本来ならエージェントと連絡を取って、それからクライアントと面談をするはずだったのだが、よほど待ちきれないのか二人は同席していた。
  場所はホテルの一室。特別高い、というほどでもないがそれなりに名の通っている場所だ。
  スイートルームの居間にはテーブルと、それからティーセットが用意されていた。
  経費でホテルを使うことはあるが、スイートルームに入ったことは無い。
  なるほど、こういうものなのね、とさりげなく見回してみたりする。
  ビジネス用にデイユースをしているホテルも多いと聞くので、宿泊ではないのかもしれない。もっとも、それは黒崎の仕事には何の関係もない事柄だ。
  エージェントはポルカだかポルッカという名前の男だった。いつも笑ったような顔をしている。慇懃な感じはするが、根はいい。いいのだが、どうにも慣れないので苦手だ。仕事でのつきあいは何度もあるのだが。
  何度も仕事をしているのに名前を覚えていないのは失礼な話なのだが、何故か覚えられない。
  いつだったかそれを本人に話したことがある。
  けれど笑って受け流された。彼が言うには「そういうもの」らしい。
  あとで思い至ったのだが、ひょっとしたらそれは彼の「能力」なのかもしれない。不随意でそういう力を漏らしてしまう人がいるのはよく聞く。
  そういうわけで彼は、ポルカだかポルッカだか忘れたがそういう名前のエージェントだった。
  もう一人の男はまだ年の若い青年だ。少なくとも、見かけは。
  見知った顔ではない。同業者とも見えなかった。
  それを察したのかポルッカ、だったような男は黒崎へ青年を紹介する。
「こちらは依頼人のバスカークさんです」
「初めまして。名高いマイスターがこんな若い方だとは知りませんでした」
  こういう場では世辞を言うのが通例だが、目の前の青年の言葉にはそういった印象は感じられなかった。
「お力になれるかどうかは判りませんが、お話は聞かせて頂きたいと思います」
  黒崎も挨拶して椅子に座る。
  バスカークと紹介された青年を一瞥する。見た限りは実直そうな青年だ。着ている服もこざっぱりとしていて品がいい。
  短くそろえた黒髪は整髪料で丁寧になでつけられている。
  見た目は若そうだが、若返り処置が氾濫している昨今、外見だけで年齢を判別するのは意味が無い。
  しかし落ち着いた物腰からすると、それなりに地位のある人間か。
  さもありなん、リブロイドを「買う」のではなく「譲渡」してもらうような依頼ならば相応の金額を覚悟しなければならない。
  つまりはお金持ち。
  ふむふむ、クライアントとしては悪くないかしら、などと値踏みをする。
「さて黒崎さん、今回のお仕事の件ですが、お知らせしたとおりこちらのバスカークさんのためにリブロイドの譲渡の交渉をお願いしたいのです」
「譲渡、というお話は伺っていますけど……個人所有のリブロイドを手に入れたいと言うことですか?」
「いやそうじゃないんだ。実は欲しいのは医療用の奴でね」
「と、仰いますと?」
  いまいち話が飲み込めない。
「ある病院のリブロイドを一体手に入れたい」
「病院の、ですか……」
  医療用のリブロイドを新規に購入するのは別段難しい話ではない。しかるべき手続きさえ踏めば誰もが入手できるだろう。
  だが、譲渡となれば別だ。
「詳しい事情を話すのはあとにしよう。今は引き受けるかどうかだけ聞かせて欲しい」
  バスカークの顔に浮かんでいる表情は真剣だ。
  それに嘘はない、と黒崎は見る。
  依頼人には熱意があるべきだ。
「では一つだけ。……これは違法な案件ではありませんね?」
「もちろんだ。僕はこの問題に、真摯に取り組みたいと思っている」
  なるほど。
  訳あり、とは見たが、ここは青年とエージェントを信用することにしよう。
  何より面白そうな話だ。
  面白そうだ、というのは仕事を決めるのに大事なファクターだ。
「結構です。私でよろしければお引き受け致しますわ」
「ありがたい。経費に関しては心配しないで欲しい。出来る限りの努力をお願いする」
「私も黒崎さんにお願いしてよかったですよ。では……」
  ポルッカ、という名前だったような気がする男は席を立った。
「ああ、すまないね」
  別段不思議ではない、という顔でバスカークも相づちを打つ。
「そういうお約束でしたからね。私の方は退散させて頂いて、細かい部分はお二人で詰めていただきましょう」
「どういうこと?」
  話も聞かずに仲介人が居なくなるのはきわめて珍しいケースだ、といえる。
  黒崎は尋ねずにはいられなかった。
「依頼内容に関して私は関知しない、仲介料だけをいただくという契約でして。プライベートなお話なので関わる人数は最小限に、ということです」
  それはまたずいぶん楽な仕事だこと、と皮肉を言いたくなったが我慢した。
「もちろん、法的な抜けはないように十分留意させてもらうよ」
「何かご懸念の事項がありましたら私の事務所のほうへ」
「わかった」
  口の端をわずかに緩めて微笑むと、ポルカだったような気がする男は部屋から出て行った。
  ドアの閉まる音とともに、静寂が訪れる。
「さて、お茶が冷めてしまっても良くないから一杯どうかな?」
「恐縮です」
  陶磁器の美しいカップに紅茶が注がれる。
  その水色は澄んでいて、香りも素晴らしいマスカットフレーバーだったが。
  雫の入れたのにはかなわないわね。
  と思ってしまう。
  この紅茶を雫が入れてくれたならさぞ素晴らしいだろうなあ、などと一瞬逃避しそうになったが、我知らずと出たため息で現実に帰った。
「ここの紅茶はなかなかの物なんだ」
  そう言いながらバスカークは添えられていたスコーンに山ほどクリームを塗りたくっている。
  黒崎の視線が釘付けになったのを見て、バスカークは照れ笑いを浮かべた。
「クロテッドクリームをたっぷり塗ったスコーンが好きなんだ。……行儀が悪くて済まないね」
「いえ、お気になさらず。私もクリームたっぷりのスコーンは嫌いではありませんし」
  さすがにあんなにたくさんは塗らないが。
  見るだけで胸焼けしそうなクリームたっぷりのスコーンを食べ終えると、改めて二人は向き直った。
  なるほど、腹がふくれれば気持ちの余裕も出る。 
「さて、本題に入ろうか。……僕が欲しいのは、とある病院で働いている医療用リブロイドだ。これを出来るだけ仕様を変えずに、つまり中身を弄らずに僕の元に譲渡できるようにして欲しい」
「差し支えなければ、理由をお聞かせいただきたいのですが」
「理由か……君は恋をしたことがあるかい?」
  苦い質問だった。
「……時には」
  曖昧に答えておく。
「僕は、あるリブロイドに対してそれに近い感情を抱いている。話せば長くなるのだけれどね。単純に言ってしまえば、僕はつい先日まで死にかけていた。いま生きているのは先端医療と、そのリブロイドの献身的な介護のおかげだ」
  転移。
  心理学的によくある話だ。相手に好ましさを映し出して、同種の感情を抱いてしまう。
  カウンセラーに対して感情移入することで、相手が仕事上振舞っている好ましい態度を愛情と錯誤してしまう―――なにもリブロイドに限った話ではない。人間同士でもごく普通におこりうる作用だ。
  時にはそれが真実の恋愛に発展することもあるが、大体はすれ違ったり、相手の態度が役割上のものだということに気がついて終わったりする。
  彼の場合もまた、そうしたありふれた一例だった。
「その……彼女は特別だったんだ。他の患者とは違う、特別な接し方をしてくれていた。これは錯覚なんかじゃない」
  そうではないと口を挟みたかったが、黒崎は聞き役に回ることにした。
  感情が昂ぶっているときは全部話させた方が冷静になれる。
「彼女は機械だ。だから与えられた仕事だけをする。
  話す言葉も、仕草も全て計算によるものだ。微笑みも、優しい励ましも、全てが演技だ。
  そう思い込もうとした。いや事実そうなのかもしれない。
  だけどどうしても腑に落ちないことが一つある」
「それはなんでしょう?」
「彼女は花を持ってきてくれたんだ。それも買ったものでも貰った物でもない。
  花壇から何でもない花を一輪摘んで。これの意味することは何だ?
  これは何の効率の元に導き出された行為なんだ?
  僕は悩んだよ。答えは出なかった。機械としてなら。
  でも、人と同じなら……」
「つまり、彼女もまたあなたに好意を持っているなら、そうする可能性はあり得る、と?」
  バスカークは頷いた。
  力強く。
「僕は、彼女を身請けしたいのだ。出来るだろうか?」
「ご存じないかも知れませんが、あなたを担当したリブロイドは病院の巨大なシステム端末の一つにしか過ぎません」
「つまり、そのシステムごと買い取ればいいんだね?」
  まったく判っていない。
「いえ、それは流石にプライバシー保護の観点から無理です。システムは病院のカルテの記録や診断システムを担っていますから、実質買収は不可能です」
「彼女に会うためだけに病院へ通い詰める訳にはいかないだろうし……何か手はないだろうか」
「代替案としては新規に駆体を購入し、バスカークさんのお宅でエキスパートシステムかそれに類似した物を構築するのが確実ですが」
「それは却下する。私は代わりが欲しいのではないよ」
「といわれると思いました。病院の備品を引き上げることになるので難しいかもしれませんが、ご所望のリブロイド一体を新品に交換する、という方法でなら交渉出来るかも知れません」
「本当かい?」
「もちろん、確実な手段とは言えませんが。―――ただし覚えておいてください。 システムから切り離されてしまったリブロイドはただの端末です。リブロイドとして最低限の機能は有していますが、最悪あなたのことを覚えていない可能性もあります」
  黒崎は可能性という言葉を使った。
  だが実際には可能性など存在しない。
  電話で会話が出来るのは受話器の向こう側に人がいるからであって、受話器そのものが喋っているわけではない。
  メアリとエキスパートシステムの関係はそういう物だ。
「そんなことはないさ」
  バスカークはやんわりとそれを否定する。
「君は技術者だからそうは思わないかもしれないが、僕は奇跡というものを信じている。
  そもそも、事故に遭い、彼女と出会い、僕が好意を持つというのは偶然の積み重ねとしても確率としては極めて低い物のはずだ。
  その確率性、偶然性に神の御業があると僕は考えているのだよ」
  神まで話に持ち出されては反論のしようがない。
「もともと僕には欲しい物はもうないんでね。これは賭けとも言える」
「賭け、ですか」
「そう賭けだ。僕の仕事は投資……いや、投資だったというべきかな。成功したのは、自分の信じた物に『賭けた』からだよ。
  もちろんうまくいかないことだってあったけどね。
  しかしこういうケースで大事な要素は一つ、賭けるべき物に夢があるか否かだ。
  ―――失礼だがあなたの経歴を調べさせて貰った」
  どこまで調べたかはあえて聞かなかった。
  調べようと思えば交友関係までだって探り出すのは容易なのだ。
  とくに、金のある人間にとって他人の動向を知るのは道を尋ねるのと同じくらい簡単なことだ。
  クライアントによっては過去の実績だけではなく、人間関係までさらってから仕事を頼む人間も居る。
  最初は腹も立ったが、今では彼らなりの予防線なのだと思うことにしている。
「あなたの行動には夢がある。僕の願いを預けるには相応しい人物だ。
  だからこの無理難題をお願いしたい」
「ずいぶんと過大評価されているようですが」
「人を見る目がなければ商売は出来ないよ」
「ではそういうことにしておきましょう。信頼されたからには、私としても出来うる限りお応えさせていただきます」
「商談は成立だね。では宜しく頼みます」
  バスカークが手を出してきたので黒崎も迷わずその手を握った。
  力のこもった、強い握手だった。
  なるほど、これはなかなか良いクライアントだ。
「それにしても、依頼人の方が直接同伴するというのは珍しいケースですわね」
「絶対寝るからアポは三日後と言われたので……その、待ちきれず……」
  何故かバスカークは赤面する。
「あははは」
  乾いた笑いが出たが、何も今回に限った話ではないのだ。
  雫は時々そのような受け答えをする。
  黒崎は、雫がわざとそうしているのではないかと疑ってしまうのだった。

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