しみなのか…。
甘えなのか諦めなのか…。
今かくあることをあるがままに受け容れるには
人間的にも社会的にも困難なご時世
その中をしぶとく生き続けていくことが
命もらった者の義務のようにも思えるが
結果としてそのことが
厄介者扱いされるようになるのもご時世だ。
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