W 浜薔薇の巻





               人生は歩いている影たるに過ぎん
              只一時、舞台の上で
              ぎっくりばったりをやって
              やがて最早噂もされなくなる惨めな俳優だ。


                              『マクベス』五幕五場



 W−口上

そっとささやく季節の風が
喜怒哀楽の宴を誘い
断り切れぬしがらみに
己の意思を隠してまでも
人と人との波間の中で
一人前のふりをして
和みのためのとり持ちを
図る男の一日が
情けを知らぬ朝日と共に
始まることの虚ろさよ。
悪戯好きの時間の波が
男をなぶる絵姿を
垣間見るのもこれからの
「時」もつ人の特権だ。



 W−@

圧縮された「時」をさまよう男に伸展あれ。
百鬼夜行の人生を一瞥した
男の短くも長い沈黙の初旅が
暗闇の鎮魂歌とともに終焉に近づく時
光とざわめきと冷気とが
背中の暖かさを感じさせる狂想曲を奏で始める。
確かな過去の経験と不確かな未来の経験とを
一つに繋いだ半透明の意識が
願望空間と願望時間へと遠ざけられ
露わにならぬままに消えた。
男の分身は分身であることを止め
自分の意志で操作できぬ他人の意志と化し
見る主体から見られる客体へと変化する
そんな一日が毎日となる回り舞台へとのめり込んだ。



 W−A

捨てようとしても捨てきれぬおのが分身たる不発弾を
後生大事と抱えこみ
痛みを隠し隠し虚勢をはる毎日は
なにも知らぬ幼子の一日にも劣っているものよ。
悲しくも生への執念に災いされ
終焉のイメージもちらつくと言うに
これぞと言える経験の一つだに知らぬ男の虚勢は
虚ろに巨大化する中で
不完全燃焼のままに
相も変わらず今をあえぎ泳いでいる。
これみよがしの大きな腹も
いたずらっ児のくしゃみ一つによっても凹んでしまう
そのように不存在のような存在性が
己の本性であるとも、つゆ知らずにだ。



 W−B

醜さを感じさせるほどに
煩悩の残滓に踊らされる男の切なる期待が
おのが分身たる不発弾を燃焼させてくれる
しなやかな野獣の登場だったとしても
若い観客は笑ってはなるまい。
外に対してはいっぱしの口をたたきながらも
心の中で密かにそれを待ち続ける
限りをもつ男の焦燥感は
絶望的になった幼子の笑みの代償を求めた
当然の報いだったのだから。
はたまた生の不発弾と虚勢との相克にあって
己が己でありたいために
知らず知らずに我を失ってしまったことへの
ぶざまな褒章だったのだから。



 W−C

限られた命を甘受する不幸に
「もうそれ以上のことは出来ない」という不幸が
「より以上のもの」を求める男の心をして
洗練された知の遊戯から
燃焼する生の原点へと振り返えさせるものよ。
一度の営みによって
二つの不幸の払拭を願うのは
三倍の苦しみを味わうかも知れないのに
「男」の体面を守るために
男が幻影に取り憑かれても笑ってはなるまい。
一度見た夢を復元するために
二度の茶番を演じるのが男の甲斐性であるならば
三度見た夢をまだ見ぬ夢とうそぶくのは
男ならではの生の執念なのだから。



 W−D

まるでドン・キホーテの如くに
まだ見ぬ夢を求めて埓もないロマンの道を歩む男は
いつもの満たされぬ思いと焦りのために
きまって逸脱の代償を求めてしまうものだ。
その底抜けの無謀さがもたらす
悲観主義の鏡である楽観主義に災いされて
過去に貯えた財産を食いつぶそうが
現代を襲う性のペスト菌に怯えようが
すべて愛を獲得するための試練と思い違えると言う。
その純粋さをよしとして
ただ経験という果実を味わい分け知りになった男は
ひたすら危険を避ける深慮のために
「代償」すらも人生の真実の部分にしてしまうと言う。
ああ、そのテクニックの何という不純さよ。



 W−E

まだ見ぬ夢を見捨てぬ限り
所詮は代償は代償であるとの思いを
断ちきれはしないのに
代償が真実であると開き直る男の強がりは
まだ見ぬ夢の価値を大きくするという幻想によって
真実のためのトレーニングであったのだと
ものの見事にこじつけてしまうとも言う。
その癖、男は秘かに恐れているのだ、お歴々。
そのトレーニングという代償行為によって
一時の安らぎを得たのはよいが
お陰で身も心も吸い尽され
肝心の時になって萎縮し
用なしの役立たずになっていたという
そんな間違いの喜劇役者になってしまわないかということも。



 W−F

俗物であるが故の小賢しい強がりは
しまりのない肉体の悲鳴を恥じて
偽りのドン・ファンを気取ろうとするものだ。
目眩く生の躍動を当て込んで
己の弱点を被い隠してまでも
眼下にある忘我の極致を盗み見ようとするその俗物根性では
所詮自分が無能な三文役者であることに
気づこう筈もないだろう。
ましてや年老いた俗物ともなると
その限られたエキスを出すことを惜しんで
ぶよぶよの肉体に鍵をかけて
いかにも真実求める振りをして
愛と美の鑑賞者へと心変わりしてしまうのは
いやはや年のなせる狡智のせいなのだ。



 W−G

美の創造者であることを止め
美の鑑賞者にしかなりきれぬ俗物の
俗物であるが故の囚われの感情は
見せ掛けの権威を見抜けぬ
貪欲な追随者によってのみ癒されようとするものだ。
世の中の敗北者にならないことが
快適な世渡りの骨と悟った俗物の
権力者に対する秘かな憧れに敗けて
偽善者になりさがった芸術家もどきの後ろには
一人の崇拝者だってついてはきやしないだろう。
自分よりも劣った人間を捏造して楽しむだけならば
自分よりもダークな夢追い人と遭遇したならば
俗物たる人間の傲慢の鼻は
寸時にしてへし折られてしまうだろうよ。



 W−H

傲慢の鼻をぴくつかせ
もの狂いに我を失ってしまった俗物にとっては
恋をする資格はないのかもしれない。
俗物としては
金と力で成就した今の恋こそが
「これぞまことの恋なのだ」と
おのが胸に畳み込みたいのだろうが
どっこいその一方では
どこか冷やかになって
相手の一挙手一投足を眺めながら
いつ恋を終息させようかなどとの思いを
何喰わぬ顔ではり巡らしているからだ。
そう言った勘定高い仕種が
愛の狩人たらんとする己の証しだと言わんばかりに。



 W−I

常に力を誇示しようとする俗物には
形だけの恋の数だけならば実に多かろう。
その一つ一つをとってみても
かりそめの恋の相手から称賛されたり
うかれた世間から羨望されたりしただけなのに
もの狂いに我を失ってしまった俗物は
それによって盲目にされ
捏造された恋の一幕を自画自賛して悦に入る。
しかしながら、この哀れな俗物は
まさに己の力だけしか考えられないために
常に冷静であることを枷はめられた哀れな囚人でしかないのだ。
心底彼を哀れに思い
その勘定高い心のかんぬきを断ち切るような
目眩く官能の女神が現れるまでは。



 W−J

夜の帳とともに
睡魔が肉体にかんぬきをかけ
目覚めの朝からすでに
有象無象の世間体が肉体を拘束する
そのような毎日を強制される現代のオセローには
新しい恋を成就することは
己が天下人になることよりも難しい業だ。
こんな男にご自慢の
社会的使命感でも植えつけられていようものなら
それを果すことに依怙地となって
毀誉褒貶の世界にのめり込み
ついには己に宿る恋の醸成源すらも
世間体によって破壊され
別の世俗的快楽が生き甲斐となってしまったりするものだ。



 W−K

もしも世間が喜ぶ使命感に殉じることが
「年齢にふさわしい美徳」であると
だれかれなしに言いそやされたとしても
男はそれを名誉とでも思い
ほくそ笑みながら受け入れるべきだろうか。
それとも若さを失いかけようとする者の恥意識から
影を売った己の代償として
虚しくそれを受け入れるべきだろうか。
男にとっては深刻なそんな話を
持てる者の贅沢な悩みだと羨ましがられ
簡単に片付けられるならば
確かにこの男にとってこれからの人生でなすべきは
己を生の根源へと還帰しなおすという
その一言に尽きるだろう。



 W−L

成り上がりの物持ちが
落ちぶれた貴族と一緒になることで
帳じりをあわせようとする情念の焦りは
羨ましい限りの自然の微調整だ。
高貴なものに対する畏敬から
卑屈な心をいやがうえにも増幅させて
ひたすら「何か」を待ち続ける欲どしさは
疎ましい限りの人間の宿命だ。
一昔前であるならば
「喰う」ことのために働き続けた果敢さが
もっと「生きる」ことのためには
何の役にも立たないでいると言うのに
それでも欲だけは失わないでいる人間に残されたものとは
一体何であるのだろうか。


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