小鳥は謳う
「……ごめん雫。お茶入れて。うんと熱いやつを」
コンソールで突っ伏したまま、黒崎 響はうめいた。
納期は何とか死守した。
体型もメーカーも違う12体のリブロイドに全く同じ動きをさせる、そんな依頼だった。
さして難しい内容ではない。ただ、時間がなかっただけだ。
同じ動きをすること自体はともかく、歩幅の違う対象を隊列を崩さずに微調整をするのは、ただただ面倒くさく、根気のいる作業である。一体の調整をして、それをエミュレートする。ああ、これが何の思考能力もない「ロボット」だったらどんなに良かったことか。
リブロイドの学習機能は歩幅の狂いを最適化してしまう。誤差の修正も12体分となると単純に時間との戦いだ。そして今回は何よりもその時間がない。
それも終わった。
具体的にはどうやったのか自分でもよく判らない。必死にやっていたらにいつの間にか何とかなったというようにしか表現できない。
もっと効率のいいやり方を見つけるのは今後の課題だろう。
とにかく疲れた。ベッドに突っ伏してしまいたいところだが、納品の手続きをしなければならない。
汗で肌がべたつくのがたまらないが、とりあえずお茶だ。そして甘いものだ。
「あと冷蔵庫にあるチーズスフレも全部持ってきて」
「イエス、マスター黒崎」
抑揚のない声で雫は返事をする。
元々が戦闘用だけに、雫の会話パターンは乏しく、素っ気ない。
対人コミュニケーションを強化しようと思ったが、雫の機構にはブラックボックス的な部分も多い。黒崎ほどの技術者でも下手には弄れない、というのが真相だ。
ワーカー・デトニクスより試作品が黒崎に払い下げられたとき、雫は民生用にデチューンされていたはずだった。
事実、武装の全ては取り払われ、フレームを除いたほとんどの部品は民間用に交換されている。コンパクト化された冷却液の循環機構、それを補うための熱伝導素子による廃熱システムといったものはそのままだが、火器管制システムは外され、マルチロックオン機構もない。基礎OSもワーカーデトニクスの普及品に交換された。
にもかかわらず、雫には幾多の謎が残されている。
現時点でのスペックは、通常のリブロイドよりも若干出力が高いというだけのはずだ。
だが実際には、全身に分散させられたサブシステムを運用し、移動サーバーとしての能力を備えている。これだけでも通常のリブロイドを遙かに上回る処理能力だ。
黒崎は考える。
雫は、デチューンなどされてはいないのではないかと。
部品もOSも書き換えられてなお、雫の本質は別にあるのではないか。
……いやこれはただの妄想だ。疲れているだけだ。そもそも雫の仕様におかしな所があるのは何ら不思議なことではない。
かつては目標であり、教師であり、恋人でもあったリブロイドデザイナー、「バスター」アレンの特異な発想によるものだとすれば。
そのあふれる才能を、全てリブロイドにつぎ込んだ男。名声をほしいままにしながらも在野に下り、ひたすらに設計に明け暮れ、理想のためには全てを捨てた男。
捨てられた中には自分も含められている。
その行方は杳として知れない。各地を旅しているとも、どこかの都市で企業に雇われているとも聞く。
今頃どうしているのか。
無性に人恋しくなるのは独り身の侘びしいところだ。
「あああ駄目よ駄目だわ……滅入ってるわ」
「薬をお持ちしましょうか?」
「そういう気の使い方はやめてほしいわ」
「向精神剤の使用は適法です」
「合法でも非合法でも薬で気分を和らげるなんてやりたくないわよ……私はとりあえずこれがあればいいわ」
響はトレイに載せられたチーズスフレのカップを手に取る。
甘味はいい。心のオアシスだ。
カフェ・オーランタンのチーズスフレは絶品である。チーズの濃厚な味わいの中にヨーグルトの爽やかな酸味が加わり、ともすればしつこくなりがちな甘さを緩和させながらも互いに引き立てる、素晴らしき味覚のハーモニー。
表面に軽くついた焦げ目に、スプーンを入れる瞬間の官能。
中に進むにつれて指先へわずかに感じるのは、ムース状になったチーズが弾ける感触。視覚、嗅覚、味覚のみならず、触覚と聴覚まで満たすこの愉悦。
人はこれほどまでに完璧な芸術を世に送り出せるものなのか。
仕事で徹夜が続くときには欠かせない。むしろ無いと仕事にならない。
作業が遅くなるのを承知で雫に買いに行かせるほどだ。
「この美味しさを分かち合う事が出来ないのは残念よね」
「あと1個で本日のカロリーオーバーです」
「黙れ、小姑」
文句を言いつつティーカップに注がれた紅茶をすする。
口うるさいが、紅茶を入れる腕はたいしたものだ。ろくに教えたわけでもないのにコツを心得ている。雫の謎の機能その一、だ。しかし疲れているときは本当に役に立つ。一番役に立っている技能かもしれない。
ベルガモットのリキュールが少量加えられたそれは、さわやかな香りとともに黒崎の精神を癒してくれる。
そもそも、そんな事さえ教えていないのに雫はどこでそれを学習したのか。
判らない。
判らないが、これは大変素晴らしいことなので追求することもなかった。
雫の料理もなかなかのものだ。というより、黒崎より圧倒的に上だ。レパートリーに若干の偏りはあるが。
チーズスフレを3カップ食べ終わった頃にはすっかり気力が充実していた。
これほどまでに貴重で贅沢なスフレを、次々消費してしまうこの罪悪感がまたたまらないのだ。
「ふー。とりあえず残りをやっつけてしまいましょうかね」
「その前にエージェントからメールが一件来ていますが」
「仕事の?」
「そのようです」
「あー。そういうのは後々。とりあえず納品の段取りつけたら休むわ」
「アポイントメントはどうしますか?」
「3日後で。明日納品して、明後日は寝るわ。絶対寝るわ」
「ではそのように返事をしておきます」
「お願いね」
雫とやりとりしながらコンソールを叩き、納品の段取りを付ける。
最終チェックのエミュレートにも問題なし。これで仕事は終わりだ。
明日の昼には回収車が来て、12体の娘を引き取っていく。これで工房もだいぶ広くなって一息付けるというものだ。
なんといっても、個人のガレージにこれだけの数を搬入するのはいささか狭すぎる。
「終わり終わり。もう後片付けは任せるわ」
「明日のご予定は」
「回収車が来るまで寝るわ。ドアは全部施錠して、誰一人入れないで。メールも電話も重要な案件以外は全部ぶっちぎって」
「わかりました。それでは良い夢を」
「まかせたわー」
よろけるように立ち上がると黒崎は寝室へと向かった。
ベッドメイキングが済んでいたのが何よりも嬉しかったが、真新しいリネンの匂いを嗅ぐ前に黒崎は眠りの世界にダイブしていた。
眠った、と思ったのはつかの間の出来事だった。
けたたましく鳴り響くアラームが黒崎の眠りを妨げる。
「えー?」
「時間です、マスター黒崎」
「嘘……今寝たとこなのに」
「残念ですが嘘ではありません。およそ11時間の睡眠を取られていました」
「ああ……鉛のように体が重いわ」
「コーヒーをお持ちしましょうか」
「お願いするわ。それより回収車は来た?」
「今工房で搬出作業中です」
「えっ? ちょっとそれはコーヒー飲んでる場合じゃないわよ」
「作業の進捗は順調です。特に問題ありません」
とはいえ工房の責任者が立ち会わない訳にもいくまい。
乱れた髪に櫛を入れて、とりあえず鏡を見る。
化粧はしてないが目の下にクマなどもできていない。何とか人前に出られる顔だ。
ちょっと腕を伸ばして匂いを嗅ぐ。
かろうじて汗臭くはない。……と思う。
制汗剤を振って服の中で吹く。まあこれで何とか。
せわしなく支度をしながらふと思う。
なるほど、作業が順調だから急がなくていい、というのは雫なりの気遣いなのだと。
「そこが可愛いところなのよねえ」
寝室の扉を開けて工房に降りていくと、12体のリブロイドのほとんどは運び出されていたあとだった。
メンテナンスベッドと本体は運び出されており、残りはあと一体と相手側から預かっていた機材だけのようだ。見渡すと工房がずいぶんと広くなったように感じる。
雫がしたのか、それとも業者がしたのかは判らないが散らかっていた床も綺麗になっている。
半日前と同じ場所であったとは思えない。
「……本当におしまいじゃない」
つぶやいている間にもメンテナンスベッドの最後の一つが運び出され、搬出は終わる。
業者の男が持ってきた端末に確認用のサインを書き込んで、ここ数日の喧噪は今度こそ完全に終了した。
「ひょっとして私、寝たまんまでも良かったんじゃないかしら」
「搬出完了にサインをして頂く必要があります。リブロイドによる虚偽のサインは犯罪行為に該当します」
「知ってるわよ。ただ言ってみただけじゃない」
「冗談と判別出来なかったので忠告させて頂きました」
「もう少しユーモアを身につけるべきね、雫」
「善処します」
雫は優雅に一礼するが、そこには何処か皮肉が含まれているような気もした。
「そういえば依頼が来ていたんだっけ。どんな内容だか目は通しておいた方がいいわね」
「概要を説明致しましょうか」
「そうしてくれると嬉しいわ」
「依頼内容はリブロイドの譲渡に関する交渉と、搬入時の仕様変更および調整です」
「金額は?」
「応相談。必要経費は相手持ちで、期間は出来るだけ早く、とのことです」
「ああ、なるほど。こりゃあマニアがらみの仕事かしらね。エージェントの方には詳しい話を聞きたいから後で連絡するって伝えて。それと、スケジュールはよほど急ぎの依頼でない限りは保留しておいて」
「キャンセルでなくてよろしいのですか」
「入ってきた仕事がまともな話じゃないことだってあるでしょう? 予防線よ」