ハンスとジョーンズ、二人は一部始終を見届けていたボリスによって病院に運ばれていた。
  一人は市の総合病院に、もう一人はヘクターの病院に。
  ヘクターの病院に運び込まれたのはジョーンズの方である。
  目を覚ましたジョーンズの眼前にいるのは、悪鬼のような形相で立つイェナの姿だった。
  自分はといえば、身体がびっちりと革バンドで止められていて動かない。
  絶対安静?
  そんな馬鹿な。唇が切れているのは痛いが、後は五体満足だ。
  それよりも何故イェナがそんなに怒っているのか理解できなかった。
「聞いたわよ、酒場でのこと」
  まずい。本気で怒っている。
「あれはその、ちょっとしたしつけというか教育だったんだよ、マジで」
  身体を拘束されているので、ジョーンズは頭だけで必死に弁解した。
「で、あなたは子供相手に本気で突っかかった後、怪我まで負わせて満足して寝ていたって訳ね」
「俺だって怪我人だぜ。おあいこだよ」
「黙りなさい。ボリスから全部聞いたわよ。弁解無用」
「ぐう……だってよ……」
「だっても糞もない。今日こそはそのツルッツルの脳味噌にシワを刻んで貰うわ」
  冗談ではない。
「待て、イェナ。脳にメス入れるのは法律違反と聞いたことがあるぞ」
「別に私の頭じゃないから」
「コラー!」
「ヘクターに念入りにやって貰うよう言ってあるから、真人間になって帰ってきなさい」
「う、うそだよね? イェナは優しいからそんなことしないよね?」
「わたし、残酷なことだーいすき」
  清々しい笑顔だった。
  悪魔はたぶん、こんな顔して笑う。
  十中八九本気だと見て取ったジョーンズは、必死の脱出を試みた。
「くそっ。死んでたまるか、俺は自由だ!」
  ジョーンズはベッドに拘束されたまま暴れるが、両腕を縛り付けている革手錠はすこぶる頑丈で、彼の怪力をもってしてもびくともしない。
「簡単には外れないわよ。3重の革手錠をベッドへ直にボルト止めしているやつだから」
「こんなもので、この、このっ!」
  だがジョーンズの異常に発達した背筋力は寝たままの状態でマットレスごとパイプベッドをへし折った。
  これにはイェナも呆れる他はなかった。
  エビのように身体をじたばたさせると、やがて足を繋いでいたパイプも折れ曲がってしまう。
  悪魔でも取り憑いたかのように暴れ回って自由を確保したジョーンズは、パイプベッドの大部分を引きずったまま病院の窓を体当たりで割った。
  いや、窓を壁ごとぶち抜いた。
「アディオス、アミーゴ!」
  ベッドの残骸をまとわりつかせたまま、振り向きもせずにジョーンズが逃げていく。
  イェナは嘆息してその後ろ姿を見送った。

「死なない女の話? 何を言ってるんだ、お前さんは?」
「いえですからね、ここにはそんな女性が住んでいると聞いたんですよ」
  その太った男は背広の内ポケットから名刺を取り出して男に手渡した。
「クラインプレスのスミス・エリオット? なんだブン屋か」
「ジャーナリストと言って欲しいですなあ。それはともかくとして、そんな話、聞いたことはありませんか」
  スミス・エリオットは、真実を探求すると言った風合いもなければ、ネタを探して地を這うような餓えた目もしていない。
  それはどこにでもいるようなただの男で、人の良さそうな笑みと、その体重がもたらす鈍重だが何処か憎めない風体が記者というイメージから彼自身を遠ざけていた。
  いうならば、小金を持った物好き。
  話しかけられた男はスミスを上から下まで観察して、そう判断した。
「無いね」
「本当に?」
「大体、知っていてもただで教えると思ってるのか」
「もちろん、それなりのお礼は致しますよ」
「なるほどねえ」
  男がつぶやいた瞬間、スミスは地に転がっていた。
  頬が熱い。
  殴り倒されたのだ、と理解する間もなく靴底が顔面に迫ってきて、スミスの意識は暗黒にのまれた。

 


 

「おかしな話? 」
 珍しくイェナのアパートメントに顔を出したゲイルの報告に、イェナはすこし驚いた。
「はい。聞いたところによれば、この街で何か嗅ぎまわっている奴がいるようです」
「まあ、命知らずな。で、その勇気ある人物は何を調べているの?」
  治外法権と言うことではないが、それでも正規のルートから来たのではない移民や後ろ暗い過去を持つ者は少なくない。
  非合法な職業も成り立つ街である。
  他人の素性を探ることは、時として死を意味する。特に、余所から来た人間がそれをするときは。
「驚くべきことですが、姐さんのことです」
「それはまた。わたしのことを知りたいなんて人が出てきたのは50年ぶりぐらいかしらね」
「一応尾行は付けていますが、早速身ぐるみ剥されたようです。殺し屋の類ではなさそうですが、どうも本人は記者と名乗っているらしく、今身元をしらべています」
  受け答えするゲイルの言葉に澱みはない。
  イェナが絶対的な信頼を置くこの若き統率者は、もはや半分は引退したも同然のボスに代わって、組織のほとんどを切り盛りしていた。
  なによりも、手回しのそつの無さ、それこそがイェナの最も信頼する点であり、彼女に勝る「事態を見通す目」が幾度となく組織を救ってきた事実がある。
  イェナの元に報告が来る頃には、一通りの手配と状況の把握が終わっているのだ。
  身元の捜索に入っている、ということは目的の人物の名前、そしてその所属している場所、地位などの洗い出しに掛かっていると言うことに他ならない。
「真っ当な人ならあんまりいじめちゃ駄目よ。よぉく言い聞かせて、丁重にお帰りいただかないと」
「用意した身元に何か穴があったのでしょうか」
「可能性としては、無いとは言い切れないわねえ。ちゃんと買い取った戸籍だし、家系も結構昔まで辿れるようにしてあるからそう簡単にばれたりはしないはずなんだけど」
  インスタントのコーヒーを一口すすり、イェナは嘆息した。
  何よりも、人より長く生きる身である。仮にとはいえ、身元は必要だ。イェナの持つ戸籍は定期的に死に、入れ替えられる。
  用意される戸籍は、基本的に長く続いてはいるものの一人で途絶えてしまう者に絞られ、系譜を辿ることは出来ても親族のいない者に限定されている。
  使い古された戸籍からは年金さえ出ることがあるが、適当な時期になると死亡通知が発行され、イェナ自身には新しい名前が与えられるのだ。
 選別は慎重に行われてはいるが、昨今はコンピュータネットワークの発展によって、戸籍の操作がしにくく、また不審な点を見つけた場合、どこからでもその経路を辿られてしまう。
「それになぜ姐さんのことを知りたがっているのかが気になります。まさかマクガイアの新しい戦術ということはないと思いますが」
「わたしに社会的な圧力をかけるということ? うーん、確かにそういう手で私を攻めてきた人はいないわねえ。新聞相手じゃビルを壊しても解決はしないでしょうし。聞かれたくないからって殺してしまうのも、エレガントな解決とはいえないわね」
「どうします? 身元がわかればこちらから圧力をかける方法もあるかと思いますが」
「そうねえ。ここが酷い街だ、そんな与太話を追いかけるほどの価値は無いって思ってくれるのが一番なんだけど、変な使命感を持って追い掛け回されるのはごめんだわね。こういうことはお任せするわ」
「わかりました。うまく処理をしておきます」
 ゲイルは一礼し、イェナのアパートメントから出て行った。

 


 

 財布や腕時計といった物を盗み取られたスミス・エリオットはといえば、路上で倒れているところを一人の若者に助けられていた。
  若者は、当然ゲイルの手の者である。
  若者は既に自分がこの街に属する、いわゆる『武装した自警団』の一員であり、彼の助けになれることを話していた。
「全く酷い目に合いましたよ。話のわかる人で助かります」
  近くの喫茶店に連れ込まれたスミスは、湿らせたハンカチで頬を押さえている。
  したたかに殴られ、踏みつけられたせいで顔にはあざが酷い。
「こんなところには来ないほうがいいぜ、おっさん。財布の中身は期待しないで欲しいが、ハイウェイに乗るトラックに載せてやることはできるだろうから、近くまで行ったらそこから電話をかけて誰かに迎えに来てもらうといい」
  若者は親切に提案した。無論、ゲイルの手はず通りに。
「はあ、それにしてもギャング団に助けてもらうことになるとは、いやはや」
  法の光の当たらぬ場所を、探求で照らし暴く、という立場の記者にとっては、本来敵ともなり得る相手に助けられるのは皮肉な成り行きだ。
  なにより、ただの市民が強盗で、ギャングが親切に味方してくれるというのだから。
「こういうところには、それなりのやり方ってもんがあるのさ。身一つでいきなり来たのはまずかったな。ここじゃよそ者は歓迎されねえ」
「しかし、こうして話の出来る人と会えたのは僥倖ですよ、ふうふう」
「変な気を起こすなよ」
「変な気といわれましても、話を聴くだけで財布を取られてしまうのはねえ」
「用心棒でも連れてくるか、俺らに話を通せばよかったのさ」
「はあ。確かにそうですな。物騒とは聞きましたが聞き込みさえ出来ないとは」
「ここの連中は詮索を嫌うからな。余計なことに首を突っ込まないほうがいい」
「ふむふむ。あなたの口ぶりからすると、件の女性は存在しているということになりますな」
  若者は仰天した。出来るだけ、顔には出さず。
「どうしてそう思う?」
「死なない女の話なんて一蹴してもいいでしょう? 
 ところが、どこで聞いても笑い飛ばしたりはしない。居ない、聞いたことが無い、関わらないほうがいい。
 存在は否定していますが、皆さんお答えが真面目だ。こんな街で、そんな答えが返ってくるということは、その女性が何らかの影響力を持っているということ。
 そうじゃありませんか?」
 この男、案外見た目よりも鋭いのかも知れない。
 報告の案件には加えておくべきだ、と頭の中で考えながら若者は切り返す。
「まあそう思い込むのは勝手さ。ここじゃ人のことを嗅ぎ回るやつは、黙ってサメの餌にされても文句は言えねえ。何せ、後ろ暗いことの無い奴なんて誰一人いないんだからな」
「それはごもっとも。どうやらあなたから言質を取るのは無理のようですな」
「懲りないおっさんだぜ。まあ今日のところは帰るこった」
「そうしましょう。いろいろお世話になりました」
  若者は一端店を出て、ゲイルに連絡を入れた。
  クライン・プレスのスミス・エリオットは街から荷を運ぶ長距離トラックに乗って、自分の居た州へ帰って行くと。
  そして事実そのようになった。
  その時は。


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