世 相 篇





                      環境の闇を突破すべき
                    どんな力がそこにあるか
                    歯がみしてこらえよ
                    こらえよ
                    こらえよ

                        (萩原朔太郎「新しき欲情」より)



    口上

そんなに悟ったわけではないが
私が生まれる前に歴史があったことを
今へと残された自然の痕跡から私は確信する。
私が死んだ後にも歴史があろうことを
未来に残そうとする人々の意志から私は確信する。
それならば
私以前の過去がどんなに見すぼらしかったとしても
私以後の未来がどんなに見すぼらしかろうとも
私を生かす「今」だけは素晴らしいのだと私は確信せねばならない。
ああ、それにしても
歴史の箍(たが)から抜けられず
世相の流れのままによくもここまで来たものだ。
それが今ある私自身をこしらえあげたのなら
一つその舞台裏とやらをぶちまけるのも一興だろう。



    @

日本という名の国土の民が
他国を蹂躙したことはあっても
他国に蹂躙されなかった歴史に終止符が打たれた。
現人神の住まう軍国主義国家から訣別し
象徴天皇の住まう民主主義国家が誕生して
人肉を喰らう舞台の悲劇は終わった。
破廉恥にも残された大人達は
黒が白にされた修羅場で
お上と同様の豹変をし
一錢五厘の落とした馬糞拾いを始めた。
かつては他国を蹂躙しなければ生き抜いていけないと悟り
こんどは自国を売り渡さねば生き抜いていけないと悟る
いつも正義面の隠れ国士が
やがて経済復興なるバイ菌を美空にまき散らし始めた。



     A

神国建設のバイ菌がまき散らされた頃に
歴史の奴隷となったうぶな臣民は
「玉音放送」なる死語が発しられた頃には
「新生日本」の小さな国民に育っていた。
幸いにも二度目の生き方を強制されなかったが
借り物の合理主義精神を押しつけられて
再生の担い手となり
新しい歌作りを託された。
ここに戦争のために望まれ生まれ
戦争が終わってからは
何も知らないままに
新しい皮袋の水を飲まされ
いつしか「新生日本」の巨大なひばりとなっていく
戦争を知らない子供達の人生が始まった。



    B

空には巨大な音が飛び交い
地には怯えた親がちぢこまる
そんな二つの光景を
頭に留めるままに大きくなり
新しいランドセルを与えられた少年が
緊張しながら学校で聞いたという
その最初の言葉は「ミンシュシュギ」だった。
その蝉の鳴き声に似た悲しき口笛が
いつしか喜びのブギウギに変わった時
神妙になった大人達の作り直した
「日本国憲法第九条」を知らされた。
「これからの日本は戦争をしない平和国家になったのです。」
そう語る新米の女教師の誇らしげな顔を
少年は忘れることができなかった。



    C

「神国日本」を守るための戦争に敗れた大人達は
その当然の見返りに
天地もひっくり返るばかりに動転したが
どっこい彼らは強かった。
かつての敵国の庇護のもとに
かつての属国の動乱に付け入って
特需景気を煽りたて
見事「経済国日本」の浮世航路を突き進んだのだ。
お陰で子供達は悲惨という言葉を知らず
ロウの鼻水を二本垂らしながら
砂ぼこりのする道路の真ん中を駆け巡ったり
キャーキャー言いながら
頭に殺虫剤を振り掛けられたりした。
その姿は決してもの悲しくはなかった。



    D

今では死語となった「進駐軍」。
その進駐軍の若者が我が物顔で歩いた季節のない街。
その街の真ん中にポイと捨てられたチューインガム。
街に灯りがともるころ
そのチューインガムの匂いを嗅いで飛び去る陽気な渡り鳥。
チューインガム、チューインガム。
「麦からでもチューインガムはできるよ」と田舎の子供達。
とうとう麦からチューインガムを作った街の子供達。
「僕達も一度チューインガムを噛みたかったんだ!」
今ではそのチューインガムもグルメ。
レモンの香りのチューインガム。
シナモンの香りのチューインガム。
今に松茸の香りのするチューインガムも味わえるだろう。
だが麦の香りのするチューインガムは忘れられるだろう。



    E

かつてニスの香りの失せた木箱がタンスの上に鎮座していた。
不思議にもそこから人の声が聞こえてきた。
が、時々ピーチクパーチクやかましかった。
そんな時父親の「やかましい」の一言で
少年がそれを一叩きすると
不思議にもそこから再び人の声が聞こえてきたものだ。
少年は学校から帰っていつもの時間になると
きまってその前に正座していた。
それはいつもの旋律で
緑の丘の赤い屋根にとんがり帽子の時計台があり
そこからキンコンカンと鐘が鳴っているのだぞと歌っていた。
少年はいつしか頭の中に絵をもつ術を習得していた。
そして、りんご園の少女の絵を描き続けた。
少年にもいつしか心の広場ができていた。



    F

カチカチと拍子木の音が鳴りだすと
五円玉を握りしめながら
路地裏の小さな広場に集まって
酸昆布を噛み噛み紙芝居を楽しんだのが小学生の頃だった。
隣の叔父さんが誘いにくると
夜の寒さに凍えながら
街頭や電気屋の店先に集まって
声張り上げてはプロレスを楽しんだのが中学生の頃だった。
放映の時間がくると
期待に胸ふくらませながら
わが家の一番大事なところに集まって
四角で丸い画面に見入って楽しんだのが高校生の頃だった。
それが子供の頃の素敵なランデブーなんだと語っても
今日この頃の子供には分かろう筈もないだろう。
    


    G

夏の夜の野外で見られる映画は
大人も子供も喜ぶ動く紙芝居だった。
お陰で映画好きになった少年が
なけなしの小遣いをはたいてよく入ったのは
三本立て五十五円の場末の映画館だった。
青春は花の色とばかりに舞うスクリーンに見惚れた後に
寒さで尿意を催し入った薄暗い便所のすえた臭いは
当時の日本の文化だった。
スクリーンが白と黒から天然色に変わり
大きさも倍近くになった時
小さい丈の少年にとっては
背伸びをしてやっと見れたものだが
天然色がカラーと言われるようになってからは
暖かい椅子にゆったり座って見れる程になっていた。



    H

西に東に南に北と再生日本が背伸びをすれば
夢託された子供らにも独自の試練が課せられた。
文化日本を示すには教育大事とされたため
駅弁大学と言われる程に大学ができた。
昔なら学士様と言われれば
それだけで値打ちものと言われたが
お陰で学士様にも格ができ
良い大学には良い高校が
良い高校には良い中学校がと
お祭りマンボに浮かれるように
親が思い子供も思い
いつしか「受験戦争」という名のペン持つ戦いが始まった。
その皺寄せがわが子に及ぶも知らないで
今が五十路の子供らはその先兵となっていた。



    I

己が何者であるかが分かりかけた十代を
受験戦争に時間を割いた青年が
晴れて「良い」大学の門をくぐった時
これまで親達が復興日本のために選んだ道のつけがきた。
良いにつけ悪いにつけ
「安保」という名の哀愁波止場に踏み込んだ青年は
初めて世間というものを知ったと言ってよいだろう。
右か左かの十年で何が良くて何が悪かったかは
いずれ歴史が教えてくれるだろうが
連帯求めて孤独を恐れぬ戦いして
得をした者・損した者や権力に味方した者・反した者と
人は新しく生きるために絶えず告別したけれど
それから以後の二十年が長くも短く覚えるのは
ひたすら安楽な道を歩み続けた者だけなのか。



     J

ただよく生きたい気持ちから
五十年もの道のりをよくもここまで来たものだ。
何をするにも初めの頃は一日がかりだった。
これまで生きてきたしがらみで
初めの場所に戻ることも度々あったが
要する時間も半日、九時間、六時間、三時間、二時間と
時たつ内に短くなっていき
ついには戻ることもなくなってきた。
ああ、生まれた所と今住む所
行き来の道のりは近くなったようには思えるけれど
心の道のりは段々遠くなっていく。
それでも今住む所で悲しい酒を飲み続けるのは
今住む所がなまじ便利であるためなのか。
それともまだまだ現役のつもりでいるためなのか。



     K

正直言って何の含むところもない。
たった一本の鉛筆でも無駄にしたその戒めにと
なまじ肉のしまったみずみずしい小娘に言い寄り
一言小言を言ったばかりに
「その沈んだ顔って、カワユイ!」と茶化される。
そんな場面にも怒りを封じられ
ただひたすらに次に託す諦めの気持ちが恨めしい。
仕事は神聖な社会のたまものと
知らず知らずに植え付けられてきたこの体が
仕事と遊びの区別もつけようともせぬ
この小娘の仕種に腹が立ち
自堕落の烙印を押しつけるのは
時代遅れの正義感なのか。
それとも年がいもなくおこる若さへの嫉妬心なのか。



     L

腹が減ってへたり込んだこともあった。
追い込まれて打ちひしがれたこともあった。
自然の怒りに仰天したこともあった。
その度にもう生きられないのではないのかと
仰々しくも覚悟したものだったが
考えてみれば
今が五十路の人間は実に平和な時代に生きたものだ。
それなりに苦労したからこそここまで来れたのだと
今ある姿を賛えるつもりはないけれど
生きるための証しを求めるために
これまで神にすがり付こうともしなかった。
ひたすら性に狂奔させられもしなかった。
川の流れのように五十の年を迎えられた今が
何故か知らぬ後ろめたさとなるようだ。


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