几帳布筋(のすじ)

平安時代の諸様相

〇平安時代とは
  平安時代といって人々が描くイメージと実際とのギャップは「歴史書説フリマ」の「平安」のページのコラムにも同じことを書いたが、平安時代の貴族といえば毎日舟遊びをし、管弦を催して優雅に暮らしていたというのがほとんどの人の持っているイメージであろうと思われるが、それとは裏腹に平安貴族たちは皆官吏、つまり公務員であった。六位以下は国家公務員や地方公務員、五位以上の殿上人といっても貴族というより特別職国家公務員というのが正しい。現代と違うのは、それが世襲制であるということくらいである。つまり彼らとて「遊び」に明け暮れていたわけではなく、れっきとした「公務」があって、それに忙殺されていたのだ。朝はまだ暗いうちから宮中へ「出勤」し、宮中では書類の山に埋もれ、長々と続く会議、そして年中行事と実に多忙であった。
  一方、庶民はというとそれこそどん底の生活で、当時の平安京は道路が公衆トイレであったし、庶民は死んでも埋葬は許されておらず、郊外に一応は死体の捨て場所があるものの、路上に死体が放置されていることも珍しくなく、ひとたび疫病の流行や飢饉があると鴨川の流れが死体の山で堰き止められたこともしばしばであったという。町中の砂ほこり、糞尿の臭い、死体の山とそれに群がる烏や犬……、これらが平安京の実態だったのである。私は「新史・源氏物語」の執筆期間に平安時代に正面から取り組んできたお蔭で、そのことが次第に分かるようになった。
  平安時代は戦争がなかった代わりに実に多くの災害に見舞われており、当時の記録を見ると洪水、旱魃、地震などの災害や疫病の記事が満載されている。これらは貴族をも庶民をもわけ隔てなく襲い掛かる。さらに、同じく両者共通の恐怖として怨霊の存在があるが、これについては次章に譲る。こういった災害と怨霊に怯える人々というのが、平安時代を語る上で絶対に必要な背景である。
  また、当時の宮廷も血で血を洗う生臭い戦闘がなかった代わりにもっとどろどろとした泥沼のような権力闘争と派閥争いがあり、平安朝の宮廷とは決して「(みやび)」な場所ではなく、陰謀と策略が渦巻く所だったのである。
  ちなみにもう一つだけ、多くの人が誤解していることに触れておこう。それは牛車の乗り方である。人々はどうしても後世の駕籠や現代の自動車のイメージで、中に乗っている人は前を向いて座っていると思いがちだ。ところが、実際は側面を背にして、進行方向に向かっては横をむいて座っていたようである。つまり、地下鉄の座席と同じだ。だから複数で乗る場合は、向かいあって座ることになる。もちろん、中には畳が敷かれている。そして、それぞれ身分に応じて、座るべき場所は決められていたということである。

〇光源氏はプレイボーイか
  光源氏というと、これまた誰もが「プレイボーイ」というイメージを持っているであろう。かの「ラブパック」でも光源氏の初登場のシーンでは、「世紀のプレイボーイ、光源氏」と紹介している。しかし、古典「源氏物語」には「光源氏、名のみことことしう、いひけたれ給ふとがおほかなるに、いとどかかるすきごとどもをすゑの世にもききつたへて、かろびたる名をやながさむと、しのび給ひけるかくろへごとをさへかたりつたへけむ人の物いひさがなさよ。さるは、いといたくよをはばかり、まめだち給ひけるほど、なよひかにをかしきことはなくて、かたのの少将にはわらはれ給ひけむかし」と、「帚木」の巻の冒頭には書いてある。すなわち、「光源氏、名前ばかり仰々しく、非難されなさるとがが多いようであり、ますます、このような好色沙汰を後の世にも聞き伝わって、軽薄な人であったと伝えられることになろうかと、隠していらっしゃった秘密事までを、語り伝えたという人のおしゃべりの意地の悪さよ。しかし実際は、光源氏は非常に世間体を気にし、まじめでいらっしゃったので、艶っぽくおもしろい話はなくて、交野少将などには笑われなさったことであろう」と、世間ではプレイボーイといわれてはいるが、実はまじめな人であったと強調している。もっとも、この「帚木」は後からの別作者の挿入と思われるので、このような出だしで始まっているのであろう。だが、光源氏をプレイボーイにしてしまったのは、実はその「別作者」なのである。
  そもそも平安貴族は一夫多妻で、家の存続のために多くの女を妻とした。これは貴族の宿命であり、後世の本妻と即室というようなものではなく、妻の全員が本妻だったのである。つまり、妻が何人いてもそれは当時の貴族としては「普通のこと」であり、何らプレイボーイだったことにはならない。皇室でも一夫一妻制になったのは大正天皇からで、明治天皇にはたくさん妻がいた。そこで前に述べた「紫の上」系の巻だけを通して見ると、光源氏の女性経歴はさほど華やかではない。まず、愛のない妻の「葵上」がいるころに六条御息所に夢中になり、そして幼い紫の上を引きとる。だがこの頃の紫の上は、まだ恋愛の対象ではない。葵が死に、六条御息所との恋破れた後になって、ようやく紫の上も成長してから妻とするのである。次に登場するのは明石の上だが、この場合は都を離れていたという特殊状況による。こうして見ると、一夫多妻だった当時の貴族としては、光源氏は慎ましやかなほうではないか。
  それを「プレイボーイ」というイメージを与えているのは、これらの女性の間に「夕顔」あり「空蝉」あり「末摘花」の喜劇ありで、そういった女性たちが同時にでてくるものだから、読者は「光源氏は女たらし」と思ってしまうのであろう。ところが、これらの女性が登場する巻はすべて「並びの巻」、つまり「玉鬘」系の巻であり、後世の複数の別作者による挿入と思われる。だからいろんな人が源氏物語に新しい話を盛り込んだせいで、光源氏は同時にいろんな女性と関係を持ってしまったことになって、プレイボーイ光源氏が誕生してしまったのだと推察する。
  ここで、「並びの巻(玉鬘系の巻)」を一切排除した私の『新史・源氏物語』における、光源氏の女性関係を見てみよう。


  <( )内は、一応の通称だが『新史・源氏物語』では用いていないネーミング>

(葵上)=結婚は周りが勝手に取り決める。生涯、男女の愛はなし。死ぬ直前に心を開いたように見えるが、それは「愛」ではなく、夫婦としての連帯感のみ。

六条御息所=最初に関係を持ったのは逆レイプ(光源氏が御息所にレイプされた)に等しい。ちょうど妻との冷めた関係にいらだっていた頃。だが御息所との関係を、光源氏はひどく後悔する。

藤壺の宮=光源氏の母と同世代の老婆。光源氏は第二の母と慕ってはいるが、もちろん男女の関係などない。

(朧月夜)=関係をもったのは酒の上でのこと。ちょうど妻との冷めた関係に悩んでいた頃。紫の上はまだ幼い。

紫の上=純粋に養育目的で引きとり、妻の死の後に妻の仏前で許しを乞うた上結婚。

明石の上=結婚したのは、都からも妻となった紫の上からも遠く離れていたという環境で。

女三宮=結婚はほとんど押し付けられて。

これでも、光源氏はプレイボーイだろうか?
  ちなみに、光源氏は「ロリコン」だという人もいる。幼い紫の上を引きとったことについて言うのであろうが、光源氏は決して恋の対象として幼い光源氏を引きとったのではなく、あくまで養育するのが目的だったのだ。もし、引きとってすぐに幼い紫の上と関係を持ち、またそれが目的でったのならたしかに光源氏はロリコンだが、実際はそうではない。結婚したのは紫の上が成長するのを待ってからである。
  そもそも紫の上を10歳にも満たない時に引き取った光源氏は18歳で、これは数え年だから、現代でいえばまだ高校2年生だったのである。18歳と10歳のカップルというのはいないだろうが、48歳と40歳の夫婦なら世間にざらにいる。40歳の妻を持つ48歳の男は、果たしてロリコンだろうか?  紫の上との結婚をもって光源氏をロリコンとするひとは、なぜ後半の女三宮との結婚のことについては言わないのだろう。確かにこれは押し付けられた結婚ではあるにせよ、中年のおじさんが10代そこそこの女性と結婚したのである。こっちのほうがよほど異常なのに、それについては誰も何も言わない。みな「須磨がえり」で、そこまで読んでいないからだろうか?

〇冒頭あれこれ
  「いづれの御ときか、女御、更衣あまたさぶらひ給ひける中に~」というのは、あまりにも有名な源氏物語の冒頭である。現在、源氏物語のさまざまな現代語訳が出ているが、この冒頭の部分を比べてもそれぞれ個性があって、各自の味を出しているので面白い。
  なお、細かいことだが、「いとやむごとなききはにはあらぬが」の「が」を間違えて訳している人が多い。与謝野晶子とてそうだが、谷崎あたりになると正確になってくる。この「が」は「であるが」というような逆説の接続助詞ではない。逆説の接続助詞の「が」の用例は平安末期から登場するもので、この場合同格の「の」と同じ働きをする。つまり「たいした高い身分ではない人であって」と訳すのが正しいのである。(と、断定して書いているが、実は私も何かの本で聞きかじったことである)。
  冒頭といえば、私は面白いことを発見した。それは「末摘花」の冒頭である。「おもへどもなほあかざりし夕顔の 露におくれしほどの心ちを」というのがそれだが、なぜ引用をここで止めたのかというと、ここまででなんと綺麗に、「57577」の短歌になっているのである。意図してか、偶然かはわからない。

〇準太上天皇とは
  光源氏は源氏物語の後半で、準太上天皇になる。これをまた勘違いしている人がいる。光源氏は最終的に天皇になったのだ、と。ところが、実際はそうではない。これは位ではなく、「待遇」なのだ。つまり、具体的には年官を与えられる範囲が「太上天皇」並になるということだけである。年官とはある者の官職を申請して、その者が官職を得たらその者から報酬を得る権利のことであるが、その申請できる人数は天皇で何人、皇后で何人、左大臣で何人と定められていた。その人数が太上天皇(上皇)と同じ数になるというだけの話である。
  一般には藤原摂関家の氏の長者が「准三宮」になることが多かった。つまり年官が「太皇太后」「皇太后」「皇后」に準じて与えられるということである。光源氏もおそらくはこの「准三宮」になるべきだったところ、皇后などが生まれは臣下であることから臣下の藤原氏は「准三宮」になるのに対し、光源氏は生まれが皇族であるがために「準太上天皇」となったのであろうと思われる。
  ちなみにこの準太上天皇というのは史実にはなく、作者の創作したものと思われる。近いものとしては、藤原道長の娘の詮子が皇太后になった後に出家したので女院号を賜ったことが挙げられる。この「女院」という称号は太上天皇に準じてとういうことではあるが、院庁が設けられるところなど光源氏とはずいぶん違う。また、後の「女院」は女院というくらいだから、当然すべて女性である。つまり、臣下が「准三宮」になるべきところ、本物の皇后や皇太后ではそれに「準ずる」ことはできないから「太上天皇」に準ずるということになったのであろう。こういった点も光源氏とは違うし、だいいち初めての「女院」である詮子=東三条院の例は源氏物語執筆よりも後のことであるから、やはり「女院」と光源氏の「準太上天皇」とは違う。
  いずれにせよ光源氏は「天皇」になったのではなく、年官を申請する申請権の数が上皇と同じになったというだけで、公務員としての給与が昇給したということにすぎない。

〇源氏物語と史実
  源氏物語には相当史実が反映されている反面、作者の創作もまたかなりある。ただ、私が想定した実在の光源氏の系図を作ってみると、本人ばかりではなくその関係する人々もぴたりと史実と符合するから感嘆ものだ。前に述べた実在の光源氏の亡兄に「前坊」が実在するというのは、そのほんの一例である。『新史・源氏物語』のページの系図をご覧頂きたい。古典「源氏物語」の系図とは若干異なるが、史実とは符合している。そしてこの系図は、実名こそ伏せているがすべて実在の人物で、架空の人物は一人もいない。
  さて、こうして史実と照らし合わせながら『新史・源氏物語』を執筆していくうちに、私は思わず唸り声を挙げてしまった事実にぶち当たった。それは「少女」の巻の朱雀院行幸のシーンで、「がく所とほくておぼつかなければ、おまへに御ことどもめす(楽所が遠くて音楽がはっきり聞こえないので、琴などを帝の御前にとお呼び寄せになる)」とある部分である。この部分に関して私が『新史・源氏物語』で設定したこの年に関する古記録を調べているうちに、これと全く同じ記述が見つかった。その古記録とは醍醐天皇皇子の式部卿宮重明親王の日記『吏部王記(りほうおうき』で、そこには「朱雀院御幸。帰徳之間楽所頗遠、絃音不分明。詔右大臣云、『操絃者近候宣歟』(朱雀院に行幸する。楽所が遠くて楽器の音がよく聞こえないので、帝は右大臣に「楽人をもっと近くに呼ぶように」とお命じになった)」とある。『新史・源氏物語』での設定と同じ年の同じ行事にこの記事を見つけたときは、私は思わず感嘆の声をあげてしまったほどだ。

〇中国語訳源氏物語
  源氏物語が各国語訳されていることは、有名な話である。その中で、面白いのは中国語訳である。中国語訳とひと言で言っても、今では複数の翻訳者による複数の訳本が出版されているが、その草分け的なのが豊子凱訳であろう。冒頭は「话说从前某一朝天皇时代、后宫妃嫔甚多、其中有一更衣、出身并不十分高贵、却蒙皇上特别宠爱」といった具合である。
  また、歌もすべて七言二句の漢詩に翻訳されている。例えば、「かぎりとてわかるる道のかなしきにいかまほしきは命なりけり」は「面临大限悲长别、留恋残生叹命穷」と訳されている。
  そして、脚注が充実しているが、それは日本文化を知らない中国人のためのものばかりではない。ご存じの通り、源氏物語は中国の古典に準拠する描写が多いが、ほんの少しでも準拠が中国古典ならしつこいくらいに解説している。日本の注釈書なら見落としてしまいそうな些事まで、鋭く見据えて中国古典の出典を挙げているのである。さすが中国人学者だからこそできたであろうことで、大いに参考になる。
  なお、この中国語訳でもっと面白いのは、巻名である。「桐壶」「帚木」などのように日本での巻名をそのまま漢字で書いたものも多いが、中には「紫儿(若紫)」、「葵姫(葵)」、「新菜(若菜)」、「匂皇子(匂宮)」、などのように若干字づらが異なっているものもある。さらに、「杨桐」、「航标」、「早莺」、「朔风」、「兰草」、「法事」、「魔法使」、「寄生」、「柯根」などは、何の巻だかお分かりだろうか。答えは、巻名の上にカーソルを持っていって少し待つと(クリック不要)、出て来るかもしれない。(お使いのブラウザや設定によっては出ないのであしからず)。

几帳布筋(のすじ)

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