悪その十 物支配する者
口上 後生大事や金欲しや死んでも命のあるように
@ 買い手あっての売り手
A 地獄の沙汰も金次第
B 桶が腐れば名が腐る
C むぐらもち日を嫉む
D 聞くと見るとは大違い
E 小人窮して巧みをなす
F 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
G 世異なれば則ち事異なる
H 実例は教訓に勝る
I 善には善の報い悪には悪の報い
J 青雲の志
K 口は重宝
L 物には始めあり終わりあり
口上 後生大事や金欲しや死んでも命のあるように
人間とどのつまりは欲で動くのでは御座いませんか。
人はパンのみによって生きるにあらずとは申しましても
得になることと損になることとどちらがよいかと言われれば
得になることだと誰もが言いましょう。
又共に得になることでしたら
少しでも得になる方を選ぶのも当然のことでしょう。
仮に損になることを選ぶ場合があったとしても
後になれば得になるのだとする計算があるからに他なりません。
それが手前どもの行動のすべてを決めます。
手前どものように金欲しいために動く人間にとって
「善い」とは金儲けが認められると言うことであり
「美しい」とは金儲けの鮮やかなことであり
「強い」とは金儲けが出来るということで御座います。
それで「守銭奴」と言われるのでしたら結構では御座いませんか。
@ 買い手あっての売り手
この世で売れないものはありません。
欲しいと思う人がいるんなら
何でも売って金にする人がいるものです。
かっては「人」まで売っていたとか申します。
さすがに民主主義の世の中では
「人」は「物」として売られることはなくなりました。
「人」は「人」として売られることになったからです。
この違い大きな違いと賢者は言いますが
欲持つ愚者には少しも分からないのではないかと思います。
だからこそどうせ売るならこの体
磨きに磨いたその上で
高く社会に売らねばとつい思ってしまうのではないでしょうか。
学問するのもそのためと思います。
体鍛えるのもそのためと思います。
A 地獄の沙汰も金次第
今の欲ぼけ社会では
すべてが金で方が付く。
一万円ばかりの金だされ
失礼するなと怒った人も
十万円出せば少し心が開くだろう。
それでも怒りやまぬ人も
百万円出せばもっと心が開くだろう。
それでも怒り続ける人も
千万円出せばもっともっと心が開くだろう。
それでも狂気の沙汰と怒るなら
一億円も出せばきっと承知するだろう。
そこまで至ってまだ怒るなら
その人は清廉潔白なのではない。
狂気の持ち主と言うしかない。
B 桶が腐れば名が腐る
出張しないのに出張したことにし
一日しか行かなかったのに二日行ったことにし
電車で行ったのに飛行機で行ったことにし
安ホテルに泊まったのに豪華なホテルに泊まったことにするのは
しがないサラリーマンの特権だ。
仕入価格が上がったと言っては便乗値上げをし
原価を割ったと言いながら粗利だけは取り
人の弱みに付け込んでは水増し請求をし
売ったのに売れなかったと申告するのは
名も無き商売人の特権だ。
そうすることに幾分の後ろめたさがないでもないが
そうすることに罪の意識までおこらないのは
そうすることをより多くの人がしているせいもあるが
そうすることより大きな悪があること知っているからなのだ。
C むぐらもち日を嫉む
平社員よりは係長がよい。
係長よりは課長がよい。
課長よりは部長がよい。
部長よりは重役がよい。
重役よりは社長がよい。
誰だってひとたび会社に入ったからは
現状でよいと言う人はいない。
だから昇進のチャンスがあったなら
口ではまだまだと言ってはいるが
昇進望まぬ日とてない。
もしもライバルいるのなら
どうかミスをしてくれよとか
どうか死んでくれよとか
密かに願わぬ人がどこにいる。
D 聞くと見るとは大違い
金稼ぐ人ほど欲どしい者はないと
人はいろいろ言うけれど
人の道説く人ほど
性根の汚い者はないし
もの教える先生ほど
傲慢な者はないし
人のためと称する人ほど
身勝手な者はないのではないだろうか。
だから金稼ぐ人は無欲であるなどとは
間違っても言って見たりはしないから
人の道説く人は清いのだとか
もの教える人は賢いのだとか
人のために尽くす人は篤いのだとかは
決して言ってほしくないものだ。
E 小人窮して巧みをなす
テレビに映れば有名人。
有名人は偉い人。
偉い人なら信用される。
信用されれば仕事が出来る。
仕事が出来れば金入る。
金が入ればしたいこと出来る。
したいことすることそれが人間だ。
そう思ってテレビに出ようとする人大歓迎だ。
そのためにばらまく金がなかったり
そのために披瀝する巧みさなかったり
そのために引き立ててくれる人がいなかったら
どういうすべがあるのだろう。
ここ一番テレビに映ること願うなら
スッポンポンで街中歩いてみるのもよい方法だ。
F 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ
ここ一番と言う時に
いつも心が萎縮する人は
性格の問題だと言ってしまえばそれまでだが
はっきり言っていつも負け犬の人生しか歩めないよ。
それでもいいと言うのなら
はっきり言って生きてる資格なんてないね。
善いことして生きるのも
悪いことして生きるのも
はっきり言ってそんなに違いはないんだ。
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるのだから
金ほしそうな顔してたら金やればよい。
体ほしそうな顔してたら体やればよい。
位ほしそうな顔してたら位やればよい。
はっきり言ってそれが生きるということなのだ。
G 世異なれば則ち事異なる
金儲けのうまい奴を見て
正直羨ましいと思わないでもないだろう。
でも口では金儲けは興味がないのだとか
金儲け以上に大切なものがあるとか言って
己をごまかそうとする人がいるが
はっきり言ってそれは金儲けの才覚がない
ただそれだけのことなんだ。
今の世で清貧でいることに
誇りを持っている人なんていやしないのだ。
今は世の中違うのだ。
かつては人のため社会のためになっていると
言われるだけで十分な仕事が
今ではどれだけ金儲けに役立っているか
それだけ見てもお分かりだろう。
H 実例は教訓に勝る
脱税白書を見てみれば、
毎度毎度のことながら
ワースト上位は決まってる。
パチンコ業者に病院に
それから新顔レンタル業者。
サラリーマンなら否やも言えず
初めから税金取られてしまうのに
これらはなんと恵まれた職業と
つい羨ましくもなりもしよう。
その反動でつい怒りが勝り
とがめる意識のその前に
純な心を改めて
これらの脱税テクニック
学ぶ姿勢を持つことだ。
I 善には善の報い悪には悪の報い
税金を納めるのが嫌なわけではないんだ。
一応それなりの生活もできているので
税金を取り立てられているとは思わないが
何かしっくり来ないんだ。
それでよくよく考えてみたのだが
納めただけのことがなされてないとの思いが
どうも残っているようなのだ。
そりゃあランキングに載せられるほどに納めたわけではないので
大きなことが言えた義理ではないが
善かれと思い分相応に納めている以上は
納めた後の行く末くらいは見届けさせてほしいものだ。
たとえわずかでも相応の税金を納める以上
きっちり高齢化社会のために使われないならば
自衛のための脱税方法を考えようと思うんだ。
J 青雲の志
たとえ寂れた片田舎でも
テレビの一つは持っている。
テレビ持つほど稼いでいると
言われりゃ詮無い話だけれど
テレビ以外に楽しむところがどこにある。
しかもテレビは楽しいけれど
そこから流れる番組は
目も眩むばかりの都会の姿。
物支配する者テレビの中で
「これからは地方の時代」と志気鼓舞しても
相も変わらぬ周りを見れば
都会に行って一旗揚げて
なじむ田舎を見捨てることが
悪いという気はさらさらないわい。
K 口は重宝
自利の原理が通る今
損になること逃げて避け
得になること追い求めるは
決して悪いことではない。
そこで要領よく生きるには
その場に合った言い訳を
さらりと言えねばならぬだろう。
「すでに予定が入っている」とか
「体の具合が悪い」とか
「家に法事がある」とか口にして
その後忘れてならぬのは
相手の成功祈りつつ
「この次是非にも頼みます」と
真摯に言える態度だろう。
L 物には始めあり終わりあり
昔なら丈夫で長持ちするものを
作る真摯さ誉められた。
消費時代の今の世は
丈夫で長持ちは嫌われる。
すぐ壊れるのも嫌われるが
適度に役立ち満足させたその後で
寿命の尽きる製品が
何より一番有り難がられる。
物壊れることはよいことだ。
いや物壊れることこそ必要だ。
そのことわりを推し量り
次々作り次々壊し
又次々作る技量こそ
真実不虚の神器となろう。
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