\ 黒百合の巻





             彼女は美しい、だから男が言い寄るのは当然だ。
             彼女は女だ、だから口説き落とされん筈はない。

                       『ヘンリー六世 第一部』五幕三場



  \−口上

三顧之礼で迎えられれば
武人もこれを拒絶することは出来ない。
三拝九拝の強引さで煽られれば
頑なな心も現実に懐柔される。
三界火宅の住人に
天と地ほどの違いがあること認めるからは
三流役者の台詞にも
時には世間をうならせる恩典が与えられる。
三千海里も離れたところから
届けとばかりに呻きのたうつ独り芝居の間にも
三百代言の腕もさえ渡り
小心者とていつしか大胆不敵なロメオに変わる。
三文文士の筆先は斯くしてかぐわしき歌姫に向けられ 
その豊饒なエキスを貪らんとする。



 \−@

知らず知らずの内に消失していく筆先の律動感を
思いやりというテクニックがごまかしたところで
白い花を赤色に染めることはできない。
春には春の、夏には夏の花をめでるのがふさわしいように
秋には秋の花をめでるように心掛けるのが
秋の男の自然の姿なのか。
春には春に、夏には夏にふさわしい愛が存在するのだと
思い知らされる秋の男ほど
薄れゆく思い出を悲しみで噛みしめるものはない。
挫折感の入り混じる悟りに押し流される秋の男が
あなたになじみを覚えるのは
蠱惑的なあなたも又
夏の女から秋の女に変わろうとする
少し遅れた同世代人であると聞くからなのか。



 \−A

肌寒くするまでに赤いあなたの唇に
髪の毛掻きむしる精気萎えたインテリも
目、鼻、耳、頬のいずれにも腸詰されたあなたの子宮の響きに
肺附えぐられ手足もぎ取られ
ついには額から胸元、爪先に至るすべての肉体に
神経質な知の心まで膝まつき首根っこが抑えられてしまうと言う。
また、さらに聞けば
あなたの乳房に舌舐めずりする胃拡張のベニスの商人も
白い歯から洩れる皮肉な理知の響きに肩をつかれ
頭脳的な声の肘鉄砲に厚顔無恥な腹を見透かされ 
ついには肝腎かなめの腰骨さえも柔くされると言う。
だからあなたによって喉渇き汗ばみ血塗られた腕持つオトコ達は
あなたが臍の緒切ってからの品性下劣の尻軽オンナだと
眉つり上げ指さす不幸を背負ってしまうのだ。



 \−B

あらゆる女性が備えたいと願う魅力を
企まずに背負う幸運のヴィーナスよ。
その故にこそ社会から誤解されるあなたの不幸に対して
私が心配するのは御切匙なことなのだろうか。
あなたの魅力に吸いよせられ
情欲の火葬場にせんと企む男達が
あなたのしなやかな拒絶にあった時
復讐という名の誤解が燻ぶりだすことを
私はどうしても心配してしまうのだ。
こんな不埒な杞憂を憶病者のおためごかしとして
どうか笑いとばさないでほしい。
私とてかの男達の仲間の一人に違いないのだが
私ならあなたから拒絶されたとしても
ひたすらあなたの魅力の永遠の番人であり続けようと思うのだ。



 \−C

その理知の衣に包まれた魅力をひっぱがしたくなるのも
あなたの無意識が醸し出す
微妙な匂いのせいなのだ。
すべての人に分け隔てなく与えてしまう
この微妙な匂いのおかげで
私もまた己の心を見失ってしまった現在
ただひたすらにあなたに献身しようとする
そんな思いに囚われてしまう自分が妙に悲しい。
決して自分の元に膝まつかないであろうことを
十二分にも知りながらも
あなたがあなただけの喜びを噛みしめているならば
それだけでもその喜びが乗り移ってくるのを覚える私なのだ。
この悲しみと喜びの交錯に翻弄されだしたのは
いつの頃からだったのだろうか。



 \−D

美しさとは観念にのみあるものだと思いこんできた私を
ひょっとしたら現実にもあるのだと目眩ましたあなたは
今度はとがのない気ままな鞭を使って
喜びの悲鳴を醸成するあなたの馬小屋に私を閉じこめた。
三十年前の私なら
美の証人たるあなたから直ちに鍵を奪って
逆にあなたを野心で逆巻く酒池肉林の館の奴隷にして
その美を貪り喰うじゃじゃ馬馴らしとなっていただろう。
だがすでに私は物知りなる虚名のために
貴重な命の齢たる影を売ってしまっていたのだ。
今の私は自由への鍵を奪う気力とてなく
馬小屋に残されたあなたの排泄物を片付けることが
私を目眩ましたあなたへの愛の証しだと考える
そんな美徳の持ち主となってしまっていたのだ。



 \−E

理想主義者である男の私が
あれほど軽蔑しきっていた現実の中に一つの現実を見た。
なのに現実主義者である女のあなたが
虚構の影に一つの理想を見るようになってきている。
私が理想に失望しつつもあくせくしている最中に
忽然と現れたあなたは
現実が自ら持つところの重みを私に知らしめた。
なのに現実における充実した生を享受してきたあなたが
居丈高に理想を見いだし
男の武器である弓矢を使いこなす狩人に変身してしまった。
おかげであなたから矢を仕掛けられた私は
奇妙な喜びを伴った現実主義にのめりこんでしまったのだ。
しかも「遊び心」というキャスティングボートを
あなたに握りしめられたままに。



 \−F

貪欲に知への旅を続けるあなたの浮気っぽさは
見知らぬものにぶつかった時に覚えるような
驚きと戸惑いの感情を引き起こしている。
それはあなたが現実を超えた虚構の世界に 
言わば理想の極致を見ようとしているからなのだろうか。
ミューズの神の世界に没頭するあなたは
そこに登場する魅力的な主人公達よりも
彼らの創造主たるものの方に生きる絆を見てしまっている。
そのせいか現実的になってしまった私は
自分がいつも不運を背負わされているように思えてならない。
それでも私も多少は覇気を持つ生身の人間なのだから
もしも私が今以上に豊かな心を持つようになれたならば
あなたも少しぐらいは私を試そうと
好奇の触手を動かしてくれるだろうか。



 \−G

私の視覚にとって申し分のないあなたの存在が
美の対象であり続けなければならないということは
すばらしい一幅の絵であるに違いない。
確かに年とともに衰えてくるといわれる肉の魅力の陰りを
あなたは人に感じさせないし
それ故私は光に惹きつけられた蛾のようにもがき苦しんでいる。
だがあなたが美しくあってもらいたいと願う私の美意識が 
あなたにとってもそして私にとってもふさわしいかどうかは
これから考え直さなければならないだろう。
何故ならばそれだけではあなたの存在感は
単なる鑑賞物でしかないからだ。
それはあなたにとっても又私にとっても不幸な出来事だし
あなたの存在感を映えさせるためにも
これからはあらゆる触手を動員しなければならないだろう。



 \−H

初めから自分の世界の中の住人でないにも拘わらず
その人に嫉妬の炎を燃やし続けるというのは
私自身の中にくすぶり続けている美意識の
単なるいたずら心のせいだろうか。
それともいぎたなくも貪り喰う邪欲のせいだろうか。
運命のいたずらによって
あなたが私の世界の住人になれなかったというむなしさ
そして私の無力によって
あなたを私の世界の住人となしえなかったといういらだちが
恥ずかしくも私に嫉妬の炎を垣間見せている。
それにしても何と人の心の割り切れなさか。
あなたと私とのこの現実の世界の感触を
私ははっきりと願っているにも拘わらず
あなたを支える大きな柱がいつも私の良心を呼び戻しにくるのだ。



 \−I

もう訪れることはめったにあるまいと思っていた私にも
こんな荒々しい感情が残っていたとは‥。
自分でも信じられないくらいのときめきによって
今、私は生きているという感触を得ている。
なんの権利もないのに
いや、それどころか責められるべきことでもあるのに
私の指があなたの生きる証しを唯ひたすら願う時だ。
その時のあなたはきっとこの私のよきパートナーとなって
私の切なる思いを満たしてくれるに違いないと思うのだ。
私の思いがあなたの生きる証しと共鳴する時
たまたま同じ世に生きていたというこの天啓を
どれほど感謝すればよいのだろうか。
たった一つあなたがすでに私の力の及ばない世界の
女王になってしまっていたという不幸を除けば。



 \−J

ふとよぎるこの何とも言えない恋する男の不平は
一体どう説明すればよいのだろうか。
人を信じることによって人は己の安らぎを得ると言う。
それは己が誠実でありたいと願う心の見返りなのだろうが
私を襲うこの不幸はあなたが誠実の人であることよりも
不実の人であることを願わなければならないところにあるのだ。
あなたが誠実な人であることを知っているだけに
不実であることを強制したくなる私の心の葛藤は
私自身も又不実の人であるということによって贖われはしない。
それ故にこそ私は不安の心にさいなまれるのだ。
私からずっと離れた寝床の中で
あなたが誠実の愛撫を浴び続けたがために
今度の出逢いの時には 
あなた自身がこの私に対して不実になっていやしないかと。



 \−K

浮塵子の如く押し寄せる現実を
巧みにきりぬけてきて迎えた人生の黄昏時
予期せぬ静寂を寝床にして
女神の微笑を思わせるあなたの面影を見出すことが
今の私の最大の喜びだ。
お互いの世界を隔てる空間の嫌がらせは
この時だけは何の苦痛も与えない。
夢想の中のあなたに刺激されて放出する半透明のエネルギーは
独り部屋の小さな空間に余韻を残して寂しく消滅するが
こんな虚構を演出するだけの力を与えてくれるあなたに
私は感謝の気持ちで一杯なのだ。
しかしこの時でもあなたは萎びがかった私のことを忘れて
あなたの世界の演出者に対して 
身も心も捧げ尽しているかと思うとやるせなくなってくるのだ。



 \−L

私の愛しい人としか言いようのないくらいに 
やるせなくわが空間に入りこんでくるあなたのこの暴力性を
一体誰がせき止めることができようか。
おのずからに美しく圧倒する魅力を発散させる女の性が
あなたの無意識の世界の醸造所で息吹いている限り
この暴力性はあなたが生ける魂の所有者であることを
ものの見事に証明してしまった。
いやおうもなく私の欲望の残滓をかきたてるこの暴力性よ!
あなたの肢体の醸しだす魅力と理知のあやなす魅力との相克に
すっかり翻弄されてしまった私の人生は
平凡が一番であるとする私の世界観と衝突してしまった。
だがこれは私にとって悲しみと言えるのだろうか。
干からびた人生に妙味を与えてくれたあなたに
言いようのない喜びを噛みしめている今のこの私にとって。


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