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最近読んだ本
2008年-2


「聖域」
「逃避行」
「伯母殺人事件」
「ゼロ時間へ」
「緑は危険」
篠田節子
篠田節子
リチャード・ハル
アガサ・クリスティ
クリスチアナ・ブランド
「探偵を捜せ!」
「インシテミル」
「悪人」
「茶々と秀吉」
「天地人」
パット・マガー
米澤穂信
吉田修一
秋山香乃
火坂雅志

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(注)【 】内はネタバレ。すでに読んだ方は反転させて読んでくださいね。


◆ 「聖域」 篠田節子

新興宗教を扱った作品ということで、なんとなく敬遠してたんだけど、
宗教というより日本人の死生観を使った作品ですね。

文芸誌の編集者である実藤は退職した同僚が残した荷物を整理するうちに、
その中から未完の原稿を見つける。
確認のため原稿に目を通した実藤は、その重厚な内容に魅入られてしまう。
編集者としての熱意をかき立てられた実藤は、作者を見つけて小説を完成させ、
出版することを考える。
しかし作者の行方は不明で、関係者も関わりにならないことを忠告する。


「聖域」というのは、この未完の小説のタイトルなのだけど、
これが私の苦手なタイプの小説でして、そこでまず挫折しそうになりました(^^;)
「聖域」の主人公である仏教僧の理想とする理念に共感できないんですよね。
むしろ対立するで東北の人々の現実的で厳しい概念の方がわかりやすい。
実藤や三木、篠原のウエットな感情に違和感を感じてしまいました。

神や仏は、あなたの心の中にいる、
あるいは、亡くなった人はあなたの心の中で生きている、
よく言われる言葉ですが、その言葉をどう捉えるか、
それをテーマにした作品なのかな・・・

この結末を虚無と取るか理性と取るか・・・
私には救いに読み取れましたが。

本題とは関係ない話なんですが、この小説の感想を検索したら、
ブログではなくてホームページが多くヒットしました。
文庫化されてからも11年経つ作品なのでそういう結果になったんでしょうが、
簡単に書けるブログと違ってホームページの書評は読み応えがありますね。

続きはネタバレでもないけどテーマに関係することなので隠します。


死んだら無に帰して何も残らないって救われる気がするけど、
日本人は魂が残る思想の方が救われるんでしょうね〜




◆  「逃避行」 篠田節子

50歳の主婦・妙子が家族を捨てて愛犬ポポと逃げる話。

なぜ逃げなくてはならないかというと、犬が隣家の子供を噛み殺してしまったから。
隣家の不登校児が妙子の家の庭に勝手に入り込んで放されていた犬を虐待。
パニックになった犬がその子を咬み殺してしまう。

刑事責任は免れたが、夫と娘は世間体を考えて殺処分に同意。
納得できない妙子は犬を連れて家を出る。

何度も繰り返される言葉「人は裏切るけど犬は裏切らない」
もうこれがテーマでしょう。
それにしても、この夫と娘はひどい。

ただ妙子も家族に依存しすぎていたところはあるんですよね。
自分の体も人生も自分で責任持たないとね。

妙子がポポを処分するという家族の意見に怯えたのも、
ポポに自分を投影してしまったからでしょう。
必要な時だけかわいがって役に立たなくなれば見捨てる。
家の中の自分の立場と同じだと思ったのかもしれない。

犬の飼い方については考え方の差が出る部分だと思いますが、
殺された子供が小学生で、虐待を繰り返していたことを考えると、
飼い主にも道義的責任はあると思いますね。
子供が庭に入れないようにするとか、犬だけで放さないとか、
引っ越すとか、予防法はあったと思います。何より犬がかわいそうだから。

1つ疑問に感じたのは今時の50歳の主婦って、
ここまで世間知らずじゃないと思うんですけどね。たとえ専業主婦でも。
それともうちのまわりが下町だから主婦も活動的で、
山の手の奥様はこんなものなのかな〜

ネタバレということもないけど隠します。


狩をするポポを見て驚く妙子に、犬に比べて猫はまだまだ野生だと思った。
街猫でも、ふつうに狩りしますから。おみやげもいろいろ持ち帰る・・・
でも殺した獲物は持ち帰らないのよね。おみやげはいつも半殺し状態。
飼い主は迷惑してますが、動物の狩りのマナーなのかしらね。

夫がひどいヤツというのは犬のことではなくて、妙子の病気のことです。
まあ、自分の体のことなのに夫任せという妙子にも責任はあるけど。





 「天地人」 火坂雅志

来年の大河ドラマの原作です。
主人公は上杉謙信、景勝の家臣・直江兼続。

上巻は青年時代の兼続から魚津城陥落まで。
謙信亡き後の上杉家の相続争いを描いた小説はほとんどないと思うので、
そういう意味では珍しい。

いわゆる御舘の乱の資料はほとんど残ってないはずなので、
作者の想像の部分が多いのでしょうが、
歴史小説というより時代小説という描写に違和感を感じてしまいました。

視点が偏っているのは仕方ないことかと思いますが、
現代の価値観と戦国時代の価値観はぜんぜん違うはず。
現代の目線で見て史実をゆがめては解釈というより空言。
そのせいか登場人物の誰にも人間的魅力が感じられず、
全体にきれいごとすぎる感じはしましたね。

下巻は秀吉から家康の時代。
このあたりは有名なシーンばかりで安心して読めました。
ただあまり新しい解釈はないかな。
兼続の視点で見た戦国後期史のまとめという感じです。

石田三成や本多正信との駆け引きが中心なので、
「軍師たちの戦国」というところでしょうか。

大河ドラマの不満なところは登場人物がみんな美化されてしまうところだけど、
原作から美化されてしまうと、逆にドラマに期待かも・・・。

これもラムさんに借りた本だけど、変な感想でごめんね〜




「茶々と秀吉」 秋山香乃

淀殿こと茶々姫については、小説でもドラマでも
今まで数え切れないほど描かれてきてますよね。
主役の時もあれば脇役として描かれる時もある。

役どころはだいたいは悪女に近いイメージが多くて、
高慢な姫君、あるいは不義の子・秀頼に天下を継がせようとする猛母だったりします。
まあ、これは江戸時代に徳川家が作り上げたイメージに影響されていたらしいですが。

最近では秀頼は秀吉の実子という説が有力になってきたようですが、
フィクションの世界ではまだまだ秀頼の実の父親は大きな謎のようです。

そのように謎も多く、イメージの掴みにくい女性なんですが、
この本で描かれている茶々は今まで描かれたことがないタイプに
分類できるかもしれません。
いってみれば、ごくごくふつうの女性なんです。

マリー・アントワネットが凡人であったという小説がありますが、
ここに描かれる茶々もそう。
どこにでいそうな、そしてかなりわかりやすいタイプの女性ですね。
それなので歴史小説というより、一般の小説の感覚で読むことが出来ます。

タイトルからわかるように秀吉が亡くなるまでしか書かれていないので、
茶々が己の人生を生きるようになってからのことは描かれていません。
あくまで秀吉の庇護のにある茶々を本人の視点で書いている。

政治的なこともあまり出てきません。
もっぱら茶々と秀吉の関係のみ。

この於茶々が家康とどう渡り合うのか、読んでみたい気がしますね。

ラムさんにお借りしました。いつもありがとう♪




 「伯母殺人事件」  リチャード・ハル


1934年に発表された古典です。
三大倒叙ミステリーの1つなので、
推理小説が好きな人なら読んだことはなくてもタイトルだけは知っているだろう作品。

私も学生時代から読みたいと思いつつ未読だったわけですが、
今回たまたま書店で見かけて、やっと読むことができました。

ストーリーは、両親を亡くした少年エドワードが伯母に育てられ、
青年になると共に伯母の過干渉に耐えられず、
伯母を殺して自由な生活を得ようとするという話。

このエドワードが怜悧な青年なら張り詰めた倒叙物になるところなんですが、
あまりに無知というか間の抜けた青年なので、サスペンス感はありません。

なにしろ無知なあまり、殺害に必要な知識を被害者に訊いてしまうくらいですから。

ということで途中までは呆れながら読んでいたのですが、
最後のどんでんがえしは、さすがに見事でした。
最後まで読んで倒叙ミステリーの名作と言われることに納得しました。

でもこれは読む時期で感想が違う小説ですね。
今の私はどうしても伯母の方に感情移入してしまうので、
ニートの青年が独立して働けと言われて伯母を殺す計画を立てる小説にしか読めませんでした。

自己中心で甘ったれで世間知らずで
自分の望みが叶わないのは世の中が悪いと考える青年は1934年にもいたんですね…

ただ、青年の性格をわかっていて追い詰める伯母も底意地が悪いところがあるんですよね。
そこはどっちもどっちというか、やっぱり同じ一族なんでしょう。




 「ゼロ時間へ」 アガサ・クリスティ

クリスティを読むのは10年ぶりくらいかもしれない。
これは高校時代に読んで、途中を飛ばし読みした記憶があるのですが、
ミステリーサイトで評価が高かったから再読。
はい、評判通りに面白かったです。
(たしかに高校生にはつまらないかもしれないけど…)

ゼロ時間とは殺人が行われる、まさにその時間のこと。

殺人を扱った小説を読むとき、読者はふつう殺人事件が起きたところから出発します。
ですが、それは間違いです。
殺人は事件が起こるはるか以前から始まっているのです!
殺人事件は数多くのさまざまな条件が重なり合い、
すべてがある点に集中したところで起こるものです。

殺人事件自体は物語の結末なのです。つまりゼロ時間


お屋敷ものです。
資産家の老夫人が住む海辺の古い館、そこに親族やその友人たちが集まってくる。
その中に、この機会を利用して殺人を計画している人物が一人いた。

誰が何のために誰を殺そうとしているのか?
犯人は最後までわかりませんが、殺人計画が練られるところ始まることもあって、
倒叙物にも近い緊張感があります。
容疑者は6人。

全編が罠とヒントと言っていいほど無駄がなく、
うっかり読み飛ばしたエピソードが重要なファクターになっている。
さすがに見事です。


ネタバレです。反転させて読んでください。


唐突に小指の長さの話が始まったと思ったら、
それが証拠の1つだったんですね。
「バックハンドが得意」というのも伏線だったとは。

でも、マクワーターの証言は裁判で月曜日の天気の持ち出されたらアウトですよね。
そこだけは不満が残ります。






◆ 「インシテミル」 米澤穂信

ミステリーマニアがいっぱい釣れそうな小説(笑)
本格ミステリーへのオマージュというよりパロディに思えました。
東野圭吾さんの「名探偵の掟」はお笑い版だったけど、こちらは深刻版。

ただ須和名祥子は富豪刑事の深田恭子みたいでしたけどね。
この須和名祥子の存在が全体の謎なんですよね。
そのために、どの視点で読んだらいいのか最後まで迷ってしまいました。

ストーリーは、アルバイトで集められた12人の人間が
地下の居住空間に7日間閉じ込められ、その中で起こる連続殺人事件。

人形の記述を読むと、ある有名なミステリーが浮かびますが、
その作品については小説の中でも言及されてます。
他にも有名古典ミステリーのパロディがいっぱい(^―^)

さて謎解きとして一番に考えるのは「木を隠すなら森の中」パターンなんだけど、
どうもそうではないような・・・。


ここからネタバレです。反転させて読んでください。



一番ありがちな解決は12人の中の誰かを殺すために仕組まれたものということ。
でもこれだけの資金や実行力があれば、
ここまで大掛かりにしなくても、一人くらい闇に葬ることは出来るでしょう。

では、これはすべて演出なのか?

ナイフやフォークまで与えないというのは計画された以外の事件を防ぐためとも思える。
もし演出なら、演技者と観客的参加者とに分かれるわけだけど、
そうなると最後に残った4人が単なる参加者になりますよね。
たしかに、この人たちの凶器は実際には使いにくい物ばかりではあったけど。

そこで不思議なのが須和名祥子。
あくまで自分は部外者という態度で、実際に部外者だったわけだけど、
本当に誰かが殺人を決意したら「部外者です」で逃げられるものじゃない。
それを考えるとやっぱり演出なのよね〜

結城とのコンビニでの出会いも不自然だったしね。
あの出会いがなければ、結城があの不可解な求人に興味持つとは思えないし、
まして参加しようとは思わないでしょう。
コンビニの出会いから計画されていたとも考えられますよね。

でも莫大な報酬が事実なら、そこまでのことを計画する目的がわからない。
悪趣味な遊びってことでいいの?

最後まですっきりしない本でした。






◆ 「探偵を捜せ!」 パット・マガー

犯人が探偵を探す逆転ミステリー。

人里離れた山奥で小さなホテルを経営する夫婦。
夫は莫大な資産を持つ病人で、妻は若くて美人で遊び好き。
これでミステリーとなれば当然、妻がたくらむのは夫を亡き者にして財産を独り占めすること。

ある夜、ついに妻は夫の殺害を実行に移した。
しかし夫は妻のたくらみに気づいて探偵を招いていた。
その探偵は、まさに殺害の行われたその夜にホテルを訪れる予定になっていた。
ホテルを訪れたのは4人の客。
追い詰められた妻は4人の中から探偵を探し出して殺すことを決意する。

設定を見ると緊張感あふれるサスペンスとなるはずなんだけど、
なぜかそういう雰囲気にならないのは犯人の若妻マーゴットが、
あまりに考えが浅い人物だから。
この犯人には筋道立てた思考というのがまるでない(笑)
本人はまわりを欺くためにいろいろな計画してるつもりでも、
やってることは行き当たりばったりで単にドタバタしてるだけ。
マーゴットのキャラにつまづいてしまいました(^―^;)

でもフェアです。推理は楽しめます。




 「緑は危険」 クリスチアナ・ブランド


戦時中の陸軍病院で起こる連続殺人事件。
最初の死は手術中の死。
簡単な骨折手術のはずが、手術台の患者は様態が急変し、そのまま息を引き取る。
すぐに手術室内のチェックが行われたが不審な点は見つからなかった。

手術に関わった人間は7人。
事件か事故か、捜査が続く中、第2の殺人が起こる。

トリックが意外とか犯人が意外というのではなく、ストーリ自体が意外性の連続。
殺害方法が謎、動機が謎、もちろん犯人も謎。

張り巡らされた伏線と巧妙なミスディレクション。
読みながら「あれかな?」「こっちかな?」と180度振り回される迷走。

・・・なんかドラマの宣伝コピーみたいになってしまったけど、まさにそんな感じの小説でした。

難点は会話の文体。
おばさんかと思ってたら若い女性だったりして、全員年齢不詳なんですよ(-_-;)


ここからネタバレ反転させて読んでね。


・ウィリアムの殺人未遂があってからラストまでがちょっと長い気がした。

・手紙の配達人がヒギンスだから、手紙の内容に謎があるのかと、何度か読み返してしまいました。
母と娘の関係という点でいえば伏線はあるんだけど、直接ヒギンズとは結びつかないんですね。

・バーンズの医療事故の酸素ボンベの入れ違いを見たという妄想が、実は真相だったとは。

・「新任の指揮官というものは、その統治の第一歩としてなにかを塗り替えさせる(P23)」
なにげない描写が大ヒント。

・ヒギンズの「あの声を聞いたのはどこだったのか?」という、まるでダイイングメッセージ。

・こういう支配的母親と娘という関係は海外の小説にはよく出てきますね。






◆ 「悪人」 吉田修一

事件報道の裏にあるものを想像させるストーリー。


若い女性が出会い系サイトで知り合った男性に会いに行ったまま姿を消し、
翌日、遺体となって発見された。

最近よくある事件の概要と同じ。
どんな文章で伝えられるのか、コメンテーターと言われる人たちが
どんな言葉で批判するのか、簡単に想像できる事件。

でも1つの事件が起こるまでには、その時までそれぞれふつうに生きてた人の、
ふつうだと思われていた人生があるんですよね。
ここに登場する若者たちも、自己中心的であったり社会性がなかったり、
多少の問題は持っているけど、極端に悪い人間でもない。

でもある日、なにかがちょっと変わる。そこでつまずくか逃れるか。
もし、その陥穽を乗り越えれば、彼らもまたふつうの人生に戻っていったことでしょう。

悪人が事件を起こすのではなくて、事件を起こした人間が悪人とされるということかな。
悪いことばっかりしてるのに、不思議と事件に関わらないで、
平穏な晩年を過ごす人もいますからね。

平穏な日が明日も続くかどうかは、ちょっとした差。
人間は紙一重のところで生きてるのかもしれないと思わせるところが怖いです。

なぜか映画の「太陽がいっぱい」を思い出しました。


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