時は来た。
  護衛の船がつくと言う話が広まり、港の荷揚げ量も増えつつあった矢先、再び船が沈められたのだ。
  しびれを切らしたのではない。これは挑発だ。
  イェナが動くときが来た。
  船に乗り込んだイェナはいつもの革ズボンに革のシャツと軽装だ。
  救命具を付けたほうがいいという忠告は聞かない。イェナ曰く「動きが鈍る」からだ。
  一方、イェナが船に持ち込んだのは大の男が5人がかりでも持ち上がらないケースと重さはたいしたことはないが大人の胴ほどもある筒。曰く、これが得物。
  銃器の類を何一つ持たないのが彼女のスタイルだ。イェナの持つ武具、通称「7つの下僕」は飛び道具の殺傷力を遥かに上回る。銃は弾が切れたらおしまいだが、7つの下僕と称される人智を超えた技術で鍛造された武具は不滅と言っても良かった。これを用いたとき近接戦闘においてイェナを圧倒できるものは殆ど居ない。
  船は小回りの利く快速艇で、居住スペースが小さい代わりに速度は素晴らしく、交換されたエンジンの出力もあって重い荷を積んでいるにもかかわらず申し分のない速力を維持している。
「これは調達課にボーナスをあげたいわね」
  波を切りさく船上で、イェナは一人ごちた。
  相手もおそらくは足の速い船を使っているだろう。振り切って逃げられるのも困るが、旋回されて挟撃されるのが一番危険だ。
  それに同伴している貨物船はダミーではない。商売が掛かっている以上、無闇に沈めさせるわけにもいかなかった。
  割り込んで引き付けられれば荷物は逃がせる。
  無論、イェナの計画では相手の船は沈めるつもりだ。
  こちらの商売を邪魔した以上、相手には代価を支払って貰わなければならない。
  曰く、血には血を。
 
  それからしばらくは何事も起こらなかった。
  イェナが港に戻ってくる頃ハンスは仕事へ行き、朝は二人で食事をし、イェナは港を出て護衛につく。
「やっぱり姐さんが怖くて奴ら手出しできないみたいですね」
  船長が陽気に言う。
  波は穏やかで、荷を積んだ船にも異常はない。
  このまま船を港まで引き入れれば仕事は終わる。
  なべて世は事も無し。
「そうでもないみたいよ? 大物が掛かったみたいだもの」
  双眼鏡から目を離し、船長に手渡す。
「招かれざる客みたいね」
「ど、どうしますか」
「仕事だもの。ちょっと乗り込んで皆殺しにしてくるわ」
「そんな……危ないですぜ?」
「じゃ代わりに行ってくれる?」
「め、滅相もねえ。姐さんにはかないませんぜ」
「取りあえず貨物船は引き返すように連絡して。こっちは間に入って足止めするわ。多分銃撃戦になるから、撃ってきたら頭を伏せてるのよ」
「は、はあ。けどあっちがミサイルでも撃ってきたらどうするつもりで?」
「沈んじゃうわねえ」
「そんなご無体な」
「戦場に出たら、あとは撃った弾が当たって、撃たれた弾が当たらないのを祈るしかないわね。人間誰だって一度は死ぬもんなんだから諦めなさいな」
「姐さんがそれを言っちゃ説得力無いですぜ」
「それもそうよね」
  こんな時にこそ、軽口を叩く。
  生と死を分けるのは一瞬の境目だ。運と技があればその狭間を抜けることが出来る。
  それは本当に小さな抜け穴で、鉄火場に出る人間はいつもその深淵を覗き、通り抜けるべく身を捩る。
  例外はない。その裂け目が通りやすいかどうかの差はあれど。
  視界に、僅かながら船影を認めたとき。
  敵が先手を打ってきた。
  かすかな発砲炎、しかしそれの意味するものは。
「ロケット弾ね。目測で撃ってきたわ」
「そんな落ち着いている場合じゃ────!!」
「あの距離で当ててきたら大したものだけど……功を焦ってるのかしら。船長、取り舵いっぱいで射線をずらすわ」
「ひえええ」
  素っ頓狂な悲鳴を上げつつも、やはり海に慣れた男らしく舵取りは正確だった。
  ロケット弾は船のはるか脇を通り過ぎ、海面に着弾して水しぶきを上げた。
「さてそれじゃスリリングなクルージングと行きましょうか」
  船長はおそるおそる顔を上げながら、それでも真っ直ぐに敵の船影へと舳先を向ける。
  敵の船は大型のクルーザー4隻。
  それに武装した人間が数名、甲板に上がっている。
  見たところ、武装は取り回しの良い軽機関銃が主で、他にアサルトライフルを持った人間が数名。
  擦れ違い様に挟撃しながら銃弾を浴びせるつもりか。
  だがそのためには互いの射線軸に入らないようにするため、平行にはこちらへ向かって来ない。
  4隻の船は、互いに時間差を保ちつつこちらへ向かう。
  だが彼らは知ることになるのだ。例え同士討ちの危険があったとしても4隻で包囲してしまうべきだったと。
  イェナが手にしたケースは立方体で、各辺の寸法は60センチ。
  およそ300キロにも及ぶ中身のために、ケース自体も鋼鉄の板を溶接して作られている。
「久々の出番よ」
  そう言って、イェナはケースを開けた。
  収められているのは鎖の束。そして球体。まるで露に濡れるが如き艶を持つ、その球体には無骨に楔が打たれている。
  楔は鎖に繋がり、その一端は今やイェナの手の中にあった。
  もう片手には短く球を下げる。
  深く息を吸い。
「フッ」
  吐く。
  その場で半回転。
  時を同じくして、船は相手と擦れ違う。
  場が凍り付いたのは一瞬。そこにあるのは現実ではあり得ざる光景。擦れ違うだけで、船が宙に浮くとは、いかなる魔術によるものか。
  舳先を支点にして、敵船は宙へ浮き、そして浸水する。
  沈む。
  沈められた方も何が起きたか知らぬに相違ない。
  それは、放られた一個の球体によってもたらされた破壊であり、貫通した砲弾が甲板から船底まで突き抜けた事による沈没だった。
  人づてに聞けば馬鹿馬鹿しく思うに違いない。
  それは何だ、と。海賊船に大砲でも撃ち込まれたのか? それから隕石でも落ちてきたのか?
  否。
  それはイェナの持つ七つの下僕。 携行破城鎚『ゲルダの嘆き』。
  誰がそのような光景を信じられようか。
  直径30センチたらずの鉄球が、砲弾の如く船を破壊するとは。
  そしてそれを操るのがたった一人の女と言うことが。たった一人の、女の細腕が、それを投げた事による破壊と言うことが。
  イェナが船上からそれを投擲すれば、もはや何者にも止めようがなかった。
  重量300キロ。材質不明。単騎でもって城門を破砕し、建築物を倒壊させることを目的に作られた、対艦・対物・対要塞武器。それはもはや時代から取り残されたものであるにもかかわらず、イェナの常識外れな腕力でもって現代に蘇った。結局の所、破壊力を決めるのは火薬でも弾丸でもない。重さだ。しかるべき重さのものを、しかるべき速さで投擲し、破壊する。きわめて原始的、しかし何者も止めることの出来ない鉄槌。神話から呼び出された雷神の鎚。
  重さは強さ。それを体現した武器。
  全くのナンセンスであり、それは暴力と呼ぶにはあまりに滑稽で、しかし破壊を止めることは誰にも出来ない。
  かつて、イェナの伴侶はこれを手にして、城を、城のみを一人で打ち取ったのだ。
  その妻であるイェナが、小舟一つ沈めるのに何の造作があろうものか。
  舳先の部分に巨大な穴を開けられれば、浮かんでいられる船などありはしない。
  たかをくくっていた。
  小型のクルーザーで十分なのだ。
  機銃もロケット弾も、武装した兵士も必要なかったのだ。
  たった一人、あの女を、あの化け物をこの場に運んで来さえすれば。
  あれを投げられる距離まで、ただ懐に飛び込めればいいのだ。
「RPGだっ! 何でもいい、とにかく当てろ! あの化け物を、あの化け物を…………っ!」
  続く言葉は無かった。
  『ゲルダの嘆き』の直撃したその肉体は、もはや四散し、形を留めず、ただの赤い霧となってその場に揺らめくのみ。
  だが、男の残した最後の言葉は、電撃のように全ての人間を現実へと引き戻した。
  持てる火器を構え、とにかく狙いを定めず撃った。
  瞬く間に快速艇へ銃弾の穴が開く。
  当然だ。
  いかにイェナが化け物じみた戦闘能力を持つとは言え、船はただのプラスチックの固まりにすぎない。速度はあっても、挟撃すれば全てをかわすことは出来ない。落ち着いて狙えばRPGのようなロケット弾で沈めることも出来る。
  この銃火の下では立ち上がってあの鉄塊を投げつけることも不可能だ。
  優勢を見いだした男たちには、安堵とともに暴力的な快感がこみ上げてきた。圧倒的多数で蹂躙する嗜虐的な快感。
  恐怖のあとの安堵は、麻薬にも似た快楽でもって男たちを破壊へと駆り立てる。
  少しでも長く。少しでも多く。銃弾を船に、撃ち込む。
  あの船を沈めることは、不可能という壁を踏破することに等しい。遮蔽物はいずれ無くなる。頭さえ上げさせなければロケット弾を打ち込むことさえ可能だ。
  果たして、かがみ込んだままのイェナが立ち上がることはなかった。
  縁の部分は銃弾で徐々に削られ、頭を低くしたままの操舵手も視界を確保できずに船を迷走させている。
  ロケット弾の準備が出来たようだった。

 


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