Ⅳ 死に苦しむ


                   出る息入る息を待たず
                             (諺)




前口上

あけましておめでとう。
正月来るたびに
すべての人が言う常套句。
その意味今年はこう考えた。
今まで生かされてきたことの感謝。
今まで生き抜いてきたことの言祝ぎ。
「死」を覚悟した人間ならではこその
悟りであり諦めの裏返しの表現。
人間生きている限り棄てきれぬ
「生」の執念残っている中
われ思うその私がいる限り
まさに私は生きていると思いたい。
この思いどうしようもない「生けるもの」の性である。
この思いどうしようもない「生けるもの」の定めである。




母の遺品を整理していると
母の日記帳が出てきた。
いつ、どこで、だれが、なにを、どうしたと
一日に起こった出来事を淡々と書き記していた。
おかげで郷里での母の交友ぶりや
世話になった身内のことがよくわかった。
この誰に見せるでなく
ぼけ防止のために書いたという日記帳だったが
何の関わりもない他人からすれば
何の感慨も呼び起こさない文の羅列でしかない。
でも、血の関わりのある子供からすれば
名の知れた人の書き残した日記よりも
高名な学者が著した歴史書よりも
価値のあるものに、私には、なっていた。




家族の死に涙するのは当然としても
家族以外には冷淡なもの。
例えば列車転覆事故による多数の死者の発生。
日本や日本人に様々な教訓を残した。
他人に盲目なのは人間のさが。
さらに身内と言っても家族でなければ
日本人は真にどれだけ涙するのか。
自分の所属する同僚に対して。
自分の住む社会の人に対して。
自分の住む国の人間に対して。
自分の生きている時代の世界の人に対して。
そういう人たちに起こった出来事に対して
今の日本人は家族の人の出来事と見なければ
他人事としてもてあそぶように思えてならない。




別に悟ったわけでもあるまいが
生死は紙一重だ。
そのくせ人は誰しも
生きることを欲し死ぬことを避けようとする。
その上生きることはよいことで
死ぬことは悪いことだと値踏みする。
私も病気してわかったことだが
倒れて薄れゆく意識の中で
何がなんだかわからなく
そのくせこのまま死んでいくのかなあと
むしろ心地よい思いでなすがままにまかせたが
回復した後から聞くと
家族が呼び寄せられていたのだと知って
何が生死を決めたのかその思い複雑だった。




落ちれば確実に死ぬような高いところで
綱渡りをしているのが今の自分の生き方。
生老病死を悟るお釈迦さんの気持ちは
理屈としては判るも
人間死すべきものと諦めさせられているということか。
それでも遂にその時が来た時
その時来たかと覚悟するつもりではいる…が
運悪く肉体的激痛が起こってきたなら
心頭滅却の心境に達しられるかどうか…。
入院時に大静脈破裂で死ぬ寸前の若い患者が
生き抜くことより痛み止めて貰う方に気を取られ
何でも言うことを聞くからと
家族や神仏にただただ頼んでいたことが
今になって生々しくも思いだされてきた。




久しぶりに村人として盆行事に参加した。
その幾つかが簡略化され省略されている。
都会に籍を置く内は帰省しても
別段気にもならなかったが
内から見ると気になってきた。
伝統気にする古老が亡くなり
食うため一度は都会生活をした者は
伝統なくなることを合理的と喜び
はじめからの故郷喪失者は
親の故郷なんて知ったことではないと考える。
そして根っからの村人は
時代の流れを感じてあきらめ気味になっている。
かくて死者弔うお盆行事は廃れ
家の墓守る風習も風化していく。




いじめによる自殺を巡る報道が
メディアによってかまびすしくなされているのに
なんと天下の文部科学省の報告が
ここ数年のいじめによる自殺者件数は0。
この何ともまか不思議な報告。
確かなのは教育関係者もお役人も
責任感麻痺させる制度の奴隷と言うことだ。
仮にも最少の件数1を出していたのなら
姑息であること見え見えでも
中にはよい人もいるものだと言えるのだが
件数0はそのいい訳さえも許さぬ真実を露呈している。
保身のための理窟づくりについては
彼らは相変わらずうまいが
それでは日本は美しい国どころか怖い国になると思った。




個人の死に苦しむのもよいが
人類の滅亡そのものにも苦しむことできないか。
「未知のウイルス」とやらが変に暴れ出している。
このやっかいな半生き物との戦いは
環境問題同様に人類の存亡に不可避となろう。
今回の「新型インフルエンザ」の蔓延。
幸い毒性弱いらしく運のよい蔓延となったが
今後はそういうわけには行かぬだろう。
それより又も露呈したのが日本村特有の陋習。
感染受けた人に対する排除と差別の意識は強烈だ。
「社会に迷惑をかけた」は
当事者には誤りの言葉となり
他人には非難の言葉となる。
人類が滅亡する時にも日本人はそう言うのだろうか。




70近くも日本で生きてきても
日本のことはよくわからない。
つい最近の事例を見ても
沖縄の集団自殺で軍隊の命令はなかったとしたり
それを教科書にまで載せようという動きあっりして
苦衷の体験した人たちの子孫の反感を買っている。
自分たちに都合の悪い事実なら
抹殺したいというこの気持ち。
わからぬでもないが心は複雑だ。
日本人がどんな事実でも
「なかったことにしよう」とか
「水に流そう」とか言う気持ち
わかるようにならなければ
日本という国もわからないのではないだろうか。




35年前に父が亡くなった時には
村には土葬の習慣があり
家から父の遺体を乗せた車を引いて墓地まで行き
そこで儀式を行った後埋葬した。
神秘的で荘厳な思いを持ったこと覚えている。
そこに到る必要なことはすべて
家族や親戚や村人が取り仕切っていた。
今は土葬から火葬に変わり
葬儀会館で葬儀会社の人が
ほとんどすべてのことを代行し
遺族はそのスケジュールに乗って
ただ単に従っておりさえすればよい。
時代も変わったものだと
今回の母の葬儀の時は複雑な思いであった。




実際に介護を行うと
ずいぶんと人生勉強させて貰う。
生きるとは何かの問題。
老いるとは何かの問題。
病むとは何かの問題。
そして死ぬとは何かの問題。
お釈迦さんの苦しんだ問題がそこに凝縮されている。
その上に下世話には
社会・経済・政治や家族の問題にまで及んでいる。
介護に疲れ生まれた「犯罪者」には「同情」するし
わが身のことを思うと
姥捨て山の風習やぽっくり死への信仰
そして安楽死や尊厳死の問題が
昔話や冗談話のようには思えなくなってくる。




太く生きたのだから
何時死んでもいいだとか
長生きしたのだから
何時お迎えが来てもいいだとかは
死が訪れようとしている時であっても
さらりと言えないのが人の常。
況や
したいことも充分出来なかったけど
何時死んでもいいとか
平均寿命にはまだまだだけど
何時お迎えが来てもいいとかを
さらりと言えないのは
人間が出来ていないからではない。
人間がよくわかっているからである。




私がこの世にいたとしても
それでどれだけ歴史が変わるのか。
私がこの世にいなくても
それでも歴史は変わるものは変わる。
では私が生きているとはどういう意味があるのか。
てなことを言えば
私は悟りきった人間になったとでも言えるのか。
それとも負け犬で死に損ないの戯言と
偉ぶる人から軽蔑の物言いされるのか。
物わかりのいい人は
人は空気を吸うそれだけでも
生きる意味があるのだとしたりげに言うが
では本当に空気を吸うだけの人間で死んでいったなら
それでもいいのだと賢しげに言えるだろうか。




生きていくこと自体が煩悩ということ認めれば
煩悩断ち切れとの悟りし者の説教は
死ぬ以外にはないと言われているようなもの。
涅槃の世界という
いかにも死後の世界を美化した言い方は
お釈迦様が人間に残した究極の幻影。
ところが愚者なればこそ持つ
まだ死にたくはない
まだまだしたいことがあるとの思いは
その悟りし者を偽善者と決めつけなければ
生き抜いていくことの正当性が得られないのである。
幸い私は悟りし者の言うことを何となくわかれば
愚者の言うことも何となくわかる。
そのいい加減さが今の私を長らえさせている。

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