The Encounter World −5−
木造建築を模した店内は、思った以上に雰囲気が良かった。柱は流石に本物の木ではないが質感はかなり頑張っている。障子は和紙を思わせる白色の発光パネルで構成されていて、幻想的な雰囲気を出すのに一役買っていた。壁際には小さな小川が走り、せせらぎをBGM代わりに響かせている。
センスとしてはやや間違い気味だが、静かな店というのは悪くない。
座敷に通された黒崎は先に着いていたメイスンに会釈する。
「お待たせ。今日は誘ってくれてありがとう」
「驚いたな」メイスンは黒崎の上から下へと視線を走らせて言った。
「なにが?」
「君がスカートをはいているのを初めて見た」
「そうだったかしら?」
そんなことはなかったように思うのだが。
とはいえ、褒められて悪い気はしない。淡いオレンジのワンピースは、滅多にクローゼットから出ることのない秘蔵の一着だ。V字状に大きく開いた胸元は少々行きすぎたデザインだと思うが、袖や襟元にあつらえられた白いラインのアクセントが気に入っている。
仕事では、信用度を高めるということでもっぱらスーツ一辺倒だが、たまには洒落た服を着て外に出たいと思うこともある。メイスンが「見たことがない」と言うのは、着ていく機会がなかったためだ。着ない、着たくないというわけではない。
「着飾った君もなかなか素敵だな。まあ座って」
座敷かと思ったが、それはテーブルの下は一段下がっており、腰掛けるようにして座る形になっていた。
「なかなかいいお店じゃない」
褒められたメイスンはほっとしたような様子で笑った。
「だろう? 君が喜ぶと思ってね。料理もなかなかだよ」
「あら。期待しているわ」
黒崎が言うが早いか、すぐさま店員がお通しをテーブルに置いた。
深めの白い陶器の器には幾何学模様の赤い装飾がされていたが、何らかの意味があるのかは判らない。ワカメとキュウリ、それから何かの植物の和え物が盛られている。
箸を手に取り、一口運んで黒崎は眉をひそめた。
ワインビネガーで和えている? まずくはないが、純和風の料理が出てくると思ったので意表を突かれた感がある。
「ここ、創作料理のお店なの?」
「いや『ニホンリョーリ』というやつらしいが。君の方が詳しいんじゃないのか?」
絶対違う。
早くも黒崎は嫌な予感がしてきていた。
「お、メインが来たね。君も好きだと聞いているからね、スシ」
出された物を見て黒崎は絶句した。
寿司? 寿司じゃない、これは寿司なんかじゃない。
フライされた何かを海苔巻きにしている。太巻きサイズのそれは、桜でんぶと想像もしたくないような着色料で虹のような彩りになっていた。
黒崎は目眩がした。
「メイスン、あまり言いたくはないけどここの店の料理は間違っているわ」たぶん、コンセプトからして全部。
「そうなのかい? まあいいじゃないか、たまにはこういうのも」
悪びれた風もなく平然と寿司らしき物を口に運ぶメイスン。
巻き寿司なのだろうか。作った方は間違いなくそのつもりだろうが、黒崎としては到底認めるわけにはいかない。しかし、食べないのも失礼に当たるだろう。
意を決してそれを口に運んだ黒崎は、すぐに違和感に襲われた。
白身魚と酢の味の中に広がるこの感触……わさびではない。タルタルソースだ。
驚いたことにまずくはない。取り立てて美味いとも、また食べたいとも思わないが、しかしこれは断じて寿司ではない。
黒崎は箸を置き、何とか咀嚼して呑み込んだ。
なるべく鼻で息をしないようにし、呼吸を止めた状態で嚥下した後、緑茶ではなくて抹茶をお湯で溶いた不可解な飲み物で無理矢理押し流した。
この店に連れてきた目的が嫌がらせのつもりなら効果は抜群だ。
だが、メイスンがこれをよかれと思ってやっているということが、様々な意味で不幸なことだった。
黒崎は大きく深呼吸した。
「最近の売り上げはどう?」
料理の話題はやめよう。
「可もなく不可もなくと言ったところかな。株価も安定している。画期的な商品がないのは、堅実と見るか停滞していると見るか、評価の分かれるところだがね。君の方はどうだい」
「例の事故でお役御免になったわ」
「ううむ……現場は封鎖、工事は中止、関係者は洗いざらい全部クビ、事故の対応としてはあんまり褒められたもんじゃないな」
「事故、ね」
黒崎の言葉を皮肉と取ったメイスンは肩をすくめた。
「前も言ったとおり、個人的にはその線で間違っていないと思うがね。差し支えなければ、本題に入ろうか」
黒崎は頷き、居ずまいを正した。
「そうね。あの日のことだけど、話したとおり私が見たのは、ちょうどタイタンを型番違いで継ぎ接ぎした物が暴れているところ。残念ながら、どういう条件で暴れたかは判らないわ。テントの中でお昼を食べていたところだったから」
「直接のトリガーはわからないわけか。で、そいつは何をやらかしたんだ?」
「人を一人殴り殺したわ」
一瞬だけ、あの光景がちらつく。だが、それは単なる過去の像であり、ガラス一枚向こうの光景を客観的に見ているような感覚だった。慣れたのか、麻痺しているのか、以前のように吐き気を催すようなことはない。
「すまない……聞くべき事じゃなかった」
「気にしないで。自分でも驚きなんだけど、もうそんなに動揺してないの。 全くしてない訳じゃないけど。結局、事件そのものは雫が電脳を破壊して解決したわ」
黒崎の答えを聞いて、メイスンの口元には僅かに笑みが浮かぶ。
「改造品とはいえ、あのタイタンをか。なるほど、カウンターテロ用リブロイドの肩書きは伊達じゃなかったな。ぜひ見てみたかった」
「こっちは生きた心地がしなかったわよ。制止しても聞かないし。どうも護衛を優先すると攻撃行動に出るのはかなり上位命令に設定されているみたいね」
「ふーむ」メイスンは少し考えてから言った。「シズクはコンセプトとコストの両方に難があったから結局採用には至らなかったけど、君の話を聞いていると売らなくて正解だったかも知れないな。法的に面倒なことになりそうだ。それにしても、都市管理局がよく口出ししてこなかったな」
「あなたと会ったときは、ちょうど尋問を受けた帰りよ。水の一杯も出ないのよ。サービス悪いわ」
黒崎は語尾に力を込めて言った。あの監査官の態度を思い出すと、怒りがこみ上げてきそうだ。
「それは難儀だったな」メイスンの顔は笑いを堪えているようだ。「ということは、雫は証拠物件扱いか。ますます無事に返ってきたのが奇跡に思えるな」
「一通り調べられたけど、お咎めは無しだったわ。雫が攻撃したのが人間相手じゃなかったからかしら」
「泳がせている、という可能性も否定できないがね。雫を表に出すのは控えた方がいいのかも知れないな」
メイスンが神妙な顔で返す。
「そうはいかないわよ。出張の仕事が来たら、雫が居ないと進まないわ」
「たぶんそういうとは思ったよ。リブロイドに複数の機器を積んで移動サーバーにするというのは確かに便利な使い方だ。手元にあったら、僕だって連れ回す」
「そういうこと。まぁ私が知っているのはこんなところで、事件の背景らしきものが見えてくるようなものじゃないわね。ただ、雫の仕様については相当しつこく聞かれたわ。人間も攻撃できるようにしているんじゃないか、ってね」
「管理局はリブロイドの犯罪利用に妙に厳しいからね。当然の反応とも言えるな。それで、君の心当たりというのは?」
「リブロイドのアーキタイプをいじれるような技術者は、そういるものじゃないと思うのよ。だから犯人が居るとすればごく限られた層に絞られる。一つは私と同等か、それ以上のリブロイド技術者。もう一つは管理局が想定していると思われている能力者。それと、ソウルサルベージャー。これを念頭に関わりのあった人物を絞り込んでいけば自ずと真相には近づけると思うの」
「なるほど、ソウルサルベージャーか。確かに人間の脳に潜れるならリブロイドのアーキタイプに潜ることだって不可能ではないかも知れないな」
「そうはいっても、どこの誰が能力者かは管理局くらいしか把握していないから、私たちが見抜くのはちょっと難しいかも。技術者で能力者、あるいはソウルサルベージャーとしての技能を持っている人間、そういう複合したケースもあるでしょうしね。それで、貴方の方は?」
黒崎が促すと、メイスンは囁くように声のトーンを落とした。
「管理局がケースを問わずリブロイドの事件について探りを入れているのは間違いない。犯人の目星が付いているかどうかまでは判らないが、僕を含め複数のメーカーの関係者が呼ばれている。しかも、質問が皆同じだ。『ここ最近で、リブロイドの初期不良に関わるクレームが発生していないか』と」
「初期不良って指定で? 妙ね」
「わざわざそこに絞り込んでくるのがどうも、ね。とはいっても、全くクレームが無いってわけじゃない。何件かピックアップして解説し、全て解決済みと伝えたが『全部提出しろ』って通知が来た。管理局が何を掴んでいるのかは見えてこないが、君の話から推察すると、管理局は既に暴走の原因に心当たりがあるんじゃないかと思っている。犯人にもね」
「製造段階からアーキタイプに何か仕込んでいるとか?」
「流石にそれはないと思う。同一メーカーのものならばともかくとして、自社生産しているところで同様の不具合が出るとは思えない。問題の種がいつ仕込まれているのか、それを突き止めないことにはどうにもならないだろうな」
「問題の種、ねぇ。さっきのケース以外があるとすれば、遠隔操作で操っているとかそういうことかしら」
「全社共通の防壁破りパスワードが必要だね」
黒崎は謎の抹茶風味飲料を一口飲み込んで、少し考えた。
「うーん。なんだか煮え切らないわ。私が関わったのは中古品のリブロイドの暴走。だけど管理局は新品の不具合に探りを入れている。この線が、どうにも繋がらないのよね。少なくともワーカーデトニクスでは新品での事故は起きていない。なのに、管理局は初期不良を気にしている。何故なのかしら」
メイスンの言うように電脳に何か仕込まれている、と言う線は濃厚だが、一体どういう手段を使っているのか。
目の前の男は肩をすくめただけだった。
「ま、捜査は僕らの仕事じゃないってことだろうね。何はともあれ、君は災難だった。無事でよかったよ」
「そうね。とりあえず大型機のマッチングはしばらくやりたくないわね……あんなのに暴れられたら命がいくつあっても足りないわ。当面は、地味な仕事に絞るわよ」
「それがいい。こちらでも何か分かれば連絡しよう」
「管理局がこれを口実に規制を推進したりしないといいんだけど」
「どうかな……しかし、今のところは上手く事件を隠蔽しているようだね。リブロイドが社会に浸透している今となっては、表沙汰になる前にさっさと解決して何もなかったことにするのが一番だろうな」
「そう願いたいわね。私たちも商売あがったりだし」
「まったくだ」メイスンは頷き、それから付け加えた。「実は君に一つ頼みがある……ワーカーデトニクスではなく、僕個人の頼みなんだがね。もし残っていれば、君を襲ったタイタンの情報が欲しい。型式番号でも、画像でも構わない」
「画像というか雫の戦闘記録があるわ。詳しい型番は覚えていないけど、たしか胴体のバージョンは9だったわね」
「十分だ。ちょっと君の言っていた『中古品の履歴』をさらってみたいんだよ」
「それって好奇心から?」
「と言いたいところだが、そうじゃない。こちらも新品は大丈夫という報告をした以上、『異常行動は中古品のみ』と明言できる材料を少し集めておこうと思ってね」
「仕事熱心ね」
「心配性とも言える。犯人捜しに興味はないが、自分の首が飛ぶようなことは避けたい」
「宮仕えはそういう苦労があるわよね……いいわ。帰ったらすぐ送るわよ。個人アドレスの方がいいわよね?」
「そうだね。よろしく頼むよ」
話が終わったところで、デザートらしきものが出てきた。
素焼きの壺からはほのかな茶の香りとバニラの香りが漂っている。
「ここの抹茶のプリンはなかなかの物でね」
メイスンが誇らしげに言う。
初めてまともなものが出てきたな、と黒崎は心の底から思った。
ついでに、食事の代わりにこれが山ほど出てくる方が良かった、とも。
「お帰りなさいませ」
帰宅した黒崎を、雫が迎えた。
「ただいま雫。何か変わったことは?」
「何もありませんでした。会食はいかがでしたか」
「収穫は微々たるものね。ま、仕事に精を出そうってところで落ち着いたわ。ところで雫、何か食べるものある?」
腹が空いているわけではないが、とにかく何かまともな物を口に入れたい。
一方の雫と言えば、玄関前から微動だにせず、いつものポーカーフェイスで言葉を返す。
「深夜のカロリー摂取は健康上お勧め出来ません」
「口直しよ、口直し」人間の事情を斟酌して貰うのは機械には無理という事か。
「では、マウスウォッシュをご用意します」
雫の返答に、黒崎は膝から崩れそうになった。
「ねえ、それってわざと言っているでしょう? 『何か食べたい』が何でマウスウォッシュになるの」
「マスター黒崎の食に対する情熱は十分に理解しておりますが、私の護衛プログラムにはマスター自身の健康の維持も含まれております」
「一晩食べたぐらいで太るわけではあるまいし」
「物事は積み重ねです」
「はいはい」
問答が続きそうなので、黒崎は雫に任せるのを諦めて自分で冷蔵庫のドアを開けた。
調理無しで口に入れられそうなのは、パックに入ったオレンジジュースくらいしかない。
仕方なくコップに半分ほどそれを注ぎ、一息に煽る。
一連の動作を雫は無言で見つめていた。これぐらいのカロリーは許容範囲、と言う事か。
シンクにコップを置いて深く息をする。
メイスンのオススメの店に行くのは、もうやめよう。
「雫。例の一件、資料としてメイスンが使いたいらしいから映像記録にして出力して頂戴」
「例の、というのはタイタンの改造タイプに対する防衛行動のことでしょうか」
「そう。メイスンも事件についての探りを入れてるみたいだから、情報交換ってところね」
「それについては、管理局から警告されたのではなかったのですか」
黒崎の脳裏に物品管理室の老人の顔がちらついた。
「あれはそういうことだった、と?」
「そのように解釈するのが合理的です。仕事をするな、と言う意味ではマスターは既に先方に解雇されています。となれば、あとは捜査の邪魔をするな、という管理局側の警告である可能性は高いと推測されます」
「筋は通っているわね。でも、これは探偵ごっこのために使うんじゃないわよ。メイスンは会社のため、私は地雷を踏まない為よ」
「マスター黒崎が望む以上、私に拒否する権利はありませんが、警告には従っておくべきかと」
雫の主張は一歩も引く気配を見せない。
「あなたも疑い深いわねぇ。事件を追ってもお金にならないからやらないわよ。でも似たような案件を受けてまた巻き込まれたら嫌じゃない。事件について知っておくことは、身を守ることにもなるのよ」
「しかし、『好奇心は猫を殺す』と言います。マスターの性格上、調べるだけで済むとは到底思えません」
「ふう……それで、雫はどうしたらいいと思うわけ?」
「リチャード・メイスンにはログはなかったと報告し、今後は中古リブロイドの仕事の一切を受けないことが最大の安全策かと思われます」
「それじゃ仕事が無くなっちゃうわよ」
「命が無くなるよりは妥当な選択かと」
「いくら何でも大げさよ。受ける段階で吟味すれば避けられる案件でしょう? 別に私が狙われているわけでもないし。さ、寝る前にログをまとめちゃうわよ」
「わかりました」
雫はそれ以上反論はせず、黙ってメンテナンスベッドに横たわる。
黒崎もコンソールの前に座り、雫の記録を遡り始めた。
程なくして、事件当初の映像がサブディスプレイに映し出される。暴れ回るタイタンを雫の視点で見るのは、妙な感覚だった。編集されたドキュメンタリー番組を見るようだ。
映像からしても、雫の運動量のすさまじさが判る。まさか、これほどとは。目標と定めてから肉薄するまで僅か数秒。
カウンターテロ用の駆体、と言う触れ込みで開発された雫だが、スペックを大幅に落としていてこの出力。本来の可動スペックであれば、たしかに高ランクの能力者ともやり合えるだろう。
何度か巻き戻して確認するが、黒崎の覚えのないバージョンの物も混じっている。全パーツの型番を調べるにはカタログと照合する必要があるだろう。
とにかく一部を編集してリチャードに送ろう。
原因が古い世代にあるかは、このデータのみならず幅広く検証しなければわからない。
「……あら?」
黒崎は再生した映像を見つめながら首をかしげた。妙な負荷が掛かっている。視界データのみで遅延が発生するほどのデータ量ではない。
「雫、何か不具合でも?」
メンテナンスベッドに横たわる雫に顔を向けたとき。
「マスター、離れて」
黒崎がかつて聞いた事もないような雫の声音が届く。
まるで病に倒れた人間の呻きのような、掠れた声。
「雫?」
問いかけても、応えはない。
身を捻った雫はそのままメンテナンスベッドから転げ落ちた。
「雫!」
椅子を跳ね飛ばし、黒崎は駆け寄る。
そこにいたのは凛とした意志を持つ、黒崎専属の護衛用リブロイドではなかった。
目は見開かれ、人口声帯からノイズを発することも出来ない。
豊かな髪は振り乱され、何かを押しやるように弱々しく手を振り回す。
人間のような、そう紛れもなく人間を模したかのような恐怖の表情でおののく、無力なリブロイドが居るだけだった。