2回目の報告を受けたのは夕方も過ぎて辺りに闇が差してくる頃だった。
  雑事に追われ最後に受け取った報告がそれだっただけに、ゲイルの顔には疲労ともあきれともつかない表情が浮かんでいる。
「件の記者は部下が配送のトラックに載せて郊外へ連れ出したそうです。が、運転手からの連絡では、途中で行方をくらましたそうで」
「行方がわからなくなった?」
  入院中のハンスに代わりボリスの店に来ていたイェナは、軽い驚きと共にその報告を受け取った。
「はい。途中のパーキングで休憩を取っている最中にどこかへ雲隠れしたらしく、足取りがつかめません」
  うんざりした顔のゲイルとは対照的に、イェナは笑いを堪えるので精一杯だった。
「たいした根性だわ」
「どうしますか? やはり始末しますか」
  ゲイルにしてみれば笑い事ではない。其処までしつこく食い下がってくると言うのなら、いっそ口を封じてしまおうという気にもなる。
  どんな綻びも見逃すわけにはいかない。強固な堤防も、針の穴ほどの隙間から壊れることがあるのだから。
「お任せするといいたいところだけど、後ちょっとだけ様子を見ましょう」
「お聞きしてもよろしいですか」
  ここでゲイルはとあることに気がつき、質問した。
「なあに?」
「私には姐さんが楽しそうに見えるのですが」
「ふふふ、私を知っているのではなく『知りたい』という人間が出てきたのは久しぶりだから、どんな人なのか興味があるのよ。それに、ただの人間にしては根性があるわ」
「確かに、これだけ目立つ行動をしていれば暗殺者の類とは思えませんが」
「どうかしらね。擬態、という線も考えられなくは無いけれど」
  イェナの眼には笑いがこもっている。
  それの意図するところをゲイルは汲み取った。
「まさかお会いになるつもりですか」
「そうねえ。それも面白いわねえ」
「自重してください」
  時折見せる、この不老の魔女の気まぐれには何度か手を焼かされているだけに、ゲイルは念を押して釘を刺す。
「あなたは固すぎるわよ、ゲイル。もっと人生は楽しく行かないと」
「時期が時期ですし、姐さんを無闇と危険に巻き込むわけにもいきません」
「無用なリスクは避けるという事かしら? まあ、あなたは上に立つ立場だから仕方ないわよね。でも、私生活の分野だったら会社の出る幕じゃ無くってよ」
「はあ…………そう仰るなら」
  これ以上問答しても仕方がない。ゲイルは早々に諦めた。
「ただ、ケヴィン・マクガイアが外部からプロを雇っているという情報がありますし、東海岸の連中と何度か会合を持っている、という話も聞いています。
表だった行動はしないと思いますが、どういう手を打ってくるかは想像も付きません。
荷物の検疫、倉庫の使用許可などのチェックは厳重にしていますが、単純な手としてこちらの倉庫に法に引っかかる物を納品した上で管理局に摘発される、というようなことをされるだけでもこちらには相当の痛手ですし、現段階でも現場の負担は相当なものです。
  ただでさえ、先の襲撃騒ぎで荷揚げが減っていますし、搦め手でこちらを干上がらせる方針で来られるといささか厳しい物があります」
「ゲイル。あなたが命じさえすれば、私はあの男を一族もろとも、月の彼方に吹っ飛ばすことだって出来るのよ?」
  それは誇張でも何でもなかった。
  かつて、そうまだ大陸の中央に鉄道も走らぬ頃、イェナはそれを成したことがある。
  街は消えた。
  全ては死に絶え、破壊され、跡形もなく。
  その街は、もはや在ったことさえ忘れ去られ、記憶に留めているのは破壊者であるイェナ本人だけだ。
「わかっています。窮極的な解決手段として、それは考慮すべきでしょう。ただ―――方針として『彼らをビジネスの相手と捉える』という声も無くはないのです。ある程度こちらの力を誇示して、叩きつぶすのではなく搾取する対象として」
  馬鹿馬鹿しい話ですがね、とゲイルは付け加えた。
「ずいぶんとお優しい事ね」
  だが、そうなったのはイェナ自身の責任でもある。
  先々代の頭領と相談した上、ビジネスを限りなく合法にする。表社会の顔として機能させることで、社会的基盤を作り、組織を盤石なものとする。
  武力のみではなく、法的な力と権限でもって勢力を広げる。
  そのために、外部の人間を数多く雇い入れ、法の専門家、あるいは法の番人さえもそこに組み込んだ。
  暗黒街などと呼び習わされても、それなりの地位と利益を上げるシステムを維持できているのは、そうした部分に因る。
  故に、暴力の持つ力を低く見積もりがちだ。暴力とは根源にして圧倒的、かつ理不尽な、力であり仕組みだ。意志なく振るわれる『力』は善も悪も存在しない。どのような組織であっても、そこに属そうとしない力の前には無力だ。
  暴力とは元来無秩序なものであり、それが行使されるのは理性や命令のためではない。衝動だ。
  こちらが力を誇示し、ケヴィン・マクガイアが諦め、ビジネスが成立する。
  そのような妄言が通用するのであれば、これほど多くの血が流されることもなかっただろう。
  現実は違う。
  人は常に過ちを犯す。
  そして、それに気がつくのは、いつだって取り返しがつかなくなってからだ。
  イェナが街に留まり、暴力を持った装置である意味、その意味を理解している人間がどれだけ存在するか。そして其処に至るまでにどのような陰鬱な過程を踏まねばならなかったか。
  もはや、誰も理解はすまい。
  理解されようとも思うまい。
  だがイェナは知っている。
  面子、利権、虚栄心。そのほか多くの人間の思惑が重なり、事態はじきに引き返せない場所まで到達するだろう。
  黄昏はやってくる。
  喜びも享楽も失せ、血と悲鳴の流れる夜が。



 
  一方スミス・エリオットといえば街に舞い戻っていた。たまたま目星を付けたトラックは運良く街へと届け物をする途中であり、少々の心づけで気前よく街へと案内してくれた。
  取材は終わっていない。
  手応えを感じたからには、そこから目を背けることは出来ない。知りたい、という欲求、それが記者の原動力なのだ。丸い体躯に押し込められた熱情は、命の危険さえ顧みること無いほどに高まっていた。
  死なない女とは何者か? それが単なる与太話の可能性もあったが、スミスの勘はそう告げてはいなかった。
  なにかがある。それは不死身の女などではないかもしれないが、巨大な力の動きを司る「何者か」がいるということだ。
  知りたい。
  記事には出来ないかもしれないが、貴重な経験と情報を得ることが出来るだろう。
  個人的なパイプを作ることが出来れば、あるいはこの暗黒街と呼ばれる荒んだ街から、ホットな情報を手に入れられるようになるかもしれない。
  財布を取られたのは痛いが、靴底には紙幣が仕込んであるから路銀は何とかなる。
  再び街に入ると、潮の香りを含んだ濃い霧が漂ってきていた。
  街を縦横に走る『クロスリバー』には魔女が住んでいるという。
  ひょっとしたら、不死の女とはその魔女なのかも知れない。
  大人に聞いたのが良くなかった。有名な人物ならむしろ子供に聞いてみるべきだった。
  子供の情報は不正確だが、それほど高度な駆け引きを要しない。
  それに後ろから殴ったり財布を盗んだりもしないだろう。無論、そんなことになってももう財布は無いし、自分に命をとるほどの値打ちがあるとも思えない。
「はてさて、こんな夕暮れに出歩く子供がいるかと思ったのですが……」
  居るものだ。
「やあ、こんばんは」
  片手を上げて挨拶してみる。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが、いいかね?」
  逃げられた。
「いやはや、非協力的ですなあ」
  こんな街なのだから無理はないのかもしれない。人を信用しないのが一番安全だ。
  見ればちらほらと人影は見える。
  手当たり次第に声を掛けてみるものの対応は素っ気ない。
  もう少し年齢の低い子供なら。そう思って路地に立つ少年にも聞いてみる。
  少年はうつむき、それから呟くように言った。
「それは喋っちゃいけないことになっているの」
「どうしてかな?」
「みんながそう言ってるから」
  箝口令か。
「じゃあ、話してもいい人はいるのかな?」
「わかんない」
「教えて貰えるとおじさんはとても助かるんだ」
「聞いてみる」
  少年は路地の奥へ消えた。
  また逃げられたか。
  そう諦めかけたとき、影の中から別の少年が現れる。
「なに?」
  嫌な目だ、とスミスは思った。暗く澱んだ目をしている。
「あー私はちょっと調べ物をしているんだが、この辺りに歳を取らない女性が居ると聞いてね。是非一度逢ってみたいと思っているんだが」
「ああ…………」
  少年の表情は変わらない。虚ろで、どこか焦点のずれた目。
「知っているよ。みんな知ってる。ここでは知らない人はいないんだ。でも喋ってはいけないことになってる。…………逢いたいの?」
「案内してくれるととても助かるよ」
「…………こっち」
  ふらふらと歩き出す。
  誘っているのか。
  スミスは少し思案し、少年の後をついて行くことにした。距離は僅かに広く取る。揉め事に巻き込まれそうになったら即座に逃げるためだ。
  それでも。
「ああ、やっぱりですか」
  そう呟きが漏れた。
  後ろにはもう人が居る。
  路地の多い街である。広い通りから離れてしまえば、そこは迷路と変わらない。自分がどこにいるかは把握するように努めていたはずだったが、霧と闇のせいで人の気配を事前に察するまでには至らなかった。
「残念ですが、私はお金を持っていません。さっき取られてしまいまして」
  降参だ、とばかりに両手を挙げる。
  後頭部に衝撃。
  視界が一瞬白くなり、よろけながら壁に寄りかかった。
  今度は物盗りではない。明らかに殺そうとしている。
  鈍器を使っているのは、血を流させないためか。
  少し踏み込みすぎようだ。いけませんなあ。
  命の危険を感じながらも、痛みで朦朧とする頭でそんな事を考える。
  触れてはいけない暗部。そういう仕組み。
  マフィアの幹部を追いかけ回したときも似たような目にあった。あの時は拳銃で撃たれて、怪我はしなかったがずいぶんと肝を冷やしたものだ。
  今度ばかりはそんなことを言ってはいられないのかもしれない。
  背中に何か硬い棒が打ちつけられた。
  足にも何か重い物がぶつかる。
  痛い。それでも痛みでこわばった身体は逃避の命令を実行できない。両腕で頭を抱えるが、それを解いて一瞬の危険に身をさらすことを本能が拒んでいる。
  膝が折れ、スミスは亀のように地に這いつくばった。
  それでも暴行は止まない。特に後頭部へ重い何かが繰り返し繰り返し叩きつけられ、そのたびに視界が白く明滅する。
  茫洋としていく精神は現実感覚を奪い、打撲のそれも鈍痛へと変わっていく。
  殴られていない、と気づくまでにどれほどの時間がかかっただろうか。
「そのへんにしておきなさいな」
  誰かが男たちと話している。
「しかし……」
「私の方で話をつけておくから、ね。それにこの人、本当にお金持ってないわよ」
「はあ………」
  毒気を抜かれたかのように足音が遠ざかっていく。
  スミスは自分の身体が震えていることに気づいたが、どうしても守りを解いて頭を上げる気にはならなかった。
  硬直を緩めるとまた暴行が始まるような気がしたからだ。
  うずくまったままでいると、上から女の声が降ってきた。
「さて、勇敢な記者さんは生きてるかしら?」
  なぜかは判らないが、スミスはそれが探している女性の声なのだということを理解した。
  恐る恐る立ち上がってみるとまだ霧と闇はそこにわだかまったままだったが、取り囲んでいた男たちの姿は無く、目の前には女が一人立っているだけだ。
  長髪は夜のように濃く、肌の白さは亡霊のようだ。
  瞳は赤い。アルビノか、と思ったが髪の色からすればそれはあり得ない。
  すなわち異形の女。
「いやはや、まったく。本当に物騒な街ですな、ここは」
  すぐに起き上がりはせず、間断なくあたりを探りながら顔だけでイェナを観察する。
「知っていて来たのでしょう? 私を捜しに」
「ほう。それではあなたが私の捜している方だと?」
  軽く探りを入れてみるつもりだったが、相手はすでに事情を察しているようだった。
「まあ信じる、信じないはあなた次第だけれどね」
 イェナは薄く笑いを浮かべると、スミスに手を貸して引き起こした。
「こんなところで立ち話でも何だし、私のアパートメントにご招待するわ。聞きたいことが山ほど有りそうだし」
「話が早くて助かる。どうやらこの街では善悪が逆転しているようですな」
 イェナはそれには応えず、ただ肩をすくめた。


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