世 知 篇





                     世に住めば事を知る
                   事を知るは嬉しいが
                   日に日に危険が多くて
                   日に日に油断がならなくなる

                        (夏目漱石「吾輩は猫である」より)



    口上

自然に喰うて社会に住んで
そして独りで死んでいく。
このことわりのただ中で
「いかに」と「何を」の違いはあれど
毎度毎度に人間様が
同じ轍を踏みたがるのは
人が演じる舞台とやらが
所詮同じであるからなのか。
人が感じる心とやらが
所詮同じであるからなのか。
五十路を迎えた私も
世知にすぎない苦酒が
「人」を演じた御褒美に
飲めるようにもなってきた。



    @

隆盛この上もない者には御褒美求めて群がり
没落の陰りを持つ者から利えられずと離れる。
古今東西繰り返されるこの営みは
人が欲で生きていくことの痛々しい証明。
孤高に生きる者を賛美し
時代におもねる者を蔑む。
人生稀に見られるこの反省は
人が独りで生きていけぬことの白々しい告白。
そうかと言って
時には人を頼り時には人を見限るという
この変幻自在の心なくして
平凡が美徳の凡人が
生きること自体が罪な世の中を
何でしっかり渡れるものか。



    A

力あればこそ出世する罪な平等社会にあって
力あるのに出世しない奴がいる。
人それを運のなさの所為にするものの
出世しないだけの器量なのだとほくそ笑む。
力なければ出世しない罪な平等社会にあって
力ないのに出世する奴がいる。
人それを抜け目なさの所為にするものの
出世するほどの器量なのだと妬みもつ。
力もつ人、もたぬ人
出世する奴、しない奴
いずれの立場の弁明見ても
それなりに説得力をもたせる罪な平等社会にあって
力と出世を見間違う筋道あればこそ
今ある「己」に悩むのだ。



    B

何が筋道で何が筋道でないかは
年取るとそれなりに分かってくると年取る者は言う。
若者はそれがなかなか分からないから
時には筋道通らぬことを仕出かすのだと
年取る者はよく言うのだが
その癖筋道分かる筈の年取る者が
時には筋道通らぬことを仕出かすのだから
世の中よっぽど皮肉にできている。
筋道知らぬ若者には
筋道通らぬことに説教たれながら
筋道承知の朋輩には
筋道通せば「へそ曲がり」と揶揄し
筋道壊せば「ものの分かった御仁」と誉めそやす。
年取ればそれなりに生きる思惑からめるらしい。



    C

思惑からむ人の世に
「どうしてこんなことが」とか
「何故にあんな人が」とか言われるほどの番狂せが
有象無象に出てくるものだ。
その時決まって現れるのは
一体誰が企むやらと
さもわれ関せずのポーズを見せながら
正義面する人たちだ。
だから思惑からむ今の世は
最後に勝利をとればよい。
何故ならば
番狂せであろうとそれともなかろうと
成るべくして成ったのだと正義唱えられるのは
結局自分以外にないのだから。



    D

力が正義の世の中なのに
ボタンの掛けどき気づかぬために
持てる力を貯め込みながら
落ちこぼれていった奴もいる。
力が正義の世の中なのに
ボタンの掛け場所見誤るために
持てる力を空費して
はぐれて散った奴もいる。
力が正義の世の中なのに
ボタンの掛けどこ見抜けぬために
持てる力を萎えさせて
笑われ消えた奴もいる。
雨降れば雨あがるそんな自然のことわりは
人が住む世界にだけは苦手のようだ。



    E

聖人君主じゃあるまいし
あいつはできた男よと
言われる世界の裏側に
知られてならぬこともある。
人の体を傷つけた
そんな愚行はしなくとも
人の心を傷つけた
そんな悪行ほじくりだせば
地位が上がれば上がるほど
うじゃらうじゃらと出てくるものだ。
世の中うまくしたもので
やがて守りの人生来れば
記憶に残らぬ怨みの剣が
肥えた寝首を掻きにくる。



    F

何事にも首を突っ込めば知る喜びは多くなる。
その代わり見極めた喜びは訪れないだろう。
一つのことだけに没頭すればプロの看板はたてられる。
その代わり専門馬鹿の汚名を着せられるだろう。
天才でもないすべての凡人が味わう
「他の人には出来て自分には出来ぬ」という
そんな嫉妬の思いが人を人たらしめるとは
自然は何とバランス感覚にたけていることだろう。
深ければ狭くし広ければ浅くする
そんな自然のそんな仕打ちにじだんだ踏んだところで
一つのことにも精通できなかったのに
他のことが出来なかった怨みまでもつのは
自然の所為ではないだろう。
凡人とても「五十の手習い」あることぐらい承知しているのだから。



    G

やってはいけないことを承知でやることもあっただろう。
やらなければならないのを承知でやらないこともあっただろう。
やろうと思ってもやれない時もあっただろう。
やりたくないと思ってもやらなければならない時もあっただろう。
やってもやってもやったとはされない目にもあっただろう。
やったつもりもないのにやったとされる目にもあっただろう。
何がよくて何が悪いか
何がまことで何が偽りなのか
何がきれいで何が汚いのか
五十路の道に入ればそれが少しでも分かるとでも言えるのか。
分からないのが人生だと分かることこそ人生なのか。
分かりもしない人生を分かったことにするのが人生なのか。
分からないの一言でさまようことから考えてみれば
五十路の人生も幼児のそれと変わりはしないのかもしれない。



    H

どんなに変わり身見せたとしても
追い越せない人がいる。
どんなに調子を上げたとしても
打ち勝てない人がいる。
どんなに先手をとったとしても
最後に遅れる人がいる。
人それを「格」の違いの所為にする。
器量という名の格。
資質という名の格。
良血という名の格。
「格」なるものと不縁な者にとっては
それで負けてばかりいるのも癪な話だが
そんな不幸を嘆く必要はない。
年の功で与えられる「格」もあるのだから。



     I

人間万事塞翁が馬という如く
幸も不幸も等しく受け持つものだ。
功成って必ずしも幸ならず
功成らずとも必ずしも不幸とは限らない。
それも一つの人生ならば
幸という名の不幸や
不幸という名の幸あることは
それも一つの人生なのだ。
よしそれが中国五千年のことわりであろうと
よしそれが今を生きる賢者の悟りであろうと
智に働き情に棹さし意地を通すその内に
少しずつそれが分かりかけ
少しずつそれが説得力を持ちはじめてくるのは
覇道への道に見切りをつけだしたからなのだ。



     J

負け犬の遠吠えでなく
勝ち馬のいななきでもなく
是々非々を素直に言えるようになるには
己の生に見切りをつけておかなければならない。
幸福とはものを持つことであり
功名とは人に勝つことであるという
そんな因習を生まれた時から体に染み込ませ
いまだに忠節を守っている権力者には
人より少しだけ多くもの持つことの
人には少しだけ勝つことの
とてつもなく大きな違いのあることの
そんなことわりがよく分かっている。
だから己の生に見切りをつけれぬ手合いこそ
微妙な差で秀でる権力者を見習わなければならないのだ。



    K

ほどほどにしておくことのありがたさは
年取れば年取るほどに微妙に分かってくるものだ。
昔と違い今の世は
高貴の人が治めるわけもなし
欲の心に毛のはえた同じ仲間が治めているのだから
今の損は別の得にてすぐ取り返せるし
他人の得でも周り回って自分の得になる。
だからほどほどの心の人ならば
得した得したと大見え切って妬まれるよりも
いかにも損したような顔をして
後でちゃっかり帳じり合わせをしておくものだ。
狡いというのではない。
それがまともな人のそこそこの生き方であるからこそ
「ほどほど」の言葉が生きてくるのだ。



    L

飛び抜けて何かができるわけではない。
だから切れ者という噂もたたない。
そうかと言って
何かを頼めばそこそこのことはしてくれる。
だからまともな人だと人からは噂される。
そうなると
美味しいところはいつも他所にとられるが
別段それを気にするということもない。
そうかと言って
何事にも無欲であるわけではないから
絶えることなく少しずつ少しずつ貯め込んでいく。
無事これ名馬とはよく言ったもので
一発屋の気概の失せた「偉大なる平凡人」には
これは頼もしい限りの生き方だろう。


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