Y 待雪草の巻





               雀が一疋落ちるにも天の配剤。
               今来れば後には来ず、後に来ずば今来う。
               よし今は来ずとも、いつかは一度来うによって
               何事も覚悟が第一ぢゃ。

                              『ハムレット』五幕二場



 Y−口上

つつが無くも深海からのメッセージは終わり
虐げられた者の新奇の仮面が
作り話のような真実を誇張すると
見慣れぬ光景にも信頼の吐息が吹き掛けられ
死んだ魂が生き返って生の重みを噛みしめだす。
海の神話は終わり地上の神話が始まると
虚名の寝所で睥睨していた独り善がりの歌読みは
深紅に染まった唇から
現実の中の辛辣な教訓を読みとった。
おのが胸中に滲透してくる共感の調べが
饒舌の雨を津々と降る雪の沈黙に変えると
夢の槍ふすまで被われた世界が侵害され
蜃気楼のような現実の中の歌読みは
自らを信じきったヒロインの絵姿に目を止めた。



 Y−@

もの書きなる手すさびに魅入られた愚直な男は
それまでの澱んだ過去と訣別したかの如くに
ひたぶるに想像の世界にのめり込んでいた。
手弱女の白き夢幻に涙した男は
年取れば当然に幾つかの分身を世に問うていた。
ぼろくず同様に捨てられた夢幻と引き換えに得た飛翔で
どうにかこうにか世間に拾われたが
人生の黄昏を肌で感じた男は
独り善がりの小さな現実に我を失う毎日だった。
うつろな幾星霜の間にも
迎合のための更なる分身を手掛けたりもしたが
美食の糧となる以外のなにものにもならなかった。
ある時全く偶然としか言い様のない悪戯の野望が
ひとりのヒロインを男の人生舞台に登場させた。



 Y−A

男の舞台にも登場するというヒロインは
男の真理を求める怒れる巡礼と化し
男のみが知るという知への旅先で
「時」で封印された一人の男に品を振りまいた。
封印を解かれた男はその魔術によって若返り
女巡礼の華やぐ色香に見とれて
忘れかけた男の虫を蠢かせてしまった。
女巡礼にとれば一度ではない封印切りではあったのだが
男にしてみればはじめて味わう甘美なむずがゆさであった。
女巡礼はこれまでとこれからの旅の思いの一里塚として
男をおのが胃袋の道連れにと独りごちた。
男にとっては常にそれは
死への解体に等しい泉を再生し
女狂いする修羅場へと誘なうのだった。



 Y−B

偶然の女神がもたらす物狂いへの衝撃は
機械じかけの神の綾なす深慮深さの呻き声。
ヒロインにこの世のありとあらゆる気品を兼ね備えさせた
機械じかけの神の思惑も
偶然の女神の前では目的も手段に変えられてしまう。
女の独り立ちした理想の炎は
萎えた男の心をむずがゆく目覚めさせる無意識の武器。
両性偶有の心を美しい衣にしまい込んだ
機械じかけの神の寵児も
愚直な男の前ではまじめな心を浮気心に変えてしまう。
女は男を試すかの如くに
その熟しきった胎内から黒い錫杖を取り出し
「手すさびの相手に如何?」と
謎のような贈り物をしたのだった。



 Y−C

後から考えると
初めから縁結びの神の狙いであったかの如くに
天使が男の中にある白き城を見んとて
豊饒の心を携えて安住の館から飛んできたのだった。
あまたの喜びと苦しみを呑み込んでは吐き出した感性を
高貴な野望で包み込んだ紅の肉体は
新たな知への先兵となって蠢き
世の善人へと言わず悪人へと言わず
また男へと言わず女へと言わず
幾重にも絡み付くしなやかさを振りまいていたのだが
毀誉褒貶に目眩く象牙の館に来た時に
隠された苦しみもつ鉛の筆人を目ざとく見つけた天使は
毒蛾となってその未来を暴こうと
男の過去を吸い出そうとしたのだった。



 Y−D

高邁な精神の哲学者も
おのが歯に絡み付く虫のせいで
地面をのたうち廻り呻く。
感銘を呼ぶ識者の説法も
おのが腹に貯蔵された気体のせいで
薄っぺらな戯れ言と瞬時に化す。
鉄壁を誇る城の館で
贅沢な悩みで自己陶酔の域をさまよい続ける
シーザーの悟り切った顔も
意味ありげな傾城のひとしなで
張り詰めた目尻を取り替える。
あれほどまでにわけ知りの処世訓も
むずがゆい下半身の挑発に踊らされて
口説き文句の縮図と変わる。



 Y−E

五十路の峠に立つ男は
春の到来を待つ黎明の海を見ると
きまってこれまでの人生の宿図を思い描こうとする。
人は誰も永遠を願い安定を志し安全を求めようとする。
「それは人間の真理であろう。」 
五十路の男もそれを信じて生きてきたのだと確信する。
だがその一方では
男の弱々しくも屈折した心は
まるで破滅を楽しむように
いつも打ち砕かれてしまうかもしれない未来に
言いようのない魅力を覚える。
自らの創造する作品にはエンド・マークを記しながら
自らの味わう人生にはクェッション・マークを残したがる
そんな男の饒舌が「男らしさ」を奪い取っているとも知らずに。



 Y−F

エンド・マークとクェッション・マークとをはきちがえる
そんな男が恋する女も又
俗世間がもてはやす「永遠の契り」を約束できぬ
そんなうたかたの舞姫だけなのか。
その度に二度とその苦い味わいをすまいと
心に固く誓ったつもりでも
五十路の峠にたどり着いたこの瞬間においても
そんな男が惹かれる女が 
相も変わらず陰りの見える舞姫であろうとするのは
ただただ己の過去の存在証明をしたいがためなのか。
誠のために嘘をつくのか
嘘のような誠に酔いしれるのか
「時」を超えた男のこだわりが
メンツを守る宴となっていつまでも持て囃される。



 Y−G

失うことに恐れを抱く五十男のためらいの
なんと偽善に満ちていることよ。
人それを年輪が与える世知として断罪しないならば
重ねられた年輪の何という狡猾さよ。
人の織りなす綾に縛られて
頼られるべき地位に祭りあげられると
すべてが「世間体」という安定をもたらす尺度のもとに
己自身も又囚われの身となり
時には人にもそれを説く五十男の悲しさよ。
それなのにこんな繰り言の舌の根も乾かぬのに
誠の愛を求める己に酔いしれながら
用意された愛をも共有したいという気持ちにもなっているのだ。
そのどちらの愛の重みも噛みしめられるが故に
そのどちらの愛も失いたくないと思って。



 Y−H

愛について心底定義しようとしないのは男のみなのか。
確かに男は愛について語り愛を確かめようとはする。
だがその度に男は
むなしい思い上がりに幻惑されて
己自身にのみ通用する愛の定義に酔いしれてしまうのだ。
初めての愛とは人のなり振りを真似ることであっただろう。
二度目の愛とは人の心を奪うことであっただろう。
三度目の愛とは人に真心を尽くすことであっただろう。
所詮真似ることは愛ではなく
奪うことも愛ではなく
真心を尽くすこととて愛ではないのだ。
それなのに遊び心に翻弄される男は
今度は「楽しむことが愛なのだ」と
知らず知らずに思い込んでしまうのだ。



 Y−I

「愛を楽しむ」などという
気障な言葉に隠されたまやかしの仕種には
年たけた者の奸智がはりめぐらされている。
観念の世界にのみ「純粋な」という名の形容詞がはびこり
現実の世界では「不純な」営み以外にありえぬことを
苦々しげに会得する男たる生き物は
「誠」に三分の偽りが混ざっており
「本当」に三分の冗談が混ざっているのを見て
「偽り」にも三分の誠が秘められ
「冗談」にも三分の本当が秘められていることを匂わすものだ。
この誠と偽りの、本当と冗談の
綾なす交響曲に酔いしれる男の老獪な口笛は
破廉恥を滋養分として
高貴な神殿に向かって怯まず鳴り響く。



 Y−J

かの赤く高貴な神殿では
猛り狂ったシンバルの響きで
爛れるような粘液の匂いを沈潜させた伝説の舞姫が
脱ぎ捨てた「フェアーレディー」の衣装を
秘密の穴倉にしまい込んでいた。
ためつすがめつの男の遠吠えを尻目に
瀟洒な振る舞いの中に隠された求道の心には
愛のためには死者の車にも乗ろうかという
ランスロットの面影を抱く
クイーン・ギネヴィアが潜んでいた。
しかもその唇は
何事も吸い込んでしまう渦巻きとなって
胸ときめかせる男の剣先を
あでやかに睥睨していたのだ。



 Y−K

唯待つだけの女を「フェアー」な女と奉っては魂を吸い取る
そんな男のエゴイズムを歯牙にもかけず
わが道をいく女の雄々しさは
しがらみに取り憑かれる男の女々しさを苦々しげにあざ笑う。
一方的に男に女を選ばせない女の誕生は
女を大切にすることを美徳と考える男達を
時代錯誤の世界に迷い込ませては
ついには奴隷市場の競り市にかけてしまう。
そこで歯の浮くような己のソネットを値踏みされた男は
永年に蓄積された心の財産を担保にして
己の胸に宿る松明に明かりを灯そうとする。
このような舞台では男が女をではなくて
女が男を選ぶかどうかの緊迫したシーンが
丁々発止とばかりに繰り広げられるのだ。



 Y−L

萎えた心の奥底で蠱惑の虫が目覚める時
生きる力の緊迫感が
卑屈になった体に一条の閃光を浴びせかけてくる。
すると己の影を売ってまで得た人生の教訓が
醜い過去の牢獄にとじ込められ
謎かけられた挑戦状になりふりかまわぬ下心が走り出す。
この下心が知慮のオブラートに包まれる時
独り善がりな美への追求心が作られた真実となって
当事者ですらも知りえない虚構のメロディーを奏で出す。
そして偽りの心と誠の心との境目のない空間に踊り出しては
淫靡な心をひた隠して
唯ひたすらに現実の美をなまめかしい心に恭順させようとする。
ここに男と女の隠されたドラマが始まり
世間から隠された二人だけの世界を夢見んと踊り出す。


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