イェナが抱えてきた少年を見て、ヘクターはため息をついた。
「また怪我人か。最近多いな」
「商売繁盛、結構なことでしょ。それよりどう？助けられそう？」
「当たり前じゃ。儂を誰だと思っている」
ヘクターは手術台に横たえられた少年の服を剥がし、怪我の様子を診る。
「肋骨をへし折られて肺に穴が開いたか。随分派手なスキンシップをしたみたいじゃな」
「おかげで家は滅茶苦茶よ」
「まぁこんなのは怪我のうちには入らん。１時間で終わると思うが、待っとるか？」
「そうね」
イェナは頷くと、手術室から出た。
椅子に座って待っていたジョーンズは不服そうだった。
「あいつを連れ込んでどうするんだ」
「命は助ける、って約束したもの。私は約束を破るのが嫌いなの」
「でも、あいつはまたイェナのこと狙うぜ」
「その時は殺すだけよ」
ジョーンズは訳がわからない、という風に頭を振る。
「将来殺すかもしれない相手を助けるなんて言うのは俺には納得できねぇ」
「でも殺さなくても良いかもしれないわよ。私はそう思っているわ」
「何を根拠に」
「私は貴方の１００倍は人間を見てきたのよ」
「例外だったらどうする」
「そんなに心配だったら、あの子の面倒あなたが見る？」
「それは勘弁してくれ」
「じゃあ、つべこべ言わないの。私はね、ジョーンズ。人の揉め事に首を突っ込んだり、世話を焼くのが生き甲斐なの」
かなり迷惑な性格だな、とジョーンズは心底思った。
「きっとろくな死に方しないぞ」
「首を突っ込んでちょん切られても私の首だから、貴方が気にする必要はないわ」
こともなげに言い放つと、イェナはソファに腰かけた。
「あのガキ、一体何者だ？」
「さぁ？ケヴィン・マクガイアの使いだとは思うけど、外部から雇ったのかもしれないわね」
「外から雇ったって…………あんなガキをか？」
「あの子だけじゃないでしょうね。こういう時は、荒事の専門家を雇ったりする方が安上がりなのよ。金の工面はつくけど命はそうはいかないでしょ？」
「物騒な話だぜ」
「あら。私がマーティンの会社に雇われているのも同じ理由よ。法律とか難しいのは苦手だけど、体を使った仕事は得意だもの。自慢じゃないけど、私とサシで戦って勝てる人間は世界に１０人も居ないわね」
「………お前に勝てる人間が居ること自体が驚きだよ」
「世界は広いわよ、ジョーンズ」
「知ってる」
イェナは意外という顔をしたが、すぐに苦笑に変わった。イェナの言う「広い」とは多少意味の違う、ただ空間的に「広い」という認識に過ぎないのだろう。
「だけどこの街で生まれた奴は、この街で死ぬのさ」
「まぁ貴方の場合は、それでいいのかもね」
身近なものからも学べるものはある。
そういう生き方を、イェナは嫌いではなかった。
血まみれの白衣のまま、ヘクターがふらりと手術室から現れた。
「終わったぞ」
「うまくいったようね」
「綺麗に折れてたからのう。肺の穴も塞いでおいたし、全治二週間という所じゃな」
「痛み止めを処方しておいてくれる？あんまり痛がるのも可哀想だし」
「随分と甲斐甲斐しいな」
「そうね。何となく、放っておけない感じなのよねぇ」
「情でも移ったか」
イェナはにやりと笑った。
「とりあえず、治ったらもう一度やってみたい、とは思っているわね」
これほどの手練、そう出会えるものではない。技はまだまだ未熟だが磨けば十分ものになる。
「やれやれ。この坊やも厄介な女に好かれたもんだ」
「とはいっても連れては帰れないわよね」
「当たり前じゃ。塞いだといっても治ってる訳じゃないんだからな。下手に動かすともう一回肺に穴が開くぞ」
「じゃあ、私が此処にしばらく居候するわ」
イェナの発言に、ヘクターは慌てた。
「おい、それは困る」
「どうして」
「お前さんが泊まると、あの馬鹿者も一緒に来たいと言い出すに決まっておる。お前さんはともかくとして、あの馬鹿と一緒の家にいるというのは我慢ならん」
「じゃあこうしましょ。私がしばらく此処に住んで、ドクターは私の家に住む」
「なんで儂が家を追い出されなきゃならんのだ」
「人助けが仕事なんでしょ。ちょっと家を変えるぐらいいいじゃない」
「良くない」
「部屋数は此処の３倍はあるわよ」
「掃除してないことぐらい判っておる」
「家も直しておくから」
マイスター医院はジョーンズの手によって廃墟同然に破壊されている。
確かに夜のすきま風は寒い。
大工のモーリスはつい先日、アルコール中毒で別の病院に放り込まれたので、家を直せる人間が居ない。帰ってきたとしても、あんな震える手で仕事をされたのではたまったものではない。
「わかった、わかった」ヘクターは降参だ、という風に両手を上げた。「一週間だけだぞ」
「恩に着るわ、ドクター」
「言い出したらテコでも動かないからな。言い合うだけ無駄だとはわかっとるよ」
「まぁリフォームだと思って少し辛抱して」
ヘクターは苦笑いすると、汚れた白衣を丸めて部屋の隅に放り投げた。
「薬の類は適当に使え。抗生剤を点滴するぐらいで十分だろうがな」
「人工呼吸器とか要らないの？」
「そんな高価なもの、この病院には置いとらん。そんなものが必要になるような手術もしとらんからな。肺の穴は動かさないでおけば２、３日で塞がる。どうしても呼吸が怪しくなったら、そこら辺に酸素のボンベが転がってるからレギュレーターに繋いで適当に吸わしておけばいい」
「私、時々思うんだけど」
「なんじゃ？」
「あなたって、本当にちゃんとした大学出て医者になったの？」
「何を言う。闇医者家業とは言え、昔はちゃんと医師免許は持っておったぞ」
ヘクターは部屋を出ようとしてふと立ち止まった。
「この坊やはあれか。例の一件の続きなんだな？」
「そうよ」
「判った」
ヘクターはそれからもう何も聞かなかった。
「さてと」
穏やかな寝息を立てて眠っている少年を置いてイェナは部屋から出た。
麻酔は当分切れない。
かといっていつまでも手術台に寝かせておく訳にもいかない。
とりあえず、空いているベッドをちゃんとメイクしてそこをこの少年の部屋にあてがおう。
マイスター医院の中は実に殺伐としていて、ベッドもあるにはあるのだが、マットレスがないとか、壊れているものばかりだった。
全てのドアが破壊されているのは確かにジョーンズの仕業だが、この病院はそれ以前に使い物にならないもので溢れていた。
病院としても駄目だが、住居として既に成り立っていない。
あの医者がいつも待合室のソファで寝ているのはそのためだったのか。
「これはちゃんとした看護婦でも雇わせた方が良さそうね………」
イェナは一人ごちると一番使えそうなベッドに別の部屋から持ってきたマットレスを載せた。
途端に猛烈な埃が舞い上がり、むせ返る。
「とりあえず明日は大掃除で終わりだわ」
結局イェナはベッドメイキングをやめて少年をしばらく手術室に置いておくことにし、そして自分は待合室のソファに横になるのだった。
体がだるい。
熱が出ているからだ、という事をおぼろげな意識の中で思った。
己もまた怪我人である。先の戦闘で思った以上に疲弊していた。
人よりも回復は早いが、それでも不死身というわけではない。大体に於いて、その身体的反応は人間と同じだ。
人間、か。
その皮肉な響きにイェナは一人苦笑し、ソファから身を起こした。
診察室のドアを開けて中をのぞき込む。
手術室の少年はまだ眠っていた。
中に入り、少年の様子を診る。
額に手を当てるが、別段変わった様子はない。熱も出てはいないようだ。
人間というのは不思議なものだな、と思う。
善人であろうと悪人であろうと、如何なる技術を持っていようと、結局は肉体という檻に縛られる。全ては内面によってのみ区別され、肉体はその付属品に過ぎない。それでも精神は肉体を牽引し、肉体は精神を拘束する。
憎悪の眼差しで自分に斬りかかってきた少年と、今穏やかな表情で眠るこの少年が同一人物だとは到底思えない。
だがどちらが真実と言うことはないのだ。
これも、彼の一部。そして凄まじい技量の暗殺者であるのもまた彼の一部なのだ。
人間はそうやって複雑な面で作られた、不思議な生き物だ。
「判る」事は出来ようが「理解」するのは無理だろう。
それが人より長く生きてきた彼女の結論だった。
全く、何の解決にも答えにもなっていないが。
しばしの夢想から醒めて、改めて少年の寝顔を見やる。
夢でも見ているのか。微笑んでいるようにも見える。だがその奥にはあの激情が隠されている。
あれはいったい何なのだろう。何が彼を駆り立てるのだろう。それを聞くことが出来るだろうか。それを聞いて、私は一体どうするつもりなのか。
ジョーンズにああは言ったものの、イェナ自身が何故この少年を助けたのか理解できなかった。
もっと幼い子供をくびり殺したこともある。今更子供とて殺すのを躊躇うような自分ではない。
気まぐれには違いない。
また戦ってみたいというのも本心だ。
でも、それだけではないような気がする。
考えても理由のでない答えなら、そこにはやはり、意識している以上の何かがあったのだろう。伊達や酔狂、些細な思いつき、戯れにも何らかの意思は存在する。
そしてそういう時が一番面白いのだ。