The Encounter World −6−
嘘、どうして。何故。どこから。
疑問が次々と波のように押し寄せている。
雫の異様な反応には十分過ぎるほど心当たりがあった。
膝を抱えたまま、雫は身震いしている。
黒崎は考える。
何故だ。いつ感染したのか。
一体いつDALIAに接触したのか。考えられるのは以前、あの駆体を調べた時か。
だが、一月も経って何故今頃感染するのか。潜伏期間があったにせよ、雫ほどの高性能機がそれを知覚できなかったはずがない。それに自前の防壁も他企業の物も無反応のままだったはずだ。
まさか、DALIAは防壁をすり抜けたというのか。そして、黒崎の端末に潜み、感染の機会を待っていたのか。
わからない。
DALIAとは一体何なのか。
どこかへ持ち込むか。いや、管理局にこの事実を知られるのはまずい。下手をすると、例の事件の感染源が黒崎だった、とこじつけられかねない。
雫はこれを予見していた? いやそんなはずはない。端末に繋ぐことが危険なら事前に雫も警告するはずだ。
結論は一つ。これは最も強固である雫自身の防壁さえも突破しているのだ。
どうする。どんな手がある。雫の電脳が焼き切れるのが先か、電源が落ちるのが先か。雫の駆体は内蔵火器のスペースを確保するため、循環式の廃熱機構に弱点を抱えている。
どうする。
どうする。
こんな時、彼がいれば。彼ならば。
ふと、無意識的にかつての天才の力を欲している自分に驚いた。
彼はいないのだ。そして守護者であった雫を救うため、今や守られるだけの存在だった己自身が試されている。
雫を知る者の助けが必要だ。黒崎は迷わず映話の端末に手を伸ばし、見知った番号を入力する。
つながれ。
祈る。
黒崎にはあらゆる助けが必要だった。神も、運も、人も。
永遠かと思うほどの呼び出し音の後、助っ人候補の顔が写る。
「……何だ……君か。こんな夜更けにいったい何の」
台詞を遮り、黒崎は叫んだ。
「雫が大変なの! 力を貸して、メイスン」
パジャマ姿の男が、脳の覚醒に要した時間は、瞬きほどだった。
「わかった」
メイスンは何も聞かず頷いた。
すべては急を要する。
DALIAがどんな物か知っている身としては、打てる手は限られている。
雫のセンサーを外してもこの事態は解決しない。しかし電脳がオーバーフローしているならどこかで逃げ道を使わなければ焼き切れてしまう。
とにかく起動させ続けていては駄目だ。やはり雫の電源を落とすしかない。
雫の内蔵バッテリーは高出力・高容量のタイプだ。廃熱の問題を考えれば、使い切る前に雫の電脳が焼き切れる可能性の方が高い。
目の前の雫は、黒崎が見たこともないような恐怖の表情のまま、狂乱することもなく未知に怯える子供のようにうずくまっている。
黒崎が一歩近づけば手を振り回して遠ざける。
メンテナンスハッチに手が届けば、と必死の思いで雫にしがみつく黒崎。それを排除対象と見て取ったのか、雫は両手で引きはがす。護衛という用途上、雫の人工筋肉の出力は通常の物に比べてもかなり高い。黒崎は今まで味わったことのないほどの力で突き飛ばされた。
一瞬、足が地面を離れる。受け身もとれず、派手な音を出して黒崎は仰向けに倒れ込んだ。
エアカーにでもはねられたような衝撃だった。少しだけそのまま休んでから、顔をしかめて何とか起き上がる。押しのけられて腰を強く打っただけですんだが、これが打撃だった場合、黒崎の命はなかった。
雫の状態は何も変わっていない。突き飛ばしたのが自分の護衛対象であったことさえ気付いていないだろう。
雫を無力化できれば作業に着手できるが、そのためには彼女のコントロールを奪わねばならず、そして近づいた結果がこれだった。
メンテナンスハッチを開ければ停止はできるが、そもそも近寄ることができないのだ。どうにかして雫を拘束しなければならない。
何かを投げつけて気をそらすか。フレームの破損もあり得るが、電脳の融解よりマシだ。
雫の動きを止められるような物がないか、黒崎は部屋を見回す。ある程度の重さが必要だ。キーボード。ディスプレイの投影機。バケツ。工具箱。消火器。
「ごめん、雫!」
工具箱をつかみ、雫に向けて投擲する。ハッチの場所はわかっている。ほんの一瞬、そこに手が届けばいいのだ。
投げつけた工具箱を、雫が払いのける。
黒崎はその間に滑り込むようにして飛びかかった。首関節の僅かに下、ボルトロック施錠式のハッチに手が届けば、3秒でそれを開けて雫を停止させることができる。
怯える雫に取り付くのは容易かった。電脳に大きな負荷がかかっているため、明らかに動作が鈍っている。
空冷式の放熱器を兼ねた雫の長い髪は、触れるのも耐えがたいほどに発熱していた。このまま放っておけば、そう間を置かずに電脳が熱によって破壊されていくだろう。だが、それは阻止する。黒崎は右手に握った解除キーを首筋に押し当て、ハッチの解除を試みる。
キーがハッチに触れたのと、雫が行動を起こしたのは同時だった。右腕が雫の手で掴まれる。そこにかかった圧力は、今までの人生において一度も味わったことのないほどのもだった。痛みよりも先に届く圧迫感。肉体を通して響く音。腕を握りつぶされる感触。音は痛みと衝撃を伴った。
痛みに耐えて、行動を起こす。そんなものはフィクションの中だけの出来事だ。下腕部の圧迫による骨折は指先から力を奪い、黒崎は絶叫した。
雫の圧倒的膂力は、片手で黒崎を投げ飛ばすだけの力を有している。骨折部位を掴まれたまま、黒崎の体は横薙ぎに払われ、床に叩きつけられた。
規定以上の痛みが脳に届いたとき、黒崎の体は速やかに対処を始める。思考の一切は停止し、何かを思う間もなく黒崎の魂は闇へ投じられた。
そこには夢も思い出もない。意思なき世界は無と同義である。思考の存在しない時間は、ただの断絶。
暗黒からの目覚めは痛みによって引き起こされた。
気を失っていたのは、どれほどの時間だったか。
僅かばかり残留していたアルコールも右手の痛みを打ち消すには至らない。心拍数は上昇し、体が熱を帯びる。身じろぎするだけで脳を焼くような痛みが体を駆け巡り、声を出すのさえ億劫だ。そしてメイスンは、まだ来ない。
汗ばんでいるのは痛みのせいだけではない。いかなる理由かはわからないが、以前見たリブロイドよりも雫の方が負荷が高くなっている。そうでなければこの発熱量は説明がつかない。
黒崎は少しずつ体を動かし、たっぷりと時間をかけて仰向けになった。右手は痛みを伝える以外の機能を失っている。
起き上がり、何とか応急処置を。
左手を支えに上体を起こそうとして、黒崎は声にならない悲鳴を上げた。折れた右手の重さが下にかかるだけで、筆舌に尽くしがたい痛みが襲ってくる。患部を固定しない限り、起き上がるのは無理だ。
横臥姿勢をとろうにも右腕を持ち上げることができない。
しかし膝を曲げ、体を押し出せば何とか移動できるようだ。
とにかく手立てを考えなければ。
壁までの距離はそう遠くない。ゆっくりとした速度ではあるが、黒崎は何とか部屋の隅までたどり着く。
動かぬ右手の袖を左手で握って固定し、壁に体を押しつけながらゆっくりと立ち上がる。
痛い。それ以外のことしか考えられないくらいに。それでも、進む。とにかく腕を固定するものを。視線をさまよわせ、添え木になりそうな物を探す。
床には鋼材など理想的な物があるが、かがんでそれを拾うことはできそうもない。
辺りを見回したとき、ふとスパナが目に入る。先ほど雫に投げられたとき、ひっくり返った別の工具箱から落ちた物だろう。
卓上のそれに目をつけると、痛む右手を横たえ、左手でそれをつかむ。
引き出しから粘着テープを引っ張りだし、口で端をめくる。粘着剤のゴムのような臭いを我慢しつつ、歯で引っかけてそれを引っ張り、スパナに貼り付けた。後は片手で何とかできる作業だ。手首に粘着テープ付きのスパナを巻き付けて固定する。
痛みは依然ひどいままだが、これで何とか動ける。後は何か痛み止めを飲めばマシになるだろう。
ちかちかと痛みでくらむ視界を頼りに歩き出す。
メディカルキットのある棚まで何とかたどりつくと中身を物色する。こんな時こそナノマシンの緊急治療キットを用意しておくべきだった。即治癒、というわけにはいかないが、応急処置で右手を使えるようにできたはずだ。
結局、見つかったのは生理痛の時に使っている痛み止めだった。これで何とかなるだろうか。パッケージを折って、水無しで錠剤を飲み下す。
とにかく時間がない。
痛み止めを飲んだ、という安心感のためか気分は僅かに良くなっていた。右手が熱を持っているのがわかる。当面は片手で何とかしなければならない。
黒崎は左手で額の汗をぬぐった。メンテナンスルームの温度が上がっている。 このままでは、ここがサウナになってしまいそうだった。
いまや人型の暖房機と化した雫の熱量は、抜き差しならぬ所まできているようだった。
しかし、メイスンと二人がかりでも雫を取り押さえられるかどうか。
とにかく、少しでも熱を減らす必要があった。壁のコンソールに手を伸ばし、空調を作動させる。室温を下げれば少しはマシになるはずだ。
程なくして天井のスリットから冷気を含む風が流れ出した。雫には助けにはならないが、中の人間には十分な冷却効果だ。
規則正しい送風音に乗せて、玄関から荒々しいドラムが聞こえる。
黒崎は熱を帯びた体を引きずって玄関まで歩いて行った。
掌紋認証式のロックを開けて来客を出迎える。
「どうしたんだ? ひどい顔だぞ」
メイスンが挨拶よりも先に心配げな声で訪ねた。
「ちょっと怪我をね」
黒崎は右手を持ち上げて見せた。途端、痛みが脳を焼く。食いしばった歯から漏れた苦鳴は、間近のメイスンの耳にも十分届いていた。
「なんてこった!」メイスンは叫んだ。「怪我をしてるじゃないか!」
「だからそう言ってるじゃない。家の中はもっとすごいわよ」
「冗談を言ってる場合か! すぐに救急車を!」
「慌てないで、メイスン。雫の方が先よ。緊急事態なの。私より」
問答している時間がもったいなかった。
メイスンの返事を聞くまでもなく、メンテナンスルームに足を向ける。
こうなればメイスンは黒崎についてくるしかない。黒崎が決めれば、まずは見届ける。その後でどうするか決める。メイスンは、そういう男だった。
メンテナンスルームは静寂に満ちていた。部屋の隅で身動きしない雫は寒さに耐える子供のようにも見えた。
「あなたの力を貸して欲しいの、メイスン。……雫がDALIAに感染したみたいなの。経路は不明だけど、たぶんうちの機材に潜伏していたとしか思えない」
黒崎の言葉を聞いたメイスンの顔は、友人ではなく技術者のそれに変わっていた。
「電源を落とせないのかい」
「近づいてどうにかしようと思ったらこの有様よ」黒崎は右手に視線を落とした。説明はそれで十分だった。
「雫に武装を積んで無くてよかったな…」
「そうね。おかげでまだ何か対策を考えられるわ」
「僕も症例は初めて見るが、君は?」
「実は、ちょっと前にDALIAに感染した駆体を預かったことがあるのよ。DALIAがどういう仕組みかはわからないけど、いま何が雫に起こっているかはわかるわ」黒崎は壁に背中をもたれかけた。「これはその駆体を調べた結果からの推論なんだけど、DALIAは恐怖をエミュレートするために、センサー系統を異常なレベルで稼働させてリブロイドの電脳に膨大な負荷をかけ、混乱させることで実現しているみたいなの。そのときの駆体と雫の症状が違うのは、たぶん雫のセンサーがほかのリブロイドよりもはるかに多いからよ」
「ではセンサーを外せば……?」
「その手は試したわ。そうすると、欠損部位のアラートで負荷をかけるのよ……結局そのリブロイドは直せなかったけど、雫は絶対に救わなくちゃ。目下の問題は、熱ね。負荷のせいでオーバーヒートしかかってる」
「水はどうなんだい」
「どういうこと?」
「雫の髪は空冷のための熱伝導素子だろう。それを水冷すれば熱融解は避けられるんじゃないか?」
「それよ! さすが開発者」
「雫を風呂場に連れて行くのが一番良いんだが、たぶんそれをやろうとしたら僕の首がもがれそうだ。バケツか何かで水をかけてみよう。君はそのまま休んで」
メイスンはシャツの腕をまくってバスルームへと歩いて行った。
黒崎はうなずき、コンソール前の椅子を引いて腰掛けた。
メイスンが水を汲む音が聞こえる。それ以外は静かで、まるで世界の破滅がやってくるようだった。人心地ついた黒崎は背もたれに身を預け、雫を見る。膝を抱えたまま、長い髪に埋もれるように頭を垂れる雫。彼女を助けなければならない。見抜けなかったとは言え、彼女をこうしてしまったのは自分なのだ。
熱の問題を解決しても、高負荷の状態が続けば電脳の寿命を著しく縮めることになる。DALIAが何なのか、それはこの際どうでも良い。どうにかして彼女自身の「自我」を取り戻さなければ。
思案しているとメイスンがバスルームから戻ってきた。両手には捧げるように水の入ったたらいを持っている。
「残念だが風呂桶しか見つからなかった。でも無いよりはマシだろう――それっ」
メイスンが雫に浴びせかけた水は瞬く間に水蒸気となり部屋に立ちこめる。雫はおびえの度合いをいっそう増し、背中を擦りつけるようにしてメイスンからさらに遠ざかった。
「やれやれ…そんな露骨な反応をされると傷つくなぁ」雫の行動を見てメイスンが嘆く。「ともかく、何度か水冷すれば少しは時間が稼げるだろう」
「ホースでもあれば良いんだけど」
「仕方ないさ。この家には庭が無い」
「マイホームが持てたら花壇を作ることにするわ。ホースの有用性はわかったし」
「それがいいね。しかし、このままにしておく訳にもいかないだろう。どうにかして電源を落とさなければ」
「メンテナンスハッチを開けようとしたらこの有様だから……取り押さえる、というのは難しいわね」
「その作戦には重機か強化服がいるね」
「それを、1ダースね。自分で受けてみてわかったけど、雫の腕力はまさしく戦闘用よ。護衛用としての販路がある、と当時は思ったけれど、このスペックでそれは詭弁だわ。的確な戦闘プログラムをあの当時のスペックで運用したら、ワーカーデトニクスは売った途端に管理局に潰されていたわね。私を護衛対象として認識していると雫は前に言っていたけれど、それに対しても身を守ったと言うことは、今の雫は人物を認識していないと見た方が良さそうね」
「つまり、保護コードを盾に雫に抵抗を止めさせることはできない、ということか。厄介だな」
「どうにかして雫の電脳にアクセスできればいいんだけど方法が思いつかないわね」
「この負荷だと駆動時間も狭まるだろうから、それに賭けて冷却を続けるのも一つの方法だ。おそらく良い方法では無いだろうが」
「そうね。たぶん、そこまでは持たないと思うわ。メンテハッチか肩のケーブルユニット、腰に増設してる制御機器のどれかにアクセスするのが最良だけど……どちらも近づかないとどうにもならないわね」
「最終的解決手段もある……これだ」
メイスンが懐から取り出した物。
「銃? まさか、それで雫を無力化するつもり!?」
「そうだ。これで四肢を破壊するか、あるいは動力源を絶つ。護身用でたいした威力は無いが、神経系を狙えば不可能じゃ無い。雫のバイタルはチタン殻で守られているから貫通は難しいが、首の付け根は防御されていないし、脊椎まで届けば電脳への電力供給も絶てる」
「でも、もし外したら…」
「どんなことにもリスクは伴うし、最終解決手段といったはずだよ。確率からすれば首元を狙うのが最良だが、何度か試すだけの弾は入ってる」
「狙えるの?」
「わからない。年に一度の射撃研修では中の下といったところだが、的の真ん中に当たることもある」
黒崎は首を振った。
それは解決とはほど遠いギャンブルでしかない。
「却下よ。それ、当たらない可能性の方が大きいじゃない。それに銃声が響いてもし外に聞こえたら面倒なことになるわ」
「しかし、ほかにどんな手がある? 電脳にアクセスできないなら後は物理的に止めるしか無いぞ」
「足裏の環境センサーから侵入できないかしら」
「雫には確かにソナーやら色々備えているが、侵入経路としてはどうかな。足の裏だけ分解させてくれれば返事はイエスなんだが」
思わず口からため息が漏れる。
「じゃあダメね。設計上、アクセスできる部位はそこしかないし」
「……設計者は」
「え?」
「設計者には連絡を取ってみたのかい」
メイスンの問いかけに黒崎は『雫の開発者は自分だ』と言いかけて止まった。
設計者。
異能の才を持ち、かつては肩を並べて未来を語ったこともある男。
その名を、黒崎はつい先ほど思い出したところである。しかし。
「居場所は知らないの。もう長いこと連絡も無いしね」
そして、相手から去って行ったのだから自分の居所を知っているはずも無かった。
「そうか」メイスンもそれ以上は聞かない。
僅かな間、二人の間には静寂だけがあった。
雫に動きは無いが、水蒸気を発していることから内部温度の上昇は止まっていない。
「どうにかして、外から侵入できれば良いんだけど」
「外部ネットワークからの侵入経路か……」
何気ない呟き。その響きが持つ意味。
ふと、互いに顔を見合わせる。
天啓、というべきか。
「……あるな」
「……あるわね」
開発に携わったからこその閃き。
「駆体はダウングレードしているが、ソフトウェアにはほとんど手を加えていないはずだ」
「つまり、ミコトの補機としての戦術ネットワーク機能は健在」
結論が出れば行動は速い。
手元の端末を駆使してアクセスを試みる。
雫は「ミコト」との連携用に通信モジュールを内装している。ミコトの試験用コードを使って電脳にアクセスできれば、外部から何とかできる。
「開発用のダミーコードは有効なはずだ」
「経路は確保したわ。ただ、データの逆流があるかもしれない。慎重に」
懐かしい緊張感だった。だがそれに浸ることはない。先ほどまでの焦りや怒り、無力感、あらゆる感情が彼方の物になる。あるのは事実。眼前を走るデータの羅列、シグナル、大気の流れを感じるがごとく、電子の脈動を感応する。
「こいつはとんだじゃじゃ馬だ。まともに解析しようとすると、こちらの端末もまともに機能しなくなる」
「予備にリンクして負荷を分散させるわ」
業と言えばそれまで。そこにあるのは技術の結晶たるリブロイドの窮地では無く、伴侶と言えるほどの繋がりを持ったリブロイドの救済の手がかりでも無い。ただ現実があり、越えるべき壁があり、半身の喪失の危機を前にしてなお、己が全霊を賭けて挑む対象が存在するのみ。
「接続完了。さて、どうする」
メイスンの問いに黒崎は真剣な表情で答える。
「雫のアーキタイプをサルベージするわ」
肉体と魂は別か。人に当てはめるならば、それは哲学的な問いとなろう。引き上げた魂を別の容れ物に移したならば、その個人は元の人間たり得るのか。そうだ、と答える者もいるだろう。別だ、と答える者もいるに違いない。
だがリブロイドに、作られた存在であるリブロイドに関して言えば、引き上げた人格を別の器に移したとしても、何ら変質するものはない。代替可能、複製可能なそれを、魂と呼ぶべきかの問題はあるにしても。
沈黙のDALIAの仕組みがどうであれ、その負荷の根源たる肉体から切り離されれば効力を失う。引き上げたアーキタイプを解析し、取り除けば問題は解決するはずだ。